早春の頃
年が明けて程なくして宗明さんと宗春さんは襲名の儀を行った。
普通の日だったから見ることはできなかったけど、見届けた真希子さんと達真さんからすごく立派で誇らしかったって聞いたらそれだけで胸がいっぱいになった。
引き継ぎのためにまずは宗明さんと隆宗さんが旅に出て、その間は宗春さんがお寺を守る。
また真希子さんはテレビの前から動かなくなり、大八さんは相変わらず千秋寺のお掃除や維持に忙しいらしい。
私も一月は職場の新年会とかおばあちゃんが退院するための準備とか話し合いとかでお父さんと結と何度も行ったり来たりで。
ゆっくりできないまま二月になった。
銀次さんと和良日でご飯を食べるという約束をやっと達成できて、今おすすめのナポリタンを堪能しているところだ。
「おいしい!」
じゅうじゅう音を立てる鉄板から香るケチャップの匂いとブラックペッパーの辛味が食欲をそそる。
「だろ?ほんとにウマいんだよ」
「病みつき間違いなしですね」
同じものを向かい合って食べながら感動していると、直樹さんがカウンターの中からニヤニヤと笑ってみているのが目に入ったので小さく手を振っておいた。
「いちいち反応してやんなくていいから」
「だって」
「オレが目の前にいんのに他の男見るなよ」
失礼だろっていいますが、それは銀次さんが美少年だから許される発言ですからね。
「そんなこといわれたら誤解する女の子いっぱいいますから気をつけてください」
目玉焼きの真ん中にフォークを差し込んだら黄味がトローッと出てきて切ないため息が出た。
ああすごい。
これ。
絶対美味しいやつ!
「気をつけてくださいってなんで他人事なんだよ。誤解しろよ。普通に」
「え?だって銀次さん本気じゃないでしょ?」
ぱくっとしてもぐもぐしたら唇の端から黄味が零れそうになって慌てておしぼりで拭う。
ちょっとだけ塩が振ってあって、なにこれ美味しいんですけど。
「なんで決めつけんだよ。本気じゃないって」
ナポリタンをフォークの先でつつきながら銀次さんは頬を膨らませて横を向く。
そんな子どもっぽいような仕草も可愛くて許されちゃうんだよな。
ズルいよ。
「だってコン汰さんと亜紗美さんがつきあい始めて上手くいってるもんだからお兄ちゃんっこの銀次さんは拗ねてるんでしょ?」
「拗ねてないっ」
「本当に?」
唇を尖らせたまま乱暴にナポリタンを掬い上げて口いっぱいに頬張って、結局飲み込めずにむせて水を飲む辺り動揺がすごい。
クスクス笑っているとジロリと睨まれた。
「ごめんなさい」
謝っても笑いは止められなくて必死に肩を震わせる。
銀次さんが頬杖をついて指先でテーブルをコツコツと叩く。
「亜紗美が兄貴がエイリアンでも構わないっていったらしいけど、あれって紬の入れ知恵だろ」
「エイリアンっていうか宇宙人かな」
もしかしたら亜紗美さんが宇宙人って言葉じゃなくてエイリアンを選んだのかもしれないけど。
「あれだけ一線超えるの怖がってたくせに、あっさり落ちてメロメロになってやんの」
それを銀次さんも望んでたはずなのに素直に喜べないのは、心のどこかでコン汰さんを取られたみたいだって感じて拗ねてるんだと思う。
「なんだよ。違うっていってんだろ。オレは拗ねてるんじゃなくて羨ましいんだよ」
「羨ましい?」
「そう。オレも真剣に誰かを好きになってその誰かに選ばれたい」
「ふうん」
「は?なんだよ、それ」
真面目に話してんのに適当に流すなよってバンバンとテーブルを叩くので、腕を伸ばして手の甲をぐっと抑えた。
「他の人の迷惑になるから駄々捏ねないでください」
「――――悪い」
おとなしくなったので手を離そうとしたら逆に掴まれてぎゅっと握り込まれた。
恐るべし。
妖の反射神経。
「大丈夫ですよ。銀次さんほどの男性ならちょっと頑張れば誰かに選んでもらえるようになりますから」
なので近くにいる女で妥協するのやめてもらえないかな。
「ちゃんと聞いてた?オレが選ばれるだけじゃなくて、オレが本気で好きになれなきゃ意味がないっての」
「う~ん。それで相手が私ってすごく無理がある気がします」
「なんで?オレは紬のこと憎からず思ってるけど」
アイドルみたいな完璧な笑顔には私は全く心がときめかない。
冷めた視線で見つめていると気まずそうな顔で手を解放してくれた。
急いで自分の元に取り戻し、最後のナポリタンを胃の中に収めてごちそうさまをする。
ああ。
本当に美味しかった。
幸せ。
「さてと。ご飯もいただきましたし、出ましょうか」
「なんだよ。淡白だな」
「今日は宗明さんが帰ってくるんです。だからちゃんとお寺で待っていたくて」
コートを着て荷物を持ち、先にレジへと向かう。
もう少しゆっくりするんだと思っていたのか、驚いた顔で恵子さんが走ってきて「コーヒー出す準備してるんだけど、良かったら飲んでいかない?」と引き留めてくれたけど事情を話してまた来ますからとお断りした。
二人分の料金を払い、まだ席で渋っている銀次さんに「行きますよ」って声をかけるとのろのろと立ち上がって歩いてくる。
白が銀次さんの周りを飛び回ってなにやら喜んでいるけど、当の本人は無視を決め込んでいるようだ。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
「ありがとう。今度来るときはゆっくりしていってね」
「はい。ほら銀次さん、さっさと来ないと置いて行きますよ」
完全にぶすくれた表情で上着のポケットに両手を突っ込んでいる銀次さんを急かしたけど埒が明かないようなのでもう放っておくことにする。
会釈をしてからドアを開けて外へ出ると、閉まる前に銀次さんが飛び出してきた。
「本当に置いて行くとかマジかよ!」
「いったでしょ。急いでるって」
「時間ない時にオレとのデート入れるか!?普通」
「それはすみませんでした。でも銀次さんとの約束はやく叶えたくて」
確かにそういわれてみれば失礼だったと思い直して素直に謝る。
銀次さんはぐっと言葉に詰まったあとで「分かればいい」とごにょごにょ呟く。
「じゃあまた」
「っておい!そんなあっさりと行くなよ!」
手を振って銀次さんの恨み言を背中で聞きながら走り出すと、白も私の横を駆けて先に路地へと入って行く。
今日はとっても天気が良くて日差しも温かく、吹く風は冷たくてもどこか春の始まりを感じさせてくれる香りがする。
心が弾むと足取りも軽くなって、白と駆けっこしながら千秋寺の階段まで辿り着きそのままの勢いで上ろうとしたら途中で挫折してしまった。
だってここの階段高さも大きさも不揃いだし、結構な段数がある。
はあはあと息切れしながらなんとか登りきった時には脹脛も腿もぷるぷる震えて止まらなかった。
純粋に痛い。
大丈夫?って白が顔を見上げてくるから何度か頷いて、よろよろと山門を通って参道を歩いて行くと本堂前に人影が二つ。
「大八さんと」
宗明さんだった。
もう帰って来てたんだ。
お迎えできなかったことを悔やみながらそっちへと足を向けると、宗明さんが大八さんに両手を伸ばして。
長い数珠をそっと大八さんの首から外した。
え?
それって悪いことをしていた大八さんを戒めるためのものじゃなかったっけ?
でもそれを宗明さんが外したってことは大八さんの罪は許されたってことで。
つまり大八さんは自由の身。
これで大八さんどこへでも自分の意志で行けるしなんだってできる。
こき使われるばっかりだった千秋寺から大手を振って出て行ける立場になった。
てことは。
ちょっと待って。
大八さんいなくなっちゃうの?
そんな。
「大八さん」
不安になって呼んだ名に大八さんがいつものような明るい笑顔で振り返る。
「よう、紬」って。
数珠を外してもらうために一旦取っていたマフラーを寂しくなった首にいそいそと巻き直している大八さんはとっても嬉しそうだ。
当然なんだけど。
私の気持ちは複雑で。
「ようやく邪魔なものなく紬からもらったマフラーができる」
「えと、おめでとう、ございます?」
「なんで疑問形なんだよ」
弾けるような声で笑う大八さんは晴れ晴れとしているのに、それを聞いている私の心には暗雲が立ち込めている。
一緒に喜ばなくちゃいけないのに。
私ってイヤな人間だ。
浮かない顔をしている私を慰めるように、宥めるように大八さんは目尻に皺を寄せて見下ろしてくる。
「おれは二年前、鎌鼬の姉妹に声をかけられて時を止めた商店街を解放しようって乗り込んできたんだ」
事情を知らない大八さんは龍姫さまが自分のために力を使い、商店街を私物化し人々を苦しめているんだと思ったらしい。
「流れを滞らせれば歪みが生じ、やがて濁り、腐る」
だから正さなければならないと動き攻めて。
「負けた。おれが負けたのは宗明じゃないが、身柄は千秋寺に預けられた」
大八さんが千秋寺に来ることになった経緯はなんとなく分かった。
そして龍姫さまに対してあんまり好意的な意見ではなかった理由も。
「幸地町の時は正常に流れを取り戻したので大八が龍神池を攻撃する大義名分がなくなりました。なのでもうこれは必要ないかと思いまして」
宗明さんの両手に捧げられた数珠がじゃらりと音をたてた。
今まで大八さんの首に下がっていたものなのにまるで別のものみたいに見える。
引き寄せられるようにその数珠に触れ、私は堪らず大八さんを見上げた。
「大八さん、どこかに行っちゃうんですか」
もう彼がここにいる理由がない。
彼を引き留めるものも。
だからいなくなってしまうんだって思ったら辛くて。
悲しくて。
滲んだ景色の中に大八さんの屈託のない笑顔が揺れる。
更に頭の上に大きな手のひらが乗ってがしがしっと力強く動かされたので視界がぶれて溜まっていた涙がぽろぽろと零れた。
「おれがいなかったら誰がここを磨き上げるんだ?重いものを運んだり、屋根に上って瓦を替えたり。特にこれからは宗明も宗春も交代で寺を出る。隆宗がいたところでおれ並みの力仕事はこなせないだろ?」
そう聞かれて必死で頷くと大八さんの笑みが深くなる。
「ここは思っていた以上に居心地がいい。ここにいれば紬と会えるしな」
「はい」
だからこれからは。
「おれの意志でここに厄介になろうと思ってる」
「――――!大八さん!」
嬉しい言葉に胸がぎゅってなって思わず腕を広げて飛びつこうとしたんだけど、急に真っ黒いのが目の前を塞いで「わっぷ!」ってなった。
「え?や、なに?」
「おいおい、宗明邪魔するなよ。折角紬が熱い抱擁をしようっておれの胸に飛び込んでこようとしてたのに」
尖った声で講義をする大八さんのお蔭でどうやら私を阻んだのが宗明さんの腕で、見えないのは僧衣の袖のせいだって分かった。
「紬さん。不用意に異性に抱きつくものではないといっておいたはずですが。あなたがそのようではまた大八が悪さをしないように数珠をつけなくてはならなくなりますよ」
「え!?それは困ります。すみません。大八さん歳の離れたお兄ちゃんって感じなのでつい」
慌てて後ろへ下がると宗明さんが険しい顔で私を睨んでいる。
うう。
ごめんなさい。
「なんだよ。お兄ちゃんって。紬の異性枠におれは入ってないのか!」
「えと、あの、はい」
そりゃ明るくて楽しくて一緒にいると安心するけど、恋愛対象かどうかを聞かれるとね。
うん。
ごめんなさい。
がっくりと肩を落とした大八さんには申し訳ないけどぺこりと頭を下げる。
宗明さんがほっとしたように息を抜き、私は苦笑いを浮かべた。
よくよく見れば帰ってきたばっかりのようで、真っ黒な僧衣は埃で汚れているし白い脚絆は泥跳ねの跡がある。
擦り切れた草履。
前より痩せた頬。
いつも白檀の香りがしていた宗明さんだけど、今はほんのりと汗と体臭がしてなかなかワイルドというか、宗明さんも男の人なんだなって改めて感じた。
「なにか?」
あまりじっと見つめすぎたのか。
宗明さんが戸惑ったように聞いてくる。
「あ、いえ。ええっと」
ぶるぶると頭を振ってから「おかえりなさい」と伝えると宗明さんは目を細めて頬を綻ばせた。
「ただいま、帰りました」
眩しい笑顔と明るい空。
まだ春は遠いけど、そう遠くはないのかもしれない。
宗明さんと隆宗さんがお風呂で旅の汚れを落としている間に真希子さんと一緒にお夕飯作り。
テーブルの上に乗りきれないほどってちょっと作り過ぎた気がしないでもない。
でも久しぶりに全員そろっての夕ご飯だから真希子さんが張り切るのはしょうがないよね。
私もテンション上がっちゃって、止めるどころかあれもこれもってリクエストしちゃったし。
えへへ。
食事の間は道中の話や珍しい話を隆宗さんが面白おかしくしてくれてとっても楽しい時間になった。
いつもは食事中に口を開かない宗明さんも時々補足したり、時には愚痴を零したりしたし、宗春さんも相槌を打って笑ったりして。
ああ。
なんかもう。
お腹も胸もいっぱいだ。
涙でそう。
スンッと洟を啜ると白が鼻先を背中に押し付けてきたので、振り返ったら尻尾を軽く振って私の顔色を窺ってくるので大丈夫だよって頭を撫でた。
話が弾んでご飯もいっぱい食べてゆっくりした後で先にお風呂をいただいて部屋に戻った所で廊下から声がかかる。
濡れた髪を乾かそうとドライヤーを鞄から取り出そうとしていた所だったので返事をしてから立ち上がり障子を開けると宗春さんが立っていた。
「湯たんぽ」
「ありがとうございます」
タオルに包まれたほかほかの湯たんぽを受け取ってお礼をいうと宗春さんは「じゃあ」ってすぐに廊下を戻って行こうとする。
丸くて綺麗な後頭部にはサラサラの黒い髪はない。
襲名の儀を行う前に宗明さんと同じように坊主頭になっていて、まだ見慣れてはいないけど美貌は変わらないし、寧ろ色気が増している気がする。
「宗春さん」
なんだかこのまま別れてしまうのは寂しい気がしてつい呼び止めてしまった。
宗春さんは振り返らないまま立ち止まり素っ気なく返す。
「なに」
「宗明さんが帰ってきたから次は宗春さんの番ですね。どうですか?楽しみですか?」
またバカな質問をしてって呆れられるのかもしれないけど宗春さんの今の気持ちを聞きたかった。
「僕の存在理由が無理やり変えられて本当に迷惑だよ」
僕は誰でもないはずだったのに。
「また一からやり直しだなんて面倒くさい」
「いいじゃないですか。そりゃ宗明さんのために生きていく方が楽かもしれませんけど、自分の人生をしっかり生きることの方が楽しいですよ」
「お気楽だね」
恨めしそうな顔でこっちを向いた宗春さんに「他人事なので」と笑顔で応える。
あーあと息を吐きだしながらこんなはずじゃなかったってぶつぶつ呟くから余計におかしくて。
「だからこれから好きなもの見つけていきましょう。私、協力しますから」
「いらない。必要ない。余計なお世話だ」
「案外私お節介みたいです。だから遠慮しないでください」
「遠慮じゃないから」
「まあまあまあ」
「鬱陶しい。さっさと寝れば」
湯たんぽを抱えて近づいて行くとおでこに手を当てて押し返された。
ぐぬぬ。
手加減なしとはちょっとあんまりじゃないですか?
たたらを踏んで後退した私を満足そうに見下ろしてくるのでちょっと腹が立ったから「一番好きなのは宗明さんですもんね。次は二番目を見つけましょうね」と嫌がるワードを選んだのに宗春さんは平然とした顔で「好きなものひとつでもあれば紬は気が済むんでしょ?ならそれでいいよ」っていわれちゃった。
なんか悔しい。
でも宗明さんが好きだってことを認めてくれるようになったと思えば一歩前進だともいえるからいいかな。
「引き止めてすみませんでした。おやすみなさい、宗春さん」
「ん。おやすみ。風邪引かないようにね」
「はい」
おやすみをいい合って障子を閉めた。
湯たんぽがとっても熱くて心地良い。
今日はとってもいい一日だったからその幸せな気持ちのまま眠ろう。
明日もきっといい日でありますように。




