マジでロクなものじゃない その2
「ちょっと……かくかくしかじかで……自滅して心に傷を負ってな……」
「はあ。よくわかんねえけど自家中毒ってこと?馬鹿馬鹿しいな。気にするだけ無駄じゃん」
「は?何言ってんだお前」
「いやだってさ、最近の俺らって学校にいる間常時対女子コミュ力がないことをわからせられるからメンタルにスリップダメージ負ってるだろ。ちょっとぐらい増えたところで……え、何突然机に頭ぐりぐり押し付けてんの。掘削?」
身体的には同性である女子とまともに話せないくせに、一丁前に友情には女の子的な感情を持ちつつあるとか、ただの気持ち悪い男とも女とも言えないカスでは?と気がついた梅吉の姿である。決して頭部の高速左右振りによって机を掘削する喜びに目覚めた訳では無い。
「んなバカなことする訳ねえだろ……あーパスタって美味しいなあ……」
「なんかよくわかんねえけど飯食える元気があるって事はそんなに重傷じゃねえだろ」
むくりと起き上がり、注文していたナポリタン(二個目)をフォークで絡め取っていく。なお現在時刻は十六時三十七分である。梅吉的おやつタイムであった。なんならこれから他にも頼む予定である。
「いやいやいや、オレ的には結構真面目に重傷なんだけど?めっちゃ心に傷負ってんだけど?ていうか何があったか知らねえけど、オレが休んでる間に橙田さんとの会話能力が上がってんじゃん。お前に限ればスリップダメージちょっと減ったんじゃねえの?」
案外自分の口はぬるっと核心をつけるものらしい。我ながら平常心を保てた良い振る舞いだったと思う。
実際、梅吉はあの日何があったのか全く知らないのである。途中まで青仁がL◯NEで逐一助けを求めてきていたが、梅吉の腹痛が限界に達した段階で通知を切ったのだ。奴もそれを察したのかそれ以上は何も送って来ていない。だから、そう。自分のいない間の気になることを聞くことは間違っていないのである。
……間違っていない、はずなのである。
「あれは……まあ、その。うん、色々!そう色々あったっていうか〜……」
まあ、何故か青仁が露骨に視線を逸らしたせいで、梅吉の仮初の平常心は吹き飛んでしまったのだが。
「……色々?」
「え、そこ聞く?聞いちゃう?」
す、と梅吉の瞳から温度が消える。人間誰しも美形のその手の表情は恐ろしいものだ、己の言動が梅吉のなんからの琴線に触れたらしいことを悟った青仁が焦り始める。
「い、いや〜その、な?お前の想像通り、まともに会話をこなせなくって無様晒してただけっていうか?もう本当にそれ以上でもそれ以下でもないからさ?」
それはもう見事に冷や汗をだらだらと流しながら青仁は釈明を試みる。だが事情(前話)を知らない梅吉が諦めるはずもなく。
「吐け」
「えっ」
「吐け」
ドスの効いた声で、容赦なく美少女らしからぬ脅しで畳み掛けた。
ヘタレも良い所な青仁のことだ、ほんのちょっと脅しをかければ即座に陥落するだろう、と梅吉はたかを括っていたのだ。そもそも奴にそこまで耐える動機がないだろうから。
「は、吐けって言われても。これ以上言えることなんてないっつーの!」
しかし今梅吉が現実が相対している、脳内シミュレーションの産物ではない青仁は妙に頑なだった。ただ本当に奴の言う通り無様を晒しただけ、にしてはいささか強情すぎるほどに。珍しい、と言わざるを得ない状態だ。
ところで、人間というものは大抵隠されたものほど暴きたくなるものだ。そうそれこそスカートの下が体育着のハーフパンツだとわかっていようとも、階段の下から談笑する女子たちを眺めてしまった中学時代のように。
つまるところ、強情具合で言ったら梅吉も大概他人のことを言えない状態で。自覚してしまった嫉妬心は、拍車をかける要素としてしか機能しなかったのだ。
「……ふ〜ん。そっか。そういうこと言うんだぁ。へぇ〜……」
「う、うめき、ち……?」
頬杖をつく。先程の正気を失った男子高校生の成れの果てとは明らかに質の違う、じとりとした目で無自覚に青仁を視界に収めて。意図的にトーンを変えた声音と言葉に、青仁が困惑の声を上げるも、もう遅い。
その程度で止まれたら、多分梅吉はこんな目に遭っていない。感情というものはいっそ最悪なまでに軽挙妄動を身体に働きかける。最早それがどちらの想いなのかすらわからないまま、梅吉は畳み掛けた。
「わたし、青仁くんの彼女なのに。わたしに隠し事するんだ?」
見なかったことにした関係性すら引き摺り出して。己の欲求のまま言葉を振りかざす。凍てついた少女の眼差しが青仁を射抜く。柔和な細面には不似合いな女の圧に、奴が怯む。それに少しだけ口角を釣り上げたところで。
「うぼぼばびばぼあぼばぼあばばぼぼぼ……」
「うわっ」
──客観視という名の己の理性が、梅吉に襲いかかった。目の焦点を明後日の方向に向けて、口から泡を拭きそうな勢いで意味のない譫言を吐く。
今自分は何をしようとしていた?いやわかっている、梅吉は先ほどの自分の振る舞いに対する適切な呼称を知っている。
嫉妬深くてなんかちょっと独占欲強めのチャラ男に「だる笑」とか言われるタイプの彼女である──!
ただでさえ鬱陶しいムーブを無自覚にかましているというのに、それを実行しているのが梅吉という、見た目は美少女中身は野郎とかいう最悪の存在であるせいで、余計に救えない。これもう特級呪物とかに分類されかねない邪悪だろう。誰か救ってくれ。
「自分が自分でキモすぎて……おえっ」
「ギャップ萌え耐久試験でも開催してるのか?ギャップがあれば何にでも可愛いと思えると思ったら大間違いだぞ」
「……」
「し、死んでる……!り、臨兵闘者皆陣烈在前……?」
「そこは南無阿弥陀仏だろ何よくわからん勘違いしてんだお前」
ドリンクバー原産の激物を片手に謎の呪文を唱える美少女とかいう存在のせいで、梅吉が自分のやらかしに心を削られるというシリアスパートをやる隙間すら与えられない。いやファミレスにいる時点で、どう足掻いてもシリアスは破壊される運命にあるのだが。こればかりは梅吉が悪い。ファミレスでシリアスを開催するためには、ドリンクバーの機械をバールのようなものとかで殴って破壊するか、ドリンクバーが生み出すコメディすらも上回るシリアスを用意しなくてはならないので。
「いやなんか前ミステリー読んでたら犯人候補の僧侶?みたいな人が言ってたから悪霊退散的なアレなのかと」
「オレ悪霊になる前提なの?」
特段悪行を働いた覚えはないのだが。罪に問われそうなことなんて精々、日々のちょっとした悪戯や悪ふざけの積み重ねぐらいでは?
ちなみに先程の呪文は悪霊退散的な意味合いとは若干異なる。青仁の記憶なんてその程度のものだ。
「童貞卒業とかいう汚い未練抱えてそうなのは十中八九悪霊だろ」
「それもそうだな。ってことはオレらここで死んだら二人仲良く悪霊エンドかよ。もうこれは誰かに取り憑いて呪うしかないだろ」
「いやそんなスケール小さい方向性よりもさ、どうせなら心霊写真とかに出演してSNSで拡散されてじわじわ都市伝説的に有名になって、ゆくゆくは俺らを題材にしたホラー映画とか作られるぐらいになりたい」
「ああ、オレらなら行けるぜ。ビッグを狙っていこうな……!ところで何の話してたんだっけ」
「やーい鳥頭。ちなみに俺も忘れた」
「バカじゃん。つか元はと言えばお前が悪霊退散とか言ったせいだろ」
謎の宣言をしつつ、キリッとした顔でガッツポーズをキメたあたりで、梅吉はやっとこさ軌道修正へとかかった。こうして適当にファミレスで駄べっていると、会話というものは無限に脱線していくものである。仕方のないことだ。
むしろ、現状に限ってそれは救いとさえ言える。
「お前がさっきから死と生を繰り返してんのが悪い。挙動不審以外の何物でもないだろ。何をそうダメージ受けてんだか。お前がキモいのなんて今更だろ、何言ってんだか」
「ゔっ」
「うわガチ死?」
胸の当たりを押えてわざとらしいダメージ演出を図る。とはいえ梅吉の考えるキモいは、青仁が認識しているであろうものとはまるで異なるのだが。異なるからこそ、こうして複雑な感情を抱えている訳で。
これがまだ、青仁という気心知れた元男現美少女とかいうよくわからない存在でなければ、いっそただの女の子とかであったのならば、梅吉は奴の言う通り蘇生後即死亡なんて無様を晒してはいないだろう。
だってそれは、きっと単なる男子の極めて一般的な欲望でしかない。
だが現実は違う。ここで繰り広げられているのは性転換病患者同士の奇妙な人間関係模様だ。確率的には非常に珍しいどころの騒ぎでは無い、ある意味で真の同性同士だ。
どこまで行っても、梅吉がつい最近まで自分がカテゴライズされていると信じていた、普通の枠組みには含まれることはない。普通のままでいることを、現状を維持することを現実は許してくれない。
結局、梅吉がどれだけ自己嫌悪に溺れようとも、できることなんて高が知れているのだ。それこそ、自覚的に抑えこむとか、その程度の話だ。誰に話したとて解決する話でもない。そんなこと気がついた段階からわかっている。人間関係はお互いにお互いを思わねば成り立たないのだから。
「お待たせしました〜!ペペロンチーノ大盛りで〜す!」
「あ、ありがとうございます」
「うわまだ食べるのかよお前。おやつの量超えてるって」
店員という第三者の目によって、どうにか梅吉は起き上がる。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。フォークでパスタを絡め取り、口元に運ぶ。
「うるせえ、オレの中ではおやつだから良いんだよ。むしろお前の方が少なすぎるだろ、その程度の唐揚げとポテトでどうやって生きてけるんだよ」
「人間はこれで生きてけるんだよ」
「は?オレが人間じゃないって言うのか」
軽快なやり取りを交わしながら思う。そう、こうやって何事もなかったかのように振る舞うべきなのだ。嫉妬なんて面倒な感情は見なかったことにして、心の奥底に鍵をかけて封じ込めて。
女の子みたいな感情が存在していた事なんて、他でもない梅吉自身が一番直視したくないのだから。なかったことにするのが最適解である。
……と、このように姉からの言葉を自分に当てはめ、己の感情を友情的な方向性での嫉妬とした為、今日も梅吉は何がとは言わないが特に自覚することはなかったのだった。