案外名前に縛られてるよな その2
「いやさ、正直もう『付き合ってるっていう体』自体が無理ゲーじゃねえのってすんごく賢いオレは思うんだよね」
「奇遇だな。俺も実はめちゃめちゃに大天才だったりするからそう思ってたんだわ。だからさあ、校内の一部の勘違いメンツには付き合ってるって事にしておいて、この口約束自体はなかったことにしようぜ!」
真面目腐った前置きとのギャップで風邪をひいてしまいそうになるぐらい、あっさりと青仁が口約束を破棄する。実際既に限界を迎えていて、夏休み中に盛大に爆発する所以のひとつとなったものだ。この流れは予定調和的とすら言える。
しかし表面上軽いノリを装っていたところで、その内実が既にドロドロと醜く濁っていたことはきっと、お互いに気づいていた。他でもない自分自身が、その濁りを直視したくなかっただけで。
「……」
「ん?梅吉どうしたんだ、なんか神妙なツラで黙り込んで。またこの前みたいに腹でも下したのか?」
「お前じゃあるまいし腹なんか下さねえよ。賞味期限切れの食べ物はちゃんと処分するっての」
あれはただちょっと山盛りの海鮮を前にテンションが上がっていたのと、単に梅吉に運がなく食中毒ガチャでハズレを引いてしまっただけである。断じて青仁のようなリスキーな振る舞いを積極的にしているわけではない。
「流石の俺でも賞味期限切れの食べ物は食わねえよ。お前こそ俺のことなんだと思ってんだよ」
「ゲテモノハンター」
「賞味期限切れは食べ物判定じゃねえんだろ。何言ってんだお前」
「食べ物を焦がした結果炭になった産物に対し、余裕で食べ物判定下してた奴に信用なんぞねえんだよ」
「は?炭は食べ物を調理した結果であって……ん?俺なんでこんな話してんの?」
「お前のせいだよ!!!」
勝手に明後日の方向に脱線していったかと思えば、一丁前に脱線に首をひねるアホにツッコミを入れる。ここが電車内という公共の場でなければ、もっと盛大にツッコミを入れていたところであった。ついでに言えばもし奴が美少女と化していなければ、既にツッコミ(物理)が行使されている。
「……あ、思い出した。なんか真面目すぎて気持ち悪くなってきたから早々に真面目話を終わらせようとしたら、お前がなんか微妙な顔して黙り込んでたんだった」
「えー、お前が本題に戻ってくるまで四百七十文字かかりました」
「妙に具体的な数字で校長ムーブすんのやめろ。で、結局どうなの?イエス?ノー?反論があるなら一応聞くけど」
「……」
口を閉じ、視線を逸らす。
「いやほら、そこで黙るから俺はわざわざ聞いてやってんだよ。なんで黙んの?話進まなくなるからやめてくんない?」
「あー……」
無理矢理視線を合わせてきたお姉さん系美少女から逃れるように、頭ごと明後日の方向に動かす。そのままぼりぼりと後頭部を掻きながら、梅吉は思考する。
それがわかったら苦労しない、というのが梅吉の正直な感想だ。理性では青仁の言葉が正しいことは理解している。性転換病発症直後の自分達ならばともかく、今の自分達にはもはや必要ない、それどころか邪魔になりかねない口約束だ。なかったことにするのは極めて利口な判断と言える。
だが感情論が何故だか嫌だ、と叫んでいるのだ。言語化できる理由なんて、ひとつも思い浮かばないのに。
「ポッピングシャワーって人気投票殿堂入りしたって聞いたけど、あれそんなに圧倒的に美味いか?いや美味しいってのは否定しねえけども。ミント感薄いとはいえ、賛否別れがちなミント系なのに、ここまで圧倒的なのはちょっと意外っていうか。チョコミントイコール歯磨き粉派レベルのアンチを見かけないというか
「露骨に話を逸らそうとすんじゃねえよ。あと俺はチョコミントは歯磨き粉みたいな味がしてちょっと面白い派だ」
「逸らされたってわかってんなら話に乗るな」
「いやこれだけは主張しとかないとなって。で、どうなの?」
「……」
全力で話題をうやむやにしようと試みたものの、なんだかんだで失敗に終わってしまった。再び気まずい沈黙が二人の間に降りる。がたんごとんという鉄道特有の揺れと、耳慣れた車内アナウンスだけが、音としてここに存在していた。
しかし青仁にどう言われようと、わからないものはわからない。梅吉だって自分で自分にさっさと頷いてしまえ、とすら思うぐらいなのだ。今の自分達にとって「恋人関係(仮)」なんて劇毒でしかない。毒がこれ以上臓腑に回るよりも早く、さっさと原因をなくしてしまうべきだ。ちゃんとそう感じているのに、どうしても毒を吐き出す気になれないのだ。
所在なさげに俯いて、学校指定のローファーに包まれた小さな足を見下ろす。随分と小さくなってしまったな、本当はもうちょっと大きかったはずなのに、なんて他人事みたいに思っていると。
「……あっ」
隣から、間抜けな声が聞こえた。反射的に俯いていた顔をぱっと上げれば、青仁が気まずげに顔を逸らす。
「え、何その意味深な『あっ』は」
「いやなんでもないっす。多分聞き間違えとかなんかとにかくそんな感じのサムシングだと思わしきうんぬんカンヌン」
「おい絶対になんか良からぬ事思いついて必死に誤魔化してるだろ。吐けよ。吐いたら楽になれるぞ」
「そっ、そそそそそそんなことなああああああいし?て、てかほら俺もお前の答え聞いてないからお互い様っつーか、な?!」
指摘すれば、わかりやすく慌て出した青仁をじとりとした眼差しで梅吉は見やる。とはいえ梅吉も本題に対して白黒つけられていない以上、お互い様という言葉を使われてしまったら強く出られない。う、と歯噛みする。
実のところ、青仁の「あっ」は梅吉が何故恋人関係(仮)を破棄することに対し微妙な反応を見せているのか、本人よりも先に答えを出してしまったが故の「あっ」であった。青仁のポリシー上、何が何でも話す訳にはいかなくなってしまったのである。だが当の梅吉が、青仁の珍しく繊細な心情を勘案するはずもなく。
「それはそれ。これはこれ。ってことでどんな都合悪いことを考えたんだ?ん?」
ちょっと怯んだ程度で、即座に青仁への追及を開始したのであった。
「かーんーがーえーてーなーいーでーすー!何?!お前はこんなにも清廉潔白純粋無垢な空島青仁くんを疑うんですかー?!あ゛?!」
「一瞬で逆ギレする上に徹頭徹尾嘘しか言ってねえじゃん。オレそんな奴のこと信用できねえよ」
「うるせー!……まあ、とりあえずさ、本題に戻すけど。お前がそんなに微妙な顔すんなら、別に保留でもいいぞ?さっきの話」
「……え」
先程までとは売って変わって、あっさり意見を曲げた青仁に梅吉は目を見開く。一体どういう風の吹き回しだ。もしや明日は突然の台風爆誕により学校が休校になったりするのか。なって欲しい。
「な、なんだよ。そんな目で俺を見るなら、前言撤回してやっても」
「保留サイコー!お前たまには良いこと思いつくな!」
「手のひら返し検定初段保持者は格が違うわ」
よくわからないが、いくら考えても答えの出ない問いから解放されるのは梅吉にとっても願ったり叶ったりである。前言撤回なんてさせるものか、是非保留していただきたい。そう謎の安堵感と共に梅吉は──
「……は?」
「え、どうしたのお前。なんか百面相してっけど」
安堵感?何に対して?自分はもしや、あのふざけた口約束がなくなることを恐れていたのか?何故?あんなものがなくなったところで痛くも痒くもないだろう。今となっては存在しているメリットよりもデメリットの方が大きい。
それでもあえてメリットを挙げるとしたら、精々彼女(笑)とか言って雑にお互いを煽り倒せるぐらいで──
「……あっ」
「おいお前も意味深な『あっ』してるぞ。他人の事全然言えてねえぞ」
すとん、と自分の中で腑に落ちた。ああなるほどそういうことか、あースッキリした、と自分の中の能天気な成分がひとり勝手に納得する。だがそんな成分は自分の中で小数点以下の割合でしか存在していなかった。それよりも得てしまった圧倒的な気づきが、梅吉の脳内を占領している。
すなわち、己は橙田への嫉妬心と対抗心から、彼女が持っていない青仁との恋人関係(笑)なんてふざけた口約束如きに、無様にも固執しているのではないか、と。
気づいてしまうと、呆れてしまいそうなほど馬鹿な話だった。結局はここ最近いつも通りのものと化してしまったくだらない嫉妬が由来だったのだ。たしかに一般的な基準で考えるのならば、単なる友人と恋人関係(仮)には雲泥の差があることだろう。となるともしや、無自覚に青仁相手の距離感が若干おかしくなっていたのも、同様の理由かもしれない。ああもう、辻褄があってしまったじゃないか。
それ程までに、梅吉の中で先日のカラオケでの一件は尾を引いているというのか。みっともない。
「はあ……」
「今度はクソデカため息とか、意味深ゲージが急上昇っすよ奥さん。これはもう俺に対して文句言えねえなあ?ん?」
自分で自分の感情の機微に嫌気がさす。自覚したからと言って、いや自覚したからこそ感情を持て余しているのかもしれないが。本物の女の子みたいに、友情に嫉妬を持ち込む自分が醜くて仕方がない。本当、どうしてこうなってしまったのだろうか。
だがしかし、青仁にはバレていないようで助かった。こんな気持ち悪い感情、絶対にバレる訳にはいかない。
「……この世って、クソだな」
「えっ今更?ってうわっ?!」
いつもの通り何も考えてなさそうな、ていうか百割何も考えていないアホみたいなツラを見ていたらムカついてきたので、ぷすりとその肩に自分の頭を乗せて、思い切り体重をかけた。その肩がひどく頼りなくて、でも自分の華奢になってしまった身体には十分すぎるぐらいで、余計に負の感情が加速する。
車内アナウンスが、目的地まであと一駅であることを告げた。