第99話
エピローグ
今日も渋谷のスクランブル交差点には多くの人がいた。
由貴は人波の中を縫うように歩いていく。
交差点を渡りきったところで立ち止まった。
後ろを歩いていた人が、急に立ち止まった由貴を避けるように横をすり抜けていく。由貴のことを邪魔に思ったのか、彼らの中から舌打ちが小さく聞こえた。それでも由貴はその場で立ち尽くしていた。
目の前に一人の青年が立っていた。
年齢は由貴と同じくらいだろうか。二十代後半くらいに見える。由貴の方を見ながら、どこか悲しそうな微笑みを口元に浮かべている。
祐樹って、こんな顔をしていたんだ……。
初めて見たはずなのに、由貴には彼が「上原祐樹」なのだと分かった。初めて会ったはずなのに、どこか懐かしかった。彼のどこか寂しそうな顔を見ていると、由貴は思わず泣きそうになった。だけど、涙をぐっとこらえる。そして微かに微笑みながら、「久しぶり」と祐樹に話しかけた。
「久しぶり……なのかな」
祐樹も同じように微かに微笑みながら答えた。
「一つ、訊いてもいい?」
由貴は祐樹に問いかける。
「何?」
「……」
由貴はどのように祐樹に尋ねればいいのか考えて、少しだけ黙り込む。祐樹はそんな由貴の様子を黙って見つめていた。そして由貴の思いを代弁するように、「中学校のことだろ?」と言った。
「うん……」
由貴は意を決して口を開く。
「私には自分が中学生の頃の記憶がないことは、以前のあなたへの日記で書いたよね……。私はあなたの提案に従って静岡の実家で自分が中学生の時に書いた日記を探した。そしてクローゼットの奥ににあったオルゴールの中でその日記を見つけた……。
私は、自分が中学生の時に自分の身に何が起きたのかを知った。そして、あなたがこの世界に生まれた理由も知った……。だけど私の日記はそこで終わっていた」
「……」
「あのあと、私は……いえ、あなたは、どうなったの?」
祐樹は一度視線を由貴から外して、空を見上げる。
その視線に釣られた由貴も空を見ると、そこにはどこまでも青い空が広がっていた。祐樹はおもむろに口を開く。
「あのあとも、君への……そして僕へのいじめは続いていた。
だけど親の都合で飛鳥が中三の冬に転校した。クラスの中から突然、飛鳥という存在がいなくなった。
すると、その根源を失った僕へのいじめは、力を失った飛行機のように次第に収まっていた……」
「……」
「僕の役目はそれで終わりだった。
僕は君の苦しみを代わりに引き受けるためにこの世界に生み出されたのだから。
だから役目を終えた僕は、君の中の中学生の時の記憶とともに、君の心の奥底に沈んでいったんだ……」
「……そう……だったんだ」
歩行者側の信号が青から赤に代わり、交差点の前は多くの人で埋まっていく。由貴の周りを多くの人が取り囲んでいく中、由貴は祐樹の顔を真正面から見つめる。
「十五年の月日を経て、私はやっとあなたに再会することができた。
あなたに、どうしても伝えたい言葉があるの……」
由貴は自分の中の「言葉」を確かめるように口をつぐむ。
その「言葉」は確かに由貴の心の中にあった。
「ありがとう。あなたがいてくれたからこそ、私はあの地獄の日々を生き抜くことができたんだよ……。あなたがいてくれたから、今の私がいるんだよ……。
私はもう大丈夫。
今度は、私はあなたのために何をしてあげられるのかな……」
祐樹は少し悲しそうに笑った。
「君が自分の足で生きていけるのなら、僕は何もいらない。だって、それだけが僕の唯一の存在意義だから」
由貴は涙をこらえて、祐樹の顔を見つめる。
祐樹は相変わらず悲しそうに微笑んでいた。
信号が青に変わり、周りの人波が交差点の中に歩いていく。由貴は祐樹に対していた身体を反転させ、その人波に流されるように歩いていく。そして交差点の中央に来たところで立ち止まり、後ろを振り返った。
そこにはもう「上原祐樹」はいなかった。
もうこの世界のどこにも、そして由貴の中にも。
由貴は前を向き直り、静かに歩き出した。
(了)




