第89話 女毛皮商人のルーリャ (20) 〜昔の出会いは何を残しましたか?
目の前に現れた大森林の至宝。
最高級禁制品。
王貂の毛皮。
ルーリャの纏う最高級の白貂の毛皮と比べても。
モノが違う。
一目でそれはわかった。
艶々しい白い毛皮。そこに金の毛が、均等に混じっているのだ。見るもの全てを魅了する輝き。大自然の奇跡といえた。
王者の証として、王侯貴族は目の色変えてこれを手に入れようとするのである。
「ね、凄いでしょ?」
悪戯っぱく笑うルーリャ。
「王貂の毛皮。私が狩ったのよ」
声も出ない3人。
ルヴォンの都でずっと噂になっていた王貂の毛皮。
それは確かに存在したのだ。
無造作に、寝台の下に。
ノヴァク伯爵も、そもそもは王貂の毛皮の噂を聞き、ルーリャに近づいたのだ。そして女主人の虜となった。
伯爵とルーリャが幾夜も愛を交わした寝台。その下に、伯爵が追い求めていた、誰もが追い求めていた大森林の秘宝は、ずっと無造作にしまってあったのだ。
「あの……なぜ、これを俺に?」
ユリオは、やっと言った。
大事に秘匿していた、勝手に持ってるだけで有罪になる至宝。それを贈り物してくれる?
ありえない。
絶対にありえない話だ。
ルーリャは、遠くを見る目をしていた。
「これを狩れたのは、私1人の力じゃない。あなたの父クロードのお陰なのよ」
◇
若き日の女狩人ルーリャ。
雪の降る大森林の中で、必死に獲物を追っていた。まだ自分の隊も持っていない駆け出しの身であったが、腕には自信があった。しかしどうしたものか、あと1歩というところで獲物に逃げられてしまい、今季はまだ貂の一頭も狩れてなかった。
「このままじゃ帰れない」
気ばかりが急く。
拠点にしていた狩人小屋では、他の狩人たちが得意げに獲物を見せびらかしていた。
絶対に手ぶらで帰るわけにはいかない。
雪の中。
大森林を無闇に動き回るのは危険だった。だが、若さゆえの強靭な肉体と無謀さで、森の奥へとルーリャは進んでいった。
そして、ついに獲物を見つけた。
「白貂だ」
最初はそう思った。すばしこい相手。そして高価な獣。なんとしても狩らなければ。
追ううちに、毛がキラキラ光っているのに気づく。
毛についた雪が反射して光っているのか?
最初はそう思った。でも、眼を凝らすと。
「金の毛だ」
白毛の地に、金色の毛が混じり輝いているのがはっきりと見えた。
あれが、まさか。
ルーリャは慄いた。
金の毛を輝かせる貂。それは、
王貂。
信じられなかった。50年100年に1度狩られるという幻の至宝である。
それが目の前に。
憑かれたようにルーリャは金毛の貂を追った。敏捷で狡猾な相手だった。雪降る中、すぐにルーリャの視界から消えてしまう。必死に追った。なかなか矢を射る機会すらなかった。
追いかけっこがどのくらい続いただろう。
何度か射たが命中せず、ひらりと躱された。続けて外すのは、ルーリャにとって珍しいことであった。
焦りが募る。
おかしい。バカな。
ひょっとしたら幻の王貂を追いかけているんじゃないだろうか。
王貂。
雪の大森林が、ルーリャを嘲笑うために見せた幻影ーー
だが、ついに。
追い詰めた。
谷間の崖下に。
王貂はちょこんと。
もう逃げ場はない。
最期を悟ったのか。小さな頭を、じっとこっちに向けてくる。
やった。
丸2昼夜追跡を続けてきた。
体の感覚はとっくに麻痺していた。纏う狐の狩衣も、重く感じられる。
だが。
仕留める、ここで。なんとしてでも。
箙に残った矢は、1本。
これを外したら後はない。
矢を番えるルーリャ。弓をキリキリと引き絞り、ジリジリ前へでる。
狙う。
その時、
ドサ、
背後の崖の雪が崩れた。何かの気配。
が、王貂からルーリャは目を離すことができない。できるわけない。
伝説を狩るまで、あと1歩。
ヒュウッ、
矢は放たれ、狙い誤らず王貂の首を射抜いた。
やった!
それと同時に。
グオッ、
背後から野太い咆哮。
振り返るルーリャの目に映ったのは。
雪豹だ!
大森林で危険度トップクラスの猛獣。捕食獣。
それも、途轍もなく巨大だ。
王貂を追うルーリャを、ずっと気配を殺して追っていたのだ。いや、王貂にすっかり心を奪われていたルーリャに、気づく余裕はなかった。
獲物を捉え、勝ち誇り跳躍してくる雪豹。
もうダメだ!
ルーリャは観念した。
矢は無い。
腰に刀を下げているが、抜く余裕はない。雪豹の真っ赤な口が開くのが見えた。先ほど狩った王貂と同じく、立ちすくむしかない。
ビュウ、
鋭く空を切る音。
「ギャッ」
叫びとともに、雪豹は倒れた。ルーリャまで、本当にあと僅かだった。
その太い頸には。
頑丈で、鋭い矢が突き刺さっていた。
これは、誰が?
呆然となるルーリャ。
ザ、ザ、と。
雪を踏む足音が近づいてくる。
舞い散る雪の中から現れたのは、1人の偉丈夫だった。
◇
見事な熊の 裘 を纏い、強い長弓を持った長身の男。
ルーベイ大公爵クロード。
ユリオの父である。
「怪我はありませんか?」
気品に溢れる仕草と口調だった。クロードの穏やかな眼。つい今し方、巨大な雪豹を一発で仕留めた豪傑とは、とても思えない。
「あ、はい」
ルーリャは、頬を紅潮させる。雪が頬に貼りつき凍っていたが、全然気にならなかった。
「それはよかった」
クロードは、隊を組んでこの大森林に狩に来ていて、供とはぐれていた。
その時、見つけたのである。
巨大な雪豹を。そしてその雪豹が、1人の狩人を用心深く狙っているのを。
危ない。
急ぎクロードは雪豹を追い、間一髪のところで仕留め、ルーリャを救ったのである。
「ありがとうございます。本当に。命を助けていただきました。私は、狩人のルーリャと申します」
丁寧に礼をするルーリャ。
その時気づいた。
偉丈夫の 裘 には、立派な紋章が縫い付けてあった。ヴァルレシア王国では誰もが知る家紋。
「あなたは、もしかしてーー」
「私はクロード=シゲイオ=パロ=ルーベイ。ルーベイ大公爵クロードです」
偉丈夫は、優しく微笑んだ。
ルーリャは震えた。寒さのためではない。
大森林で、王国のトップ貴族に助けられるなんて。
「見ましたよ。あなたは本当に見事な腕前ですね」
言われて、ルーリャは自分の獲物のことを思い出す。
王貂!
そうだ。それを狩るために、命懸けでここまできたんだ。
ルーリャは、崖下で事切れていたまばゆい王貂を拾い上げ、クロードに見せる。
「おお、これは」
嘆息するクロード。
「王貂ですね?」
「はい」
「これは……私も、他国で一度見ただけです。昔はヴァルレシア王国にもあったというのですが」
「あの……ルーベイ大公爵様、これを、あなたを通じて王国に献上します」
ルーリャは思い出した。
王貂。
狩ったら必ず王国に献上しなければならない。私蔵は厳禁である。もちろん、王国が高額で買い取ってくれる。
どうせ献上するなら、大森林監督所に持っていくより、この命の恩人であるトップ貴族を通じて献上した方がよいだろう。
じっと。
まばゆく輝く獣を見つめるクロード。
「不思議なものですね」
呟く偉丈夫。
「え?」
「これは確かに美しい。しかし、この大森林の生きとし生けるもの、それはすべて美しい。そうは思いませんか」
「ええ……」
「ここに倒れる雪豹も、私の熊の 裘 も、この王貂に劣らぬ美しさだと私は思っています」
美しさ。
それは確かにそうだ。ルーリャも思った。
王貂が一国の至宝とされるのも、その美しさだけでなく、滅多に狩ることのできない希少性が尊ばれていたのである。王侯の威信財。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
クロードは、熊の 裘 を纏っている。高級な白貂黒貂の毛皮もたくさん持っているが、それは王宮で見せびらかすためのものである。汚れたり破れたりするといけないので、狩には実用的な熊の毛皮でつくった 裘 の方がよいのだ。
値段で言えば王貂と比較にならない熊の毛皮も、十分に美しく、役に立つ。
「ルーリャさん、でしたね。その王貂の毛皮は、あなたが持っていて下さい」
「えっ?」
クロードの思いがけない言葉に、耳を疑うルーリャ。
「しかし……」
持っていろ? つまり王国には献上しなくてよいということ?
そんなバカな。
重大な王国法違反である。クロードにしても王貂の毛皮の献上に与れば、大きな栄誉になるはずなのだが。
戸惑うルーリャに、クロードは強く、
「その王貂は、この大森林の至宝。この大森林は王国のもの。大森林一の狩人であるあなたがこの至宝を持っているなら、それは王国が持っているのと同じことです。王国の府庫より、あなたの手にあったほうが、この毛皮もきっと輝くことでしょう」
こうして、2人は別れた。
クロードは王貂を受け取らなかった。
ルーリャは大森林監督所に届けるべきか悩んだ挙句、クロードの言葉通り、自分で秘匿することにした。大森林の至宝。大森林の者が持っているのがふさわしい。確かにそう思えたのだ。
しかし、やはり気になって、一度、本当に王国に献上しなくて良いのかクロードに手紙を書いた。
返事が来た。クロード自身による、丁寧な手紙であった。
それが櫃に保管されていた手紙である。
やはり、王貂の毛皮はあなたが持っていて下さいと記してあった。
◇
王貂の毛皮とクロードの手紙。
その物語。
聞き終わったユリオ。
黙って輝く毛皮を見つめるしかない。




