6月1日 マイナス26日その3
かつて、世界には『愛』というものがあったそうです。
男女の間に、親子の間に、人々の間にそれは必ずといっていいほど存在していたと、書物の上でこれでもかというほど読んできました。
でも、それは近年になって失われてしまいました。
ある時――それがどういうきっかけでなったのか、今となっては知る由もありませんが。
かつて『電子』というもう一つの世界上に存在した、『データ』という膨大な情報が全て消滅してしまったのです。
知識、歴史、そして書物――ありとあらゆる情報が。
それをきっかけに、この地に繁栄していた人間という種は、坂を転げ落ちるようにその勢いを失っていきました。
滅亡の危機というものを実感したその時から、人間は、自分の周囲の全ての存在より、自分自身を尊重するようになったのです。
個を。
そしてただただ、個だけを大切にし追い求めているうちに――男女間の愛は消滅し、家族という形も消え、ただ『単体の人』というものだけが残りました。
いつの間にか、とうとう人間は愛までも失ってしまったのです。
そして愛が消えた時、子供が産まれなくなりました。
人間は、人間間で子供を作る術を失ってしまったのです。
それでも、自らの種の消滅を受け入れるほど人間は潔くはありませんでした。
子供は人の体から生まれなくなりましたが、取り出した精子と卵子を人工的に受精させ、保育器の中で育て始めたのです。
こうして、人類は存続するかに見えました。
その代償として、寿命という大切なものが人類のその手からすり抜けていったのですが――
信じられますか?
昔は、人間が100歳まで生きていたなんて。
どのような要因のせいだったのかは分かりません。ですが、人工的に産まれた人間は、20歳までしか生きることはできなくなりました。
ですから、10歳ともなればもう立派な大人です。
更に、悪いことは続きます。
7年前、突然、保育器の中にあった全ての受精卵が成長することを放棄するようになったのです。
入れても入れても、卵は成長しないまま死亡してしまうのです。
どのような手を施しても受精卵は成長せず、その時から人間は真の意味でこの世に生まれなくなってしまったのです。
――と、ここら辺は、『産屋』に入る時にレクチャーで教わった内容そのままなのですが。
レクチャーには、続きがありました。
3年前。
あるマッドな研究者が(と、レクチャーで本当にそう言っていました)、受精卵を成長させる術を見つけたのです。
その研究者は、卵を、自らの腹の中に無理矢理入れてみました。
すると卵は成長を始め、胎児と呼ばれる状態にまで大きくなったのです。
そして、研究者は結論づけました。
受精卵を人間にするには『愛』が必要だったのだと。
……ここら辺、多少強引な気はしましたが黙って聞いていました。なんだか口を挟めるような空気ではなかったので。
で、研究者は続けます。
人工物である保育卵では、『愛』に限界があったのだと。
今、人間はその愛自体を失っている。
しかし、卵を自らの中に入れることで人は僅かながら『愛』を取り戻し、その『愛』が卵を成長させていくのだと。
……途中でも1回突っ込みましたが、正直、かなり強引な結論だと思いました。
それでも、受精卵を誕生させたのは、世界中でその研究者しかいないのです。
今現在も、受精卵を成長させているのは、その研究者が興したこの『産屋』しかないのです。
余所の施設でも同様の実験をしたのですが、何処も上手くいっていないのだそうです。
『必要なのは、愛』と、研究者は言いました。
今となってはその結論が真実かどうかよりも、目の前の成果にひれ伏すしかありません。
一番最初の説明会の時にちらりと見た、『産屋』の所長でもあるその研究者の方の姿を思い出します。
凪と名乗ったその方は、ふわりとした長い髪をたなびかせた、長身の大変美しい女性でした。
当時も、受胎の研究を続けているということで、お腹は膨らんでいました。
そして、その表情は幸福に満ち溢れているようでした。
『愛』。
強引な結論だと、無理矢理な展開だとは思います。
ですが、私はその言葉に導かれて『産屋』を目指すのです。
この、青空の元――