其の九十『レアとラケル』
前回のあらすじ:秘密の文書、入手
香月家には不思議な空気が現在進行形で流れていた。
生まれて初めて母親のタバコを吸う姿を見たと思ったら、突然立花が訪問してきて、何故か母親に千鶴と同じ苗字である「雨宮」と呼ばれている。
「ほれ」
「ありがとう」
「琳も飲むかー? 麦茶」
「あ、うん」
「ほーい」
別に、険悪なムードというわけではない。
至って普通だ、若干いつもと違うだけでこれから争い事が起きそうとかそう言ったことではない。
ただなんとなく形容しがたい雰囲気の中に琳は一人だけ置き去りにされているようなそんな感覚に陥った。
「えっと、知り合い……だったの? 母さん」
「ちょーっと昔にな。まだ結婚する前に色々と」
「もう何年も前の話だが、色々と仕事を依頼しててな。それ以来の腐れ縁だ」
「で、わざわざ来たってことはまたうちの息子に用か? 少しは休ませてやってくれないかなーと母親は思う」
「いや、今日用があるのはお前の方だ文乃。数年ぶりに仕事を頼みたい」
「……へぇ」
意外な返答に少し驚いた様子の文乃だったがまんざらでもなさそうだった。
文乃は灰皿にトントンとタバコを当てて余計な灰を落として再び咥えにぃっと笑みを浮かべた。
「いいぞ、やってやる。たまには琳にいいとこ見せてやらないとな!」
「そう言ってくれて助かる。お前たち親子には世話になるよほんと」
立花は文乃に感謝をしつつ一つのUSBメモリをテーブルに置いた。
琳はそれに見覚えがあった。
昨日、楽園アジト内部のコンピューターからデータをコピーした際に用いたものだった。
「立花さん、それって昨日のですか?」
「ああ」
「昨日なんかやったのか?」
「いやな、ちょっとした計画データを盗んできたんだけど栞でも解読できなくて困ってるんだ」
「あの栞さんが解けないレベルって………三日月さんくらいしか作れないんじゃないのかそれ。てか盗んだって……」
「その三日月が作った計画書だ。お前も知ってるだろ、エデン。あれの計画書だ」
「エデン……あぁそういう。完全い悪者にされちゃってるもんね三日月さん、ニュースとかでも色々言われてるし。手の平返し怖いわー」
文乃はタバコを灰皿に押し付けて鎮火させて席を立った。
「そだ、琳。折角だしお前の母親の仕事見てみたくないか?」
「え、いや、別に」
「つれないこと言うなよ~一緒に行こうぜ~琳! てか私が見たいからついでに来い」
「最初からそう言えばいいのに……」
かくして立花に無理やり手を引っ張られて香月家の文乃の部屋に三人で入っていった。
部屋はごく普通の部屋でタンスや本棚、衣類ラックにベッドなどなどいたってシンプル。
しかしながらこれから行われる作業に必要不可欠なパソコン関係の物が一切見当たらない。
そう思っていると文乃は本棚に近づき本棚を軽々と横にずらした。
すると本棚の裏の壁がちょうどドアになっておりご丁寧にドアノブまで付いてある、さながら脱出ゲームのようだ。
本棚にも律儀にドアノブが引っかからないように一部分にだけ彫られてくぼみが出来ていた。
そのドアの向こうには真っ黒い空間が広がっていた。
文乃はそのまま黒の空間に足を踏み入れた、すると何もしていないのにひとりでに電気がついた。
部屋の中には据え置き型のパソコンのディスプレイが三つとそれぞれ本体が一つずつ、中央のディスプレイの前にワイヤレスキーボードが一つ、トラックボールが一つあった。
それからメッシュ生地のハイバックチェアが。
「うん、人感センサーは良好みたいだな。しばらくメンテしなかったけど流石昔の私」
「昔のお前、本当に何者だったんだかな」
「なにこの部屋……」
「作業部屋。言ってなかったっけ? ここのこと」
「初耳だけど」
「すまんすまん。言おうとは思ってたんだけどすっかり忘れてた」
「母さん……」
なんともまあ無責任な、と琳は思った。
立花もため息を吐いてやれやれと言った表情をしていた。
文乃はハイバックチェアに腰かけてまず左と右のパソコンを立ち上げた。
「レア。ラケル。仕事だ」
文乃がそう言うと左のディスプレイには水色の、右のディスプレイには緑色の線が映った。
『お久しぶりです。文乃さん』
『久しぶりです。文乃』
同時に聞こえた二つの声、その声に共鳴してそれぞれの色のついた線が波打っていた。
どちらも女性の声で片方は大人っぽい感じ、もう片方は落ち着いた少女のような声だった。
直前に文乃が「レア」そして「ラケル」と言ったことからそれが声の主の名前なのだろうと推測された、どちらがどちらなのかはまだ分からない。
「まだ現役だったのかそれ。長生きだな」
『その声は安心院さんですね。お久しぶりです、レアです。覚えていらっしゃいますか?』
「勿論覚えているさレア。昔は世話になったな。ラケルも調子良さそうで何より」
『そう簡単に壊れるような私たちではありませんから』
やはり、立花は知っていたようだ。
つまりこの状況は―――――
「え、っと? 事情知らないの俺だけ?」
『その声は………初めて聞きますね? ログにありますかラケル?』
『いいえレア。私たちの過去のログには見当たらないわ。新規のデータを作成する必要があるわね』
「私の息子の琳だ。記憶しておけよ」
『ご子息でしたか! それはそれは……初めまして、レアと申します』
『ラケルです、以後お見知りおきを』
やけに人間味の溢れる声に琳は少々びっくりしていた。
琳は若干しどろもどろになりながら「ど、どうも……香月琳です」と他人行儀に自己紹介をした。
レアとラケルは「記憶しました」と声を揃えて言った。
「まぁこいつらの説明は後でするとして、まずは仕事だな」
文乃は琳に灰皿をリビングから取ってきてくれと頼み、琳は灰皿を取ってきてこの部屋の扉を閉めた。
「あ、そうだ琳。悪いんだけど千里眼で周辺の警戒だけよろしく」
「はいはい――――――――って、母さん」
「ん?」
「なんでそのこと知ってんの…………?」
「……その説明も後でだ」
タバコに火をつけて文乃は不敵にニッと笑った。
そうしてパソコンに向き直り、立花から受け取ったメモリをポートに差し込んでデータの解析作業を始めた。
なんだかんだでもうすぐ百話




