21話~三人で風呂に入って、三人で寝た日~
特訓が終わると、銀子たちは浴室へと向かった。三人で風呂へ入るのは初めてのことである。今までは何だかんだと理由をつけて、一緒に入るのを銀子が避けていたが、せっかく醉象が洗って沸かしてくれたからと、彼女の方から三人で入ろうと言い出したのだ。醉象たちは喜んで受け入れ、脱衣所では銀将が興奮気味にしゃべった。
「銀子さまのご自宅の湯殿は広くて心地好く、所懐を醉象さまと共に歌にしています」
「えっ」
そんなことを言い出されて困惑する銀子。
「ボクは詩歌をもてあそんだりするのは苦手だから、もっぱら銀将の歌を批評するだけだよ」
「一体お風呂で何を歌ってるんだ……」
「高尚なものではなく都々逸程度に過ぎません。銀子さまも一緒にどうでしょうか」
「遠慮しとく」
「そ、そうですか」
きっぱり遠慮された銀将は肩を落としながらも、襦袢を解いて裸になり、銀将専用のタオルを手に取った。
銀子はというと制服を脱ぎながら、改めてふたりの造形に嘆息を漏らしていた。
上背は銀将が一番高い。高校生になり、最初の身体測定で154センチだった銀子よりも5センチほど醉象の方が高く、その醉象よりも銀将は10センチくらい高いのだ。頭ひとつ抜けている。
明るいところで改めて見ると、銀将はあらゆる意味で完璧なスタイルだった。体の凹凸がはっきりしている。銀子が見てきた中で、バストとウエストとヒップの差がもっとも顕著だった。体の線をほのめかす和装であっても、銀将のプロポーションは隠しきれない。現代世間を知らない彼女が、涙を溜めて勝手に駅で降りたとき、おかしなスカウトに遭遇せず、本当に良かったと銀子は要らぬ安堵を覚えたりする。
逆に醉象の中性的な雰囲気は服を脱いでも変わらずだった。銀子よりも背が高くてユニセックスに均整が取れている。クラスメイトが熱中していたのは彼女のこういった部分に垣間見える男装然とした雰囲気だろう。そのくせ黒く美しい髪は色っぽく、並んでしまうと銀子の方が幼く感じられてしまうから、どうしようもない。剣道着に着替えるとき、香織は銀子を見て(とくに胸元へ視線を下ろし)女らしくなりやがってと恨めしく話しかけてきたが、そういう小さな自信は、三人で裸になったとき、ひゅうとどこかへ飛んでいってしまった。
そんな無遠慮な視線に酔象が気づく。
「銀子。言いたいことがあるなら聞くけど」
「何でもない。正直にコメントすると、わずかに残ったプライドが砕け散るっ」
「どういう意味かよく分からないけど、とにかく男に間違われるのは慣れてるよ」
「……えっ」
「いいなぁ銀子。羨ましい。銀子の歳でその器量だったら、さぞ男性から恋慕されるだろうね」
「いやいやいや。私、告白されたことないよ。醉象の方がモテるんじゃないの?」
それに告白をしたこともなかった。けれど、そこまで言及すると切なくなりそうなので思いとどまる。
「気を使わなくていいさ。戦時だと男に間違われるのは都合が良かったから」
体の悩みはそれぞれあるんだなと銀子は再発見した気分だった――が。
「うふふ。銀子さま、醉象さま。早くおいで下さい。とても良い湯加減でございますよ」
脳天気な銀将の声が脱衣所まで響いてきたとき、どちらからともなく銀子と醉象は、グッと腕を組み合わせて分かり合った。
浴室は脱衣所と同じく、すべて木張りである。銀子が小さい頃に大きな改築をしており、近くに住んでいる材木問屋に手配してもらったのだ。倉敷家の親族は、街に土着した旧家で飛び抜けた長者はいないが、何かと融通が利いたりすることも多かった。
湯殿で木の香りを嗅ぐと、銀子は子供の頃を思い出す。高級なものではないとはいえ、街から臨む山で伐採された材木である。同じ匂いに囲まれて育ってきたからこそ、風呂は銀子にとってリラックスできる空間だった。
ぼんやりしていると湯船から、湯を掻き出して浴びる銀将と、早くもシャワーを使い慣れた様子の醉象が、ともに体を洗い始めていた。そういえばいつ以来だろうと銀子は思う。剣道部の合宿では、みんなと風呂に入ったりしたが、自宅では長女と次女が一緒に住んでいたとき以来だった。次女の歩実は春までこの家に住んでいたが、長女は銀子が中学へ進学するのと同時に、母と共に東京へ移り住んでしまった。
こんな風に女三人で汗を流すのは本当に久しぶりだった。入り湯よりも先に体を洗わなかったら小言を言ってやろうと思っていたのに。
そうしていると銀将が、銀子の背中を流しにきた。予想はしていたが、途中で照れてしまい、振り向いて下さいと銀将が言うと、そこからは自分で体を洗った。寂しそうな銀将だったが、続いて醉象からお願いされると無邪気に喜び、彼女の背中を流してやったりした。
終わると醉象が交代と言い、恐縮する銀将の背中を流し始めた。しめたと思った銀子も乱入し、醉象とふたりで銀将の体を洗ってやった。銀将は抵抗するのを諦めたようだったが、すべて洗い終わると、はぁふぅと息を切らしていた。銀子と醉象は、顔を見合わせてクスッと笑い合った。
それから三人で湯船に浸かり、銀子がふと気づいたようにたずねた。
「銀将たちは前の人たちの背中も流してあげたりしたの?」
「前の人たち?」
真意を測りかねるように聞き返す醉象。銀子が言い直す。
「うん。何て言えばいいのかな。えっと……前の主人にも、お風呂に入って背中を流してあげたりしたのかなって」
「まさか」
とんでもないといった様子で否定してくる。
「ボクは初めてだよ。主は銀子を除いて、全員が男だった。湯殿を一緒にするなんて無礼にもほどがある」
「そ、そうなの?」
「銀子さま。私も同じでございます。殿方が入浴をする間、私たちが警護を。それゆえ私たちが入湯を許されるのは、主君が湯浴みをした後なのです」
「へぇ~。封建的っていうか、なんだか武士とか軍人みたいな感じだね」
「実際にそうだったんだよ。主人の側に仕えていても、それはあくまでも臣下に過ぎない。奥方がいらっしゃることも多かったから、ボクたちには夜伽すら許されなかった。だから、生娘のままさ」
「よ、よとぎ……きむすめ……」
思わず背中を丸めた銀子が、顔の下半分を湯に沈める。するとバツが悪そうに醉象が続けて言った。
「まぁ……。傾いたのもいたけどね」
三人とも充分に温まるまで湯船から出ようとしない。
やがて銀将が、これまでの想いを明かすように告げたのだった。
「銀子さまや醉象さまと、このように湯浴みを共にできる幸せは、私にとって初めての経験にございます」
「ボクも。できるなら一緒にいるときは、なるべく三人で風呂に入りたいね」
「もう。そういうこと真顔で言わないでよ」
ぷいと銀子が視線を逸らすと
「あはは」と醉象が笑い
「うふふ」と銀将が微笑んだ。
長髪の醉象が、浴槽から上がり、髪を労るようにトリートメントをし始めると、湯船に入ったままの銀子が、不意に銀将へたずねた。
「ねぇ、銀将。ちょっと聞いていい」
「何でしょう」
「ずっと戦い続けてきたって言うけど、本当に怖いと思ったことはないの?」
「本当に?」
「うん。だって戦ったらさ、勝ちと負けが必ずあるわけで」
「はい」
「銀将、言ってたよね。勇気と決断力だって。だから勇気を出して戦って傷ついて、それなのに負けちゃうなんて……。そういうのって本当に怖くないの?」
すると銀将は眼を閉じて静かに答えた。
「……そうですね。過去に仕えた主が戦うたびに傷ついてゆき、最後には敗北してしまう。そこには恐怖と悔恨、未練ばかりがありました」
「ならさ、どうして銀将たちは戦おうとするのかな、戦えるのかな」
「それは……」
「それは?」
「うまく言葉にできないのですが。戦わずに負けてしまう方が、さらにつらいことだと思うのです」
「え……た、戦わずに?」
瞳を大きく開きながら銀子が聞き返す。
「はい。戦を回避したところで、勝負は避けられないものだと。これまで幾度の戦場を駆け抜けてきて、私はそう感じるのです。銀子さまはそう思いませんか?」
「い、いや、でもさ。戦ったら、そりゃ勝ち負けはしかたないけど、でもわざわざ戦わなければ、せめて負けはしないんじゃないのかな」
しかし、銀将はふるふると首を振った。
「申し訳ありません、銀子さま。私にはそう思えないのです」
髪を前に垂らしているせいで表情は見えないが、どうやら醉象も銀子たちのやりとりに意識を向けているようだった。
「少なくとも。私が今までに駆け抜けた時代では、戦わなければ負けはせず、などということはありませんでした。立ち上がらなければ、敗北が待っているのみなのです」
「それは昔の……昔だから、物騒な時代だから、じゃないの? 今は勝たなければ負けだなんて、そこまで厳しい世の中なんかじゃ……ないよ多分」
「銀子さま。私はこの時代のことをよく知りません。ですから銀子さまの仰ることの方が正しいのでしょう。ですが私は感じるのです」
下を向いていた睫毛を上げる。銀将は強い眼差しで、銀子の眼を見つめ、言ったのだ。
「幾万の民、幾千の国、幾百の時代。いついかなるときであっても本質は変わらないのではないかと。どう足掻いても、私たちは勝利と敗北という運命からは逃れられませぬ。誰も負けない極楽など此処にはあらず、誰も勝つことのない浄土など彼方にもありはせぬ。あるのは現世の穢土ばかり――私はそう信じて戦っています」
「銀将……」
銀子は確信し始めていた。銀将も醉象も、想像を絶する争乱を生き抜き、戦い抜いてきた。言葉のひとつひとつに、ささくれだった硬さを感じずにはいられなかった。
物言いの端々(ばし)から、鍛え抜かれた強靱な信念に触れることができてしまう。
彼女たちは正真正銘、過去の時代における、いずれ名のある戦人なのかもしれない。
「ですが銀子さま。ご安心下さい」
「……?」
銀子が思いを馳せていると、晴れやかな調子で銀将が続けた。
「私はどのようなときも銀子さまに仕え、命を賭して、銀子さまの勝利のために戦います。これまでも主のためにそうしてきましたし、それは絶対に変わらないことなのです」
「でも。銀将は負けたことしかないって――」
「敗軍の将は逃げるにあらず」
眼を閉じて噛みしめながら、彼女は言う。
「私たちはどのような負け戦であろうとも、いかな凄惨な敗北しか待っていなくとも。お仕えした主から出奔することはありませぬ」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔の、我が主。
醉象は、そんなふたりのことを微笑ましく見守っていた。
「銀子さまが孤独に陥ることはありませぬ。父上や母上、例え縁者さまから深く傷つけられ、仮に傷つけるしか他にしようがなくなっても、私たちは銀子さまの側を離れませぬ」
そんな銀将の言葉は――
白い肌の内側にある、無垢な銀子の心へゆっくり深く、しみこんでくるようで。
これまで誰も触れることができなかった、銀子の一番柔らかいところ。
それは――亡くなったおじいちゃんしか入ることのできなかった場所だった。
「銀将っ……ぐすっ」
「ぎ、銀子さま?!」
「ご、ごめん! なんでもない! 先にあがる」
ばしゃっと立ち上がった銀子は、そそくさと脱衣所へと引っ込んでしまった。銀将は何を言い過ぎたのかと狼狽していたが、醉象は鼻歌をさえずりながら髪をゆっくりと梳かしていった。
その夜。銀子が嫌がらないので、三人とも同じ部屋に寝ることになった。もちろん銀子の部屋である。銀子が真ん中で、両脇に銀将と醉象という布団の並びだった。
そのうちに銀子は、醉象が目を覚ましていることに気がついた。銀将は床に入るとすぐに寝入ってしまったので気づかなかったが、どうやら醉象は夜が長い性質らしい。
同じく夜が短くない銀子が声をかけようとしたとき、醉象の方から察したように声をかけてきた。
「どうしたの。眠れないのかい」
「起きてるの気づいてたんだ」
「まぁね。主人が夢を結んだ後は、ボクたちが護ってあげなきゃ」
「誰も襲ってきたりしないから、ちゃんと寝てよ……って、そのわりには銀将はすっかり寝ちゃってるんだけど」
「それぞれ役割があるんだ。戦場において銀将は、前線を切って戦える子だけど、ボクはどちらかというと護りに徹する近衛だと思ってくれればいい」
おい、と銀子は横ですやすや寝ている銀将に突っ込みたくなった。朝っぱらに起きて対局をねだったとき、自分は身辺警護の一兵卒とか言ってたのに。
茶目っ気というか、調子の良いところが銀将にもあるのかもしれない。
「詳しいことは分からないけど、ふたりの性格を見てれば、なんとなく納得できるかな」
銀子は黙って天井を見上げた。見上げつつ醉象の顔を横目でうかがうと、醉象もまっすぐ天井を向いたまま、こちらへ顔を向けずに聞いてきた。
「……話したいことがあるんじゃないのかい」
「ばれたか」
「銀子は分かりやすいんだもん」
「私さ、戦うのが……ううん。負けるのが怖くて怖くてしかたないの」
「それは将棋でってことかい」
「うん。将棋で負けるのだけは、おじいちゃんが相手のときも悔しくてしかたなかった。負けたらこの世の終わりだって、子供のときは思ってた」
「なんとも……そりゃ。銀子らしいね」
苦笑しつつも、どこか嬉しそうに醉象が感想を漏らす。
「私らしいのかな」
「だって銀子は負けず嫌いだから」
「……そうだけどさ」
はっきり言われると少し認めたくない向きもある。
「もしかして負けちゃったら、しばらくは将棋盤を見るのもつらかった?」
「うぐっ」
「くすくす、大丈夫だよ。つらいときはひとりで将棋盤に向かわないで、ボクと銀将を呼べばいい」
するとようやく酔象は、銀子へ顔を向けて言ったのだ。
「こうやって眠れない夜半と同じだよ。少ししゃべれば眠たくなってくる」
「醉象」
「誰か隣で起きていれば、この世界で自分だけがって思わなくて済むからね」
「……そうだね」
再戦は明後日だ。明日も特訓あるのみである。




