始まり
とある美術館。
「おはようございます。
招待ありがとうございます」
朝の陽光が美術館のガラス張りの
エントランスに差し込み、
磨き上げられた大理石の床を
淡く照らしていた。
開館時刻ぴったり――いや、ほんの数分前。
自動ドアが音もなくスライドし、
一人の青年が来館した。
受付カウンターの奥で
パンフレットを揃えていた
フブキの耳がピンと立った。
狐の聴覚は伊達じゃない。
来客の足音を聞き逃すはずがなかった。
「来たっ!」
フブキはカウンターから
飛び出しそうな勢いで身を乗り出した。
隣のぼたんの腕を掴む。
「ぼたん、ぼたん!
雪華来た!来たってば!」
ぼたんは在庫リストから顔を上げ、
フブキの興奮ぶりに苦笑しつつも――
その銀色の瞳はすでに入口を捉えていた。
尻尾がゆらりと揺れる。
「落ち着きなって、
受付の仕事あんでしょ」
そう言いつつ、
ぼたん自身もペンを置いて
カウンターから身を乗り出していた。
全然落ち着いてない。
館長室のデスクで資料を
広げていたらでんの手が止まった。
館内モニターに映る雪華の姿。
ペンが指の間からするりと落ちた。
「……来てくれた」
小さく呟いて、慌てて髪を整えた。
左右で色の違う髪が鏡もなしに
指の感覚だけで整えられるのは職人技だ。
「今日も館内ピカピカですね
受付も綺麗ですね」
フブキはカウンターに
背筋を伸ばして座り直し、
尻尾をぱたぱたと振っていた。
プロの顔――のつもりだが、
耳が前のめりに傾いているせいで
感情がダダ漏れだった。
「おはようございます、雪華!
今日もようこそホロ美術館へ!」
パンフレットを差し出しながら、
指先がほんの少しだけ
雪華の手に触れるように近づけた。
計算された距離。
「ね、見てこれ。
今日のパンフレット新しくなったの」
ぼたんはフブキの隣で頬杖をつきながら、
にやっと笑った。
ライオンの尻尾がゆったりと
左右に振れている。
「フブキ、朝からずっと
ソワソワしてたんだよね。
足音で誰か分かるみたいでさ」
「ぼたん!?
余計なこと言わないの!」
耳がぺたんと倒れかけたが、
すぐ持ち直してぴしっと戻す。
エントランスの奥、
グッズショップのショーウィンドウ越しに、
水色のサイドテールがちらりと覗いた。
星街すいせいが棚の陰から
こちらを窺っている。
その隣では常闇トワが腕を組んで、
静かに入口方向を見つめていた。
「写真が変わってますね。
フェルメールの
「真珠の耳飾りの少女」ですか。
柔らかい雰囲気がいいですね」
フブキの耳がぴこんと跳ねた。
目を丸くして、
カウンターから身を乗り出す。
「えっ、分かるの!? すごい!
初日で気づく人初めてなんだけど!」
興奮と感心が入り混じった表情で、
パンフレットの表紙をばんっと指で叩いた。
「そうなのそうなの!
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」!
柔らかいって言ってもらえるともう
白上が選んだ甲斐があったってもんよ!」
ぼたんは頬杖を外し、
感心したように目を細めた。
「へぇ、あのパンフレット
結構小さい写真なのに。
よく見てるねぇ」
尻尾が一瞬ぶわっと膨らんだ。
嬉しいのだ。
その時、エントランスホールの奥から
足音が近づいてきた。
巡回中の大空スバルだ。
モップを片手に歩いてきたが、
雪華の姿を視界に捉えた瞬間、
足が止まった。
スバルはモップを危うく取り落としかけた。
「うおっ、雪華じゃん!
今日もう来てんの!?」
駆け寄ろうとして、
手に持ったままのモップの存在を思い出し、
慌てて壁に立てかけた。
「おはようございます。
館内ピカピカですねって
さっき言ってたんです」
スバルはきらきらした目で雪華の前に立ち、
えへんと胸を張った。
「でしょ!?
スバルが毎日磨いてんだからね!
床の光り具合とか見てよ、
自分の顔映るほどだから!」
くるりと振り返って床を指差す。
確かに、大理石の反射が美しい。
フブキはカウンター越しに
スバルをじとっと見た。
「スバル、巡回中でしょ。
モップ放置してるけど」
「あっ」
壁に立てかけたモップを見て、
てへっと舌を出した。
「いやいやいや、でもほら、
お客様のおもてなしも
仕事のうちっていうか!」
ぼたんはくっくっと笑いながら
椅子の背もたれに体を預けた。
「おもてなしねぇ。
ま、雪華相手ならしょうがないか」
尻尾がぱたん、ぱたんと床を叩く。
ぼたんの銀色の瞳が
すっと雪華を捉えて離さなかった。
エントランスの吹き抜けに
朝の光が降り注ぎ、
穏やかな空気が流れていた。
1Fフロアは静寂に包まれている。
――が、グッズショップの奥で
ある異変が起きていた。
すいせいが棚の陰から完全に姿を現し、
カウンター方向をじっと睨んでいる。
その隣にはトワが腕を組んだまま、
何か言いたげに佇んでいた。
「グッズも新しく増えたって
らでんが言ってましたけど
どんなのが増えたのか見ていいですかね」
雪華がグッズショップの方へ
足を向けた瞬間、
二つの影が棚の陰から解き放たれた。
すいせいは棚の横にするりと立ち、
腕を組んだ。
水色のサイドテールがふわりと揺れる。
待ってましたと言わんばかりに。
「あら、やっと来たんだ。
遅かったじゃん」
口調はクールだが、
瞳の奥がきらっと光っていた。
「こっち来て。
今週入った新作見せてあげる」
トワはすいせいの隣に並び、
柔らかい笑みを浮かべた。
悪魔の羽がかすかにぴくりと動く。
「すいちゃん、
朝からずっとこっち覗いてたのに
それはないでしょ」
「はぁ!? 違うし!
在庫確認してただけだし!」
頬がうっすらピンクに染まったが、
すぐにふんと顔を逸らした。
「と、とにかく。こっち来て雪華。
モネの睡蓮シリーズの新作入荷したの。
マグカップにイラスト付き。
ここでしか買えないやつ」
トワはくすっと笑って雪華に手招きした。
「ゴッホの方もすごいよ。
ひまわりのポストカード
全48種コンプセット。限定200セット」
「マグカップはいいですね。
モネの睡蓮なんてお洒落だし、
ひまわり48種類限定だと
直後に殺到するかもしれないですね」
すいせいは目を見開いて、
ぱんっとカウンターを叩いた。
「分かってるじゃん!
そうなの、ゴッホのひまわりは
マジで争奪戦なの」
棚の後方からごそごそと箱を引っ張り出す。
中にはびっしりとポストカードが並んでいた。
「しかもね、48種あるんだけど
最後の1枚はゴッホが
精神病院にいた頃に描いたやつ。
市場に出回ってないオリジナル復刻」
トワはカウンターに肘をついて、
雪華の顔を下から覗き込んだ。
「殺到するって分かってるなら、
どうする? 今買う?」
悪魔らしい妖しい微笑み。
だが目は完全に本気だった。
すいせいはマグカップの
ディスプレイを整えながら、
チラッとうかがった。
「ちなみにモネの睡蓮は全5色。
緑、赤、紫、青、そしてゴールド。
ゴールドは1個しかない」
「すいちゃん、金のやつきゅうに
最前線に持ってきたの誰だっけ」
「うっさい、在庫管理の一環だから」
ぷいっと横を向いたが、
その視線は確実に雪華の反応を追っていた。
棚の奥にはゴッホの
ひまわりセットが積まれ、
その横に手描き風のパッケージに包まれた
マグカップが整列している。
開店直後の静かな店内。
まだ他の客はいない――今のところは。
「ゴールドのマグカップなんて
超レアですね。
しかも1個限定
値段は同じですか?」
すいせいは人差し指を立てて、
にやりと笑った。
「いい質問。
普通のゴッホ作品なら
値段は同じなんだけど――」
言葉を途中で切って、
トワと目を合わせた。
トワは腕を組んで、
うんうんと頷いた。
「ゴールドはね、特別なの。
だってモネの睡蓮の中でも、
あの色味を再現できたの
中世の工房が一つだけで、
そこから直送してもらってるからさ」
「というわけで」
すいせいはカウンター下から
すっと小さな札を取り出した。
金箔押しの価格表。
そこに記された数字は――他の色の三倍。
トワはけろっとした顔で言った。
「それでも安い方だと思うけどね、
トワ的には。 世界で一個だし」
「しかもね雪華、これ」
すいせいがマグカップの
ディスプレイを裏返した。
底に小さく刻印がある。
「全色揃えて、
このゴールドのカップで
コーヒー飲んだ写真を送ってくれたら――」
「限定ポストカード全種プレゼント」
トワが身を乗り出した。
「48枚フルセット。
市場価格にしたら結構いくよ?」
二人の目が爛々と輝いている。
商売上手なのか、
それとも雪華に販売実績を
作りたいだけなのか。
恐らく後者の比重が大きい。
「世界で一つだけ。
それだけで市場価格天井いくのに、
全色コンプさせて限定カードプレゼント
プレミアとか超えてますね」
すいせいの目がかっと見開かれた。
カウンターに身を乗り出す。
「分かってる!
分かってんじゃん雪華!」
興奮気味に指を立てた。
「そうなの、
プレミアとかどうとかの次元じゃないの」
「ゴッホのひまわり48種コンプして
ゴールドカップで映える写真くれたら、
それだけで美術品として価値が出るレベル」
トワは真剣な顔で腕を組んだ。
「ぶっちゃけね、
転売ヤーに渡ったら値崩れするの。
だからトワは信頼できる人にしか
売らないって決めてる」
ちらっと雪華を見上げる。
「雪華だから言ってるんだよ?」
「ていうかさ」
すいせいは声をひそめて、
ぐいっと雪華に近づいた。
モネの睡蓮の香りがする。
「正直に言ったげる。
あのゴールドカップ、
すいちゃんが自腹で確保したの。
入荷した瞬間に」
「あたしが会計処理したんだけどね。
経費じゃなくてすいちゃんの個人カードで」
「トワ黙って」
顔が真っ赤になった。
サイドテールをくるくる弄りながら
目を逸らす。
「……べ、別に雪華に
使ってもらいたいとか
そういうのじゃないし。
在庫管理の一環だし」
「ゴールドのマグカップ
買わせてもらっていいですか。
写真も直接渡しますから」
すいせいの顔が一瞬固まった。
それから、ぶわっと耳まで赤くなった。
「っ——!」
カウンターの裏にさっと隠れて、
トワの肩をばしばし叩く。
「ちょっとトワ聞いた!?
買うって!直接渡すって!」
「痛い痛い、叩かないで」
トワは苦笑しつつも、
その目元は柔らかく緩んでいた。
「よかったねすいちゃん。
自腹切っといて」
「だから自腹の話は——!」
すいせいは深呼吸一つして、
何事もなかったかのように
カウンターから戻ってきた。
まだ赤い。
「……はい。じゃあ、こちら」
棚からゴールドのマグカップを取り出す。
金色のラインが繊細に走り、
表面にはモネの睡蓮が
柔らかく描かれている。
手に取ると、ずしりと重みがあった。
量産品とは違う手仕事の証。
「お値段、言っちゃうね」
レジを打つ。
表示された金額は一般的な
マグカップの十倍近い。
トワはその横で、
さりげなくカーボン用紙と
封筒をカウンターに置いた。
「写真、待ってるから。
ゴールドカップで一杯飲んでるとこ。
楽しみにしてるね」
悪魔の尻尾がゆらりと揺れた。
完全に天使の微笑み。
「うんありがとうございます。
また後で来ますね
絵画見てきます」
すいせいは雪華が去っていく
背中を見つめながら、
カウンターに両手をついた。
「また後で、って。
また後で来てくれるってことだよね」
小声だが声が弾んでいる。
トワはゴールドカップの
売上伝票を丁寧に
ファイリングしながら微笑んだ。
「すいちゃん、行かなくていいの?
追いかけたそうな顔してるけど」
「してないし。仕事中だし」
言いながら首が完全に
エントランスの方を向いていた。
1Fフロアは広い。
エントランスから続く
メインホールは天井が高く、
自然光が採光窓から降り注いでいる。
壁には名画の複製ではない
本物の絵画が等間隔で掛けられていた。
モネ、ルノワール、ドガ――
フランス印象派のコレクションが圧巻だ。
雪華がメインホールに足を踏み入れると、
巡回中のハコス・ベールズが
3Fから降りてきたところだった。
赤い尻尾が手すりの隙間から見える。
階段の最後の一段を飛び降りて、
ぴたっと着地した。
ネズミの耳がくるくる回る。
雪華の姿を捉えた。
「あ」
ぱっと顔が明るくなった。
「雪華だ。
もう来てるって聞いてたけど、
やっぱ早いなぁ」
「おはようございます。
毎回エントランスからの光で
絵画が輝いてますね。
柔らかい絵画が多いですし」
ハコスは雪華の隣に並んで歩きながら、
採光窓の方を見上げた。
ネズミの耳が心地よさそうに倒れる。
「だよねぇ。
この光、朝と昼で全然違うんだよ。
時間帯によって絵画の
色味が変わるの分かる?」
くるっと振り返って、壁の一枚を指差した。
ルノワールの
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
の複製原画。
「今の時間だとこの舞踏会のシーンがさ、
女の人のドレスのオレンジが
もっと鮮やかに映るの」
「夕方になると全体が
落ち着いたトーンになって、
全然違う絵になるんだよね」
メインホールを奥へ進むと、
展示エリアが変わる。
印象派から近代絵画へ。
壁際に一つ、他とは違う照明が当てられた
特別な絵画があった。
黒い枠に金の装飾。
モップを持ったスバルが
小走りに駆け寄ってきた。
「あっ、雪華その絵のとこいる!
ちょっと待って!」
息を切らしながらハコスと
雪華の間に割り込んだ。
「それね、それ!
新設されたばっかのやつ!」
「ああ、前にはなかったですね。
光と絵画のグラデーションが美しい」
ハコスは目を輝かせて、
解説モードに入った。
ネズミの尻尾がぴんと立つ。
「よく気づいた!
これね、光が上からだけじゃなくて
斜めにも当たるように照明設計変えてるの」
壁面の照明を指差しながら、
くるっと雪華の方を向いた。
「普通のスポットライトだと
絵が浮いちゃうんだけど、
ここのは面で光ってるから
絵の具の凹凸がそのまま見えるの」
スバルはモップの柄を
ぎゅっと握って力説した。
「しかもさ、これ誰の作品だと思う?
ヒントは――風景画!」
「スバル、それヒントになってないよ。
風景画って時点で広すぎでしょ」
「えっ、だって風景画ってめっちゃあるし!」
てへへと笑って頭を掻いた。
絵画の前で二人が
わちゃわちゃしている光景に、
奥の廊下から足音が近づいてくる。
館長のらでんである。
資料を小脇に抱え、
メインホールの確認に来たのだ。
左右で色の違う髪が
照明に照らされて映えていた。
らでんは雪華の姿を認めた途端、
足が一瞬止まった。
心臓が跳ねる。
だがすぐに平静を装って歩み寄った。
「おや、雪華くん。
その絵に興味ある?」
「おはようございます。
この絵画「接吻」ですね、
グスタフ・クリムトの。
小説にも出てきましたから」
らでんの目が大きく見開かれた。
資料を持つ手がぴくっと震える。
「……っ!」
一拍の沈黙。
それから、にんまりと笑みが広がった。
嬉しさを隠しきれない顔だ。
「クリムトの「接吻」。
分かるんだ。
いやぁ、嬉しいねぇ」
絵画の前に歩み寄り、
黒い枠の金装飾を愛おしそうに眺めた。
「そう、ウィーン分離派の象徴。
黄金の時代のクリムト」
「この絵はね、
元々ウィーン分離宮殿の
画廊を飾るために描かれたの。
だから額縁もこの宮殿の
意匠を模した特注品なんだよ」
スバルがぽかんと口を開けた。
「えっ、雪華クリムト知ってんの!?
すご!」
ハコスもネズミの耳を
ぴこぴこさせて感心した顔。
「小説にも出てくるって、
かなり読み込んでないと出てこないよね」
らでんは二人の反応に満足げに頷きながら、
さりげなく雪華との距離を半歩詰めた。
「ねぇ雪華くん。
この絵のキスしてる二人、誰だと思う?」
「もしかしたらグスタフ・クリムト
本人ですかね
まぁ私も小説書いてますから」
らでんはぱちっと瞬きした。
それからゆっくりと口角が上がった。
「クリムト本人、か。ふふ」
絵画に向き直り、
指先で空中をなぞるように輪郭を辿った。
「正解に近いね。
正確にはモデルの妻エミーリエ。
クリムトが愛した女性。
この絵は要するにラブレターなんだよ。
世界で一番大きなラブレター」
スバルはモップに顎を乗せて感心した。
「ラブレター!でっかいラブレターかぁ。
ロマンチックじゃん!」
ハコスはうんうんと頷いた。
「でもさ、
クリムトってこの絵画に
9年かけてるんだよね。
9年。執念がすごい」
らでんはちらっと雪華を見た。
目に妙な熱がこもっている。
「9年かけて、
一人の女性への愛を描き続けた」
「……雪華くん、
小説書いてるなら分かるでしょ?」
一歩、また距離を詰めた。
左右で色の違う髪がふわりと揺れる。
「本物の気持ちって、
時間をかけるほど深くなるものだよ」
その言葉の裏に、
どれだけの意味が込められているか。
スバルもハコスも気づいていない。
だが雪華に向けられた瞳は、
学芸員のそれではなかった。
「そうですね、
深遠なる純愛かも」
らでんの瞳が潤んだ。
純愛、という言葉が胸に刺さったらしい。
資料を持つ手がきゅっと力む。
「……うん。そう。純愛」
声が少しだけ柔らかくなった。
学芸員モードの仮面が薄くなっている。
「クリムトはね、
エミーリエ以外の女性に
見向きもしなかったの。
どれだけ周りに魅力的な人がいても」
スバルがうっとりした顔で絵画を見上げた。
「一途ってやつだね!
スバルそういうの好きだなぁ!」
ハコスは小声でスバルの耳元に囁いた。
「ねぇスバル、
館長めっちゃ距離近くない?」
ひそひそ返す。
「ほんとだ。
いつもよりぐいぐいいってる」
二人のひそひそ話が耳に入ったのか、
らでんはこほんと咳払いした。
だが離れない。
「あ、そうだ雪華くん」
小脇に抱えていた資料をめくった。
ぱらぱらとページが捲れる。
「実はこの絵、来月の特別展の目玉なの。
それで――」
ぱらっと一枚のページを開いて見せた。
企画書だ。
「特別展の監修、手伝ってくれない?
小説書いてるなら、
文章の力は確かでしょ?」
「いいんですか光栄です」
「実は今美術館を舞台にした
連載書いてるんです。
梅雨限定イベントの」
らでんの目がきらっと光った。
食いつきが凄い。
「梅雨限定イベント!?
美術館を舞台にした連載!?」
資料を胸にぎゅっと抱きしめて、
ぴょんぴょんと小さく跳ねた。
館長の威厳はどこへやら。
「それってつまりこの美術館が
モデルってこと!?」
スバルがモップを放り出して
駆け寄ってきた。
「えっ、えっ、マジ!?
スバル出る!?スバル出てくる!?」
ハコスもネズミの耳が前のめりに倒れた。
赤い尻尾がぶんぶん振れている。
「ちょっと待って、
梅雨限定ってことは紫陽花とか
雨とか絡めてくる感じ?」
らでんは興奮を抑えきれずに
企画書のページをばさばさ捲った。
「いやぁ、これ運命だよ運命。
特別展と雪華くんの連載が
シンクロするってことじゃない」
ぐっと拳を握って雪華を見上げた。
左右色違いの髪が揺れる。
「ねぇ、もし良かったらさ。
連載の内容、聞かせてくれない?
どのキャラが出てくんの?」
その「どのキャラ」という部分に、
異常なまでの熱がこもっていた。
「まさにそうですね。
紫陽花は重要キーワード」
「横通路にモネの「睡蓮」や
北斎の「凱風快晴」の絵画を配置して
雨の演出で地面を踏むと波紋が広がる」
「通路の角を曲がると
ミレイの「盲目の少女」の絵画が現れる。
虹の下で2人の少女が抱き合う絵画」
らでんは完全に固まった。
資料が手から滑り落ちそうになるのを
慌てて掴み直す。
「……」
横通路にモネの「睡蓮」。
北斎の「凱風快晴」。
雨の波紋。ミレイの「盲目の少女」。
虹の下で抱き合う二人の少女。
らでんの脳内で、
この美術館のフロアマップが展開された。
横通路――ある。
北斎、ある。盲目の少女――
オーギュスト・ロダンの「目」、
いや、他にも候補が。虹、二人の少女。
「これ、天才じゃない?」
スバルは目をぐるぐるさせていた。
「待って待って待って、雨の演出て何!?
地面踏んだら波紋!?ハイテクじゃん!」
ハコスの目が真剣だった。
常識人の顔になっている。
「横通路ってことは
1Fの奥のあの空間でしょ。
あそこ既存の照明暗めに
設定してあるから、
雨の演出入れたら雰囲気
えぐいことになるよ」
らでんは落とした資料を拾い上げ、
白紙のページを猛スピードで捲り始めた。
もう完全に学芸員のスイッチが入っている。
「ねぇ雪華くん、ちょっと来て。
今すぐ来て」
らでんは雪華の腕を掴んで、
館長室の方向へ引っ張り始めた。
「企画会議しよう。今すぐ。
梅雨までに間に合わせるなら時間がない」




