EP#9:愚痴
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「ああ、胸糞悪い」
自分の部屋のベッドに寝そべり、天井を睨みながらクウェイルは呟いた。
「あの野郎、そんな綺麗事並べてやがったか。肝心な事だけは隠して……道理でIRSのアンチが少ないわけだ。」
クウェイルの心には、これまでに無いほどの憎悪と怒りが冷静に、しかし確実に、沸々と湧き上がっていた。
ああ、本来なら今頃はもうSCSに到着して、頼まれていた荷物を届けて、面倒事から解放されて、のんびりゲームにでも勤しんでいる頃だというのに。
言われていた場所に荷物が無くて、探し回っているうちにHSLを2本も逃してしまったのだ。
「別に僕は悪くないんだけど……
あのクソジジイの事だ。どうせまともに言い訳も聞いて貰えないだろうし」
———せっかく可愛い息子がわざわざ往復11時間以上もかけてIRSとSCSを行き来してお前の代わりに馬鹿みたいに大量の資料を持ち運びしてやってるっていうのに。
「……あいつは昔から僕の事、息子だと思ってないもんな」
もう自分は誰かを愛したり、愛されたりしたいとさえ思えなくなっていることに気付く。いたたまれない喪失感の中に、安堵している自分がいた。
もうこれからは愛を求めて傷付いたり、苦しんだりすることは無いのだから。
自分でも驚くほど愛に関心がない。昔のような執着がない。
心の何処かに空いた穴を埋めるような何かに出会った覚えも無い。
恐らく、治癒してしまったのだ。
穴が空いたまま、傷が治ってしまった。まるでその穴を享受するように。
「馬鹿だなあ」
自嘲気味に呟き、寝返りを打つ。
もう寝てしまった方がいいようだ。
「眠れない……」
502号室。自分に与えられた個室のベッドの上で、律はふと声を漏らした。
何度も閉じた瞼は皮肉なくらい軽く、寝付けない。
窓のない部屋だ。あるのは、ベッド、小さなテーブル、ドレッサー、モニター、シャワールーム、トイレ……シェナリーの言っていた通り、窓が無い事以外は地球にある普通のビジネスホテルと何ら変わらない。
決して広くはないが、不足もない普通のシングルベッド。天井にはオレンジ系の暖かいライトが点いている。
「……暇だ」
“長旅に必要なのは大きな鞄じゃなく、口ずさめる一つの唄さ。”
律が小さい頃に読んだ本の旅人がそう言っていた。
……確かにそうかもしれない。
何か趣味の一つでも持ち込むべきだった。余りある時間を何の道具も使わずに過ごすには寝るのが一番だと思うが、それも出来ないなら仕方が無い。
クウェイルの部屋にでも行こうかと思ったが場所を聞き忘れた。シェナリーなら知っているかも知れないが彼女の部屋もどこにあるのかわからない。
こんな時はどうすべきか。
決まってる。
無理に眠る必要は無い。
「ちょっと散歩してみるか」
律はベッドから立ち上がり、部屋のドアを開ける。空調なのか、廊下はかなり涼しい。
寒いとさえ思ったが、歩いているうちに気にならなくなるだろう。
ドアを閉めて鍵を掛ける。
照明は人がいなくなると自動で落ちるシステムらしい。
「そういえばカードキーじゃないんだ……」
大した事では無いが珍しいな、と律は思った。
さて、どこへ行こうか。
クロークのある下の階か、あのシートベルトと安全バーで固定される椅子のコックピットのある上の階か。
下から行こう。
最初にクロークに向かった時乗ったエレベーターを目指す。
エレベーターホールで、下行きのボタンを押してエレベーターを呼んだ。
エレベーターの中にエレベーター……
よく考えると何だか変な感じだ。
エレベーターに乗り、1階のボタンを押す。
律一人を乗せて、エレベーターは動き出した。