第80話
正直に言うと、私は始め、自分が見た夢は『前世の記憶』ではないかと思っていました。
夢の中で一人の女性を見た時、私にはその顔に見覚えはありませんでした。それでも、自分は過去にどこかでこの女性と出会ったことがあると感じたのです。私はその女性のことを何とか思い出そうとしたのですが、何も思い出せませんでした。それでも、『今の私は、決して忘れてはいけないことを、忘れてしまっているのではないのか。決して忘れてはいけない人を、忘れてしまっているのではないのか』そのような思いが自分の胸の奥で蠢いていたのです。
このことは以前の日記にも書いたかと思います。
その思いは自分でも驚くほど強い力で私の心を掴んでいました。それは決して気の迷いや思い違いというようなものではない。そのときの私はそう信じていました。なぜか、と尋ねられても明確に説明することはできません。とにかく『私の心はそのように感じていた』と言うことしかできないのです。そのときは、その私の中の思いをうまく言語化することができませんでした。
私は現在、コンビニでバイトをしています。
その夢を見た翌日も、そのコンビニで私は働いていました。ちょっと手持ち無沙汰になったときに、雑誌の整理をしようと思い、雑誌売場に向かいました。そこで偶然、置いてあった雑誌の一つの表紙に『あなたは、生まれ変わりを信じますか?』という特集記事の見出しを見つけたのです。『生まれ変わり』。そのワードに引き寄せられるように私はその雑誌を手に取っていました。勤務中にしてはいけないと思いつつ、私はページを捲っていました。
そこには、ある女性の夢のエピソードが書かれていました。その女性の見る夢とは、夢の中で自分は遊園地に立っており、ふとガラスに映る自分の顔を見ると、そこには見知らぬ男性の顔が映っているというものでした。その夢を何度も何度も見るらしいのです。しかし、彼女には、その夢の意味も、また、何度もその夢を見る理由も分かりませんでした。そのうち彼女は、夢の中で自分がその姿になっている男性は、自分の前世の姿なのだと考えました。自分がその男性そのものになっているので、きっと自分自身が過去にその男性だったのだろうと考えたのです。そして、その前世の自分が、今世の自分に何か思い残したことを必死に訴えかけているのだと。
記事はそのような内容でした。
一見すると、眉唾ものの荒唐無稽な話です。
それまでの私なら、どこにでもあるような作り話か、その女性の思い込みとしか思わなかったでしょう。しかし、『夢』の中で似たような経験をしていた私には、どこかそのエピソードは心に引っかかったのです。
夢を見た翌日にこの雑誌を目にしたという偶然も本当は偶然ではなく、何かの符合なのではないのか。そんな思いすら抱いていたのです。
それまでの私は生まれ変わりというものについて考えたこともなかったし、前世なんてものも信じたことはありません。しかし、その時の私には今の自分の状況を説明するのに『前世の記憶』という言葉がぴったりと合うような気がしたのです。
私が見た夢について、一度、コンビニで働く同僚に相談したことがありました。
私が働くコンビニでは野中智恵という女性が働いています。看護学校に通う学生です。私の様子がおかしいとみたのか、彼女から『何か悩んでいることはないですか?』と尋ねられました。私は夢のことを彼女に話すかどうか迷ったのですが、話すことで何か分かることもあるかもしれないと思い、彼女に相談したのです。
そのとき彼女から、次のようなことを言われました。
『上原さん、記憶喪失になった過去なんてないですよね?』
彼女の推測では、私とその夢の女性との間に過去に何か重大な出来事が起こった。その出来事が起こったのは前世ではなく、私自身の過去においてです。だけどその出来事があまりにショックだったため、その記憶だけが自分の頭からすっぽりと抜け落ちた。そのことを私の深層心理は覚えていて、それが『夢』という形となって現れた。
それが、彼女の仮説でした。
たしかに辻褄は合うのだと思います。
だけど、私の中では、これは単なる記憶喪失ではなくて、時間や空間を超えて隔たっている記憶であるような感覚があるのです。私と夢の中の女性は、まったく別の世界に生きている。敢えて言うのなら、そのような感覚でした。それも何か根拠があるわけでもなかったし、論理的に説明できるようなものでもありませんでした。そしてこの『日記』の件がなければ、今でもあの夢は『前世の記憶』だと思いこんでいたかも知れません。あるいは、私の同僚である野中さんの『記憶喪失』という言葉で自分を無理やり納得させていたかも知れません。
しかし、私の目の前に『日記』が現れ、そして『日記』を介して今、君とやり取りをしている。私と君は、同じ場所にいるはずなのにお互いの姿を見ることができない。
その事実が、私の『前世の記憶』という仮説と野中さんの『記憶喪失』という仮説を否定しているのだと考えました。『前世の記憶』でも『記憶喪失』でも、このような『日記』があるはずがないからです。そして、私の『二つの世界線』という仮説につながりました。私と君は全く別の世界線に生きている。それなら、私の中の『時間や空間を超えて隔たっている』という感覚とも合致するのです。
では、もしこの仮説が正しいと仮定するのなら、いつ、どこで二つの世界は分かれてしまったのか。
そしてなぜ分かれてしまったのか。
やはり、そこにこの問題を解決する手がかりが潜んでいる気がします。
上原祐樹より」




