マジでロクなものじゃない その1
「……」
スマホを片手に、画面をスクロールしているふりをしながら。梅吉は自分の席のすぐ前できゃっきゃと騒ぐ二人を、つまらなそうに眺めていた。
「……それでね、やっぱり定番だけどあたしはミ◯カンが一番良いと思うの。あ、もちろん全国各地の醸造所が作ってるお酢も大好きだよ?お酢って一口に言ったって、やっぱり色々種類があるし。でも汎用性っていう意味ではやっぱりミツ◯ンが優勝かなって」
「そっ、そそそそっか。……え、なんかおかしくね?」
「空島ちゃんにもこだわりってあるの?ほら、よくいろんなジュース飲んでるじゃん」
「こ、ここだわ、り?こだわり、こだわり……ね、ネットで欠かさず、じょ、情報収集、とか?」
実態はともかくとして、橙田と青仁は楽しげに話している。話題自体は完全に俺を巻き込んでくれるなという感じの物であるし、青仁の方はやっぱりなんか挙動がおかしいが。
それでも、ある程度の会話が成立している辺り、以前よりはずっとマシだろう。
「……」
まあ多分、というか十中八九梅吉が食あたりでやられていた時に何かあったのだと思う。
あれは悲しい事件だった。久々に家族全員が顔を合わせたから、と両親が奮発して刺身を大量にスーパーで購入してプチパーティー、となったのだが。当たり前だが育ち盛りの梅吉が一番量を食べる。故にそれなりの量(梅吉視点)の刺身を吸い込んだのだが。その結果、数時間ほどトイレの中で神仏に祈りを捧げる敬虔な信徒と化してしまったのだ。だが今はそんなことはどうでもいい。
「……」
青仁の橙田に対するコミュニケーション能力が改善されたことは、多分喜ばしいことだ。梅吉の負担は以前よりいくらか減るだろうし、実際減ったと思う。
だから、梅吉は青仁を上から目線で褒め称えることこそあれど、こうしてモヤモヤとした釈然としない感情を抱くはずがないのだ。
モヤモヤ、と表現するようにその感情の実態はさっぱりわからない。とにかく負の感情であることだけは間違いなかったが、その程度の手掛かりじゃ推理のしようがなかった。ひとくちにそのような定義をしたところで、人間の感情というものは星の数ほどあるのだから。
「せ、セミマヨネーズ?え、何そのどう考えてもメチャクチャに嫌な予感しかしない言葉。絶対にくっつけちゃだめな類の単語が合体しちゃってるんだけど。で、でもこれ会話の流れ的に……」
「……しょ、正直。き、期待外れだった」
「やっぱり食べたの?!食べちゃったの?!ていうか期待って何?!何を期待してたの?!」
「読んだ本だと羽は取った上で火は通してなかったってか踊り食いだったんだけど、良い子はやっちゃだめです的なこと書いてあったし、だからちゃんと火で炙ってからマヨに突っ込んで食ったんだけどさ。割と普通に美味かった。つまんない」
「つまんない?!」
梅吉の目の前で、二人は相変わらず親しげに話している。例によって話題だけ切り取ると絶対に参戦したくないタイプのワードしか聞こえてこないのだが。どうしてか、二人の会話が気に入らなくて。少しだけ顔を顰めて、不満げな視線を送りながら、思う。
本来なら橙田の位置にいるのは、梅吉のはずなのに──ん?
「……あれ」
なんか今、おかしなことを考えてしまったような。気のせいだろうか。いや、気のせいで片付けられるような話ではなかったような。
でも仕方ないのでは。だって今まで、あの中身はともかくビジュアルだけならば性癖ドンピシャ百点満点パーフェクト美少女の一番近くにいたのは、梅吉だったのだから。そこにぽっと出の橙田が入り込んで来たら、そりゃあ色々と思うところが──あ?
「……」
机に肘をつき、額を抑える。この小説に挿絵が実装されていたのならば、きっと梅吉の目にはぐるぐると渦巻きが渦巻いていた事だろう。
まあ待て、ひとまず落ち着こうじゃないか。そういえばちょっと前に姉に似たような話を聞かされて気がするし。よしそうだまずは似たような事例から精査していこうじゃあないか。きっと建設的な考えを得ることができるはずだ。
そうあれは数日前のこと。ソファに雑にすっ転がっていた姉が、スマホ片手にぶつくさと言っていたのだった。
『あー本当女子って面倒くさ。大学生にもなって同性の友達相手に嫉妬とか、見苦しいにも程があるでしょ。別に良いじゃん、誰が誰と遊んでたって。一番仲良しな友達ーって自分で思ってたって、相手がそうであるとは限らないんだから。こいつら幼稚すぎない?』
ああそうだそんな感じの話だった。女子って友達相手にも嫉妬して面倒臭い、独占欲抱いてんじゃねえよガキか?という話だ。確かにその通りである。自分が向けている感情と同程度のものを相手が抱いているとは限らない。極めて当たり前の、人間関係の摂理だ。今更改めて意識する必要すらないだろう。
ん?でも今のオレってまさしくこの状態じゃね?
「……ッ?!」
「うっわびっくりした。何やってんだよお前、突然机に頭がってやったりして。新手の自傷行為か?」
「あ、赤山ちゃん大丈夫?!もう、空島ちゃんそんなひどいこと言っちゃだめだよ!」
「い゛っいいいいいやあだって大体いつもこんな」
がん、と勢いよく額を机に打ち付ける。他人事のような青仁の、事実他人事でしかないが故のいつも通りのツッコミが耳に届く。そんな日常が、今の梅吉にはひどく辛いものとして映った。
青仁との友情に固執している事は認めている。というか、認めてしまった。だがそれはあくまで、どう足掻いても変わってしまうものを、なんとかして元の形のまま繋ぎ止めたい、という見苦しい我が儘でしかなくて。それだけのはず、だったのに。無意識に奴の友人というポジションには第一に自分が収まっていると捉えていて、なおかつそこに嫉妬とかいう面倒な感情が介在しているのだとしたら。
予測が梅吉を正確に追い詰めていく。喉が渇く。認めがたい現実が梅吉を飲み込んで、脳みそが鋭く現状を指摘する。
変わってたまるかと強く願って、変化の全てに見ないふりをしてきたこの感情すらも、女の子のそれに変わってしまったのか、と。
「……おーい梅吉、だいじょ……し、死んでる」
「自分が自分でキモすぎて無理……」
「え、今更?」
という、元男元美少女と仲良くしている純粋培養美少女相手に嫉妬してしまった自分に対するキショさを、うっかりファミレスで思い出してしまった梅吉は、ぐでりとファミレスに机に伏していたのであった。
ショックとそれによって発生した自己嫌悪が身の内で爆発する。だって嫌だろう、無意識に女子そのものみたいな感情を向けてたとか。加えていつこんなカスみたいな感情が生まれたのか、どんなに記憶を掘り返してみてもわからなかったことも怖い。正直もう考えたくもない。言動を省みるのやめていいか?
「おいなんだよ今更って。オレはキモくないが?」
まあ青仁が軽率に喧嘩を売ってきたので、精神上の自爆はひとまず頭の隅に追いやられることとなったのだが。皆様ご存知の通り、梅吉は売られた喧嘩は全身全霊全力で買うタイプである。
「いや今自分で言ったじゃんキモいって。安心しろ、その判断は間違ってない。お前はちゃんとキモい。具体的に言うと、時々始まる近所に住んでるえっちなおねーさん概念が妙に細かくて何言ってんだこいつキショってなる」
「あ?性癖語りなんて等しくキモいに決まってんだろ何言ってんだこいつ。その理論で言ったら全人類キモくなるに決まってんだろ」
「は?俺の性癖はキモくねえよ。むしろお前みたいな特殊性癖ゼロでシンプルかつオーソドックスに女の子を愛してるっての。ただちょっと、女の子と甘い会話をしながら体をさわりっこしてちょっとずつ服の下に手を」
「それを考えてるのが童貞の成れの果てって時点で大分キモいわ」
「ヴッ。おい禁止カードやめろ死んじゃったじゃん」
青仁がわざとらしく胸を押さえて眉を顰める。ついほんの数秒前まで甘すぎて吐き気がするタイプの夢を語っていたアホからの、いつになく早い変わり身である。
「潔くちんこと共に昇天しとけ亡霊がよ」
「俺のちんこは天に昇ってないっての!あっ嘘地獄にいるってわけじゃねえから、俺の息子が地獄にいる訳ないだろ。いたとしても天国だから。今頃天国で元気にハーレムやってっから。は?俺の分身の分際で本体である俺を放って女の子とイチャコラしてんじゃねえよ殺す」
「情緒不安定か?」
「いやでも待てよ?冷静に考えると俺のちんこは不幸にも生殖器としての本懐を遂げられないままこの世を去ったんだから、普通に地獄行きじゃね?この世に生まれ落ちた主目的を果たせてないんだから。え、でもそれは結局童貞な俺のせ、い……?」
「勝手に喋って勝手に自爆してんの何?」
見事に青仁が目からハイライトを消す。ファミレスにて、相変わらずの汚泥が注がれたコップを片手にレイプ目でフリーズする美少女とかいう謎存在が爆誕した瞬間であった。謎シチュすぎる。レイプ目なのにエロくもなんともない。
まあ、目の前にいるガワだけは百億万点の美少女が元気にアホをやってくれたおかげで、梅吉のシリアス的な自己嫌悪は若干軽減されたのだが。今回ばかりは助かった、かもしれない。
「うぐ、いやでも今俺が言ったことは全部お前にだって当てはまるんだぞ?!何他人事ヅラしてんだ!」
「いや、誰だって美少女がドブをすすりながら一人で勝手に地獄に爆走して行ったら、ついていけなくもなるだろ。勢いが良すぎるんだっての、ブレーキって言葉知ってっか?」
「ブレーキ?ふっ、そんなもん使うのは三流チキン野郎だね。男ならアクセルふかして後ろなんか振り向かずに生きていくべきだぜ……!」
「ゴーカートでアクセルベタ踏みした結果、ハンドル間に合わずに死ぬほどコースにぶつかってそう」
「な、何故それを知って……?!俺お前と遊園地行ったことあったっけ……?!」
完全なる勘で言ってみただけだったのだが、当の青仁は衝撃!的な顔をしていた。もし将来奴が運転免許を取得したとしても、助手席には乗らないことにする。
「適当言ってたのにマジかよ、お前ゴーカートでその腕前とか、ちょっと人生を見直した方が良いぞ?」
「なんでゴーカートごときでそこまで言われなきゃなんねえんだ。人生でゴーカートがやれなくて苦しむ機会とかある?」
「え、お前地元出る気あったの?出ない限りこの辺車ないと生きてくの結構きつくね?ゴーカートごときで弱音吐いといてどうするつもり?」
「……」
梅吉達の住む場所は、お世辞にも都会とは言えない場所である。そして皆様ご存知の通り、我らがジャパンの都会に分類されない地域は大抵車社会だ。
と、このように正論に叩き潰された青仁は、視線を逸らしながら、若干悲しそうな表情を浮かべて、口を開く。
「……まあ、もし本当に車が必要になったら、その時はきっとちゃんと免許を取ってるであろう十八歳のお前に頼るから。期待してるぜ!」
他力本願にも程がある言葉だった。なんならサムズアップとかもしている。もう少し自助努力とかしようと思わないのだろうか。
「おい人任せかよ。挑む前から諦めんなよ」
「だってお前なら絶対免許取れるだろ。器用だし。ゲーセンのレースゲー上手いし。俺より絶対望みあるって」
「器用はともかくレースゲーは関係なくね?」
一体梅吉のことをなんだと思っているのやら。たしかに器用貧乏の部類であることは自覚しているし、運転技術とやらが器用さが物を言う分野だと言うのなら、青仁に勝てる自信はあるが。そんなもの、非効率にも程があるだろう。なんて、真っ当な思考を回しながら、その片隅で梅吉は思い。
……うっすらと気がついてはいたものの、青仁にとって、梅吉はそういう存在らしい、と。無意識に口元を歪めた。
あいつにとって、梅吉はこの先もずっと一緒にいることが当たり前の相手なのだな、と。きっと綺麗な色をしていない喜悦が、ふつふつと胸から湧きあ……が……
「自分が自分でキモすぎて無理……」
「えっ何再放送始まった?これ俺も再放送して喧嘩売るべき?」
いや普通にキモイわ何考えてんだ俺、と梅吉は再び机に突っ伏した。なおエンドレスエイトの開催予定はない。