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いつか、どこかで君と出会った  作者: 鷺岡 拳太郎
第12章

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第39話

 

 何か、食べよう……。

 由貴はキッチンに向かう。

 ここのところ仕事が忙しくて自炊をしていない。最近は、夕食は会社から家に帰る途中にある定食屋で済ます事が多かった。

 今、冷蔵庫の中に何が残っているのかも把握できていない。何でもいいから何か入っていて、と心のなかで祈りながら冷蔵庫を開ける。中はがらんとしていて入っている物も少なかった。その中でも、冷蔵庫の片隅に以前食べたウインナーの残りが置かれているのを見つける。手にとって賞味期限を確認すると四月二十日になっている。大丈夫だ、まだ食べられる。次に野菜室を確認すると、そこにはじゃがいもが二個転がっていた。ご飯は冷凍していたものがあったはずだ。とりあえず今夜はこれらを使って済ませてしまおう。

 由貴は外出着からいつも室内着として着ている灰色のスウェットに着替え、一度手を洗い夕食の準備に取り掛かる。何か体を動かしていたほうが余計なことを考えずに済んで良かった。

 冷蔵庫からウィンナーとじゃがいもを取り出し、じゃがいもは皮を剥いて小さくサイコロ状に切っていく。そしてウィンナーとじゃがいもをフライパンでカリッとなるまで焼き上げていった。火が通ると塩コショウで味を整え、最後にケチャップを入れて終わり。簡単な料理だった。冷凍庫から一食分ごとに小分けして冷凍してあるご飯を取り出し、茶碗に移し替えて電子レンジで解凍する。解凍が終わると、それらをダイニングテーブルを兼ねている作業机に運んだ。

「いただきます」

 簡単な料理を前に、由貴は両手を合わせる。

 部屋の中はやけに静かだった。夕食の準備が終わった途端、部屋の中を耳が痛くなるような静寂が覆う。午後十一時も回った街はすっかり寝静まっていた。

 箸でウィンナーをつまんで、口に入れた。

「おいしい……」

 もぐもぐという咀嚼音が、由貴の耳にやけに大きく響く。

 何も考えず、ただ噛むという行為に集中する。だけど食べるということに集中しようとしても、それ以外に何もすることも無くなった由貴の思考は食べ物の外にさまよい出す。そして結局、今日の日中の出来事に行き着く。由貴の中のちょっとした隙間を縫うようにして、頭の中に再び日中の光景が蘇ってくる。どんなに考えまいとしても、そのことについて考えてしまっている自分がいた。

 あんなにも一生懸命に準備をしてきたミューズのプレゼンを行うことができなかったこと。そして何よりも、自分の中からなぜか四月十七日の記憶が何一つ残っていないのだということ。

 このことを考えると由貴の心がちくりと痛む。

 だけど一度寝たおかげなのか、気持ちはだいぶ落ち着いていた。寝る、という行為には精神に対する鎮静効果もあるのかもしれない。あるいは、自分の部屋というプライベートな空間が由貴の心を少しだけほぐしてくれたのだろうか。

 改めて、自分の身に何が起こっているのか、整理をしようと思った。自分の中にしか、この謎を解く鍵は無いのだと思った。

 今朝、つまり四月十八日の朝、由貴はいつものようにこの家を出て会社に向かった。そのときまではいつもと変わらない朝だった。思い返してみても、そのときの自分は特に異常を感じていなかった。由貴には朝にテレビを見るという習慣はなく、朝のニュースを見るということもなかった。もしテレビで朝のニュースを見ていたら、今日が四月十八日なのだということ、一方では自分の認識の中では今日は四月十七日であり、実際の日付と一日のずれがあるのだということに気づいていたのかもしれない。だけど運悪く、いや、運良くといったほうがいいのだろうか、とにかく、その時の由貴はまだ一日のずれに気づいていなかった。今日が四月十七日であり、ミューズへのプレゼンは明日なのだと信じて疑っていなかった。

 会社に出社し、利奈に「杉原さん、どうしてここにいるんですか?」と言われて、由貴は初めて異変に気づいた。今日が四月十八日であり、十七日ではないのだということを知った。

 由貴の中に「四月十七日」という空白の一日がある。

 四月十七日の記憶だけがきれいに無くなっている。まるで一日ワープして、四月十六日の次に突然十八日に迷い込んでしまったかのように。

 四月十七日の自分はどのように振る舞い、どのように行動したのだろうか。四月十七日の自分にはすでに何かしらの異変は起こっていたのだろうか。それすらも思い出せない。

 ただ、四月十七日の時点で自分の身に何か異変が起こり、異常な行動を取っていたのだとしたら、そこで何かしらの問題が発生しているはず。そして何かしらの痕跡が残っているはず。

 しかし、四月十七日の夜に自分が送付したと思われるメールを見ても、特に何も異常は無かった。自分だったらこのように書くという文面と全く同じ文面が書かれたメールを、四月十七日の夜に「杉原由貴」は松浦に送っていた。

 つまり、四月十七日の夜までは自分自身に何も異常は発生していなかったと考えるのが自然だ。おそらく十七日の杉原由貴は、いつもと変わらない「杉原由貴」として過ごしていた。

 そうなると、四月十七日の夜から四月十八日の朝までのどこかで由貴の頭の中から四月十七日の記憶だけが煙のように消えたことになる。そのどこかで、自分の身に何かが起こった。でも、何が起こったのだろうか。

 一方で、今の由貴にとっての昨日、つまり四月十六日の記憶は鮮やかに思い出すことができる。

 例えばその日、デジタルマーケティング部の部署内定例会議で、由貴はミューズへの提案について報告を行った。その会議の中で自分が会議室のどこに座り、そして部署のメンバーからどのような質問が出たのかもはっきりと思い出すことができる。

 記憶の喪失が発生する前日であれば、その十六日という日にも何かしらの兆候があってもおかしくないのに、思い当たるようなことは何もなかった。十六日という一日は、いつもと変わらない一日として由貴の中で流れていった。

 それなのに……四月十七日は……。

 箸はいつの間にか止まっていた。

 由貴は目をきつく閉じる。自分の頭の中から四月十四日の記憶の欠片だけでもいいから見つけ出そうとする。掴もうとする。だけど由貴の頭の中のその両手は、何一つ掴めないまま消えていった。

 やっぱり何も思い出せない。

 自分に「四月十七日」という一日があったということが未だに信じられない。どんなに証拠を目の前に突きつけられたとしても、由貴は自分に「四月十七日」という一日が存在していたのだということが幻のようにしか感じられなかった。

 四月十六日、四月十八日を挟んで、四月十七日という一日だけが由貴の中から消滅したとしか思えなかった。



挿絵(By みてみん)


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