7.月に映る心
サンドアイズの街並みが蜃気楼のように消える。
ベグ画面が仮想空間から、現実世界のカメラ画像へと移り変わり、唯人は部屋に帰った。
正確にはずっと部屋にいて、ベグの画面を通してベグゲームをプレイしていた。
視界も音も、触覚さえも脳へ伝達して再現するベグゲーム。
プレイヤーはあたかも現実世界で追体験したかのような充足感を与える。
だからこそ、ベグゲーム内の出来事は大きな余韻をプレイヤーに与えた。
「なんなんだ! さっきの人は! 勝手なことばっかり……!」
サンドアイズで声をかけてしまった初心者プレイヤーマークス。
彼の言動はユイトの心を深く抉った。
「そりゃ……そうだけどさ。やらなきゃ成功しないなんてわかってるけど……!」
いつしか「失敗」という言葉に目の前は支配されていて、その事実を知っているのに、必死に目をそらそうとしていた自分もいた。
椅子から立ち上がり、ユイトは着替え始める。
部屋着からランニングウェアへ。
着替える時も基本的にはベグは装着したまま。
ベグの防水防塵性は優れており、海であろうと砂漠であろうとびくともしない。
スカイブルーのランニングウェアと白いハーフパンツ。
いつもの装備に着替え、ランニングシューズを履いて外へ飛び出す。
ベグを認証キーに、扉はオートロックされる。
外はもう真っ暗だ。
柔軟運動もそこそこに、無人のシェアカーが往来する道路を渡り、河川敷を目指して走る。
ピッ!とベグが鳴った。
時刻は20時。
ベグの画面内に「今日の歩数1061歩」の表示。
「……今日はずっと家にいたから少ないや。取り戻そう」
空には青白く、見下ろすような月が輝いていた。
冬の冷えた空気が吐いた息を白く染める。
二度吸って二度吐く、スッスッ、フッフッと慣れた呼吸リズム。
肺に入る冷気が、呼気となって白く排出される。
ありふれた現象だが、ユイトはまるで自身のわだかまりが白い息となって吐き出され、空気中に拡散し、透明になることで心のモヤモヤも外へ溶け出していくように感じていた。
河川敷を走り、歩数が8000を超えた。
体も温まってくる。
ベグ画面にメッセージあり。
『月面プラント加工技術者及びインストラクター募集の概要』
タイトルを読んでドキッとしたが、ジョギングで落ち着いた今、抵抗なくメッセージをノックして開封する。
「これ、ベグゲーム内だったら読めなかったかもね。……ああ、ほんとなんだ、さっきの話……」
メッセージ内には、局員の説明と同じ内容が並んでいる。
月面プラントではAIでは対応できない不測の事態が予測されるため優秀な作業員が必要とのことだ。
しかも、この月面での宇宙開発事業は、月よりも外側の火星、そしてアステロイドベルトを越えた木星開発の拠点になると。
「月での仕事なんて……ボクが……」
空を見上げる。
ベグのカメラ倍率を上げれば、月面のクレーターくらいはっきりと観察が可能。
月を眺めるのが好きなユイトにとって、ジョギング中の楽しみでもあった。
「今日の月は、ちょっと見られないや……」
鮮明過ぎるベグの高解像度に、ユイトは思わずベグを外した。
外したベルガーグラスを首にかけ、肉眼に月の光を浴びる。
「あの人の言っていることって、正論なんだよね。すんごい失礼だと思うけど。……ボクも失礼なことしちゃったよね。……もし、また会う機会があったら謝ろうかな……」
目で直に見る月の光は、ベルガーグラスの映す映像よりも柔らかく感じられた。




