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『目指すは最強! ~魔法オタクの異世界無双~』  作者: 穂乃果
第6幕「絶望情報強度 ― Despair Information Intensity ―」
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第74話「絶望への挑戦(後編)」

百二十万人の大撤退が始まって、五日目。


人々の知恵と協力によって、避難計画は少しずつ進化しています。


けれど、影の侵攻も、絶望の汚染も、まだ終わってはいません。


一人では越えられない困難を前に、セリスたちの挑戦は、さらに大きな広がりを見せ始めます。


第74話「絶望への挑戦(後編)」、どうぞ!

 大撤退が始まって、五日目。


 竜人国の街道には、今日も長い人の列が続いていた。


 荷車を引く人。子どもの手を握る人。疲れた老人に肩を貸す人。

 足取りは重い。故郷を振り返る顔には、まだ不安が残っている。


 それでも、出発した頃とは違う光景が増えていた。


 車輪が溝にはまれば、声をかけられる前に誰かが押しに来る。

 荷車が壊れれば、避難民の中から職人が出てくる。

 自分の荷物を少し詰め直して、歩けなくなった子どもを乗せる人もいた。


 その変化は、中央指揮天幕へ届く報告にも表れていた。


「……これ、全部、今日の分ですか?」


 私は、机に置かれた紙の束を見つめた。


『YES、セリス。避難経路に関する改善提案が三十七件。補給方法について二十一件。搬送方法について十四件です』


「すごいですねえ……!」


 街道に詳しい兵士さん。

 花の種を持って避難してきたおじいさん。

 荷車の修理を引き受けてくれた職人さんたち。


 みんなの話を聞き始めてから、地図にも報告書にも載っていなかったことが、次々と集まってくるようになった。


 そのおかげで、最初に作った避難計画は、もうあちこちが書き直されている。


 私は、一枚の報告書を手に取った。


「車輪の補強方法……?」


 添えられた絵には、金具の留め方が描かれていた。

 傷んだ車輪でも、これなら次の修理拠点まで持たせられたらしい。


「これ、ほかの隊にも教えてあげたいですね」


『現在、改善内容は指揮所で取りまとめた後、各隊へ伝達しています。ただし、緊急の報告が優先されるため、共有に遅れが生じています』


「……もったいない」


 この紙が机の上にある間にも、どこかで車輪が壊れているかもしれない。

 直し方を知っている人が、すぐ隣の隊にいるかもしれないのに。


 私は地図を引き寄せた。


「ミライ。近くの隊同士でも、教え合えませんか?」


『情報を直接共有する仕組みですね』


「はい! うまくいった直し方とか、危なかった道とか。ここに報告するだけじゃなくて、隣の隊にも知らせるんです!」


 指で、地図上の隊列を繋いでいく。


 一つ先へ。

 その隣へ。

 必要なら、後ろの隊にも。


『未確認の情報が、そのまま広まる可能性があります』


「だったら、誰が、いつ確かめたのかも一緒に伝えましょう。まだ確かめてないことは、そう分かるように!」


『通信魔道具の数には制約があります』


「近くなら、伝令さんにお願いできませんか? 補給の荷車に、知らせを預けることもできそうです!」


『……実施方法を整理します』


「お願いします!」


 私は、隣の机で報告を聞いていた将軍さんへ顔を向けた。


「あのっ、少し相談してもいいですか!」


     ◇


「……隊同士で、情報を回すか」


 説明を聞き終えた将軍さんは、地図を覗き込んだ。


「だが、隣の隊の成功を聞いて、勝手に経路まで変えられては困るぞ。橋へ集まる時刻が重なれば、また詰まる」


「あっ、そこは今までどおりでお願いします!」


 私は、慌てて手を振った。


「道を変えるとか、出発時刻を動かすとか、ほかの隊にも関わることは指揮所で調整します。でも、車輪の直し方まで、ここからの返事を待たなくてもいいと思うんです」


「なるほど。現場で使える知恵を、先に届けるわけだな」


「はい!」


 将軍さんは、車輪の絵を手に取った。

 紙の端には、煤けた指の跡が残っている。


「これは、西の隊のものか。あそこは昨日、修理のために足を止めておったな」


「そのときに考えたそうです」


「……難儀した者が、次の者を助けるか」


 将軍さんは紙を置き、今度は私を見た。


「しかし、貴殿は構わんのか?」


「何がですか?」


「自分の立てた計画が、次々と他人に書き換えられているのだぞ」


 私は、首を傾げた。


「……だって、良くなってるんですよね?」


「……ああ」


「じゃあ、嬉しいに決まってるじゃないですか!」


 将軍さんが、目を瞬かせた。


「私の計画が正しいことより、みんなが無事に逃げられることの方が大事ですから!」


 せっかく教えてもらったのに、使わない方がもったいない。

 私もミライも、知らないことはいっぱいあるんだから。


 しばらくして、将軍さんは声を上げて笑った。


「はっはっは! そうか。ならば、遠慮なく書き直させてもらおう!」


「はいっ! どんどんお願いします!」


 将軍さんが伝令さんを呼ぶ。

 私はミライと、知らせに書き添える項目をまとめた。


 どこで試したのか。

 何に使えたのか。

 使えなかった場合は、何が違ったのか。


 難しい書式にはしない。

 忙しい道の途中で、読めて、伝えられなきゃ意味がない。


 そうして、車輪の補強方法は、最初の知らせとして隣の隊へ送られた。


     ◇


 昼過ぎ、その返事が届いた。


「……金具が合わなかった?」


『YES。隣隊の荷車は、車輪の構造が異なっていたようです』


「そっかあ……」


 私は、報告の続きを読んだ。


 でも、そこで終わってはいなかった。


 留める位置を変え、間に木片を挟んだところ、別の車輪にも使えたらしい。

 新しい絵の横には、短い注意書きまで添えられていた。


 ――締めすぎると割れる。古い木は特に注意。


「……おおっ!」


 思わず、紙を持ち上げた。


「直し方まで、直してくれたんですね!」


『改良内容は、最初に提案した隊にも返送されています』


 誰かが困って、工夫する。

 それを受け取った誰かが、また考える。


 最初の一人では思いつかなかったことが、次の人の手で加わっていく。


「ふふっ……いいですねえ、こういうの!」


 その間にも、知らせは増えていった。


 雨が降ると、水が溜まる曲がり角。

 荷車の揺れを減らす、藁の詰め方。

 炊き出しの列を短くする、食事の渡し方。


 どれも、一つだけなら小さな工夫だ。


 けれど、その工夫で休める時間ができる。

 歩き出せる人が増える。

 後ろの隊が、追いつけるようになる。


『セリス。複数の区間で、予定より早く次の拠点へ到着したとの報告がありました』


「本当ですか!」


『YES。荷車の故障による停滞と、補給時の待ち時間が減少しています』


 私は、地図を見つめた。


 動かずにいた印が、一つ、南へ進んでいた。


 計算だけでは縮められなかった時間。

 それを、道の上にいる人たちが縮めてくれたのだ。


「……すごいなあ」


 嬉しくて、頬が緩んだ。


 まだ行かなきゃいけない場所は遠い。

 それでも、この地図は、私たちが最初に作ったときより、ずっと頼もしく見えた。


     ◇


 その日の午後。


 指揮所での仕事が一段落したところで、私は天幕の片隅に置いた記録を開いた。


「……今度は、変える幅を小さくしてみましょう」


『YES、セリス。前回の試行条件を表示します』


 ここ数日、合間を見つけて続けている実験だ。


 指先に、ごく少量の魔力を集める。

 いつものように、火や風へ変えるためではない。


 気になっているのは、その前。

 術式へ流し込む、魔力そのものだった。


 同じ術式なのに、使う魔力の状態によって、返ってくる反応がわずかに違う。


 だったら、その違いをこちらで調整できたら?


「魔力を増やさずに、応答だけ変えられるかもしれませんよね……」


『その可能性を検証中です』


「はいはい。まだ、でしたね!」


 私は小さく笑い、式の条件を書き換えた。


 指先の光が揺れる。


 青。

 銀。

 二つの色が、ほどけるように重なった。


「……おお?」


『位相条件の変化を検出しました』


「今の、記録してください!」


『記録済みです』


「さっすが!」


 もう一度、同じ条件を作る。


 今度は、光が途中でばらけた。


「……あれえ?」


『魔力供給に変動がありました』


「ううっ。細かいなあ……!」


 でも、さっきはできた。

 たまたまなのか、それとも、揃えればいい条件があるのか。


 そこを確かめたい。


 私は息を整え、もう一度だけ魔力を集めた。


 青銀の光が、指先に留まる。

 その縁から、ごく淡い輝きが広がった。


 ふと、周囲の空気が澄んだように感じた。


「……今、何か変わりました?」


『周辺の魔力に微弱な変動を確認。ただし、体感との関係は不明です』


「ふむふむ……」


 光を収め、すぐに書き留める。


 面白い。

 もっと試したい。


 けれど、次の条件を組もうとしたところで、ミライが私を呼んだ。


『セリス。医療班から届いた継続観測の記録に、確認すべき変化があります』


 ペンが止まった。


「……患者さんたちに、何か?」


『一部の患者で、症状の進行速度が低下しています』


「……え?」


     ◇


 私は椅子を引き寄せ、表示を覗き込んだ。


 黒い筋の広がり。

 指先の温度。

 魔力への応答。


 昨日までの記録に、新しく届いた数値が重なっていく。


「……本当だ」


 止まったわけじゃない。

 黒い筋が消えたわけでもない。


 それでも、前の測定からほとんど広がっていない人がいる。

 異常な応答が強まる速さも、いくらか緩やかになっていた。


「この人たち、今、どこにいるんですか?」


『中央指揮天幕に近い救護区画です。なお、離れた避難隊でも、同様の変化が複数報告されています』


 私は、地図と記録を並べた。


 どの隊も、少しずつ南へ進んでいる。

 影が多く現れた地域から、距離を取っていた。


「汚染の強い場所から離れたから……?」


『考えられる要因の一つです。ただし、休息や治療、患者ごとの状態にも差があります』


「……ですよね」


 すぐに答えへ飛びつきたくなる。

 でも、今までだって、似ていると思った記録が、比べ直すと違っていた。


 私は、中央の救護区画の記録を拡大した。


 こちらは、ほかの隊より変化が大きいようにも見える。


 時刻を目で追って、ふと手を止めた。


「……待って。この時間、私、何をしてました?」


『魔力変調の試行中です』


 胸が、どくんと鳴った。


「その前の日は?」


『同じ時間帯に、試行記録があります』


 私は、実験の記録を隣へ並べた。


 近い。

 でも、ぴったり重なっているわけじゃない。

 私が実験をしていない時間にも、進行が緩やかになった人はいる。


 それに、遠くの隊でも同じことが起きているのだ。


「……私の魔術だけじゃ、説明できませんね」


『肯定。ただし、比較すべき条件の一つです』


 私は、指先を見た。


 さっきまで浮かんでいた青銀の光は、もうない。


 あれが、何かの役に立っているのかもしれない。

 まったく関係ないのかもしれない。


 今は、まだ分からない。


 でも。


「……遅くなってるんですよね」


『YES。観測された範囲では、進行速度の低下を確認しています』


 肩から、少しだけ力が抜けた。


 あの冷たい手。

 昨日より広がった黒い筋を、隠すように握り込んでいた指。


 記録を開くたびに、悪くなっているのが怖かった。

 私が考えている間にも、間に合わなくなるんじゃないかと思っていた。


「……よかった」


 机に手をついて、息を吐く。


「少しでも……遅くなってくれて」


 治せたわけじゃない。

 喜ぶには、まだ早いのかもしれない。


 それでも、その少しの時間が欲しかった。


 娘さんに会うための時間。

 次の場所へ進むための時間。

 私たちが、別の方法を探すための時間が。


 私は顔を上げた。


「ミライ。実験の時間と場所も、医療班へ伝えましょう。移動した距離や休んだ時間と、一緒に比べたいです」


『了解しました』


「今の観測を続けてください。患者さんたちの負担は、増やさないように」


『YES、セリス』


 天幕の外で、子どもが笑った。

 誰かに名前を呼ばれ、ぱたぱたと走っていく音がする。


 私は、新しい紙を引き寄せた。


 もっと調べよう。


 ただ待つしかないなんて、まだ決まっていないのだから。


     ◇


 同じ頃。


 ヴァルゼリア魔導国の王宮では、避難民の受け入れを巡る協議が続いていた。


 机に並んでいるのは、宿営地の配置図と食料の帳簿。

 その横には、今後必要となる種籾や、冬まで残すべき備蓄量も記されている。


 女王ヴェルシア・ヴァルゼリアは、最後の一枚まで目を通した。


「受け入れ人数は、提示された上限を維持します」


 臣下の一人が、わずかに唇を引き結んだ。


「……追加の要請には、どう返答いたしましょう」


「今、約束だけを増やしても、後で食事を出せなくなれば、受け入れた方々まで苦しめることになります」


 静かな声だった。


 女王は、卓上の通信魔道具へ視線を向けた。


「カナメ。現地の状況は?」


『教国と獣人国の国境へ、人が集まりつつあるでござる。到着した者を、さらに奥の受け入れ先へ移す必要がござるな』


「我が国へ向かう道の確保にも、時間が要りますね」


『左様でござる』


 通信の向こうで、カナメが頷いた。


『ゆえに、我が国へ来る者の人数だけで、支援を考えるべきではござらぬ』


 女王は、帳簿へ目を戻した。


 住まいを用意できる数には限りがある。

 だが、人を迎え入れる国で不足するものを、こちらから届けることはできる。


「医療班の交代要員は?」


「編成できます。魔道具の修理技師も、同行させられるかと」


「では、そちらを優先してください。食料は、輸送中の損失を減らせる保存設備と合わせて再検討を。教国側で必要としている品目も、直接確認なさい」


 臣下たちが書類を引き寄せた。


 カナメは、その動きを見守ってから口を開いた。


『陛下。竜人国の民が暮らせる土地は、今も失われているでござる』


「……ええ」


『受け入れ先が疲弊すれば、次に逃げる者の行き先もなくなる。今ある土地で、人が暮らし続けられるよう支えることも、我らの務めでござる』


 ヴェルシアは、ゆっくりと頷いた。


 遠い国の窮状として眺めていられる段階は、過ぎている。

 だからこそ、一度きりの援助で終わらせるわけにはいかなかった。


「来月も、その次も、続けられる支援を組みましょう」


『……御意でござる』


 カナメが深く頭を下げる。


 女王は、人数の記された紙の隣に、新しい帳簿を開かせた。


     ◇


 アルセリア王国、王都アストリア。


 飛行魔道具の発着場には、木箱を運ぶ掛け声が響いていた。


「医療物資は、こちらへ!」

「毛布は濡らすな! 覆いをかけろ!」


 その脇を、レオニス・アルセリア三世が歩いていた。


 一隻の船は、船底に展開する魔法陣の調整中だった。

 別の船では、降ろしたばかりの空箱と入れ替わりに、次の荷が積まれている。


「この船は、いつ出せる?」


「昼には。ただ、次便を回すと、国内輸送の予定に遅れが出ます」


 責任者が、運航予定の書かれた板を差し出す。


 王は、それを確かめた。


「薬と食料を運ぶ便は残せ。延期できる荷を選び直すのだ。整備の時間も削るな」


「はっ」


「飛ばして戻らぬ船を増やしては、支援も続かぬ」


 王の手元には、竜人国政府を通じて届いた報告があった。

 セリスたちの観測結果と、避難の進行状況をまとめたものだ。


 敵を退けても、土地の異常は残る。

 逃れた人々を迎える場所にも、いずれ同じ脅威が及ぶ可能性がある。


 確かなことと、まだ分からぬこと。

 その両方が、書き分けられていた。


 レオニスは、積み込みを待つ天幕の束へ目を向けた。


「教国では、仮住まいの不足が続いているのだな」


「はい。到着する人数に、設営が追いついておりません」


「ならば、この便は天幕と寝具を増やせ。救護用の品も先に降ろせるよう積むのだ」


 そこへ、通信を受けた文官が駆け寄ってきた。


「陛下。エルフ国より、食料と薬草の輸送について相談が」


 王が顔を上げる。


「量は?」


「先に一覧を送るとのことです。受け取り場所も、合わせて」


 レオニスは、運航予定をもう一度広げた。


 帰還する船。

 整備に入る船。

 次に、どこへ向かわせるか。


「……空で戻すより、よいな」


 王は文官へ頷いた。


「積載量と日程を伝えよ。運べる分を、確実に受け取りに行くと」


 ほどなく、積み込みを終えた船の周囲に魔法陣が灯った。


 地上の作業員たちが下がる。

 ゆっくりと浮かび上がった船体を、王は見送った。


 あの荷が届く先で、今夜、地面に寝ずに済む者がいる。


 そして、あの船は戻ってくる。

 次の荷を、運ぶために。


     ◇


 教国の国境では、大鍋から白い湯気が上がっていた。


「次の方、どうぞ。熱いので、気をつけてくださいね」


 神官が差し出した椀を、竜人の男性が両手で受け取った。


 一口、飲む。

 それから、椀の中を見つめたまま動かなくなった。


「……温かい」


 掠れた声だった。


「おかわりもありますよ。食べ終わったら、あちらで休めます」


 神官が示した先には、敷物の並んだ天幕があった。

 男性は何度も頷き、もう一度、椀へ口をつけた。


 食事を終え、しばらく休んだ後。

 彼は、近くで組み立てられている仮住まいを見ていた。


 柱を支える若い神官が、苦労して継ぎ目を合わせている。


「……そっちを先に打つと、傾くぞ」


「えっ?」


「下を合わせてからだ。少し、見せてくれないか」


 男性が立ち上がりかけると、神官は慌てて手を出した。


「まだ、お疲れでしょう」


「腕は動く。……大工なんだ、俺」


 そう言って、男性は自分の手を見た。


 道中では、荷車を押すことしかできなかった。

 家も、仕事場も、置いてきた。


 それでも、木の組み方まで失ったわけではない。


「あれ、後から来る連中の家だろう?」


「はい」


「なら、少し手伝わせてくれ」


 神官は男性の顔を見て、頷いた。


「では、組み方を教えてください。重いものは、私たちが運びますから」


「……それじゃ、まず、あの柱からだ」


 男性が歩き出す。


 少し離れたところで様子を見ていた竜人も、腰を上げた。


「俺も、木なら扱える」

「料理の手が足りないなら、私が入るわ」

「子どもたちはこっちで見てるよ。鍋のそばへ行くと危ないからね」


 言葉の通じにくい相手には、身振りで伝える。

 分からない道具の名前は、指さして尋ねる。


 柱が一本、まっすぐに立った。


 神官と竜人の大工が、それを見上げる。

 どちらからともなく、笑みがこぼれた。


     ◇


 獣人国では、各部族の代表が地図を囲んでいた。


「我が集落は、三千までなら。ただ、それ以上は水場が足りません」

「こちらは土地があります。ですが、住まいを建てる木材が……」

「木は出せる。運ぶ人手が足りぬのだ」


 獣王ガルディオン・レオガルドは、三人の顔を順に見た。


 黄金色の鬣が、ゆっくりと揺れる。


「今、答えが出たではないか」


 代表たちが口を閉じた。


 獣王は、地図の二か所を指した。


「土地のある集落へ、木材を運べ。荷運びは、街道沿いの部族に頼めるか?」


「空の荷車が戻る便なら、使えます」


「よし。水の足りぬ場所へ、無理に人を増やすな。受け入れる数に合わせて、食料の送り先も変える」


 一人の代表が、渋い顔をした。


「ですが、それでは、木材を出す側の負担が大きくなります」


「だから、記録を残せ」


 ガルディオンは、その男を見た。


「どこが何を出し、何が不足したか。後で国が補うにも、それが要る」


「……承知しました」


「自分の民の冬支度まで削るなよ。余裕がないなら、そう言え。他に出せるものを考える」


 言い終えると、獣王は腕を組んだ。


「一つの群れで、全部を揃えようとするから足りんのだ。隣を見ろ。足りぬものを、持っている者がおる」


 代表たちが、互いの地図を寄せ始める。


 木材の出る森。

 使われていない放牧地。

 水を引ける場所。

 食料を運ぶ荷車。


 話が具体的になるにつれ、沈黙していた者も口を開くようになった。


 ガルディオンは、それを確かめてから、国境の配置図を手元へ引き寄せた。


 迎える場所を作る。

 そこまでの道を守る。


 竜人国と国境を接する獣人国には、その両方が必要だった。


     ◇


 エルフ国の王宮には、薬草の香りが満ちていた。


 女王エルシェリア・シルヴァリスの前に、物資の一覧が並ぶ。


 乾燥させた果実。

 保存の利く食料。

 治療に使う薬草。


 森から集められた品は多かった。

 だが、積み上げて眺めているだけでは、遠い国の誰一人救えない。


「アルセリア王国から、返答が届きました」


 側近が通信の記録を差し出した。


「受け取り可能な量と、飛行魔道具の到着予定です」


 エルシェリアは、静かに息をついた。


「間に合いますね。では、薬草を先に。乾燥が済んだものから箱へ詰めてください」


「果実はいかがいたしましょう」


「傷みやすいものは、保存できる形にして次便へ回しましょう。急いで積んで、途中で駄目にしては惜しいですから」


 側近が頷く。


 女王は、採取予定の記された地図へ目を移した。


「この一帯は、採る量を減らしてください」


「まだ余裕があるようですが」


「今年だけの話ではありません。次にも、その次にも、届けられるように残しましょう」


 窓の向こうには、深い緑が広がっていた。


 この森には、まだ影が来ていない。

 遠くで故郷を離れる人々の姿も、ここからは見えない。


 けれど、見えないからといって、差し出せるものまでないわけではなかった。


「届ける手段は、人間国が用意してくれます」


 女王は、働く者たちへ微笑んだ。


「私たちは、その船を空で待たせないようにしましょう」


     ◇


 その日の夕刻。


 六つの国を結ぶ通信魔道具が起動した。


 呼びかけたのは、教国の最高統治者、大神官ドーン。


 通信の向こうには、レオニス、ヴェルシア、エルシェリア、ガルディオン、そしてアルゼインの姿があった。


 国境では、既に人を迎えている。

 物資を積んだ船は飛び、住まいを建てる槌の音も響いている。


 その動きを、各国の善意だけに任せて終わらせない。

 続けるための約束を結ぶ場だった。


『……皆、聞こえておるな』


 ドーンの声に、五人が応じた。


『かつて、我らは邪龍を前に手を取り合った』


 いつもの豪快な笑い声はなかった。


『共に戦い、共に傷ついた。帰ってこられなんだ者もおる』


 アルゼインが、静かに目を伏せる。


『あのとき守った土地から、今また、人が逃げておる』


 ドーンは、一人ひとりの顔を見た。


『わしらは既に動き始めた。じゃが、この先は長くなる。誰か一国が力尽きるまで背負うような支援では、続かぬ』


『同感です』


 ヴェルシアが口を開いた。


『受け入れられる人数も、送り出せる物資も、国ごとに異なります。不足を早く共有し、分担を変えられるようにするべきです』


『輸送については、我が国が調整を引き受けよう』


 レオニスが続ける。


『ただし、船も魔石も無尽蔵ではない。必要な品と届け先を、各国でまとめてもらいたい』


『エルフ国からも、継続して食料と薬草を提供します』


 エルシェリアが頷いた。


『到着先で余らせることなく、必要な方へ届くように』


『国境の道はこちらで守る』


 ガルディオンの声が響いた。


『受け入れ先も増やしておる。だが、到着する人数と時刻は早めに知らせてくれ。寝る場所を作って待たせたい』


 その言葉を、アルゼインは黙って聞いていた。


 どの王も、自国の難しさを隠していない。

 余裕があるから、手を差し伸べているのではないのだ。


 それでも、迎えると言ってくれている。


『……皆の者』


 アルゼインは、深く頭を下げた。


『礼を申す』


 短い言葉だった。

 顔を上げるまでに、少し時間がかかった。


『我が国からも、人手と技術を出せる。受け入れ先で必要な仕事を知らせてほしい。民が暮らしていくために、できることを共にさせてくれ』


 ドーンが、ゆっくりと頷いた。


『無論じゃ』


『儂らは、生き延びる』


 アルゼインの声に、力が戻った。


『そして、いつか必ず、この国を取り戻す。その日まで、力を貸してほしい』


 六人の手元には、同じ文面の宣言書が置かれていた。


 ドーンが、それを読み上げる。


『絶望の汚染と影の侵攻を、六種族共通の危機と認める』


 誰も、異を唱えなかった。


『各国は、民の命と暮らしを守りながら、支援を分担し、情報を共有する』


 ドーンは、一度だけ言葉を切った。


 最後の一文へ、目を落とす。


『我らは、いかなる種族の滅亡も、黙って見送らぬ』


 各国の印章が、宣言書へ押された。

 その記録が、通信魔道具を通じて互いに確かめられていく。


 六種族共同危機宣言。


 邪龍戦争以来、初めて。

 六つの国が、再び共通の危機に立ち向かうと約束した。


     ◇


 会議が終わり、通信の光が一つずつ消えていった。


 最後に残ったのは、現地から会議を見届けていたカナメとの回線だった。


『……ドーン殿』


「なんじゃ」


『ドグル殿にも、見せたかったでござるな』


 ドーンは、印章の並ぶ記録を見つめた。


 白い鱗。

 大きな槍。

 人の話を聞き終える前に、笑って立ち上がる男。


「……ああ」


 太い指で、書面の端を押さえる。


「あいつなら、こんな約束を結ぶ前に、もう走り出しとるじゃろうがな」


『違いないでござる』


「わしらが後ろから来ると、疑いもせずにな」


 通信の向こうで、カナメが小さく笑った。


 ドーンも笑おうとして、一度、唇を引き結んだ。


「……遅くなったが」


 紙の上の印章を、もう一度見る。


「今度は、国ごと連れてきてやったぞ」


 しばらく、どちらも口を開かなかった。


 やがて、カナメが静かに言った。


『あの男なら、また大声で笑うでござろうな』


「おう。槍を担いでな」


 二人の口から、同じ言葉がこぼれた。


「『かかってこんか!』」


 一瞬の間。

 それから、二人は笑った。


 今も、その声の主が背中を押してくるようだった。


     ◇


 夜。


 中央指揮天幕では、届いたばかりの支援情報が、次々と地図へ加えられていた。


『アルセリア王国から、追加の輸送便が出発しました。エルフ国の物資を受け取る日程も確定しています』


「薬草も、届くんですね!」


『YES。教国では受け入れ施設の増設が進行中。獣人国からは、新たな受け入れ先の一覧が届いています』


 地図に、光が増える。


 ここには食料がある。

 ここでは休める。

 こちらへは、負傷した人を運べる。


『魔族国からは、医療班と魔道具の修理技師が派遣される予定です』


「……助かりますねえ」


 声に出してから、私は地図を見つめた。


 数日前まで、その先へ人を送っていいのかさえ分からなかった。

 道を開いても、着いた先で食べるものがなかったら。

 眠る場所がなかったら。


 そんなことばかり考えていた場所に、今は迎える準備がある。


『さらに、六か国による共同危機宣言が発出されました』


「……共同?」


 ミライが、宣言の内容を表示した。


 私は、最後の一文で目を止めた。


 ――いかなる種族の滅亡も、黙って見送らぬ。


 何度か、読み返した。


 国を離れなければならない人たちに。

 自分たちは、もうどこにも行けないんじゃないかと思っている人たちに。


 世界の方から、見捨てないと言ってくれている。


「……これ、みんなにも伝えてください」


『伝達範囲を指定してください』


「各隊へ。できれば、休憩のときに読み上げてもらいたいです」


 私は、少しだけ息を詰まらせた。


「迎えてくれる人たちがいるって……ちゃんと、知ってほしいので」


『YES、セリス』


 天幕の外へ出ると、夜風が頬に触れた。


 街道の先に、明かりが続いていた。

 夜を過ごす天幕の灯り。鍋を囲む人たちの火。

 交代で見張りに立つ兵士さんの、揺れる灯りもある。


 その一つひとつのそばに、人がいる。


 今日は進めた人。

 疲れて、もう眠っている人。

 まだ故郷が恋しくて、眠れずにいる人。


 みんなを、国の外へ連れていく。


 言ったときは、あまりにも遠かった。


「……ここまで、できたんですね」


 地図に引いただけだった道を、人が歩いている。

 その先では、食事を作って待ってくれている人がいる。


 私が顔も名前も知らない人たちが、今、この道を支えてくれていた。


『セリス。医療班からも、続報があります』


 私は、ミライへ顔を向けた。


『複数の観測群で、症状の進行が緩やかな状態が続いています。現時点で、原因は特定できていません』


「……はい」


 今度は、すぐに記録を開かなかった。


 まず一度、ゆっくりと息を吐いた。


 まだ、時間がある。

 その時間を、無駄にはしたくない。


「だったら……まだ、できることがありますよね」


『YES、セリス』


 汚染を治す方法は、見つかっていない。

 影の侵攻だって、止められていない。


 それでも、昨日まで届かなかった知らせが届いた。

 動かなかった荷車が動いた。

 悪くなるばかりだと思っていた症状に、違う変化が見つかった。


 どれも、私一人では手に入らなかったものだ。


 私はミライを抱え直し、天幕へ振り返った。


「明日の観測、条件をもう少し整理しましょう。あと、今日届いた工夫も、ほかの隊で使えたか知りたいです!」


『記録を用意します』


「お願いします!」


 入口の布を持ち上げる。

 机の上には、まだ読み終えていない報告書があった。


 誰かが困って、考えて、ここまで届けてくれたもの。

 明日、別の誰かを助けるかもしれないもの。


 私は椅子を引いた。


「……明日も頑張りましょう、ミライ」


『YES、セリス』


 少しだけ、間があった。


『明日も、共に考えましょう』


 私は笑って、いちばん上の報告書を手に取った。


 長い避難の道は、まだ終わっていない。

 失われた故郷も、取り戻せていない。


 それでも、道の先には待っている人がいる。

 隣には、考えてくれる人がいる。


 絶望への挑戦は、続いていく。


 その道を歩く人々の手は、今、国境の向こうへ繋がっていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


ついに六種族が手を取り合いました! 邪龍戦争以来の共同危機宣言です!


第72話では、一人ひとりの願いから。

第73話では、人々の知恵と行動へ。

そして第74話では、その力が国境を越えて世界へ!


誰か一人が世界を救うのではなく、みんなが自分にできることを持ち寄る。


そんな希望の連鎖を描きたかった三話でした。


そして、セリスの魔術研究にも小さな変化が……?


まだ答えは出ていませんが、我らが魔法オタクはもちろん見逃しません!( *´艸`)


さて、百二十万人の大撤退はまだ道半ば。


次回もお楽しみに!

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