第四幕『突然、嵐のごとく』第九場
「さっきあんたが寝てた時、彼氏から電話あったよ」
冷蔵庫に入っていたウインナと卵をこんがり焼いたやつにぱくつきながら、お姉さんが言う。しんなりしたポトフのキャベツを食んでいたボクはぱちくり瞬いて、顔を上げた。
「…なんて言ってた?」
「アタシめちゃくちゃ感謝されちゃったア。あんたは疲れてるみたいだから、ごはん食べさせて寝かしつけとくわって言ったらね、ありがとう、よろしくおねがいします、だってぇ! 電話口でもキュンキュンしたわア。あの子顔もいいけど声もいいのねン」
「いいなあ…ボクも聴きたかった…」
「あんたちゃーんと愛されてるじゃない。心配することないよ」
オレンジ頭のお姉さんはそう言って微笑む。目じりの皺が派手なお化粧をした顔に優しい印象を添える。
「…お姉さんは、あのお店で働いてるの?」
「そうよ。今夜もお仕事お仕事。たった500フランぽっちで、一晩肉体労働よー」
「たいへんだね…マルセルを待ってたって言ってたのは?」
「聞いてたの。あの子はうちの常連だから。というか、がきんちょの頃から知ってるのよ。あの子の母親が、アタシらの仲間だったから」
「そうなんだ」
「あの子もねえ、芸能界に入る前は利発で賢い、いい子だったんだけど…まあもう仕方のないことよね。過去を悔いても得るものはナシ。未来を向いて生きないと」
「前向きなんだね」
「そうでもなきゃやってらんないよ、こんな仕事。自立するだけの余裕もナシのしがない寮暮らしで、服は支給品、自分の持ち物なんてこのカラダくらいのもん。あの車はマダムのだし。世間の人たちからは後ろ指差され白眼視され、客はろくでもない男ばっかりだし」
「……」
「辛気臭い話しちゃった。ごめんね。でもね、たまーにいいこともあるんだ。あんたの彼氏みたいな、セックスの上手な、思いやりのある色男がアタシを買ってくれたとき。あとは、アタシの胸で、こんなに優しくされたのは初めてだって、客が泣いてくれたときとかね。話だけして帰ってく客もいる。いろんな男がいるよ。ろくでもないのも、あたりのときも…」
「…セデュはセックスが上手そうにみえる?」
「そりゃあんだけの色男だもん、女が放っておかないでしょ」
「…でもボクのことは抱いてくれないんだ。いちども」
「……」
ポトフの煮崩れたジャガイモにフォークを突き刺しながらボクは頬を膨らませる。必死で誘ったのにダメだった。それっぽい空気になったのはセデュがボクを押し倒してきた1回きりで、それだってボクが嫌がったらすぐにやめちゃった。だいたい、あの時だって本気で最後までする気だったのかどうかも疑わしい。
成人するまで待つとか言って、それってただボクのこと抱きたくない言い訳じゃないか? って気もする。
セデュのことで頭を一杯にしたいから、マルセルとのことはひとまず頭の隅に追い遣っておく。結局抱かれはしなかったわけだし、もう会わなければいいだけだ。誘惑されても持ちこたえてみせる。彼に触れられなければ、可能なはずだ。いい具合に、彼は明日からアメリカに旅立つ。当面の間は顔を見なくても済みそうだ。
…触れられたら、今度こそ落ちちゃうかもしれない、ってことには、目を瞑る。そんなことになったら、ボクはセデュを諦めなきゃならない。そんなの御免だ。
だから、そうなるまえに、なんとしても、ボクはセデュに抱かれたいんだ。
「好きだって言って、抱いてもイイよって言ってるのに、してくれないんだ。これってどうおもう? やっぱりインなんとか、なのかなあ?」
「イン? 性的不能かどうかってこと? まーないとは言わないけど、…ちなみにどういう状況で誘ったの? さっきの車内でとかは、さすがに良識ある大人なら応えてくれないと思うよ?」
「……。でもでも、ふつうに、ベッドで誘ったこともあるよ?」
「うーん。誘い方がまずかったんじゃない? あんまり色気ないと萎えるよ、男の人は。ふざけてたりとかすると駄目よ? アンタも本気じゃないって思われちゃうもん」
「ふざけて…たかなあ? けっこう本気で誘ったこともあったとおもうんだけど…」
「まああとは、そおねえ、逃げられないって状況を作っちゃうとか? あるいは、もういっそ下着姿で彼氏を迎えてみたりとか!」
「それで拒否られたらボクもう立ち直れないんだけど」
「弱気になっちゃダメよお。ベッドに連れ込んじゃえばこっちのモンなんだから。とっておきの秘策を教えてあげる。これをすれば男の人はみんなイチコロなんだから、…」
お姉さんは厚くルージュの塗られた唇に手を添えて、にんまりと笑む。顰められた声をよく聞き取ろうと、ボクはフォークを置いて、身を乗り出した。




