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たっぷりと味わいやがれ その2

「梅吉、昼飯食いに行くぞ。……梅吉?だめだ返事がない」

「……」


 青仁が声をかけている机の主は、現在進行形で机に伏すような形で液状化している。そう、他でもない梅吉の成れの果てであった。

 朝のHR前の羞恥プレイと、授業と授業の間の休み時間の諸々が積み重なった結果、梅吉は人の形を保てなくなっていた。頼むから放っておいてくれ、というのが梅吉の願いであったが、正気を明後日の方向に吹っ飛ばしている青仁に、そんな願いが通じるはずもなく。


「……行くでしょ?」

「?!」


 くすり、と小さく笑った青仁が梅吉の指に己の指を絡ませる。そしてそのまま──恋人繋ぎのまま、梅吉の手を引いた。


「おま、お前さあ!めっちゃご機嫌なのマジでムカつくんだけど!なあ!」

「行くぞー」

「痛った恋人繋ぎにかけていい力じゃねえんだよどうなってんだよつかどこに行くつもりだオレまだ購買に行けてないんだけど」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐも、青仁は取り合う気はないらしく、強引に梅吉を引きずっていく。というか手のひらに恋人繋ぎとは思えないレベルの力がかかっている。

 この時点で、先程まで漂っていた色気が八割消失していた。傍目から見れば美少女を恋人繋ぎで連行していく美少女だったかもしれないが、介在している筋力が強すぎる。だが絵面が絵面なので、例によって例の如く、()()()()の視線が痛いほど二人に降り注いでいた。


「は?何言ってんだやらかしたお前に拒否権なんかある訳ないだろ。今日は俺がルールだ。絶対にわからせてやる」

「何を?」

「全てを」


 明らかにキマってる目つきで梅吉を凝視しながら、意味のわからない宣言を口に出す。よくわからないが、奴には何かしら目的があるらしい。嫌な予感しかしないのだが。


「……え、何。もしかしてオレ死ぬの?」

「当方の行いにより精神がお亡くなりになられたとしても、当方は一切の責任を負いません」

「(無言で逃走を試みる)」

「逃がすかよ!!!!!」


 己の嫌な予感が正しいことを理解した聡明な梅吉は、即座に逃走を選択したものの、恋人繋ぎから解放してもらえなかった為、逃走は失敗に終わる。

 いやまあ、実のところもう行き先はわかってはいるのだ。ちょっと強引に手を引かれながら訪れる場所としてはかなり悪くない。実行者が明らかに何か企みを抱えている青仁でなければ、だが。


「オレが悪かったのは認めるからさあ!もう終わっても良いんじゃねえの?!ほらお前だって十分満足しただろ!てかこれ以上は本気で周囲の視線が痛いだろ?!」

「それはそれ。これはこれ。この程度で許されると思うなよ」

「クソが!!!!!」


 プライドを投げ捨て、泣き言を全力で喚き散らかしても、本日の青仁は一切取り合ってくれない。無駄に意思が固いの、本当にやめてほしいのだが。

 梅吉が何を言おうと何をしようと、青仁はズンズンと目的地へと進んでいく。そしてついに、辿り着いてしまったのだ。女の子になってしまった直後、ノリと勢いだけで飛び込んだ場所。すなわち──


「……よし、まだ日陰あるな。今日はここで昼飯食うぞ」

「マジで言ってる???」


 校内随一のカップルいちゃつきスポット、三階のおしゃれなウッドデッキであった。


「え、お前マジで何するつもりなの。ちょっと待ってオレやっぱ辞世の句読むべきだった?」

「当方の行いにより精神がお亡くなりになられたとしても、当方は一切の責任を負いません(二回目)」

「クソ、良い感じの辞世の句が出てこねえ……!オレは、無力……!」

「そこはさらっとカッコいい句を詠んでみせろよ文系。まあいいや、どうせお前の辞世の句なんて飯食いたいとかその程度だろうし。ほら、ここ座れ」


 この世との別れを惜しむ間もなく、意味合いは不明だが、なんらかの形で梅吉が死を迎えるらしい死刑宣告が成される。

 そこは、風通しの良い日陰に設置されたちょうど良いサイズのベンチだった。青仁が優雅に足を合わせて座る様は外見相応の物で、やはりこういう仕草は自分も女子として遜色のないものになりつつあるのだろうな、と微妙に哀愁を覚えたものの。無論本題はそこではない。


「聞いてる?ここ、座れって言ってんだよ」


 不機嫌そうに青仁がポン、とまるでそこに梅吉が座るのだとでも言うかのように、空いている片手で太ももを叩いた。


「……」


 つう、と梅吉の額を冷や汗が伝う。猛烈に嫌な予感がする。青仁の性癖は女の子と甘々イチャラブ♡的な感じである。バックハグしながら女の子に優しく囁いたり、ぴったりと身体を密着させて女の子をなでなでしたりするのだ。


 そしてこの場合の『女の子』は他でもない梅吉を指している。つまり奴の膝に座ることによって、梅吉の死へのカウントダウンは真の意味で始まると言っても過言ではないだろう。


「お前だって好きだろ、俺みたいな女の子に甘やかされるの。役得ってわかってんだろ?ほら早くしろ、座っちゃえば、俺もお前も得するんだから」


 意地悪げに、青仁が可愛らしい少女の顔を歪める。いつもより少しだけ低い女の子の声が、梅吉を惑わせて。無意識にゴクリ、と唾を飲み込んでいた。……頼むからやめてほしい、そういう表情をされると、なんだか余計に複雑な気持ちが湧き上がるのだ。


 外側こそ文句の付けようもないかわいさだが、明らかに中身が透けた顔を見る。どうしようもない男の劣情と、梅吉のよく知る青仁という人物の我が滲んでいて。本来なら不純物でしかないようなものが、どうしようもなく、梅吉の中の何かを掻き立てていくから。


「……」


 耐えることなんて、できるはずがなかったのだ。


 さながら甘い花の蜜に誘われる可憐な蝶のように、誘蛾灯に惹かれていく無様な虫ケラのように。可憐な少女の姿をしているだけの、欲に素直な精神が、吸い寄せられるようにかわいい女の子のガワへをしているだけの、自分と大差ない中身をした少女の元へと動かしていく。彼女の体に、己の身を寄せる。


 こんな華奢な太ももに自分が乗ったら潰してしまうのではないか、と脳裏に恐怖が過ぎるものの、彼女と同じと華奢ないきものに成り果てて久しい梅吉の体は、そんな悲劇は起こさなかった。なんの問題もなく、青仁の膝の上に抱えられる。抱えられて、しまう。


「……良い子」

「……っ」


 柔らかな唇が弧を描く。その視線の柔らかさと甘さに、小さく悲鳴を上げてしまいそうになったのを押し殺した。

 こいつのこういう所が怖い。いやわかっている、こいつの中身がただ単に性癖に素直になっているだけのアホであることなんて。だが、これは梅吉が知っている青仁じゃない。一緒にバカをやって、笑い合っている時のあいつとは、決定的に違う。


「ほら、昼飯にしようぜ」

「い、や……お、オレ、お前のせいで昼飯調達できてねえん、だけど」


 厳密に言うと、早弁用の弁当を既にいつも通り二限と三限の間に消費してしまった為、昼休みに食べる飯がない、が正しいのだが。数年程度の付き合いの結果、梅吉の細かな生態もきちんと把握している青仁は、淡々と言った。


「わかってるから、学校来る前にお前の分まで買ってきてやったぞ。喜べ、俺の奢りだ。……怒られそうだったから、流石にちゃんと無難な弁当買ってきたっつーの」

「……」


 逃げ場がない。完全に詰んでいる。あまりにも用意周到すぎて、こいつが本当に青仁なのかすら疑わしくなってきた。いや、無難って言った時なんかちょっとつまんなそうな表情をしていたので、やはりこいつは確実に青仁である。脳がバグるのでやめて欲しいのだが?


 残念ながら、梅吉の返事がイエスであろうとノーであろうと思考放棄であろうと、今日の青仁が止まってくれないのは既に証明されている。

 ちゃっかり教室から運んできたらしい弁当の蓋を開け、手早く割り箸をぱきり、と割った。弁当の美味しそうな匂いが、梅吉の鼻腔をくすぐる。


「……ほら」


 大人びた、梅吉好みの女の子が、至近距離で微笑んでくれている。でもそこに滲む確かな欲は、向けられるものではなく、自らが抱くものとして慣れ親しんだものだ。


 ところで、性転換病というものは再三言うが肉体の全てを完全なる異性として作り変えてしまうものである。そこには当然、声帯も含まれている。だが、話し方や声の出し方には当然、当人の癖というものが滲む訳で。

 更に言えば、意図的なのかどうか定かではないが、奴は普段より低めに声を出している。


「あーん」


 青仁は箸で卵焼きをつまみ上げて、梅吉の小さな口元に運ぶ。

 とろけ落ちてしまいそうな程甘い、甘い声が耳に注ぎ込まれていく。緩く目を細めて、柔らかな眼差しが向けられる。その全てが、梅吉の記憶の中の、まだ男だった頃の青仁と繋がってしまって。


 何かが、自分の中で弾けた。


「……んむっ」


 身体は正直で、と描写すると変な誤解を受けそうだが、好みの美少女の膝に乗せてもらってお弁当を食べさせてもらう、というシチュエーションに、梅吉の煩悩は耐えられなかった。反射的に口を開けて、卵焼きを口内に受け入れてしまう。しかし、気づいてしまった梅吉には、卵焼きの味なんてまるでわからなかった。


 今自分は、自分の好みドンピシャも良い所な、それこそ理想を具現化したかのような女の子に愛でられている。だが彼女の仕草は、言動は、その全てを支配する意思は、梅吉のよく知る男によってもたらされているもので。



 文字通り自分は、青仁の実に少年らしい欲望から来る感情に愛でられて、あまつさえそれに興奮してしているのだと。気がついて、しまったのだ。



「んぐっ、〜〜〜〜〜ッ?!」

「おわっ」


 ろくに咀嚼せずに卵焼きをどん、飲み込んでしまった。そのままどん、と反射的に青仁の身体を押し除けて逃れようとする。しかし考えなしに行われた行動故に、思い切り青仁の胸に両の手を沈ませる形になってしまったせいで、これまた反射的に手が離れてしまう。


 多分今、自分は酷い顔をしている。それこそ他人様に見せられないような、自分ですら想像もつかないような顔を。だから次に、身体はそれを隠そうと動く。だが、それを今の青仁が許してくれる訳もなく。


「危ないなあ」


 奴は呑気なことを言いながらも、顔を隠そうとした梅吉の手を容赦なく掴んだ。そしてそのまま、舌なめずりでもしそうな勢いで、楽しげな表情を隠そうともしないまま、梅吉を見る。


 たっぷりとしたまつ毛に彩られた瞳の中に、本物の女の子みたいな顔をした梅吉が映っていた。頬をこれでもかと赤く染めて、動揺に瞳を揺らす、かわいい女の子がそこにいる。それが自分であると思うと、頭がおかしくなりそうで。

 そんな梅吉を視界に収め、青仁の唇がにい、と弧を描いて。なんとも楽しげに、笑う。



「ねえ、梅吉。俺の気持ち、わかってくれた?俺もずっと、こんな気持ちだったんだよ?わけわかんなくちゃって、自分で自分が理解できないけど……興奮、するだろ?」



 それを聞いて、梅吉は初めて先程の奴の『わからせてやる』という言葉の真意を理解した。


「……?!」

「お前おせーよ。もっと早く気づけ。今まで俺が気がついちゃったせいで何度酷い目に遭ったと思って。まあいいやこれでやっと条件がフェアになったな。いやー長かったような短かったような……え、どうしたのお前。なんかずっと口パクパクしてっけど。まあこれ最初はびっくりするし仕方なぐえっ」


 わからずやの首元を掴む。見慣れた間抜けヅラが、梅吉を見ていた。自分の思惑通りに事が進んで調子に乗っているせいか、奴は己の真のやらかしに気づいていないらしい。


 女の子になってしまった友人に、中身そのまんまの劣情をぶつけられることに、興奮を得られることへの自覚から出力された行動が『お前も自覚しろ』と思って、あまつさえこうして実行してしまうなんて。

 明らかにいびつで、インモラルで、普通という名の自認からは外れた行動だ。しかし、そんな青仁に対して、仄暗い愉悦のような何かを抱いてしまった梅吉も、きっと同じなのだろう。


「……うん、やっぱ青仁はどこまで行っても青仁だな。それでこそお前だ」


 自分の行動の異常性に気がつかないまま、こんな過ちを犯してしまうなんて、やっぱり奴は少し抜けているらしい。まあそこがかわいいのだが、と生ぬるい視線を送るツラの下にどろりとした執着と、ぞくりと背筋に走った先程までとは別種の劣情を隠して。しみじみと梅吉は言う。

 結局、こいつもこいつで色々と手遅れなのだ。なんなら本人の言い分を信じるのならば、梅吉より先に気がついていたらしい以上、梅吉より重症かもしれない。


「は?俺さっきまでめっちゃ良い雰囲気だった筈なのになんで喧嘩売られてんの?てかまだ梅吉自体は俺の上に乗ってるし、まだ続行できるよな?てかさせろ」

「もう良いだろこれで終わりで。お前の目的は達成されたみたいだし。ていうかお前だって分かってると思うけど、これだけじゃ全然足りないから購買行かせてくれよ。このままじゃオレ、午後の授業をめっちゃ腹減った状態で受ける羽目になるんだけど」

「はあ?お前の腹事情なんか知るかよ。こんな絶好の機会逃がす訳ないっての!」


 良い雰囲気、と言うものは少なくとも自分たち二人に限って言えば、秒速で霧散するものである。まあ、こちらの方が長年慣れ親しんでいるものなので致し方ないものではあるのだが。やっぱりこっちの方が落ち着くなあ、と内心梅吉は思いながら、青仁の膝から逃れようとしたところで。


 ガタン、と割と盛大な物音が響いた。そして人間というものは大抵、反射的に大きな音がした方へ視線を向けてしまうものである。


「……えっ」

「……あっ」


 それは、一瞬で物陰に身を引っ込めようと努力していた、だが焦りというものは、人間に対し不測の事態を引き起こすものであり。


 最早言い逃れが不可能なレベルで、二人の視線の先で橙田がすっ転がっていた。なんなら彼女を助け起こそうと、物陰からクラスメイトの女子と思わしき腕が伸びてくる。

 気まずいにも程がある沈黙が、場を支配した。


「ご、ごご、ごめんなさい!」


 それでも一応何かを言わないと、と善良な橙田は思ったのかもしれない。動揺しながらも、必死に彼女は言葉を絞り出して、そのまま足早にウッドデッキから去っていく。


「……」

「……」


 すん、と動揺やら焦りやらが一周周って無に到達した二人は、真顔で顔を見合わせた。背筋を滝のような冷や汗が伝っていく。だが残念ながら、全ては終わってしまった後だろう。

 彼女の反応からして、二人のやり取りの一部始終を橙田に見られていたことは確実なのだから。

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― 新着の感想 ―
やったぜ! 女子高育ち故に見覚えのある雰囲気だからこそ二人のことをそういう仲だと思って欲しいですね!
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