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いつか、どこかで君と出会った  作者: 鷺岡 拳太郎
第14章

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第49話

 

 由貴は問診票から視線を上げる。

 受付には、先ほど「小林」という患者の名前を呼んだ制服姿の女性が忙しなく事務作業をしている。その間にも建物の入口からはひっきりなしに人が待合室に入ってきていて、待合室の長椅子はすでに人でいっぱいになっていた。中には座席に座ることができなくて、待合室の隅に立ちながら自分の名前が呼ばれるのをじっと待っている人もいた。

 受付の女性が手元の書類から顔を上げる。待合室の方に視線を送り、「杉原様、杉原様」と声を出した。

 ようやく自分の名前が呼ばれたことにほっとし、「はい」と返事をしながら由貴は立ち上がって受付の前に歩み寄った。

「杉原由貴様ですね」

「はい、そうです」

「お待たせしてすみませんでした。こちらがK中央病院の診察券になります。次回以降の受診の際には必要となるものなので、大切に保管してください。カードの記載内容に間違いがないか、確認をお願いします」

 女性は窓口から、白地に緑色の文字が印刷された一枚のカードを差し出した。由貴はカードを受け取り、ざっと目を通す。

「K中央病院 診察券」と印刷された文字の下に、登録番号、氏名、生年月日、性別がすでに入れられている。氏名欄には「杉原由貴」、生年月日欄には「1997年8月15日」、そして性別欄には「女」と記載されていた。特に問題はなさそうだった。

「大丈夫です」

「ありがとうございます。問診票の記載は終わりましたか?」

「はい」

 由貴は、問診票が挟み込まれたクリップボードとボールペンを受付の前に差し出す。女性は問診票の中身を確認して、その用紙に何かを書き込んだ後、別の用紙とともに再び由貴の前に差し出してきた。

「こちらが受付票です。病院内の地図も印刷されているので、この地図を確認していただいて脳神経内科の受付まで行ってください。そして、そちらの受付にこの受付票と先ほどお書きいただいた問診票をお渡しください。……何か、ご質問はありますか?」

「……いえ、大丈夫です」

 由貴は両手を差し伸べ、二枚の用紙を受け取る。

 女性はこれで由貴との会話は終わったというかのように、手元に視線を落とし、別の事務作業に戻っていった。由貴は一人取り残された孤独感を感じながら、受付前から数歩横にずれて受付の前のスペースを開ける。手元の受付票に印刷された地図を見ると、脳神経内科の受付は三階のエレベーターを降りて右に曲がったところにあるようだった。

 エレベーターの前まで歩いていくと、運悪く、二基並んだエレベーターは両方とも上階に行ってしまっていた。エレベーターをじっと待っているのも焦れったかった。三階くらいなら階段で行こうと思い、エレベーターの横に併設された階段で三階に上がる。脳神経内科の受付はすぐに見つかった。

「これをお願いします」

 受付にいた制服姿の中年の女性に、受付票と問診票を差し出す。女性は無言で受け取り、内容を確認するとすぐに用紙から視線を上げた。

「お名前をお呼びするまで、こちらでお待ち下さい」

 事務的な硬い口調で言いながら、受付の左横に設けられている小部屋のような場所を右手で指し示した。そこが脳神経内科の待合スペースになっているようだった。待合スペースは長椅子が二つ置かれているだけの小さな空間で、その長椅子の隅に四十歳くらいの女性と七十歳くらいの女性が並んで座っていた。おそらく中年の女性が老齢の自分の母親の付き添いで病院まで来ているのだろう。二人は黙って座っている。中年の女性は右手の人差し指で手元のスマホをひっきりなしに操作している。一方で老齢の女性は、どこか虚ろな目をしながら、目の前の白い壁を見つめていた。

 この老齢の女性も認知症で脳神経内科を受診しているのだろうか。

 目の前の光景に、嫌な現実を突きつけられたような気がした。

 由貴はその二人から一番離れた位置に座った。

 しばらくして、受付の女性が「木村さん、診察室にお入りください」と待合スペースに声を掛ける。中年の女性が「はい」と返事をして、自分の隣に座った老齢の女性に「お母さん、診察だから立って」と話しかける。老齢の女性は中年の女性に無理やり立たせられて、引きずられるようにして受付の右隣にある診察室の中に消えていった。

 由貴は待合スペースに一人取り残された。

 特にすることもなく、ついさっきまで老齢の女性が見つめていた白い壁を、同じようにぼんやり眺めていた。これから先に自分の身に起こるであろうことを考えたくなくて、心を空っぽにしてその壁を見つめ続けた。「脳神経内科」を受診する患者は、皆この白い壁を見つめながら、ひたすら自分の名前が呼ばれるのを待っているのかもしれない。なぜかそのような想像が頭の中に浮かんできて、目の前の白い壁に患者の怨念のようなものが込められているような気がして由貴は思わず目を伏せた。

 由貴の名前はなかなか呼ばれなかった。

 やけに自分の周りの時間の流れが遅く感じる。もう三十分は経っただろうと思い、スマホで時刻を確認するとまだ十分しか経っていなかった。永遠とも思える時間が由貴の前を流れ去り、ようやく先ほどの二人の女性が入った診察室の扉が開いた。部屋の中で、「先生、今日はありがとうございました」という中年女性の声が聞こえる。すぐに、「さあ、お母さん、帰るよ」と老齢女性の手を引きながら部屋の外に出てきた。そのままエレベーターの方に歩いていく。二人が自分のすぐ隣りを通ったときに、由貴は何気なくその老齢の女性の顔に視線を送った。その女性は相変わらず虚ろな目でどこかの虚空を見つめていた。二人は由貴の存在に気づくこともなく歩き去った。結局、老齢女性の声を一度も聞くことはなかった。

 それから五分ほどして、ようやく受付の女性が、「杉原さん、診察室にお入りください」と由貴に声を掛けた。



挿絵(By みてみん)


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