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終末世界の元暗殺者  作者: くろふゆ
プロローグ the end of the world
1/53

001話 終末世界

 西暦2072年7月某日。


 少年は、亀裂が入った地面の片隅で足を組んで座り、行き交う人々を、生きることに倦んだ老人のような瞳で眺めていた。

 細く入り組んだ道は、驚くほどの人で埋め尽くされている。

 そして、その中にいる多くの人間が、憔悴し土色を帯びた顔をしており、先の見えない未来に不安を抱えていた。みんな生きるのに必死なようで、水道管から盗水をしていたり、付近の電線から勝手に電線を引いて盗電をしている。


 鬱積した人々の感情は行き場をなくし、この灰色の空間に漂っていた。

 ここは周囲の人間に《スラム街》と呼ばれている場所。

 今から五十年前の人間に「ここが日本だ」などと言っても、誰も信じはしないだろう。

 それほどまでに、日本だけでなく世界は、この五十年で……いや、正確に言えば、五十年前の『とある出来事』のせいで変わってしまった。

 それはもう、世界の根底を大きく覆すほどに。


 少年も、自分がどうすればいいのかわからない。何を目的に生きればいいのかわからない。彼には帰る場所などないのだから。


 行き場所をなくして彷徨う心はすべてを拒絶し、誰かに触れられることを恐れていた。

「もしも……鳥のように羽ばたけるなら、俺は一体どこへ飛んでいくのだろう? もしかしたら、俺はたとえ翼を得たとしても、もうどこにも行けないのかもしれない。どこにも俺の居場所なんて、ないのかもしれない……」


 突如として強烈な倦怠感が全身を襲い、少年の意識は薄れていく――


 少年の父は、殺しの依頼を受けて標的を速やかに排除する暗殺者、俗にいう殺し屋だった。少年の父の父、つまりは少年の祖父もまた、暗殺者のような仕事をしていたそうだ。

 だが、その祖父は少年が生まれる前に、とある暗殺任務の中で亡くなった。


 だから、少年が生まれたときには、すでに祖父がいなかったので、祖父のことは父が語る思い出話の中でしか知らない。少年の母は、彼が九歳のときに、病気で呆気なく他界した。

 それは、少年が初めて目の当りにした、人間の死だった。


 母が死んでからは、標的を速やかに排除するための《殺人術》や、生きていくために必要な生活術を、父に叩き込まれる日々が続いた。

 暗殺者なんて仕事をしていれば、いつかその報いを受けて、自分も誰かに殺される。


 少年の父は自分が死ぬ前に、自分の子供が一人でも生きていける術を伝えたかったのかもしれない。しかし、まだ幼い少年にとってそれは苦痛でしかなく、自分に対して厳しく接する父を彼は恨んだ。

 少年には、二つ歳の離れた妹がいた。自分には厳しい訓練を受けさせているにも関わらず、父は妹には甘かった。そのことが、より少年の心を苦しめた。


 妹が七歳であることを踏まえれば、まだろくに運動もできないということを考えるだけの余裕が、当時の少年にはなかった。ただ、素直に父に甘えることができる妹に、嫉妬していただけだ。少年も、本当は誰かに甘えたかった。優しくしてほしかった。

 誰かに……抱きしめてもらいたかった。

 他の誰でもない、自分を。自分だけを愛してほしくて……


 それから五年もの間、少年は父との厳しい修行を耐え続ける。

 常軌を逸した肉体改造。ありとあらゆる骨を、何度も何度も折られた。

 そして、過剰な薬物投与による精神強化。一時的に感情すら喪失した。

 途中で命を落としそうになったことも幾度となくあったが、少年は父に自分の存在を認められるためだけに生き抜いた。




 少年がこの《スラム街》に流れ着く一ヵ月前、彼の家に襲撃があった。

 どうやら、父に殺しの依頼をよこしていた人間の誰かが、父のことをすでに用済みとみなし、余計な情報を漏らす前に、父よりも技術の高い暗殺者を雇って、父の命を消すように依頼したらしい。

 暗殺者は太陽の影に生き、月の光が当たらない闇に散る。

 その悪党の命は、誰からも惜しまれることなどないのだ。


 家の至る所から橙色の火が出て、血のように赤く燃えているのを覚えている。

 今まで暮らしていた家が焼け落ちていくのを、少年は身動きさえできず、ただただ茫然と眺めていた。熱く燃え盛る炎の中で、少年の心は耐え切れずに軋み、成すすべもなく壊れていく。どこかでガラスが砕け散ったような音が聞こえた気がした。


 それでもなお、少年の体は火が近づくにつれて、自然と自分の身に迫る危機を感知し、傷ついた体を引きずって、その場から遠ざかろうとする。

 心と体が乖離しているのだろうか。内心では諦めていても、暗殺者として鍛えられた本能がこの場は一度引き、生きて次の機会を待て、と告げていた。


 結果的に、父や少年の家に仕えていた使用人が、少年を逃がす時間を稼いでくれたおかげで、彼はなんとか逃げ延びることに成功する。


 数日後、少年は素性がばれないように煤けたフードを被り、焼け落ちた家の付近を見に行った。そこには、家屋や家財などが残らず焼失した、見るも無残な光景が広がっていた。

 辺りいた人に話を聞く限り、この家にいた人間は少年も含めて、全員死んだことになっているそうだ。


 ……こんなことはありえない。悪い夢を見ているんだ、と思わず現実逃避に走る。


 この家には、自分よりも幼い妹や、自分たちにとてもよくしてくれた使用人。ましてや、厳しくてとても強い、父がいたのだ。


(あの父が負けたのか……本当にみんな死んでしまったのか?)


 少年の父は、いつも少年に『自分のことは自分で守れ。誰かに助けてもらえるなんて思うな』と言い聞かせていた。なのに、どうして……


 結局、少年の父は、少年を守るために、未知の実力を持つ敵と戦ったのだ。

 そして――――

 信じたくなかったが、それ以来、少年の前に姿を見せる家族は一人もいなかった。

 こうして少年は一人、この《スラム街》へと流れ着いたのだ。




 ふと、遠のいていた意識が覚醒する。

 一体、どれくらい瞼を閉じていたのだろうか。

 少年の荒んだ目に映るのは大量の足。薄汚れた道を歩く、戸籍を失い居場所をなくした者たちの足が、彼の目の前を通り過ぎていく。痩せこけた細い老人の足、たどたどしい子供の足、よく日に焼けた男の足、色素の薄い汚れた女の足、中には失った自らの足の代わりに機械的な義足をつけている者もいた。


「みんな……ここ以外に、居場所がないんだな」


 思わずそう呟いたとき腹が鳴った。こんな状態でも腹は減る。身体は空腹に正直だ。


(……三日ぶりの飯だろうか)


 久しく飯を食っていなかったと思い、擦り切れたズボンのポケットから包装されたおにぎりを取り出す。このおにぎりは《スラム街》の外で他人から奪った金で買ったものだ。

 少年は《スラム街》に流れ着いてからずっと、必要なものは《スラム街》の外の裕福そうなやつから奪った金で揃えていた。


《スラム街》の他の子供たちと一緒に仕事をするという手もあったが、突然やってきた自分に仕事を分けてもらえるかどうかはわからなかったからだ。


 父の口癖である『この世界は奪うか奪われるかだ。こちらが奪わなければ、一方的に奪われ続ける』という教えに基づき、少年の行動も自然とそういう方向に傾いていた。


 その生い立ちからか、少年は他人から何かを奪うことに躊躇するような心を持ち合わせていない。しかし、その行動が一般的に見て『悪』だということは理解していた。

 自分は、暗殺者である父の息子であり、またそんな自分自身も立派な暗殺者である。生まれたときから自分は『悪』であり、その裁きはいつか受けなくてはならない。その報いはいつか受けなくてはならない。そう思って今まで生きてきた。


 人は、生まれた場所と時代、生んだ親、生きた環境で、人生のほとんどが決まる。

 だが、別に少年は《殺人術》のみを教え込まれた、操り人形などではない。

 世間一般の常識というものを知っていたし、俗世に疎いということもない。

 むしろ、この若さで世界の表から裏まで知り尽くしている者は少ないだろう。


 ……そう。この少年の恐ろしいところは、すべてを理解した上で、躊躇いもなく人を殺すことができる異常な精神だ。少年は、おにぎりを口の中に入れるが、今日は気温が非常に高いせいか湿気ていて、あまり美味しくは感じられなかった。


「家族を失い、居場所もなくし、生きる意味さえわからなくなってしまった……」


 それなのに、どうして自分は他人から奪った金で飯を食べてまで生きているのだろう、と不思議に思った。色のない無機質なこの世界に、少年の心は何を求めているのか。それは本人にもわからない。そんな自分の人生にうんざりしていた。それでもまだ、この世界にしがみついていた。心のどこかで諦めていなかった。見えない希望に縋っていた。


「あぁ、なんで、俺……まだ生きているんだろうな……」


《スラム街》には日の光が直接当たる場所は少なかったが、夏も真っ盛りというこの時期に多くの人が密集していることもあり、非常に蒸し暑い。

 気づけば少年が座っていた道路にも、自身の汗で小さな水溜りができている。


 もう少し暑さがマシな場所へ移動しようと立ち上がったとき、少年の前に少女が立ちはだかった。少年はやつれた顔をゆっくりと上げ、泥のように濁った瞳を少女に向ける。

 人間の目じゃない。まともな人間なら、その瞳を直視することに耐えられないほど、少年の目は腐りきっていた。これ以上生きることに疲れた、心を病んだ者の双眸。


 それに対して、少女の風貌は、この《スラム街》に似つかわしくない、高級な陶器のように白い肌に、真っ黒いさらさらのストレートヘアで、陽の光を反射する髪は緑がかって見えた。


 夏なのに黒い学生服のような長袖を着ており、白い肌が露出している部分は少ないが、腕のところに通気性を上げるためのスリットが入っている。加えてスカートとハイソックスの間から覗く腿の部分が妙に艶めかしい。豊かな胸元に結ばれた細い緑色のリボンを除くと、どうにも全体的に暗い印象を受ける制服だ。しかし、その制服がいっそう少女の肌を白く見せているような気がする。そして、少女の吊り上がった切れ長の瞳は鋭く、どこか見る者を遠ざけるような冷たさがあった。少年はその美しい少女に、思わず我を忘れて見入ってしまう。


 少女が少年に一歩近づき、鋭い眼光を向けながら口を開く。


「あなたが、日向流斗ひゅうがりゅうとね?」


 念を押すように尋ねてくる。


 日向流斗と呼ばれた少年は、なぜこの少女が自分の名前を知っているのか不審に思い、警戒するような声で彼女に問いかけた。


「そういうお前は誰だ? こんなところに来るようなやつには見えないけどな」

「ふーん、否定はしないのね。もしかすると、これは当たりかしら?」


 少女は顔に手を当てて微笑んでおり、なにやら楽しげである。

 少年――流斗は依然として正体不明な少女に対し、いっそう警戒を強めて身構えた。


「俺の質問に答えろ。お前は誰だと聞いているんだ」

「私は神崎遥かんざきはるか。《対魔術犯罪科》に所属している軍人よ。強盗罪および傷害罪で、あなたを逮捕させてもらうわ」


 ◇ ◇ ◇ 


《2012年人類滅亡説》。

 それは、マヤ文明において使用された暦の一つで、長期暦が2012年12月21日から23日頃に一つの区切りを迎えるとされることから連想された、終末論の一つである。


 西暦2012年12月25日。人々はそんな説など最初から存在しなかったかのように、クリスマスという名の記念日を楽しんでいた。だが、その日、世界は一変する。


 後にわかることになるが、今まで人類が住んでいた世界と《魔界の門》と呼ばれるものが世界各地で繋がり、《悪魔》という怪物たちが現世へ大量に押し寄せたのだ。


 その悪魔と呼ばれるものたちには様々な種類がいて、創作上のものに似ている姿、動物に似た姿、見るもおぞましいものや、人間に似た形をしているものもいた。


 当時の人々は、こんな不測の事態を予想などしているはずもなく、大きなパニックを巻き起こした。安全な場所を求めて、土砂崩れのように彷徨う暴徒。恐怖心で身が固まり、一カ所に集まってしまった人間は、悪魔にとって恰好の獲物だったに違いない。


 建物が崩壊し、大地は裂けた。海は汚染されて、飲み水は一時的に貴重なものとなる。

 悪魔には、それぞれに異なった目的を持った集団が存在していた。


 人間界を滅ぼすことで、地上を手に入れ世界に混沌をもたらそうとする殲滅派。人間界を統べることで、人々を悪魔の下に隷属させようとする支配派。そのどちらにも当てはまらない静観派。この異なる派閥によって、悪魔の組織は三つに分けられた。


 なぜ悪魔の目的がわかったのかというと、思考能力が高い悪魔は大抵人型をしており、人間と言葉による会話が可能だったからだ。ただし、話をすることができるといっても、和解が可能なわけではなかったが。

 悪魔はその物量に物を言わせ、侵略の手を次々と広げていった。


 痩せ続け、疲弊していく大地と人々。

 草も木も花も動物も、すべての命が等しく腐り朽ちていく。

 世界は赤く血に染まり、空虚で退廃的なものへと変貌していった。

 もちろん、その間に人類が何もしなかったわけではない。持ちうる限りの軍事力を総動員して戦った。しかし、現代科学の軍事兵器では悪魔の力に対応しきれず、その戦いはそう長くはもたなかった。そんな中、世界各地で悪魔と対等以上に戦う者たちが現れる。


 彼等は、科学でほぼすべての物事が証明できるようになった現代で、魔法や魔術などの超自然現象の存在を信じ、決して社会に認められることはなかったが、密かに己の力を研鑚していた者たちだった。

 その力は《魔術》と呼ばれ、それを行使できる者を人々は《魔術師》と呼んだ。

 ――《魔術》。魔素を操る術。それは世界の理を改竄する力。


《魔術》を発動するために必要不可欠なものとして、《魔力》がある。

《魔力》とは《魔術》を発動する際に、その源となる力だ。

《魔力》は空間に存在する《魔力》と、魔術師の体内に存在する《魔力》との二つに分けられる。空間には元々微細な《魔力》が存在していたが、悪魔の侵入によって《魔界の門》が開いたことにより、大量の《魔力》が空間に流れ込み、魔術師の扱える《魔術》のレベルが格段に上がり、悪魔にも対抗できるだけの力になったのだ。

《魔術》には多種多様なものがあるが、根本的には等価交換で成り立っている。


 人類は彼等、魔術師に魔術の教えを乞うことによって、多くの犠牲を払いながらも、魔術という悪魔に打ち勝つ術を手に入れた。

 そして、約十年の時を経て、魔術を次世代の技術として確立することに成功した人類は、ついに悪魔の撃退に成功する。世界を覆う灰色の霧は晴れ、灼熱の日差しが大地に降り注いだ。

 それに伴い、世界各地に出現した《魔界の門》は完全に消滅し、再び悪魔が侵入してくることはなかった。人々はそのことに歓喜で震えた。ようやく世界は元の姿に戻ったのだと。


 しかし、誰もが悪魔を滅ぼすことで、再び世界は元の状態に戻ると信じていたが、現実はまるで異なった。悪魔を退けた人類に残ったものは、悪魔との長い戦いの中ですっかり変わり果ててしまった大地と、精神が衰弱してしまった人々。


 そして、どこか心が欠けてしまった、悪魔すらも倒しうる、《魔術》という大き過ぎる力を得た人類だった。


 ◇ ◇ ◇


 魔術が全世界的に技術として確立されて、およそ五十年。


 西暦2072年現在――魔術を扱える人間は全世界の人口の七割とされていたが、その中で特に強い力を持つ魔術師は三割に満たないとされている。


 世界の人口も、先の悪魔との戦争の影響で五十億人にまでその数を減らしていた。

 そして、強い力を持つ魔術師は、どの国でも重宝された。

 なぜなら、強い力を持つ魔術師一人で、一国の軍事力に大きく差が出るからだ。


 他にも、魔術を用いることで軍事力だけでなく、悪魔との戦争で失ってしまった文明や技術を補うことができる。新しい世界では、魔術の実力がその人間の存在価値を示す、重要な要素となったのだ。そのことにより、残り三割の魔術を使えない人々は、過去の世界とは生活や文化や価値観がすっかり変わってしまったため、厳しい生活を強いられた。


 魔術が使えない人々というのは、《魔力神経》を持たない人間のことをいう。

《魔力神経》とは、魔術師が体内に持つ魔力を用いて魔術を発動するための、目に見えない特殊な神経である。この透明な神経が太いほど優秀な魔術師であるとされ、発動する魔術の効果に大きく関与してくる。要は《魔力神経》とは魔力の循環器系だ。


 魔力を流し込むだけで魔術を発動することができる。つまり《魔力神経》を持たない人間は、魔術を使うことができない。生まれながらにして《魔力神経》の太さはおおよそ決まっており、それは親の遺伝が影響することが多い。


 しかし、《魔力神経》を増強する方法が、世界にたった一つだけ存在することも確認されている。だが、その手段は違法でもあり、政府によって秘匿されているので、民間人が知ることは滅多にない。なぜなら、その手段は文字通り、悪魔に魂を売る行為に他ならないからだ。


《魔力神経》は、本来は人間の体内で眠っているが、特殊な鍛錬によって目覚める。

 現代では、一時的に魔界と繋がったことによって流れ込んだ、空気中にただよう魔力をあび続けることにより、十二歳になる頃には、鍛錬なしに自然と扱えるようになる。

 その時点で魔術を使えない者は、《魔力神経》を持たない欠陥品と見なされた。


 そして現在――――――

 各国の政府は独裁政権を行い、上の人間が下の人間への激しい搾取を繰り返している。


 そこには、一度壊れたこの世界を元の状態に戻したいという思いも確かにあったが、実際のところは、みんな自分が一番大事なのだ。自分さえ良ければそれでいい。そういう考えの持ち主が多い。自分の下にいる人間がどうなろうと、結局は構わないのだ。上に立つ者は、地べたに這いずる虫を踏みつけて殺しても、まったく気にも留めない。せいぜい靴が汚れてしまったと不快に思うだけだ。


 人類は魔術という強すぎる力を持て余し、その心は醜く汚れきってしまった。

 政府の圧制により、少しずつ国民に不満が溜まっていき、やがてはその不満の種が爆発し、各地で魔術による犯罪が横行し始める。


 有能な魔術師の子供はまた、有能である場合が多い。

 それが、この世界で格差を作っているのだろう。


 さらに、魔術を扱うことができない人間は蔑まれ、ついには奴隷として扱われ始めた。

 それは、少し前までの人類には考えられない光景であろう。日本で奴隷など久しく見たものじゃない。だけど、そんな別次元のような世界が、確かにそこには広がっていた。


 悪魔を祓ったところで、もうこの世界は元に戻ることなどできないのだ。

 命は弱さを許さない。ここは、力を持つ者がすべてを手にし、すべてを支配する世界。


 ★ ★ ★ ★ ★ 


 この地域では、ずいぶんと大きい和風の自宅にある一室で、神崎遥はとある資料に目を通していた。ここ最近、この家から二十キロと離れていない《スラム街》付近で、頻発に強盗事件が起きている。

 別に《スラム街》付近ではこういうことも珍しくない。ただ、一ヶ月で同じ少年に何回も富裕層が襲われ、警察の方に苦情が、軍の方に通報があったのだ。


 現代では、警察や軍の活動は以前と異なったものになっている。

 悪魔の襲撃があってから、各国では警察の規模が小さくなり、それに応じて軍の規模が大きくなった。国民の生命、身体、財産の保護を、以前に引き続いて警察が担当し、犯罪の予防、鎮圧、捜査、被疑者の逮捕、公安の維持は、新たに軍が引き受けることになったのだ。


 その少年は目撃情報によると、目にかかるくらいの艶のある黒髪に、一切の光を失った黒い瞳、背は低めだが体格は割と優れているらしい。どうやら武術のたしなみがあるらしく、おまけに拳銃まで所持しているという噂もある。


「何を読んでいるんだ?」


 遥が思索にふけっていると、背後から一人の男が話しかけてきた。


「……ん、父さんか。軍から私宛に依頼がきていたのよ」


 遥に声をかけてきた男は、身長190センチほどの巨漢で、浅黒く引き締まった頬にはまばらに生えた無精ヒゲがあり、薄手のシャツからは盛り上がった筋肉が見て取れた。

 彼は遥の父親で、名を神崎士道かんざきしどうという。


 士道は軍の《対魔術犯罪科》に勤めている。そして、軍の中ではかなり階級の高い《中将》の一人でもある。この辺りでは一番階級の高い軍人だ。


「やはり、お前には危ないんじゃないか?」


 歳のわりに若く逞しく見える、士道の顔は少し不安げだ。


「私は父さんの手伝いをしているだけで、正式に軍に所属しているわけではないわ。私が無理を言って、私の実力でさばける案件を回してもらっているだけ」

「確かに、お前は強い。正式に軍に所属しているわけではないのに、《上等兵》扱いをされているくらいだからな。しかし、高校生活とのかけもちは辛くないか?」


 遥はこれまでも何度かこうして、士道に危険なことをするなと示唆されていた。


「私が父さんの手伝いを始めてもう二年。いい加減慣れてきたわ。それに今は学校も夏休みでないしね」

「でも、最近はお前一人だけで行動しているのだろう? 俺は少し心配なんだよ」

「心配……ね。その必要はないわ」


 遥は士道から顔を背ける。


(……見せかけの優しさで、私に情けなんてかけなくてもいい)


 会話を切って遥は再び資料に目を通したが、気になる点があり、再度士道に話しかける。


「ねぇ、少しこの資料を見てちょうだい」


 遥は士道に資料を渡して話を続ける。


「この問題の少年は一ヶ月前から出没しているわ。そして、一か月前といえば……」

「世間には公開されていないが、暗殺一家――《日向家》への、何者かの襲撃の日か?」

「うん。もしかしたら、誰か生き残りがいる可能性がある。気になって、さっき父さんのパソコンを使って調べてみたけど、日向家の長男――日向流斗と《スラム街》の少年には、身体的特徴に似通ったところがあったわ。それにしても、まさかこんなにデータがあるとは思わなかったけど」


 士道が資料をよく見ると、そこには日向流斗についての詳細なデータが示されていた。


「陽の当らぬ影に生きる暗殺一家が《日向》の性を冠するとは、皮肉なものだな」


 ――日向流斗ひゅうがりゅうと、十四歳。身長160センチ前後。推定体重55キログラム。

《第一級暗殺者》――日向陣ひゅうがじんの息子であり、幼少の頃から父により特殊な修練を積まされている模様等とある。


「オイ……いつも言っているが、俺のパソコンを勝手に使うな。あれには重要な書類や一般人には見せられないようなものも入っているんだぞ」

「……ごめんなさい」


 遥は素直に頭を下げた。

 しかし、士道は知っていた。遥は一応謝っているように見えるが、下を向いている顔がまるで反省などしていないことを。遥にはこういうところがよくあるのだ。


「今はそのことはいい。資料が多いのは、その少年が昨年あたりから父親とともに行動しており、たまに一人で依頼をこなしている姿が目撃されているからだ」


 遥は黙って、士道の話を興味深そうに聞く。


「しかし、武術のたしなみがあり、拳銃を所持している……か。俺は一度だけその少年の父親である、日向陣という男と戦ったことがある。確かあいつは、肉体強化系の魔術を併用した古武術と、拳銃やナイフにワイヤー等といった小道具を使っていたな……」


 士道は昔のことを思い出しながら懐かしむように語った。


「ということは、この少年が日向流斗である可能性は、ますます上がったということね」


 遥は自分の考えが、より確信に近づいたのを感じ取った。


「それにしても、相変わらず遥は目の付け所が良いな。しかし、この少年が日向流斗である可能性が高い以上、お前を行かせるわけにはいかない」

「いいえ、むしろその逆よ」


 そう言った遥の顔は少し楽しげで、士道はいっそう不安にかられたことだろう。


「逆……とはどういう意味だ?」

「私がこの依頼を断れば、この案件は他の《一等兵》に回されるでしょう。並の《一等兵》に、この少年は対処できないわ。最悪の場合、この少年の反撃にあって殺されてしまうかもね」

「それをお前なら、対処できると言いたいのか?」

「答えはイエス。もちろん可能よ。ついでに、私はこの少年に少しばかり興味があるの」


 遥の顔からは、明らかな余裕が見て取れる。


「なぜ、そう言い切れる?」

「それは、私がこの少年のことを知っているからよ」

「オイオイ、お前……いつの間に、暗殺者なんかと知り合いになったんだよ?」

「ん~? 知っていると言っても、こちらの一方通行よ。……片思い。あの子は仮にも暗殺者だからね~。姿を見られたと知ったら、私を殺しにくるじゃない」

「なんだ、向こうは遥のことを知らないということか」


 ほっ、と士道は安堵したが、


「そうよ。残念なことにね。私は一年前から、あの子のことを見ているというのに……」

「………………は?」

「初めて見たときから、何か気になっているのよね。どこかで惹かれ合っている、心が互いを求め合っている気がしてならないの。まだまだ未熟だけど、戦闘のセンスはあると思うし、幼いぶん成長の余地もある。今なら、まだ生き方を変えることも――」


 ――――――コンコン。

 遥の言葉を遮るように、遥と士道のいる部屋の扉が軽くノックされた。


「入れ」と士道が言うと、「失礼します」という声が扉の外側から聞こえ、扉を開けて一人の女が入ってくる。

 その女は女性のわりには背が高く、髪は短く綺麗に切りそろえられていた。


「香織さん、どうかしたの?」


 遥が問いかけると、香織は軽く遥に会釈をして士道の方を向く。


「旦那様、そろそろお仕事の時間です。準備をなさったほうがよろしいかと」

「おう、もうそんな時間か。それじゃあ悪いけど、俺は仕事に行くよ。遥、その少年のことはお前に任せよう。だが、くれぐれも無茶はするなよ」


 それだけ言うと、士道は香織と共に部屋の扉に向けて歩き出す。


「わかったわ。……いってらっしゃい」


 遥がそう言った後には、もう彼女以外、この部屋には誰も残っていなかった。

 立花香織たちばなかおりは神崎家に仕える使用人である。先程は士道の後ろについていったが、普段は遥に仕える専属メイドのようなものだ。


 士道は仕事上、家を空けることが多いので、遥が八歳のときに交通事故で死んでしまった遥の母の代わりに、香織は昔からずっと遥の面倒を見てくれていた。

 神崎遥は、しばらく資料にある日向流斗の写真を眺めていたが、やがてそれを机の上に置き、部屋の扉へと向かう。


「さてと、そろそろ私も行こうかしら。果たして、この歳ですべてを失った少年というのは、その心の内に何を抱えているのかしら」


 そう呟いた遥の顔は、どこか自分と似た境遇の少年に、何かを期待しているように見えた。


 そして、さっき遥が士道に話したことが事実なら、彼女は未熟とはいえ仮にも暗殺者である流斗相手に、自分の気配を一切感じさせず、何十日、何百日と、ずっと観察していたことになる。それは同時に、遥の実力が流斗の実力を圧倒していることを示していた。


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