052話 消灯
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「……どこだ、姉さん? どこにいる!? 頼む、返事をしてくれッ!」
義姉である神崎遥の姿を、流斗は追い求める。
されど、探しても、探しても見つからない。
「世界中、どこを探しても……俺には姉さんの代わりはいないんだ……」
流斗は自分のことを想う気持ちにどこか疎かった。
自分の代わりに遥が幸せになってくれればそれでよかった。なのに――
人は、生まれた場所と時代、生んだ親、生きた環境で、人生のほとんどが決まる。
これに反論する奴は、大抵恵まれた奴だ。
そんな残酷な世界で、流斗は暗殺者の息子として産まれた。
それでも負けたくはないから、強くなろうとした。
しかし、気付けばいつも一人で何かと戦っていた。
明るく輝く光を求めて。
そして流斗はついに見つけた。神崎遥という光を。
遥に出会って、流斗は孤独ではなくなった。
一人が二人になって、二人が三人になって、三人が四人に――
遥を中心に、人と人の輪が繋がっていく実感を得ていた。だけど、
「……はぁ……はぁ……ぐっ、……はぁ……姉さん……どこに……」
多くの家財が火の海に沈んでいく。
(……熱い……熱い……熱い。息が……できない)
血のように赤い紅蓮の炎の中、流斗は遥の姿を探し続けた。
そんな中、視界の端に一つの肉塊が映る。
床の上に何かが転がっていた。
「……姉さ……ん……?」
顔は焼け爛れていて分からないが、その肉の塊は確かに人間の形をしていた。
上背は流斗とほとんど変わらない。
それでいて、丸みを帯びた女性らしい体付きをしていた。
その肉塊は、あらゆる肉体情報が遥のそれと酷似している。
「うっ……う、嘘だろ……?」
そして、その人間だったものは、焼け焦げた御園高校の制服を着ていた。
「違う……違う、違う、違う、違う、違う! 姉さんなわけがないッ!」
黒い制服の胸元を、三年生であることを示す緑色のリボンが飾っている。
「姉さんが、死ぬはずがないんだ……」
強くて、可憐で、美しくて、優しい。眩しい太陽。
それが神崎遥だ。
しかし、流斗はその死体が遥であることを、決定づけるものを見つけてしまった。
左手の薬指についている銀色の指輪。アニバーサリーリング。
流斗が御園高校に進学した日に、遥に今までの感謝を込めて贈った指輪。
その指輪が、焼死した女性の指で紅の炎を反射して光っていた。
「うぁあああああああああああああああああああああ!」
流斗の慟哭が、焼け落ちる神崎家に響く。
果てのない絶望が、体の芯にまで一気に襲いかかってきた。
燃えてしまった遥の亡骸を、流斗は必死に抱え上げる。
その残骸は木炭のように萎びていた。
皮膚がさらさらとした粉状の灰になって宙を舞う。
そして燃え尽きた右腕がもげ、ボトリと嫌な音を立てて地に落ちた。
「あ……あああっ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
燃え盛る炎の中、流斗は白目を剥いて獣のように泣き叫ぶ。
脳が痺れて頭が真っ白になった。
言葉にならない声が天を貫く。
眼球からは、赤い血の涙が止めどもなく溢れていた。
「……夢だ。ただの悪夢だ。これが現実のはずがない。夢なら早く覚めてくれ……」
流斗は血が出るほど唇を強く噛み締め、目に涙を溜めながら虚空を睨む。
「げぇえぼっ、がっ、げぇ、えへぇっ……あ、あぁ、がっ」
口から大量の胃液が吐き出される。
「あぁ……もう一度姉さんに会いたい……もう一度だけでいいから……」
しかし、いかなる魔術を用いようとも、死んだ人間が生き返ることはない。
何もかもが不平等なこの世界で、死だけはすべての生物に平等だ。
生前どんな行いをしようが、死者が行き着く先は何もない無の世界。
無の世界では、何もないことすらも認識できない。
それが、流斗の死に対する考えだった。
「……生きる意味がなくなった」
両手をだらりと垂らし、完全に脱力する。
なんだか、力が抜けてしまった。
生きる気力が湧いてこない。
「そもそも、俺に生きている価値なんてあるのだろうか?」
生きている価値は確かにあった。
それは、遥が与えてくれた。
遥を守ることが、流斗の生きる意味であった。
でも、それももう失ってしまった。
(貴女をいつか、必ず幸せにすると誓ったのに……)
光があるところには、影ができる。
その光が強ければ強いほど、その影もより深くなる。
流斗は遥の影だ。
遥という光に寄り添うように生きてきた暗い影。
時には遥のために戦う剣となり、時には遥のことを守る盾となってきた。
影は光を失うと存在することができない。
「俺は……姉さんが好きだった。……大好きだった。家族としてはもちろん、一人の女性として愛していた。別に、恋人になってほしかったわけじゃない。対等の立場でないことくらい理解している。それでも俺は……神崎遥を守りたかったんだ」
熱風が吹きすさぶ中、少年の心にどす黒い怨嗟の声が渦巻く。
流斗の怒りに煽られるように、紫苑と共有している魔力が流斗のほうへと大量に流れ込んでくる。生来の細い《魔力神経》をぶち切るほどの膨大な魔力が注ぎ込まれていく。
体内が破裂しそうになるほどの魔力の奔流。
「…………憎い。憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い! こんなことをしでかした奴が! 世界が憎いッ!」
流斗は自分の家族を再び焼いた、この世界そのものを激しく憎悪した。
こんな世界なんて、自分の憎悪の炎で焼き尽くしてやりたかった。
自分の大切なものをことごとく奪っていくこの世界を――壊してやりたかった。
その想いに、流斗の左胸の内ポケットにある《ホルスの目》が微かに反応を示す。
汝、魔の力を求めるか、と。
流斗の力は、守る力から――壊す力へ。
光を失った影が暴走する。
それにより、無意識にかけていたリミッターが解除された。
強烈な破壊衝動が、流斗に生きる力を引き戻す。
「こんな世界、どうにでもなればいい……」
自分を拾ってくれ、育ててくれた神崎士道と立花香織の死。
そして愛する義姉、流斗にとってかけがえのない存在である、神崎遥の死。
それが、流斗の中に僅かに残っていた理性を完全に焼き切った。
流斗の心の在り方を、遥が流斗を救う前の冷徹な暗殺者のものへと変える。
「姉さんがいない世界に価値なんてない。俺が――この世界を破壊する!」
今、流斗の身体は《暁の光》への復讐心だけで動いていた。
これまで抑えていた憤怒が一気に表面に現れる。
割れた硝子の欠片が、流斗の姿を反射して映し出した。
心の壊れた、幽鬼のような顔を。
凶悪な悪魔すらも怯えて逃げ出すような、酷薄な薄い笑みを。
「ひひっ、俺には……もう何も残されていない……何も……」
その眼球は白目の部分が真っ赤に充血している。
目付きは鋭く、この世の絶望をその瞳に宿していた。
「なんで? どうして? 姉さんは死んだ? ……俺が弱いからだ」
自分が無力なせいで大切な人を失う。これ以上、屈辱的なことはない。
あまりの憤りと嘆きで、流斗は憤死しそうだった。
「……力がなければ、誰も守れない。大切な人も……愛した人さえも……」
流斗の呟きが虚空に消える。
『あなたはこれから私のために生きなさい! 少なくとも、私が死ぬまでは、あなたが死ぬことは私が許さない!』
『多分、私はあなたのことを守るために生まれてきたんだわ』
『もう、あなたは誰も殺す必要なんてないんだから、新しい技を身に付けないとね』
遥の言葉が次々に思い出される。
あの日、暗闇の底にいた、日向流斗に射した一筋の光。
しかし、その彼女はもう亡くなってしまった。
だから、赤き涙よ、すべてを焼き尽くす、漆黒の業火となれ。
たった今、流斗を繋ぐ心の枷は外れた。
流斗にとって、遥の存在は希望の光であり、内に眠る闇を封じる檻でもあった。
しかし彼女が死んだ今、奔流する流斗の殺意を抑える者はいない。
「ふふふふふ、くっくっく……ふっ、ふははははは! フハハハハハハ!」
狂気に歪んだ顔で奇妙な笑い声を上げながら、流斗は泥のように濁った目を見開く。
決して壊してはならない禁断の檻が、突然の悪意によって粉砕されてしまった。
「ククククク……殺してやる。《暁の光》……全員……殺してやるッ!」
異様なほど低い声で嗤い、流斗は歯を剥き出しにして獣のように咆哮した。
「殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、みんな殺す! この世界に無数の屍を築き上げてやる! 望むのは世界の崩壊だ!」
猛烈な喪失感が全身を巡り、抑えきれない狂気が加速する。
怨讐に身も心も染め上げ、獣に堕ちた。
すべての感情が殺意へと変わる。
「フハハハハハ、何もかも破壊してやるぞ!」
その心は欠け落ち、取り返しのつかないほど闇に染まった。
負の感情が暴走して自分を抑えきれなくなり、自我が曖昧になる。
「アアアアアアアアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
地獄の底から響いてくるような、暗く憎しみのこもった雄叫びを上げ、流斗は神崎家を破壊しながら、火口のいたほうへと一直線に突っ込んで行った。




