035話 絶体絶命のピンチ
焦げ茶色の手袋を外して、流斗は額から流れ落ちる冷や汗を拭く。
間木真一郎。奴隷商人狩り。つまりは奴隷(商品)の横取りが目当ての盗賊。その大将。犯罪者を狩る犯罪者。だが別段、義賊というわけでもない。
魔術師でありながらも魔術だけに頼りきらず、多彩な剣技を扱う魔術剣士とでも呼ぶべき存在。その戦闘スタイルは、どこか流斗に似ていた。
「やれやれ、私としたことが……こんな年端もいかない子供にやられるとは」
「俺はもう十四歳だ。ガキ扱いするな」
「ふっ、私から見れば、まだ十分子供だよ」
笑いながら、間木はゆっくりと立ち上がる。その身体にダメージはないようだ。
「チッ、効いてないのかよ」
「インパクトの瞬間、自分から後方に飛んで衝撃を殺したまでだ」
そう言って間木はくすんだ灰色の頭髪を掻き上げ、《八相の構え》を取る。
《八相の構え》。中段の構えから左足を前にして、剣を上に突くように右脇に構え、積極的に相手を攻撃できるようにする構えだ。
そして間木は、そのまま一足飛びで流斗との距離を埋めた。
「……な!? 跳躍力の劇的な上昇……!?」
瞬きをする余裕すらない。背筋に冷たい汗が垂れ、全身に鳥肌が立つ。
「《加速剣技・断空連斬》!」
一瞬のうちに何度も白刃を煌めかせる激しい斬撃。
それを、《神経加速》で身体能力が二十倍にまで増幅された流斗が、二本の短刀で刀身を弾き返す。
鳴り響く激しい剣戟音。一太刀でも弾き損ねれば、たちまち体を斬り刻まれてしまう。
流斗の眼球が見開かれ、その瞳が充血して赤く血走る。
生い茂る暗き森の中で、二つの影が高速で動いた。
一本の日本刀と二本の短刀がぶつかり合い、互いの刀身を削りながら火花を散らす。
なんとか間木の連撃を防ぎ切った流斗は、そのまま隙をみて、間木の腹部に前蹴りを入れようと試みるが、上手く後方に躱される。
「なかなかやるな。神崎……流斗だったか?」
「間木真一郎、なぜ……お前は奴隷商人を襲う?」
「神崎……私はね、元は軍人だったのだよ」
「……なんだと?」
「私は昔、日本軍の《少佐》だった。しかし、幾度となく魔術犯罪者と戦ううちに、気付いてしまったのさ。私は何かを守るよりも何かを奪うほうが向いていると。それにそのほうが、この腐った世界に合っている」
「そんなことはない! こんな腐った世界だからこそ、誰かがこの世界を良い方向に変えなくてはならないんじゃないのか?」
「それを私にやれと?」
「待っているだけじゃ何も変わらないのなら、俺は俺自身の手で世界を変革する」
冗談じゃない、と間木は掻き上げた頭髪をなでつけて嘲笑う。
「そもそも、悪を為すのに理由なんているのか? 私は自分の欲望に忠実なだけだ。他人から物を奪うこと、それ自体に私は興奮を覚えるのだよ。弱者から強者が毟り取るのはこの世の定めだ。所詮この世は弱肉強食。奴等が命乞いする惨めな様を見ながら、私はその大切な命を刈り取る。これほど興奮する略奪行為はこの世に存在しないだろう?」
「お前……!」
「それにね、こう見えても私は金が好きだ。金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる。人間万事金の世の中ってね。腐った世界で自由に略奪して、自由に暮らす。最高じゃないか!」
間木が左右の耳に付けたリング状の金色のピアスに指を通して回す。
「もっとも、私は一般人から略奪はしない。奴隷商人、自分が他人から奪う側だと勘違いしている愚か者から強引に奪い取る。それが最高に気持ち良いんだよ。だから、あまり私の邪魔をしないでくれないかな」
間木が体勢を低くし、刺突の構えを取る。
そして加速する剣撃。こちらに肉薄した間木が、疾風の如く斬りかかってきた。
斜め下からすくい上げるように、横薙ぎに振り払われる一閃。
流斗はその一撃に対し、左に半回転しながら自らの右腕を捧げる。
――《中段外受け》。本来は前から来た突きを外す受けだ。
それを流斗は、前に出した右腕を斜め上から斜め下に打ち下ろす形で白刃を受けきる。
流斗が自ら刀身に対して右腕を差し出したことに、間木が驚愕の表情を浮かべた瞬間、銀色に煌めく刀身と流斗の右腕が衝突。激しい金属音が鳴り響き、烈風を巻き起こす。
果たして、間木の日本刀が切り裂いた流斗の右腕の裾から、漆黒の手甲が姿を現した。
「やるな、少年! 《加速剣技・大車輪》ッ!」
遠心力を利用した間木の白刃を、流斗は両腕を内側に回転させて丸め込み、相手に手の甲を向ける形で壁を作る。
左右の腕に嵌められた黒い手甲が、間木の強烈な斬撃を弾き返した。
その隙に、流斗は空気を裂くような鋭い右上段回し蹴りで、間木が日本刀を握る腕を蹴り飛ばす。間木の手の中から日本刀が離れるのを確認。
そのまま流斗は左に半回転し、左足の踵を間木の側頭部に思い切り叩き込んだ。
横向きに吹っ飛んだ間木の体を狙い、地を蹴って加速した流斗は追撃をかける。
「《断空手刀斬り》」
友人である、武藤相馬から見て学んだ、必殺の一撃。
まるで空間そのものを切り裂くような流斗の右手刀が、鋭利な刃物のように間木の体を切り裂こうと迫る。
しかし、ギリギリのところで体勢を立て直した間木は、《魔力神経》をフルに活動させ、圧倒的な魔力量で、左腕を通して頑強な《魔力障壁》を張る。
それは魔術の才能がない流斗には為せない選択であった。
……防がれた。流斗がそう思ったとき、間木の左目の下から頬全体にかけて痣のように赤く光る《契約印》が浮かび上がった。身の毛がよだつような圧倒的な魔力を感じる。
「悪いな、これがお前と私の実力の差だ――《振動拳》!」
間木の右拳が流斗の腹部に突き刺さり、衝撃が後方に勢いよく駆け抜ける。
「ガハッ……ぁあぁ!」
ダメージが体全体に行きわたり、振動した細胞が破壊される。
臓器を無茶苦茶にかき混ぜられる感覚が押し寄せ、胃を吐き出すように喀血した。
「吹き飛べ! 《振動脚》」
迫りくる激痛を堪え、なんとか手甲を嵌めた両腕で間木の右回し蹴りをガードするが、増幅された振動により手甲にひびが入り、今度は体ごと吹き飛ばされる。
「……クッ、なんだ……この圧倒的な魔力量は……!?」
明らかに先程までの、間木の保有する体内魔力の量と、今の間木が保有する体内魔力の量には違いがある。その違いが現れたのは、間木の顔にあの不気味な《契約印》が浮かび上がった直後だ。考えられるのは、魔術の根底をなす《魔力神経》の増強。
(……新たに加わった間木の魔術。それは《振動》を増幅させる力……)
流斗が痛みに耐えながら思考を続けて起き上がったとき、間木は一度手元を離れた日本刀を再度握ってこちらに肉薄していた。
「《加速剣技・振動斬り》」
流斗は腰から二本の短刀を引き抜き、上から押し潰すように振るわれる間木の刀身を受け止める。しかし、その瞬間刃に伝わる振動が増幅され、流斗の二本の短刀は両方ともへし折られ、その刀身は粉々に破壊された。
「《加速剣技・断空連斬》!」
一瞬のうちに何度も白刃を煌めかせる激しい斬撃。
(ぐっ……さっきよりも速い!?)
手甲で致命傷になりそうな箇所はなんとか防ぐが、流斗が羽織る漆黒の防刃コートの上から何度も白刃が体を切り刻んでくる。
「チッ! 《神経二重加速》」
一瞬の躊躇いの後、流斗は運動能力、反射神経、動体視力、思考力、判断力等を通常時の四十倍にまで一気に跳ね上げた。
血飛沫の舞う闇夜の中、流斗の濁った真っ黒い瞳が、間木の太刀筋を読み切る。
「お、反応がよくなったな。だが、私の剣はまだまだ加速するぞ」
その言葉通り、間木の太刀筋を見切ったつもりでいた流斗は、たちどころに軌道が読めなくなり、白刃の嵐に身を晒される。
「これで終わりだ。お前の一番大切なものを奪ってやる――《加速剣技・紫電一閃》!」
横薙ぎに払われる、稲妻のような一閃。
刀身を横に構えた間木の剣撃が、真一文字に流斗の体を切り裂く。
「ぐっ……がああああああああああぁっぁががっ……ぁ!」
防刃コートの下に鎖帷子を着込んでいる流斗の腹部を、振動を増幅させた間木の一撃が鋭く斬り裂いた。
体がピンポン玉のように跳ね、後ろにそびえる巨大な樹木に勢いよく叩きつけられる。
(不味い……意識が飛びそうだ……)
流斗は細胞を破壊される痛みで、なんとか気を保っていた。
しかしともすれば、痛みで失神しそうなほど危険な状態だ。
それでも流斗は戦う。守りたいものがあるから。ここは退けない。負けられない。
「そろそろ遊びは終わりだ。なかなか楽しめたよ、神崎流斗」
こいつを倒す。その強い意思はあるのに、手足が痙攣して上手く体を動かせない。
眼前の間木が上段に日本刀を構えた。
そこから剣先を振り下ろせば、この戦いは終わる。
(クソ、力及ばずか。俺の細い《魔力神経》ではこいつに太刀打ちできない。『神崎』を名乗っておいて負けるなんて、士道さんと姉さんに合わせる顔がないな……)
「ごめん……姉さん……。悪いけど、先に逝くよ……」
「さらばだ、幼き戦士、神崎流斗! ――死ねッッ!」
間木が日本刀を振り下ろした刹那、流斗がもたれる木の背後から圧倒的な速さで接近してきた何かが、間木の刀身を弾き返した。
すだれのように長く垂れ下がった黒髪。囚人服のような襤褸切れに身を包んだ体はあちこち汚れていて目も当てられない。足には擦り切れたボロボロの靴を履いていた。そんな年端もいかぬ少女が、二刀小太刀を駆使して間木の攻撃を防いだ。
そのまま少女は二本の小太刀を駆使して、間木を力任せに後退させる。
その少女の名は――天枷紫苑。半人半魔の異形の存在。
「あの、大丈夫ですか?」
「……なぜ、ここに来た? 奴隷たちの解放は済んだのか?」
「はい、全員の鍵を解除しました。……ところで、あの男が襲撃犯のリーダーですか?」
「……そうだ。すまない、少し苦戦をしていてな」
「いえ、構いませんよ。ここからは私も戦います」
そう言って紫苑は、左目の下から顔半分にかけて《契約印》の浮かぶ間木を見据えた。




