『平穏の歪み』第4話:【論破のスタジアム】
その会見場には、張り詰めた殺気が満ちていた。
「ですから、私は先ほどから同じ前提をお話ししています。あなたのその質問は、論理的に破綻していると言わざるを得ません」
元市長の男は、眉一つ動かさずに冷徹な言葉を言い放つ。彼の鋭い視線と淀みのない口調は、カメラの向こうにいる何百万もの視聴者を熱狂させていた。動画のタイトルはすでに決まっている。――【神回】生意気な記者を完全論破。
対するベテラン新聞記者の男は、顔を真っ赤にしてマイクを握りしめていた。
「質問を逸らさないでいただきたい! 私たちは市民の代弁者として、あなたのその独裁的な姿勢を正そうとしているんだ!」
記者にとって、この男を「悪」として暴くことこそが正義であり、自らの平穏を守るための戦いだった。しかし、彼の放つ言葉は、男の精巧な論理の盾に跳ね返され、ただの「老害の言いがかり」として消費されていく。
調停員は、会見場の中央、演台と記者席のちょうど中間の床から、影のように立ち上がった。
今回の「彼」は、白白と輝く裁判官の法服を着ていたが、その顔は、無数の「いいね」と「批判コメント」が高速で流れるスクリーンのようになっていた。
「言葉のエンターテインメント化、および対話による相互理解の放棄。……お互いに、相手の言葉を聞く気など最初からない。ならば、このやり取りを『最終決戦』にふさわしい形にして差し上げましょう」
調停員がアタッシュケースから取り出したのは、二つの、喉に装着する「鋼鉄の首輪」だった。
「論理直結型拡声器。これより、お二人の発する言葉を、物理的な『質量』へと変換いたします」
首輪が二人の喉にロックされた。
「ルールは単純です。相手の矛盾を突き、視聴者を味方につけた側の言葉は、レーザーのような光となって相手を貫きます。逆に、論理が破綻したり、感情に走ったりした側の言葉は、鉛の塊となって己の喉を潰します」
元市長の男が、不敵に笑って口を開いた。
「さあ、次の質問をどうぞ。時間は有限ですよ」
その言葉は鋭い光の矢となり、記者の肩を深く抉った。「ぐあっ!?」と記者がよろめく。
「な、何を……! 暴力は許されない! メディアへの弾圧だ!」
記者が叫んだ瞬間、彼の放った「弾圧」という手古摺った言葉は、具体性を欠く「鉛の塊」へと変わり、ボタボタと彼自身の足元に落ちてその骨を砕いた。「ギャアッ!」と悲鳴が上がる。
「ほら、また主観と客観を混同している。私はただ、ルールに則って対話をしているだけです」
男が淡々と論破を重ねるたびに、記者の肉体は光の刃で切り刻まれ、血の海に沈んでいく。男の背後のモニターでは、視聴者数と「スカッとした!」というコメントが爆発的に増え続けていた。男は己の「完全なる勝利」という平穏を確信した。
しかし、記者が完全に物言わぬ肉塊となった時、異変が起きた。
「……終わりましたね。では、会見を終了します」
男が演台を離れようとした瞬間、彼の喉の首輪が、猛烈な勢いで締まり始めた。「がっ……は……っ!?」
調停員は、血塗られた記者席から男を見つめた。
「どうしました? まだあなたの『論破』を待っている視聴者が何百万人も画面の向こうにいますよ。彼らはあなたに『正論』を求めているのではない。相手を叩きのめす『刺激』を求めているのです。……戦う相手(生贄)を失った今、あなたの論理の刃は、次は誰に向かうべきでしょうか?」
男のスマートフォンの画面には、信者だったはずの視聴者たちからの、新たなコメントが溢れていた。
『次はお前が説明責任を果たせ』『逃げるな』『論破王のメッキが剥がれたw』
男の完璧だった論理の防壁に、ほんの僅かな「焦り」が生じた瞬間、彼自身の口から漏れた言い訳が、巨大な鉛の塊となって彼の喉を完全に押し潰した。
「おめでとうございます。お二人とも、自分の正義を貫き通しましたね。一方は哀れな被害者として紙面に残り、一方は孤独な絶対強者として画面の中で自滅する。……これこそが、誰もが『言いたいことだけを言う』世界の、最もスマートな結末でございます」
静まり返った会見場には、誰の言葉も届かないまま、ただ再生数だけを稼ぎ続ける二つの動かない影が、冷たい照明に照らされ続けていた。




