第三部 第一編:マイ視点・生い立ちからの物語
第三部:『明日の空を見上げた彼女たち』
第一章:ハノイの雨と、遠い国の地図
ベトナム、ハノイ。雨季のハノイは、いつも灰色の湿った空気に覆われている。一九九〇年代後半、私はその街のしがない路地裏で生まれた。
名前はマイ(Mai)。ベトナム語で「明日」を意味する言葉だ。貧しいながらも必死に働く両親が、「この子の未来が、明るい明日でありますように」と願いを込めてつけてくれた名前だった。
幼い頃の記憶にあるのは、家の中をいつも満たしていた、母が作るスープの香りとヌクマム(魚醤)の匂い。そして、夜遅くまでミシンを叩く母の背中だった。「マイ、しっかり勉強して、いつか広い世界へ行きなさい。この国から飛び出すのよ」それが母の口癖だった。
学校での成績はいつも上位だった。大きめのメガネをかけ、お世辞にも垢抜けているとは言えない文学少女。それが学生時代の私だった。体型が少し肉感的で胸が大きかったことも、思春期の私にとってはただ恥ずかく、いつも大きめの服を着て隠すようにして生きていた。
大学に入り、日本語の勉強を始めた。漢字の複雑さに頭を悩ませながらも、教科書に載っている日本の清潔な街並みや、治安の良さ、そして豊かな暮らしに、私は強く引き込まれていった。「日本へ行こう。そこで働いて、仕送りをして、家族を楽にさせるんだ」大学を卒業した私は、ハノイにある留学ブローカーのオフィスを叩いた。
「日本語学校と、すぐに住めるアパートをセットで用意する」という甘い言葉を信じ、両親が親戚中から頭を下げて集めてくれた大金を払い、私は一枚の航空券を手にした。秋。私はハノイの激しい雨を背に、未知なる国、日本へと飛び立った。私の「明日」が、そこから始まるはずだった。
第二章:東京の冬、冷たい現実
東京の冬は、ハノイのそれとは全く違っていた。乾いた冷たい風が、メガネの奥の目を刺激する。
日本に来て半年。私の生活は、思い描いていた華やかな留学生ライフとは程遠い、過酷なサバイバルそのものだった。
午前中は日本語学校。午後からは、生きるための労働が始まる。留学生の法定労働時間は一週間で二十八時間までと決められている。しかし、物価の高い日本で暮らし、ハノイの家族へ仕送りをするためには、そんな綺麗事だけでは生きていけなかった。居酒屋の皿洗い、深夜の解体工事現場の清掃、工場の掛け持ち。睡眠時間は毎日三時間ほど。フエ出身のリン、そしてホーチミン出身の双子のホアとラン。ベトナム人留学生四人でシェアしているアパートに帰り、泥のように眠るだけの毎日。
そんなある日、私たちのアパートに、ブローカーから冷酷な通知が届いた。「半年が経ったので、この部屋は今月で退去してください」頭が真っ白になった。高額な初期費用を巻き上げたら、半年で追い出す仕組みだったのだ。日本語もおぼつかない外国人の女の子四人。不動産屋に駆け込んだものの、「日本人の身元保証人がいないと、部屋は貸せません」と冷淡に言い放たれた。知り合いなんて一人もいない。
まだ冷蔵庫もないガランとした部屋で、ただ膝を抱えて震えていた。そんな時、日本で出会った、日本語が堪能なベトナム人の先輩・ヤンから一人の日本人の男性の名前を聞いた。「あの人なら、とても優しくて、私たちの話をちゃんと聞いてくれるよ」藁にもすがる思いだった。
待ち合わせのカフェ。ドアが開いて彼が現れた瞬間、私は嬉しくて、思わず立ち上がって大きく手を振った。
彼は私たちの拙い日本語と翻訳アプリの画面を嫌な顔一つせずに見つめ、静かに話を聴いてくれた。「家賃保証会社を使って、保証人なしでも部屋を借りられる不動産屋を、明日から一緒に探そう」その言葉に、私たちは暗闇の中に一筋の光を見た気がした。それから何日もの間、彼は朝から私たちの内見に付き合ってくれた。「四人でルームシェアができる広さと、家賃の安さ」という要望を、彼は何一つ笑わず頼もしく交渉を進めてくれた。無事に新しいアパートの契約が済み、彼は私にとって、ただの親切な日本人を超えて、命の恩人になった。
第三章:カーテンの向こう側の「明日」
引っ越しが無事に終わり、私は彼にZaloでメッセージを送った。『引っ越しのお祝いを四人でするから、部屋に来て。お土産は絶対に持ってこないでね』ヤンから、彼にはいつも気を遣われると聞いていた。せめてもの感謝のしるしに、私たちの新しい城で彼をもてなしたかった。
約束の日、彼は本当に手ぶらでアパートにやってきた。
まだ冷蔵庫も届いていない部屋。彼が来る直前にコンビニへ走って買い込んできた、凍るような缶ビール。決して豪華とは言えない手作りの料理。彼が部屋に入り、笑顔で声をかけてくれた瞬間、冷え切っていたアパートの温度が一気に温かくなるのが分かった。
お酒が進み、過酷なバイトで疲れ果てたリンや双子たちが、部屋の隅にある二段ベッドへと離脱していった真夜中。台所で静かに洗い物を終えた私は、残ったビールをあおっていた彼の、大きく頼もしい背中を見つめていた。
ハノイの雨、東京の冬の孤独、ブローカーへの恐怖。この半年間、張り詰めていたすべての緊張が熱い涙となって溢れそうになり、私は静かに歩み寄り、彼の背中にそっと、しかし強く抱きついていた。言葉は出なかった。けれど、私の小さな身体の震えと胸の鼓動から、彼はすべてを察してくれた。
彼はゆっくりと振り返り、私のメガネの奥にある瞳をまっすぐに見つめた。その優しく力強い大人の男の瞳に、私は身も心も委ねた。二段ベッドの薄いカーテンを閉めると、そこは世界の不条理から切り離された、二人だけの完璧な聖域だった。私の拙い身体の動きを、彼は優しく、ゆっくりと包み込んでくれた。
翌朝、二段ベッドの底板の下で目が覚めたとき、起きてきた同居人の女の子たちが無邪気にベッドへ飛びかかってきた。彼は頭を掻きながら、「……カイジーダイ(これはいったい何なんだ?)」と呟き、私たちは部屋中で大爆笑した。
みんながまたバイトへ出払った後、私は彼と二人きりで静かな時間を過ごした。「みんなの大切な場所に、僕を呼んでくれてありがとう。……ガップ・エム・タット・ラー・トット」そう言って、深い感謝を胸に手ぶらで部屋を出ていく彼の後ろ姿を、私はベトナムの家族に見せるような、最高の笑顔で見送った。
エピローグ:開かれたガラス扉
彼と出会ってから、私たちの日常は少しずつ、しかし確実に変わり始めた。彼が教えてくれた「家賃保証会社」のおかげで、私たちは日本のシステムの中で正しく生きていく自信を手に入れた。
リンが日本の履歴書の書き方を彼に教わり、より良い条件の企業へ挑戦し始めたことも、双子のホアとランが「スカウトされないなら自分たちでやろう」とTikTokを始めたことも、私たちのコミュニティにとって大きな一歩だった。
二〇二六年の初夏。私は今、駅前の一等地に新しくオープンした、ガラス張りの綺麗な店舗の前に立っている。
そこには、彼が仕事をしているスクールが新しく構えた、期間限定のポップアップストアがあった。
「あ、先生だ! 今日もカッコいいねー!」「ちょっと、二人とも有名人なんだから大きな声出さないで!」隣ではしゃぐ双子を窘めながら、私はメガネの位置を直し、ガラス越しに彼に向けて、そっと手を振った。彼が気づき、あの内見の時と同じ、頼もしい大人の微笑みを返してくれる。
ハノイの小さな路地裏で、両親が私の名前に込めてくれた願い。「この子の未来が、明るい明日でありますように」日本という遠い異国で、私はたくさんの壁にぶつかり、涙を流した。けれど、彼の大きな手に導かれ、私は今、本当の自分の「明日」を、この街で仲間たちと共に力強く生きている。




