既に覚悟は決めている その1
「くっそあの野郎。こういうのはオレらじゃなくて、なんかもっと暇そうで力が有り余ってそうな奴らに押し付けろよ。運動部連中とかさー。普段はビジュアル相応の振る舞いを求めてくるくせに、こういう時だけ都合よく力仕事振るのはなんなんだ」
「いやどうせうちの担任のことだから、マジで近くにいたから、程度の理由でしかないだろ。そこに適材適所のての字もないと思う。俺らの性別とか一ミリも気にしてねえよ」
「あ〜ありそう。そういえばあいつってそういう奴だったわ」
所用でいつもより少しだけ長く学校に残っていただけで、運悪く担任に荷物運びの仕事を任された梅吉と青仁は、のそのそと放課後の校舎内を歩いていた。重さ自体は大した事はないが、如何せん量が多いので、こうして分担して運んでいる。
「つか被服室ってどこ?多分一回も行ったことないんだけど」
「ええっとたしか……特別教室棟の三階だったような。俺も行ったことないからあやふやだけど」
「もしやこれオレら担任に場所ちゃんと聞いとくべきだった?」
「そうかもしれない」
今思えば、放課後という時間帯に、被服室という場所に赴く警戒しておくべきだったのかもしれない。だがいつだって後悔とは先に立たないものである、少なくとも本日の青仁にとってはそうだった。
「あっ!良いところに!赤山くん空島くん!お二人の胃袋を見込んで、ちょ〜っと頼みたいことが」
「ま゜ッ」
「も゜ぴょ」
というわけで、本日のハプニングの発端、ザ・パリピ的女子とのエンカウント及び会話イベントが発生したのだった。突然後ろから声をかけられたから、と解釈するには余りに無様な第一声を揃ってあげる。
無論、共学で高校生をやっている以上、美少女と化す以前から完全に女子との会話がなかった訳ではない。だがそのほとんどは事務連絡であり、すなわちこうして放課後に話しかけられる、というシチュエーションに対する耐性は絶無であった。
「えちょ、何その反応。ウケるんだけど〜」
「ぴィ……」
「あ、ああああの。ご、ごごごご用件は、なん、なんでしょう、かッ?!」
上からケラケラと笑うパリピ的女子、無事言語能力を喪失した青仁、対女子コミュ力を振り絞って必死に応答する梅吉の発言である。誰に何を言われようとも、これが今の青仁の精一杯だ。ここは梅吉に頑張ってもらうしかない。青仁だけだったら既にゲームオーバーだった。
「なんかめっちゃかしこまってる〜!ちょ〜カワイイんですけど!ウチら去年同じクラスだったんだから、そんなことする必要ないのに!あ、でさでさ、本題なんだけど」
「(女子の悪気のないかわいいが直撃して死亡)」
「(既に死んでる)」
まあ梅吉も女子の何気ない発言が致命傷となって死んでしまったので、パーティは全滅してしまったのだが。タンクどころかヒーラーもいないとか、RPGとして終わっているのでは?
しかし、悠長に精神的な死を迎えていられたのはそこまでだった。
「ウチさ、実は家庭科部なんよね。それでその〜、今日は調理実習のターンでさ?いやまあそれは良いんよ、ウチもそれ目当てで家庭科部入ったし?ただそのぉ〜最近さ、大型新人っていうか?ほら二学期の初めにそっちのクラスに転校生来てたじゃん、あの子が……ちょ、逃げないでよ!判断が早いって!」
家庭科部、調理実習、転校生、という三つのワードから導き出される答えを速やかに算出し、死んでいる場合ではないことを悟った二人は、即座に逃げの耐性に入った。
「嫌だ!オレまだ死にたくない!どうせあれなんだろ橙田のせいで全部お酢に侵されてるから食うの手伝ってくれとかそういう話だろ?!そういうのはほら、あっちのゲテモノスキーに任せとけよ!あいつなら全部食ってくれるから!」
「はあ?!おいてめえ何俺に押し付けようとしてんだよ!んなこと言ったらカ◯ビィみたいに何もかもを吸い込むお前の方が適任だろうが!おら行けよ胃袋ブラックホール!食費節約できんぞ!今月既にちょっとキツイって言ってたんだから、ありがたくご馳走になってこいよ!」
「いやウチ的にはできればどっちも来て欲しいんだけど?!蜜柑たんの料理の腕を思うと、人手はあればあるほどありがたいから!」
結果、予定調和的な醜い押し付け合いが発生する。誰だって、お酢に侵食された料理をそう何度も味わいたいとは思わないだろう。味がワンパターンで面白みにかけるのだから。
運動神経的には、梅吉も青仁も並の女子には負けない脚力を持つ。故に普通に逃げるだけで、おそらくこの場は逃げ切ることが可能であろう。
だが青仁はひとつ、重要なことを忘れていたのだ。
「て、ていうかさ?!誰だって自分の作った飯を美味しく食ってくれる奴に食って欲しいと思ってるだろ?!だったら正常な舌を持ってるオレよりかは、味覚がぶっ壊れてる青仁の方が適任なんじゃねえの?!」
「おい梅吉てめえ!」
青仁が共に逃げている相手は、友を売る事により確実な身の安全を確保できるのならば、平然と友を売り飛ばすタイプであることを!襟首を掴まれ、首に腕を渡され、パリピ女子の目の前に突き出される。
「たしかに!おっしゃ空島くんちょ〜っとウチと一緒に調理室まで行こっか!」
「ヒョッ゜」
しかも、あろうことか梅吉の苦し紛れの一言はパリピ女子を納得させるに足りうるものだったらしい。一転して明るい表情になった彼女は、差し出された青仁の身柄を躊躇なく受け取り、青仁の肩に手を回した。絶対に逃しはしないという強い圧を感じる。
「大丈夫だよ〜死にはしないって!もし仮にちょっと意識が遠のいても、ウチが責任持って空島くんを保健室まで運ぶから!」
「青仁がんばれー骨は拾ってやるよー(棒)あとお前の分の荷物もちゃんと運んでおいてやるからー(棒)」
「クソみてえな棒読みの激励やめろやニヤケ面が隠し切れてねえぞ!てかそのわざとらしい超高速早歩きで後退してくやつマジでやめろ!!!ウザいんだよ!!!!!」
パリピ女子は不穏なことしか言わず、梅吉は全力で煽り倒すばかりである。青仁の退路はほんの一瞬で完全に塞がれてしまった。
おかしい、死亡フラグが立ってから成立するまでのスピードが明らかにイカれている。どうしてこうなってしまったのだろう。一体何が梅吉と青仁の命運を分けたというのか。
「んじゃま、そういうことだから!頑張れよ青仁!」
「じゃあ行こっか、空島くん。引き受けてくれてありがとうね!」
「……」
宣言通り青仁から荷物を奪い逃走する梅吉を見送った後、パリピ女子が眩しすぎて嫌になってくる笑顔で青仁に話しかける。
本来女子からの事務的ではない頼み事なんて、土下座をしてでも受けたい代物であるはずだ。しかも自分を見込んで声をかけてくれたとなれば、本来天にも昇る心地である筈なのに。頼み事の実態が実態ないせいで、強引に引きずられているという状況を正しく認識してしまって、テンションが下がる。
「も〜そんな険しい顔しないでよ!ウチ、空島くんが来てくれてすっごく嬉しいし!いや〜でも本当にありがとうね。こりゃあ、空島くん達のこと紹介してくれたみどぴょんにも、後でお礼言っとかないとだな〜」
「……ん?」
今なんか、やけにファンシーなあだ名が聞こえたような。妙に耳に馴染むというか、お前そんなファンシーなネーミングで呼ばれるタマじゃないだろ、というか。
「あっ、言ってなかったっけ。実はさ〜蜜柑たんの前評判はちらっと聞いてたから、どうすればいいかな〜ってみどぴょんに相談してて。そしたら、赤山くんと空島くんが適任だよって教えてもらったんだよね〜!だから最初に胃袋を見込んで、って言ったんだよ〜」
「……」
この日、青仁の中で緑を殺害することが決定された。自らが持ちうるありとあらゆる暴力を持ってして東京湾に沈めてやると誓う。女子に自分の情報をよくわかんない形で流し、あまつさえあだ名呼びをされるほど親しいなぞ、万死に値する。生かしては置けない。
「んえ、なんでそんな怖い顔してんの……?ま、まあいっか。ほら空島くん、ついたよ!」
青仁が殺意の波動に目覚めている内に、調理室こと処刑台に辿り着いてしまったらしい。パリピ女子は部員というだけあって、慣れた様子で調理室へと足を踏み入れる。
彼女の後ろを恐る恐るついていく形で踏み込んだ青仁の精神は、見渡す限り女子しかいない光景のせいでフリーズしてしまった。さながらブリキ人形のようなぎこちなさで、右腕と右足を同時に出しながらパリピ女子の後を追う。
「やっほ〜蜜柑たん、約束通り空島くん連れてきたよ!赤山くんはちょっと無理めだった!」
「あ、ありがとう……?ずっと気になってたんだけど、なんで二人のことくん付けで呼ぶの?二人とも女の子だよ?」
「ん〜……気分的な?まあそんなことどうでもいいじゃん!ささ、座って座って〜!自分が作ったものを食べてくれる人なんて、多ければ多いほどいいでしょ?」
「そうだけど……」
「ささ、ごゆっくり〜!ウチは自分のとこのグループで食べてくるからさっ!」
中心人物であるはずの青仁を置き去りに、橙田とパリピ女子の間でポンポンと話が進んでいく。精神的に既に限界が近い青仁にできることは、促されるまま所在なさげに座ることだけだった。
「……」
「……」
何故なのかはわからないが、青仁だけではなく橙田すらも気まずげに沈黙している。どうしたのだろう、普段梅吉と一緒に教室で会う時は、別にこんなことにならないのに。
……二人きり、というシチュエーションか?青仁が橙田と二人っきりになったのは、以前梅吉が食あたりを起こした日以来だし。いやにしたって、橙田が緊張する必要はないだろう。
「……あ、ああああああ、の。そ、の」
とはいえ理由なんて気にしている余裕は青仁にはない。青仁のHPは黙ろうが話そうが等しく削れていくものなのである。ならばせめて、ゼロになる前に何かしら行動しようと、必死に口を動かす。
「ほ、他、の子、は。な、何人かでや、やってる、み、みみみたいだけ、ど。と、橙田さん、は?」
青仁が周囲を見た限り、今回の家庭科部における調理実習ではクッキーを作ったらしい。だがその大半が一つの調理台を複数人で利用しているらしく、橙田の様にひとつの調理台を一人で占領している者は他に見当たらない。故に部外者が出す話題としては順当なものであるはずだ、と青仁は踏んだのだ。
「あー……えっとね。今回はみんなでクッキー作ろうってなって、作りたいフレーバーごとにグループに分かれたんだよね。そしたらなんでかわからないんだけど、お酢味の子があたししかいなくって」
「うんそれ何もおかしくない。家庭科部のみなさんが正常ってだけ」
深く考えなくても当たり前のオチだった。部活なのだから、普段の家庭科の授業のように厳密な班分けをする必要性はない。そしてその結果橙田が一人班になるのもまた、約束された結果であろう。思わず真っ当な返しをしてしまった。
「え〜?!青伊ちゃんまでそんなこと言うの?!ひどくない?!あたしめっちゃ頑張ってお酢クッキーの良さをみんなにプレゼンしたのにさ〜!みんな黙って首を横に振ったんだよ?!作るのは止めないけど、自分の分は絶対お酢にしないって!」
「そりゃそう」
「そんなことないって!ほら見て青伊ちゃん!『お酢 クッキー 作り方』で調べたらいっぱい出てくるから!」
納得がいっていないらしい橙田が、徐にスマホを取り出しG◯ogleの検索結果を見せつけてくる。そこにはたしかに、お酢を使ったクッキーのレシピがいくつか羅列されていたが、その多くはあくまでお酢がメインではなく、調味料の一種として扱われている程度のものだ。
というか、橙田と調理実習を共にした青仁には、彼女が断られた真の理由に予測がついている。
「……でもさ、橙田さんってクッキー作った後、クッキーを丸ごとお酢に漬けるでしょ?」
「?当たり前じゃん、何言ってるの青伊ちゃん」
この世の常識を語るかのようにお酢漬けクッキーを肯定する女、橙田蜜柑。常にお酢(800ml)を鞄に突っ込んでいるだけの事はある。
「だってお酢は天があたし達に与えたもうた万能調味料なんだよ?何を漬けてもワンランク上の食べ物にしてくれるんだから、漬けなきゃ損でしょ」
「そこまで行くともうただのシンプル狂気なんだよ」
お酢が絡むとポコポコ飛び出てくる常軌を逸した発言は、青仁の中に存在する女子に対する苦手意識すらも飛び越えて、やべえ奴との会話という枠組みに分類される。梅吉も多分似たようなものだと思うのだが、こういう時しか橙田とまともに会話できないのは自分でもどうかと思う。思うだけで改善はされないが。
「ひど〜い!青伊ちゃんまであたしのお酢クッキー否定するの?!そんなことないって絶対美味しいよ〜!ほら、食べて食べて〜!」
「い、いやその」
橙田がお皿に並べられたクッキーを手に取って青仁に差し出す。その構図だけならばそこらへんの男子に刺されても文句は言えない代物だが、肝心の女の子が差し出すものはクッキー(お酢漬け)である。代わってもらえるなら喜んで立場を差し出した上で包丁を構えるとも。
「食・べ・て!せっかく家庭科部に遊びに来てくれたんだからさ〜!」
「……っ」
実際、青仁が連行されたのは元はと言えばそれが理由である。役目をまっとうすることを考えるならば、ここで受け取らない訳にはいかないだろう。故に青仁は、一瞬の躊躇の後、クッキーを手に取った。
「……」
外見からは異常は見受けられないが、以前のカップケーキを思うと、おそらくその実態はお酢に塗りつぶされたナニカと化しているのだろう。非常に気は進まないが、ここで口をつけなかったらいつまでも青仁は解放されない。
覚悟を決めて口を開き、クッキーを歯で齧り取ろうとしたところで。何故かこちらに身を寄せてきた橙田が、小声で話しかけてくる。
「ね、ねえ、青伊ちゃん。その……青伊ちゃんって、梅ちゃんと付き合ってるの?」
「んむぐッ?!」
ある意味仕草相応のとんでもない発言がぶっ込まれたせいで、青仁は危うくクッキーを握り潰しかけた。