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第一話:秋の残響、欠落した防壁(ファイアウォール)

 北野の坂道を彩っていた鮮やかな緑は、いつの間にか橙色に焼け、乾いた秋風が石畳を冷たく撫でている。


 いくら人肌恋しい季節とはいえ、俺が今置かれている状況はおかしい。


「泰臣、久しぶりやな。……元気そうで何よりや」


 上座に座る瀬戸組長が、煙草を揺らしながら親父(泰臣)に声をかけた。

 親父は、あちこちシワだらけになった高級スーツを乱雑に着崩し、気怠げに「おかげさまでな」と短く応える。アイロンをかける時間さえ惜しんで修羅場を回っているような、そんな「凄腕の探偵」としての生活感が滲み出ていた。

 

 ここは神戸・大倉山に鎮座する、日本最大の極道組織・菱王組本家。その威圧的な広間の空気に、隣に座る道満みちまと博雅も、心なしか肩を硬くしていた。

 瀬戸の鋭い視線が、親父の隣に座る俺へと向けられた。どうやらあのシュン兄の事件以来、この日本一の組長は俺のことを妙に気に入っているらしい。


「……ハル坊。お前も元気やったか?」


「……坊坊言うな。俺は17歳だよ、瀬戸の親分」


 俺が不機嫌そうに吐き捨てると、瀬戸は「相変わらずやな」と低く笑い、それからゆっくりと煙を吐き出した。


「泰臣。……頼みたいんは、港の話や。ヤクザっちゅうんは、色んな企業と色んな方法で関わっとるが、神戸でこれ(ヤクザ)やるなら、港湾関係は外せん仕事の一つや」


 瀬戸の言葉に、親父が「港湾か……」と眉を寄せた。


「神戸最大の港湾企業、下組しもぐみから妙な話が上がってきおった。……最近、出所も行き先も分からん荷物が紛れ込んだらしい」


「……その荷物は、何だったんだ?」


 親父の問いに、瀬戸は眼光を鋭くし、短く答えた。


「――ひつぎや」


 広間の空気が、一瞬で凍りついた。棺。死者を納める箱。


「送り状もなければ、どこから来たかも書かれとらん。真っさらな棺桶が一つ。気味悪がった作業員が一旦自社の倉庫に運んだんやが……次の日には、煙のように消えとった」


 瀬戸はそう言って、俺たちの顔を一人ずつ見据えた。


 ……やりたかないねー、ホンマに。死体も入ってない棺桶探しなんて、一番のバッドパッチだ。


 なぁ、あんたならどう思う?

 日本一のアンダーグラウンドな人間の依頼が、まさかの「消えた棺探し」なんて。


「……で、瀬戸さん。その『幽霊棺桶』が消えた現場、案内してもらえるんだよな?」


 親父が低く問い返した時、俺の右手の指先が、秋の乾いた空気の向こう側に紛れ込んだ「冷たくて鋭い」海外製のノイズを捉えて、小さく震え出した。


「ああ、話は通してある。下組の連中には、腕のいい『探偵』が向かうと伝えてあるわ」


 瀬戸の親分はそう言って、傍らに控えていた山本に目配せをした。


「ハル、行くぞ。……道満、博雅、お前らもだ」


 親父がシワだらけのスーツの襟を正し、気怠げに腰を上げた。

 道満は「……うち、棺桶なんて趣味やないんやけど」と不服そうに唇を尖らせ、博雅は「これも、シュン兄が残したログの一部なのかもしれないな」と、神妙な面持ちで後に続いた。


「……おい。博雅、今さらシュン兄の名前出してしんみりさせんなよ」


 俺は立ち上がりながら、わざとぶっきらぼうに言った。

 シュン兄がこの街から居なくなってから低級霊でさえ囀りだした、保憲の調べではシュン兄がこの街のある種の防波堤だったと言っていた。もしその話が本当なら、この消えた棺桶は間違いなく、その防壁に空いた穴から漏れ出してきた「招かれざるパッチ」だ。


 菱王組の本家を出ると、秋の日はすでに傾き、大倉山の街路樹が長い影を落としていた。

 親父のシワだらけのスーツが夕陽に照らされ、妙に風格を漂わせているのが鼻につく。


「ハル。お前、さっきから右手がうるせぇぞ。……何か掴んでんのか」


 親父が煙草を咥えながら、俺のポケットの中で震える指先を顎で示した。さすがに隠しきれなかったか。


 俺もタバコを咥える、震える右手で五芒星の描かれたジッポで火を付けつけた。


「……ああ。日本のバグ(あやかし)とは波長が違う。もっと無機質で、刺すような冷たさだ。……海外製のウイルス(もん)が、もう港に上陸してやがる」


 俺が投げやりに答えると、道満が「……マジで? うち、英語のパッチなんて読めへんよ」と肩をすくめる。


「語学の問題じゃねえよ。概念システムが違うんだわ」


 山本が手配した黒塗りの車に乗り込み、俺たちは神戸港の深部、ポーアイ(ポートアイランド)にある下組の所有する巨大な倉庫街へと向かった。

 一年前の中三の春休み、死をハックしてから一年半。一年間の京都での幽閉、半年前の土蜘蛛、そしてこの夏の酒呑童子と化したシュン兄。俺のログは着実に重くなっていく。


 なぁ、あんたならどう思う?

 秋の冷たい風に吹かれながら、中身のない棺桶のケツを追っかけるなんて。


 目的地、下組・第4倉庫が近づくにつれ、俺の右手の指先は、まるで氷水に突っ込んだような激しい「冷気」を検知して、狂ったように警告アラートを鳴らし始めた。


……やりたかないねー、ホンマに。……でも、この街の平和を上書き(オーバーライト)させるわけには行かない。

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