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〜無能で最弱の元プリンセスが、地獄の果てまで飲み込む復讐界隈の話〜 ミセス アナコンダ  作者: 大背戸智
第五章「魔導皇都アルカナス編」

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第五章「魔導皇都アルカナス編」まとめ②『風が運ぶ声と四人の受取人』

『灰色の街の攻防』から続きます。

黒い蛇の噂が届いた夜、四つの窓に何が映ったのでしょうか?



黒い蛇の噂。

噂というものは風に乗るくらい軽く、

その情報は記憶に爪痕を残すほど重い。


夜風に乗って流された彼女の噂。

受け取った者たちの記憶も感情も揺さぶれるのであった。


宝石国の執務室、

クロッサードの港、

鋼牙傭兵国の前哨基地、

そして帝国の王城の鏡の部屋——。


ここに、四つの夜を記す。



***


シュバルツ卿 ― 宝石国の夜

執務室の夜。窓の外、群青の空に星が散っている。


私は羊皮紙の山から顔を上げて、小さな眼鏡を押し上げた。若い使者が、今日の風聞を読み上げる。


——魔導皇都アルカナス、傭兵団の侵攻を退けた由。空を覆った黒い蛇、姫君の手によるものと噂あり。


私は、眼鏡を外した。


二年前の、旅立ちの朝が蘇る。

赤い髪の小柄な少女が、青髪の王子の隣に立っていた。

その後ろに、黒い騎士服の青年が控えていた。

馬車の準備が整うまで、三人は何も言わずに並んでいた。


(ラピス様)


まだ幼さの残るあの顔が、王の器として宝石国に帰ってくるのはいつになるか。

だが、まだ早い。

国を治めるというのは、迷いの最中で決めきる仕事だ。

あの方は、今、迷う練習をしておられる。


(アナスタシア姫)


あの時、私に頭を下げなかった唯一の皇女。

礼儀知らずと呼ぶ者もいた。

私はむしろ、気に入った。頭を下げる相手を、あの少女は自分で選ぶ。

黒い蛇を振るうなら、それは当然の帰結であろう。


(ジークフリート殿)


寡黙な騎士。

姫の影のように歩いていた青年。

十年先には、別人になっているだろう。


私は眼鏡をかけ直した。


三百年前の法律を、もう一度引っ張り出す時期だった。

ラピス様が戻ってこられる国を、汚すわけにはいかなかった。


***


干物屋の老婆 ― 港の食堂

クロッサード、港の食堂。


魚の匂いと、潮風と、板の軋む音。

あたしは、鍋の前で丸椅子に座っている。

今日の骨のスープが、ことこと煮えている。


船乗りたちが、カウンターで喋っていた。


「——アルカナスの話、聞いたか」

「傭兵国を追い返したらしいな。黒い蛇が空を覆ったって」

「嘘臭え話だぜ」


あたしは、鍋の蓋を開けた。

湯気の向こうに、ずっと前の朝が見える。


あの大男が、初めて掘っ立て小屋に流れ着いた日のことを、あたしは覚えている。

痩せこけて、目の奥が死んでた男だった。


金もねえ、仕事もねえ、家もねえ。

ただ、拳だけが異様に固かった。


三日目の夜、スープを啜りながら、男はぽつりと言った。


「……弟が、いた」

「目が見えねえ弟だった。俺が目になるって言った。守れなかった。それだけだ」


それから、男は何も言わなかった。

毎朝、腹を空かせてこの小屋に流れてきた。

金もないくせに、三人前を平らげた。


あたしは、毎回「また金がないんだろう」と声を掛けた。

男は、「そうだな」と笑った。


(ガルドの馬鹿)


去っていく日、月の夜、扉の隙間に金貨が差し込まれていた。手

紙も、挨拶もなかった。

あたしは、それを使わなかった。本当はこんな大層なものを受け取りたくはなかった。

箱の底に仕舞ったまま、もう何ヶ月も経つ。


(あの、赤い髪の嬢ちゃん)


ガルドを連れていった女。

生意気そうな目をしていた。

ガルドは「雇い主だ」と言った。

あたしは、ガルドが人を「雇い主」と呼ぶのを、初めて見た。


黒い蛇。


——あの大男と、赤い髪の嬢ちゃん。

どちらがどちらを動かしているのか、もう分からない。

でも、二人とも、進んでいるらしい。

あのデカブツとあの嬢ちゃん。

その凸凹な2人を周りの3人がいい塩梅でくっつけてるんだろう。


あたしは、骨のスープを、ふん、と啜った。

いい塩梅にするために。塩を、一つまみ、足した。


「……生きてろよ、ガキども」


***


ヴォルフ ― 鋼牙傭兵国の前哨基地

国境前哨基地の夜。


俺は、包帯の巻かれた右肩を、左手で撫でていた。

ガルドの拳が残した痣は、まだ痛む。


(……やっと、会えた)


それが、まず胸にあった。

十年。

独断で弟を切り離した日から、十年。

謝り方を知らないまま、探し続けた男に——俺は、やっと会えた。


殴られた。

ぼろぼろにされた。

言葉で押し返された。

口を開けば、遮断された。


(ガキは生きてるぞ——)


言いかけた言葉は、ガルドが封じた。


でも——届いたはずだ。

ガルドは馬鹿じゃない。

口にさせなかっただけで、意味は拾った。

俺がわざわざ戦場で、あの一言を絞り出そうとした理由を、

あの男は理解したはずだ。


もっと早く伝えていれば、

今のあいつの横には弟がいたのかもしれない。


だが、弟と同じように、あいつの行方もわからなかった。


過去を悔やんでも仕方がない。

過去を伝えられた今があるなら上出来だ。


大の字になったあの日、日差しで目が眩んだ。

「眩しすぎて見えねえや」と言った。

嘘じゃなかった。

ガルドが今でも守る側にだった。

俺が切り離した弱い奴らを、ガルドは生かしていた。


眩しかったのだ、単純に。


——だが。


隊長の執務室から、呼び出しが来ていた。


帝国から、新しい打診が入っている。

「モンスター討伐」の合同作戦だ。

各地で異常発生しているモンスターを、

大陸各国の要請を受けて

帝国軍と我らグラディウス傭兵団を中心に鎮圧する。

報酬は破格。期間は未定。


表向きの体裁は、ただの討伐任務。


だが——俺には見えていた。


モンスターの異常発生が集中している街道は、

アルカナスの「生きた地雷原」が漏れ出した線だ。

あの赤い髪の少女たちが通ってきた道に、綺麗に沿っている。


偶然なわけがない。


バイパー宰相は、善意の討伐作戦という名目で、少しずつ網を狭めようとしている。

モンスターを追い詰めるふりをして、その先にいる獲物を炙り出そうとしている。

ただ、そのモンスターを仕込んだのは帝国なのか?それとも別の意図を持つ勢力なのか。

どちらにしても帝国にとっては好都合だ。


獲物の名前は——まだ、表には出ていない。


(受けるか、拒むか)


受ければ、金が入る。

グラディウスは立ち直れる。

今は本当にモンスターを狩るだけで済む。

まだ、あの男とぶつからない。


だが、帝国の卓に一度乗れば、抜けられなくなる。

網が狭まった時、俺たちは網を持つ側に回されている。


拒めば、国は孤立する。

報復もあり得る。飢えるかもしれない。


俺の拳が、包帯の下で固まった。


(……お前なら、どうする、ガルド)


ガルドは、こんな時に迷わない男だった。

損得で動かない男だった。


俺は、まだ迷っている。


でも——十年越しに、やっと届けたあの一言を、

無駄にするかどうかの選択だけは、もう、見えている気がした。


***


継母 ― 鏡の部屋

帝国王城、夜。


わたくしは、鏡の前に座っていた。

磨かれた宝石、豪奢なドレス、扇。

大陸の贅がこの部屋に詰め込まれている。


そんな美しい部屋に

侍女が醜い風聞を運んでくる。


——アルカナスにて、黒い蛇が西の空を覆った、と。


わたくしの手が、止まった。


五年前の、最後の景色が蘇る。


地下牢の扉が閉じる音。

あの時、アナスタシアは十四だった。

細い体で、わたくしを見上げて、何も言わなかった。

泣きもしなかった。


——あの目だけが、不気味だった。


(あの子は、無能だった)

(魔力ゼロだった。脱皮もできなかった)

(だから、殺さずに済ませた)


バイパー宰相の企みに乗ったのは、実の娘たちのためだった。


でも——


このところ、宰相の動きが変わっている。

各地の傭兵団を買い集め、帝国軍の編成を組み直している。

アルカナスの騒動の裏には、我が帝国が一枚も二枚も噛んでいた。

魔導に詳しい、大陸随一のアルカナスの知が必要だったそうだ。

ただ、あの男が、本気で動き始めた理由は、一つしかない。


この元凶を作った見窄らしいガキどもが忌々しい。


(ジークフリート)


従兄弟の騎士。毎日、地下牢に薬と食事を運んでいた男。

わたくしはそれを知っていて、見て見ぬふりをしていた。

憐れだと思っていた。あの男が、無能の皇女と一緒に脱出するとは、思わなかった。


二人は、生きている。


そして、赤い髪の少女は、もう無能ではない。


バイパーも、あの少女を恐れ始めている。


わたくしは、扇を握りしめた。鏡の中に、自分の顔だけが残る。

年を重ねた、化粧で塗り固めた顔。


黒い蛇が、西の空を覆ったらしい。


——娘たちを、起こすわけには、いかなかった。


***


アルカナスが残したもの

風聞は、大陸中に吹き渡っていた。

でも、五人が本当に残していったものは、噂ではなかった。


ゼノスの手元に——アナの魔力波形データが、ある。

発作の記録、抑制薬への反応、戦闘時の魔力の流れ、全てが整然と並べられた帳面が、

あの銀髪の研究者の研究棟に、今も置かれている。


それは、帝国の手に渡るかもしれない。


帝国が欲しているのは「モンスター討伐」ではない。

それは表向きだ。本当に欲しいのは、あの少女の止め方だ。


アルカナスが残したのは、取引と、成長と、別れと——

そして、次の戦場に持ち越された、一つの爆弾だった。


五人は、まだ気づいていない。


——あるいは、アナだけが、左腕の疼きとして、薄々感じているのかもしれない。

四つの夜を記しました。同じ噂が、希望にも、祈りにも、迷いにも、恐怖にもなる。

風が運ぶ声は、人によって違う音で響くものです。

次回から、疾風連合ヴァルハードへの道中編。五人の旅は、続きます。

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