第4話 肺腑の死人⑱
僕たちはしばらく歩いて昨日の現場に辿り着いた。もちろん犯行は未然に終わったのでどこにもマークはないし、今日はゾンビもいなかった。
「現場はここです」
僕は昨日影がいた場所に立ってそう告げた。
「ここか…。怪しやつはどのあたりにいたんだ?」
ルナはあたりを見渡しながら僕に問いかける。どこかに誰か隠れられる場所はないかと探しているようだった。
僕はその場所を指さして言う。
「ここにいたんです。突然現れたんですよ」
「お前、出てくるところを見たのか?」
「はい」
正確には実際僕がこの目で見たわけではないが、わざわざ付け加えるようなことではないだろう。
「どんなだ?どんなふうに現れた?何か予兆みたいなものはあったか?」
ルナは僕に詰め寄りながら問いかける。なぜか僕が尋問を受けているような構図になっていた。
こんな時こそデキステルが間に入って僕のことを守ってくれてもよさそうなものなのに、デキステルは我関せずというように僕たちのことを眺めていた。
「え、いや…気が付いたらそこにいたって感じで…予兆とかは全然」
「…そうか」
ルナは僕からの答えを聞くと興味を無くしたように僕から離れた。
僕は表情を読み解く専門家ではないので確かなことは言えないが、この時のルナが浮かべた表情は安堵よりも落胆に近いような気がした。まあ、演技なのだろうが。
「その時はゾンビが襲われそうになっていたんですけど、うちの魔術師のおかげで未然に防げました」
「守ったっていうのか!?あいつから?」
「はい。そしてその時、犯人にかかわる重大な証拠を見つけたんです」
そう言って僕は上着のポケットに手を突っ込む。
この中に入っているのはパティから受け取ったナイトライナー・タイプキューブだ。証拠でも何でもない。
もしこのルナが犯人ならばこの証拠を破壊しようとするはず。もしそうなればこのキューブに強い力が加わり、その瞬間このキューブは糸を吹き出す。糸に絡まるだけで捕まりはしなさそうだが、少なくとも隙はできる。その隙にデキステルに確保させればいい。
「これがその証拠です」
僕はポケットから取り出したキューブを掌の上で無防備に載せて見せる。
奪うも破壊するも好きにできる。隙だらけと言ったところだ。
「何だ…?ここから出てきたのか?」
ルナは慎重だった。手を触れようとせず、まじまじとキューブを眺める。
「手に取ってみてください」
ここで僕はさらに隙を見せる。
「触っても大丈夫なのか…?」
「ええ。僕が触れてるんですから、大丈夫ですよ」
ルナはゆっくりと手を伸ばし、人差し指で一度つついてからキューブをつまみ取った。
「で、これ何なんだ?なんかいっぱい穴空いてるけど…」
「実はその中には魔力が入ってるんです」
嘘ではない。ただし中に入ってるのはオスカーの魔力。犯人のではない。
「へえ…で?」
「うちには魔術師がいて、魔力を調べるとそれが誰のか、分かるんですよ」
「じゃあ…犯人は分かったのか?」
「はい。実は僕の残りの仲間はその犯人の所にいるんですよ」
「どこだ?」
またもルナは僕に詰め寄る。
「お前らの仲間はどこか聞いてるんだよ!」
語気を荒げたその拍子にキューブをつまむ指に力が入ってしまったのか、キューブはピピッという軽い音を発した2秒ほど後に勢いよく糸を放出した。
そしてあろうことか、それはルナだけでなく僕にも絡みつき、たちまち身動きが取れなくなる。
「うわっ!なんだよこれ!」
ルナから驚愕と怒りの声を上げる。
「おい、お前ら大丈夫かよ…!」
デキステルが心配そうに駆け寄ってくるのを足音で感じた。
さっきから音しか感知できていないのは、糸が顔の方にまでかかって、目を開けていられないからだ。
「デキステル!僕のポケットからガラス玉を取り出すんだ!」
「どのポケットだよ!?」
「ズボンだ。右のポケットに…」
「あれ?姉ちゃん」
なぜかデキステルが姉の名を呼ぶ。
「どうした?ノラがいるのか?」
「ああ。なんか飛ばされたみたいだ」
目を閉じているので分からないが、どうやらノラがこちらに来たのではなく、僕たち全員がノラの方へ飛ばされたらしい。
「ノラ!そこにいるのか?」
「いるわよ。…あんた一体何してるの?」
僕の右側からノラの声がするが、恐らくその表情はひどく呆れ返ったものなのだろう。
「ちょっとした事故だ。パティを呼んでくれ。この糸をほどきたい」
「魔力の糸でしょ?だったらこれでいいわよ」
ノラが何をしたのか見えなかったが、しかしその言葉の直後に僕とルナに絡みついた糸は消えうせた。
「ありがとう。助かったよ」
「そんなことよりこれ!これは一体どういうこと?」
目を開いて最初に視界に飛び込んできたのはご立腹気味のノラ。そして、その背後に浮かぶ、いつかの影。
「また出たのか」
「また出たのかじゃないわよ。こいつ、調整しなおした魔法に引っかかったのよ」
ノラは僕の頭上に浮いたままの影を指さして言った。
確かにノラは魔法を修正して、エナジードレインを行った者を捕らえるようにしていた。つまり、僕が張りぼてだと思っていたあの影はやはり実行犯で、そして同時にノラの理解を超えた存在と言うことになる。
「え、じゃあ、今この中にいるのか?犯人は…」
「いるわけないでしょ。昨日と一緒よ。もう消えたわ」
つまり起こったことは昨日と全く一緒ということだ。現れて、捕まって、消える。
しかし起こったことは同じでもその意味合いは全く異なる。
あの影がエナジードレインを行っているわけではないと考えたからこそ今僕はこうしてルナとモナに揺さぶりをかけていたというのに、あの影そのものが意思を持った実行犯だったなら、ここまでの推理が否定されることになる。
「お前の魔法にかかったってことは影がエナジードレインをしたのは間違いないんだよな」
「さっきからそう言ってるわ」
「で、消えたのか?消えたってことはやっぱり魔法なんじゃ…」
その場合、最悪のパターンである「犯人はノラと同等かそれ以上の魔術師」という可能性が現実味を帯びだす。
「それはあり得ないわ。外から繋がる魔力はなかったから。あれは独立した存在よ」
つまり誰かが放った魔法ではない、とノラは言うわけなのだが、その主張は最悪から遠ざかるとともに新たな謎を生む。
「じゃあ相手の正体は何なんだ?消えたんだよな?魔物だったら消えたりできないんじゃないのか?」
「ええ。魔力で囲われれば、魔物はもちろん、魔力を宿してる人間や生物でも動けない」
「だったら何なんだ?まさか、本当に亡霊だっていうのか?」
「あんたの言う亡霊の定義は知らないけど、あれは魔力じゃない何かでできている、何かよ」
魔力ではない何かによって生み出された、何か。
もう何について考えているのかさえ忘れかけてきた。
「もしかしたらそれは、魂とかいうのかもね」
半ば投げやりな感を醸し出しつつ、ノラは最後にそうつぶやいた。
僕たちがそんなやり取りをしている中、ノラが連れてきたであろうモナは初めの方こそは空中に浮かぶ影に見入っていたが、やがてじっと僕たちのやり取りに耳を傾けていた。
そして僕たちの会話が切れ、沈黙がのさばり始めたころあいを見計らって、口を開いた。
「…あの…いいですか?」
元々消え入りそうな声が、さらに消え入りそうになっていた。
「何?」
ノラは表情こそ穏やかだったが、しかし口調からはまだ棘が抜けきっていなかった。
「……その、消えた幽霊は、今どこにいるか…分かりますか?」
「私を誰だと思ってるの?さっき捕まえた時にあいつの魔力は完全に把握した」
そう言ってノラは手のひらをお椀の形にしてその中に魔力を生み出し、こねるようにそれをいじりだした。
「ちょっと待ってなさい。少し待てばさっきのあれをもう一度出せるから」
こういう時ノラはこちらが聞かなくても勝手に説明を垂れてくれる。それをしないということは、今ノラがやってるこの行為はなかなかに複雑で、集中力を要するものなのだろう。それ故に、何をしているのか気になったが聞くことははばかられた。
「まあ待っててください。あいつができるって言ってるんで大丈夫ですよ。それについては僕も…」
保証します。そう言おうとしたのだが、しかしその言葉はノラの
「できたわ。やるわよ」
という言葉によって遮られた。
ノラは手のひらで波打つように踊る魔力を宙へと放った。放たれた魔力は最初は球体を維持しようとしていたが、やがて空間に染みわたるように広がっていき、僕の周囲も魔力の色で染め始めた。
「ノラ。この魔力、吸っても大丈夫なんだよな」
「ええ」
集中してるノラに声をかけるのははばかられたが、尋ねずにはいられなかった。許しを得た僕は浅くしていた呼吸を元に戻し、ノラの魔法の成果を待った。
そしてそれは唐突に訪れる。広がり続けた魔力が突如動きを止め、ある一点に集約していく。
「見つけたわ」
ノラはその収束点へゆっくりと歩を進める。みるみるうちに形作られていく影。ノラの放った魔力を何倍も濃くしたような、夜を切り取って貼り付けたような、そんな影が三度僕の目の前に現れた。
「…いや、待てよノラ。呼び出したはいいけど捕まえられないんじゃないのか?ここから一体どうすれば…」
「こうするのよ」
言ってノラは右手を突き出し、影の頭部に自分の魔力を浴びせた。
それを受けた影はその勢いに流されもせず、むしろその魔力の流れを掴むようにし、ノラの方へと数歩歩み寄って停止した。
「こいつは生きてるのよ。ほら。こうやって今魔力を吸い出そうとしてるでしょ?」
ノラが掲げて見せた右手からは魔力が綱のように伸び、まっすぐに影の口のあたりと繋がっていた。
「お前、何をしてるんだ?」
「魔力をやってるのよ。こいつは自分が存在するためにこうやって魔力を吸おうとしてるの。昨日と今日、短時間で消えたのはかろうじて空気中から集めた魔力で実体化してたからでしょうね」
「いや、そうじゃなくて、そんなことしてお前は大丈夫なのか?」
ノラの言う通りなら、今ノラは影に魔力を吸い取られ続けているということになる。
「大丈夫よ。こいつは満足する分魔力を吸い取ったら消えるから」
でも、とノラは続ける。
「それじゃあ捕まえるという今回の目的は達成できない。だから私は今こうして魔力の綱引きをしてるのよ」
魔力の綱引き、とは今の光景の比喩しているわけではないだろう。ノラが魔力を与え、それを吸い取ろうとするのに対して魔力の操作によって抗っているということだろう。
「じゃあ、そいつはしばらく無害なままここにとどまるのか?」
「そうね。まあ、いつ標的が私から別に変わるか分からないから、触らない方がいいわ」
もちろん、そんな忠告がなくても僕にそんなことをする度胸なんてない。
「で、ここからはあんたたちに聞くわ」
ノラは右手から魔力を放出しながらローブを翻し、ルナとモナを見据えて言った。
「こいつの正体か、それでなければ元凶を、あんたたちは知ってるのよね?」
しかしルナもモナも口を閉ざしたままノラの言葉には答えなかった。
「答えなさい。さもないと、こいつをゾンビの群れの中に放つわよ」