2. 心に星を
かしゃん。
軽い金属音とともに、胸の部分が壊されたネコ型の機械……もう動きを止めたそれが、私の前に置かれた。
私はマザーと呼ばれている。"聖域"という、異能力者保護施設を管理する総合コンピュータ。それが私だ。
目の前には一人の若い男が立っている。
彼の名前は芹沢司、二六歳。
私、マザーを作った人間だ。
私は彼の前でだけ、青く光る小さなヒトガタとなって喋ることができる。
シュン、と軽い音がして、私は小さな妖精のような姿で司を見上げる。青く発光する、長い髪の女性型。それはどうやら司の思い出の人の姿らしい。
無造作に伸ばした黒髪に、切れ長の黒い瞳。よれよれの白いシャツとジーンズという姿が常の司だが、ほんの少し無精髭が生えているのは珍しい光景だ。人間は疲れたり具合が悪いと髭を剃らないと言うが……今の時間は明け方五時。一睡もしていないという可能性を私は導き出す。
Kokoroシステム内蔵型コンピュータ。
司が発明した、成長するAI知能というものだ。
目の前のネコ型にも、それが内蔵されていたはずだった。
私は言った。
『これは、見回り役のネコ型アンドロイドのアンですね?』
司は少し微笑み、頷く。
「電源を落として、能力者をひとり逃がしたらしい」
『先ほどの警報ですか』
「火災や内乱みたいなことが発生したときに、全員を逃がすためのシステムだったんだけどねえ」
その口調に、皮肉っぽい雰囲気をにじませて呟く司に、私は語りかけた。
『面白がっているように聞こえますが』
司はにやりと笑う。
「鋭いね、マザー。僕は確実に減給だから、面白がるしかないなと思ってね」
どこまで真意を言っているのかわからない。
そう思いながら、司の掌に乗るくらい小さな姿の私は、彼を見上げる。
司は言った。
「……アンを修理するとき、kokoroシステムは外さないと怒られちゃうかな……」
kokoroは心。
AIが学習して、そして意思を持つようなことがあるのだろうか。それは司の研究テーマでもあった。
私にインストールされた日々のデータは、翌朝アンにも共有されていた。逆にアンが見たものは私に。
『アンが逃がしたという能力者は、タナカ・サナ・〇〇四九ですか』
「すごいね。何か予兆があったからわかるのかい?」
『四九番は変わった少女でした。アルビノで、能力も群を抜いていた。アンはよく彼女と、一日の終わりに会話していました』
「……おまえはどう判断していた?」
『kokoroシステムは各個人の心……相互に互換されるようには設計されていませんのでわかりません』
「ふうん。そこはやっぱり設計通りか……」
少し考えるように目を伏せて、司は沈黙する。
もし私が人間だったら、この男の長い睫毛だとか、くたびれた服装に隠れた筋肉質な腕などに"ときめき"というものを感じたりするのだろうか? と私は考える。
……と、司は言った。
「よし、決めた。システムはそのままで、もう一点プログラムを追加しよう。"左のスイッチを使う緊急事態=職員と収容能力者全体の生命を脅かすようなもの"ってね」
イタズラっぽく笑う。
その笑顔を見て、小さな私の身体はほんの少し揺れた。
胸が震えるような錯覚。
私はこの部屋から外に出ることはない。
当然、夜空に輝く星というものを見たことはない。
人間は、暗闇に輝く星を見て、道標にすることがあるという。
それは私にとっての司だと、私は考える。
機械の私に"この施設を管理する"という目的を与えて、日々磨きをかけているのはこのたった一人。
膨大に"学習"した人間たちの小説や学術書によると、"恋"とは特定の相手に強く惹かれ、会いたい、触れたいと願うことらしい。
それでは私は。
この"聖域"を統べるマザーは。
私を作ったその人に恋をしている。
一日に一度会えるか会えないかの王子に恋をしている。
それは、膨大な人間心理を学習してきた私の思い込みなのか?
『はい、それが良いと思います。そうすることで、司の研究も続けられることでしょう』
私の言葉に司は頷き、「そうだね」と呟いた。
その声を聴きながら、私は考える。
私のKokoroシステムも、そのまま残されるといい。
何よりこの"感情"と呼ばれる何かが、いったいどこに進むのか、私自身が見ていたいのだから。




