第48話:「新たな目的地と昔の目的地」
やった側は覚えてなくても、やられた側は覚えているもの。
バキ。
バキバキバキ。
音で目が覚めた。
まだ薄暗い。
テントの中。
隣で——巨大な影が、ゆっくりと傾いていく。
ガルドの寝返り。
丸太みたいな体が、テントの柱に向かって倒れ込んでいる。
「だめよ」
声が出た。自分でも驚くくらい、焦っている。
「それ以上そっちに行ったら——」
バキィッ。
柱が、折れた。
テントの骨組みが悲鳴を上げて崩壊する。
布が落ちてくる。
支えを失った天井が、五人の上にのしかかる。
——そして、めくれた。
朝の光が、容赦なく流れ込んでくる。
ジークが目を細めた。
剣に伸ばしかけた手が止まる。
敵じゃない。朝だ。
……朝だった。
ラピスが布の下から顔を出す。
銀色と——違う、青い髪に朝露が光っている。
寝ぼけた目が、崩壊した柱と、
仰向けに寝たままのガルドと、
頭を抱えているアナを順番に見て——
状況を、理解した。
「……ああ」
ナーガが毛布を頭から被ったまま、
もぞもぞと這い出てきた。
「……んー……朝?」
朝。
Tent is dead.
***
ガルドが正座していた。
焚き火の前。
両手を膝の上に置いて、微動だにしない。
元傭兵の巨体が、子どものように縮こまっている。
その前に——二人。
「それで?」
アナが腕を組んでいる。
声が低い。
「テントは壊れました。
柱は折れました。
昨日買い替えたばかりのテントが、
一晩で——」
「……悪かった」
「悪かったじゃないのよ。
あなた、自分の体の大きさを理解してるの?」
「してる」
「してないから折れたんでしょう」
「…………」
ナーガが横から畳みかける。
「ガルド。私、昨日あなたの包帯巻き直したよね」
「……ああ」
「右腕使わないでって言ったよね」
「……ああ」
「寝返りで使ってるじゃん」
「寝てたんだから仕方ねえだろ」
「仕方なくない!」
ナーガの指がガルドの額を弾いた。
ガルドが少しだけ仰け反る。
「そもそもあなた、食べ方も汚いの。
昨日の夕飯、骨をそのまま捨てたでしょ。
私が片付けたんだからね」
「それは今関係ねえだろ」
「関係あるの!
日頃の行いが積み重なってるの!」
アナが頷いた。珍しくナーガと完全に一致している。
「あと、あなた寝言がうるさいのよ。
知ってた?」
「……知らねえよ」
「『飯……もう一杯……』って三回言ってたわ」
「…………」
ガルドの視線が助けを求めるように横へ流れた。
ジークが焚き火の前で、
朝仕留めたうさぎの皮を丁寧に剥いていた。
目が合う。
「……ジーク」
「ガルドさん。女性のお叱りは、
黙って受けるのが一番ですよ」
目を逸らされた。
ラピスが隣で鳥の羽をむしりながら、
小さく笑っている。
「ガルド。諦めたほうがいいよ」
「お前ら……」
焼けた肉の匂いが、朝の空気に広がる。
うさぎと鳥。
ジークとラピスが夜明け前に仕留めたらしい。
二人とも、いつの間にか狩りが上手くなっている。
アナが肉を受け取る。
一口噛んで——悪くない。
野趣はあるが、ジークの焼き加減が安定してきた。
ナーガがガルドの前にも肉を置いた。
「食べていいよ。——左手でね」
「……おう」
朝食を囲む。
テントの残骸が背後で風に揺れている。
笑い声はない。
でも——怒りも、もう残っていない。
***
肉を食べ終えた頃。
ガルドが骨を火に放り込んで、口を開いた。
「いい機会だ。
この前の戦闘でお前らに言いたいことがある」
空気が変わる。
「アルカナスの戦い。
お前らは生き延びた。
だが——あれが帝国だったら、全員死んでる」
誰も口を挟まない。
ガルドの目が、まずジークに向いた。
「ジーク。剣は悪くねえ。
修行の成果も出てた。
だが三合目で腕が落ちてただろう。
傭兵は五合、十合と打ち合う。
体力が尽きた剣士は——ただの的だ」
ジークの手が、膝の上で拳になった。
否定はしない。事実だから。
「ラピス。術は巧い。
索敵も逆転配列とかいうやつも、
戦場で通用するレベルだった。
だが詠唱中は棒立ちだろう。
殴られたら終わりだ。
逃げ足も含めて戦力なんだよ」
ラピスが唇を噛む。
原石の奥に、濁りが一つ落ちたような顔。
「ナーガ。治癒は頼りになる。
お前がいなきゃ、死人が出てた。
だが——自分の体が先に壊れてどうする。
二日で限界来てたのは、俺にも見えてた」
ナーガは何も言わない。
ただ、視線を落とした。
砂漠育ちの強さでも、二日の連続治癒は限界だった。
自分が一番分かっている。
最後に——アナ。
「嬢ちゃん」
「何よ」
「暴食は化け物だ。
影の蛇も、毒も、衝撃波も、
今のお前はたぶん——
大陸でも五指に入る」
「……褒めてるの?」
「だがお前自身は——ただの小娘だ」
沈黙。
「魔力が切れた瞬間。
走れるか。逃げられるか。
一発殴られて、立てるか。
——立てねえだろ」
否定できない。
胃の底が、じわりと冷える。
噛み切れない現実を、無理やり飲み込むような感覚。
「スキルは強くなった。全員。
だが器が追いついてねえ。
このまま帝国とやり合ったら——」
ガルドが五人の顔を見回した。
「全員死ぬ」
風が吹いた。テントの残骸が、乾いた音を立てる。
間。
ガルドが火を見た。
「傭兵時代の話だ。
西の騎馬民族——疾風連合ヴァルハード。
あそこの部族に、
身体強化に長けた連中がいる」
「身体強化……」
ラピスが呟く。
「魔力を筋肉や骨に直接流し込んで、
人間の限界を超える術だ。
生まれつき体が弱くても——変えられる」
アナの左手が、無意識に自分の腕を握った。
「そこに、知り合いがいる」
「知り合い?」
「友人って言った方がいいか。
部族の長になるために修行してた男でな。
——三年間、戦場を一緒に走った」
間。
「ヴォルフもいた。三人で」
その名前に、全員が一瞬止まる。
あの男。南門で殴り合った、ガルドの元戦友。
弟を切り離した男。殺さなかった男。
「眩しすぎて見えねえや」と笑った男。
ガルドは何も付け足さない。
過去を語る時、この男はいつも短い。
「そいつなら——
お前らを鍛えてくれる。
スキルだけじゃ戦えねえ。
体が追いつかなきゃ、何も守れねえ」
最後の言葉が、ガルドの中で別の意味を持っている。
目が見えない弟を、守れなかった男の言葉。
でも本人は——気づいてない顔をしている。
「行き先は決まりね」
アナが立ち上がった。
「疾風連合ヴァルハード。西ね」
***
目的地が決まり足取りは軽いはずだが、
アナの禁句で空気が一変する。
「で、テントはどうするのよ」
ナーガがそれに乗っかる。
「ガルド。もしかして、話題を変えるためにダメ出ししたの?」
今朝、丸太の寝返りに殺されたテントは、
もう柱が使い物にならない。
布だけ畳んで荷物に縛りつけたが、
骨がなければテントにならない。
「今夜中に街に着かないと、
本格的な野宿になるわ」
「嬢ちゃん。金ならあるだろ」
「……ああ、そうね」
ゼノスからの対価。
魔石だけじゃなく、金貨もそれなりに受け取っていた。
「あの男、金だけはあるのよね」
「研究者ってのは、
金の使い道がねえんだろ。
食事にも興味ねえし」
「否定できないのが腹立つわ」
ナーガが笑う。
ラピスが「ゼノスらしいね」と呟いた。
「とにかく、次の街まで——」
背後から——車輪の音。
馬の蹄。木が軋む音。
荷馬車の、独特のリズム。
全員が振り返った。
ジークの手が剣の柄にかかる。
ガルドが一歩前に出る。
ナーガの目が細くなる——占い師の感覚が、脅威を探る。
砂埃の向こうから、
一台の荷馬車が近づいてくる。
幌の隙間から、色とりどりの布と、
革製品と、鍋が覗いている。
一見すると旅商人。だが、気は抜けない。
馬車が速度を落とした。
御者台の上から、日焼けした男が顔を出す。
四十がらみ。顎髭。
目尻に深い皺が刻まれている。
アナを見た。
ジークを見た。
ラピスを見た。
——目が、見開かれた。
「あんた……まさか」
男が御者台から飛び降りた。
膝をついて、三人を見上げる。
「宝石国の——あの時の」
アナの眉が動く。記憶を辿る。
「覚えてるか分からないでしょうが……
グレイルの関税で商品を全部没収されかけた時、
シュバルツ卿に口添えしてくれた——」
ああ。
あの時の、行商人の一人。
グレイルの横暴で宝石国に入れなかった商人たちを、
ついでに巻き込んで解放した。
ついで。本当に、ついで。
「恩人ですよ。あんたたちは。
あの荷がなかったら、
うちは潰れてた」
ラピスが穏やかに笑った。
「覚えてるよ。
あの時、宝石を安く分けてくれた商人さんだよね」
「覚えてくれてたんですか……!」
男の目が潤む。
ジークが「お久しぶりです」と頭を下げた。
ナーガが小声でアナに聞く。
「アナ、覚えてた?」
「……もちろんよ」
覚えてなかった。
「何かお困りですか。」
「見たところ……テントがないようですが、
この辺りは泊まれるところはないはずですが・・・」
アナの表情が、ほんの一瞬だけ歪んだ。
視線がガルドに向く。
ガルドが空を見ている。
「ええ。丸太に壊されたの」
「マルタさんですか?」
「気にしないで。
テントが必要なの。売り物はある?」
「なるべく、デケぇサイズのをお願いな!」
「丸太が何言ってんのよ!」
あった。しかも——格安。
「恩を返させてください。
定価の3割、いや1割で!
いや、本当はタダにしたいくらいだ」
「対価は受け取るわ。商売でしょう。
お言葉に甘えて3割は払うわ」
「あなたは、変わらないですね」
変わらない。
対価。取引。施しはしない。受けない。
テントを二張り。
今度は柱が太いやつを選んだ。
ガルドが品定めしようとしたら、
アナとナーガに同時に睨まれた。
「あなたは黙ってて」
「選ぶ権利ないからね」
「…………」
***
荷馬車の横で、湯を沸かした。
商人が茶を淹れてくれた。
街道の日陰で、六人が座る。
「最近の大陸の様子を聞かせてもらえる?」
アナが切り出した。
旅商人は各地を回っている。
情報は、金と同じくらい価値がある。
商人が頷いた。
「帝国は——きな臭いですよ」
湯気の向こうで、男の顔が曇る。
「宰相バイパーが軍備を増強してる。
国境沿いの関所が増えた。
商人の出入りも、前より厳しくなってます」
「……そう」
胃の底が重い。
でも——想定の範囲内。
あの男が動かないわけがない。
「宝石国は?」
ラピスの声。穏やかだが、芯がある。
「安定してますよ。
シュバルツ卿が上手くやってる。
あの爺さん、まだ元気だ。
『三百年前から』がまだ口癖で」
ラピスが笑った。安堵が滲む。
「オスカー様も国王代理として立派に働いてます。
国の皆が、次期国王の帰りを待ってます。」
「……うん。必ず帰るよ」
ナーガが膝の上で手を組んだ。
「あの……アルザードのことは——」
「炎砂皇国? ああ、最近行きましたよ」
ナーガの目が、一瞬で変わる。
砂漠の蜃気楼を見るような——遠い、けれど近い目。
「孤児院は……子どもたちは」
「元気でしたよ。
あんたが残した蓄えで、
新しい先生を雇ったらしい。
ガキ大将が、あんたの帰りを毎日聞いてるって」
ナーガの目から、涙がこぼれた。
「あの国もだいぶ風通しが良くなりました。」
声は出さない。
ただ、両手で顔を覆って——頷いた。
アナが横を向いた。
(——また泣いてる。この女は)
でも。
腹は、立たない。
全員が、茶を飲み干した。
ジークが立ち上がる。
剣の柄を握り直す。
間合いを確かめるように、一歩踏み出す。
「帝国が動いているなら、
なおさら急がなければ」
ラピスが頷いた。
青い髪が風に揺れる。
原石の奥に光が灯るような——静かな決意。
「宝石国に戻る前に、
僕はもっと強くならないといけない。
——王として」
ナーガが涙を拭いた。
背筋を伸ばす。
砂漠の熱を、胸の奥に仕舞い込む。
「子どもたちのところに帰るまでに——
もう、自分の体が先に壊れたりしない」
ガルドが鼻を鳴らした。
「いい顔してんじゃねえか、ガキども」
アナは何も言わない。
ただ——西を見た。
暴食は強い。
影の蛇は強い。
言語理解も、毒も、衝撃波も。
でもこの体は——まだ、ただの人間。
変えなきゃいけない。
飲み込むだけじゃ、足りない。
「行くわよ」
五人の影が、西へ伸びた。
また、新たな旅がはじまる。
テントが大きくなって、次の野宿は快適に過ごせそうです。
それぞれの故郷の様子が分かり、悲喜交々な一同。
ただ、自分のためにやっていたことが、
回り回って大きな徳として帰ってくる。
アナもやはり、聖女なのかもしれないですね。
次回、疾風連合ヴァルハードへ向かう五人。
ガルドの「知り合い」とは——?
次回更新は4月15日を予定しています。




