18 魔女と使い魔のお話
「ぼ、ぼク……ボク、ノ。名前、にけ……です。にケ、デす。……ニケです」
ニケは、ヤマネコの口を不慣れに動かして、休むことなく言葉の練習を続けている。
あれからすぐに使い魔の契約を終えてたのだが、使い魔が人の言葉を操れることを知ったニケは、さっそく喋ろうとしていた。
しかし、口から発する言葉になまじ慣れていたせいか、喉の声帯を操作して喋ることが、どうにも上手くいかないようだった。
「まあ、コツを覚えればすぐでしょ。それに、魔女のしもべとして格を上げていけば、いつかは人の姿もとれるようになるし、精進なさいな」
「……はイ」
ニケは、絨毯の向かい側に座る北の森の魔女へと、舌足らずな口調で頷いた。
居間には、隠れ家には似つかわしくない毛足の長い絨毯が敷かれており、中央には、お茶とお茶菓子が乗せられた、大理石のボードが置かれている。
ニケのために蓄えてあった食材は、ほぼすべて取り引きの魔法で消費してしまったため、絨毯から食べ物まで、北の森の魔女に振る舞ってもらっていた。
傾れ滝の魔女の力でこしらえても良かったのだが、まだ力加減に不安があったので、彼女に頼んでいた。
それから北の森の魔女は、色々と半人前な“魔女”と“使い魔”に助言も与えてくれる。
使い魔のニケには、魔女の僕として強い縁を結ばれたからには、魔女の魔力で補強や組み替えもされているため、体に慣れるまでしばらくは気を付けろとのこと。
魔女に戻ったわたしには、冬の間はそうでもないだろうが、春になれば麓の森が否応なしに活性化するだろうから、抑制に気を配れとのこと。
他にも細々と、絨毯上のお茶会を楽しみながら、実に配慮の行き届いた世話を焼いてくれた。
「――あれ。でも……」
このまま一件落着していきそうな雰囲気だったが、わたしはふと、あることを思い出す。
「でも結局、ニケのあの病気は何だったんだ?」
「あー…。気付いちゃった? さすがにもうカワイソウだから、気付かなかったらそのままにしておこうと思ってたんだけど……」
繊細なティーカップを傾けながら、北の森の魔女は先を続ける。
「あれは病気ではないわ。大量の毒物を摂取したことによる中毒よ」
「――じゃ、じゃあ。やっぱり食べ物に」
「違うわね。この家の中に毒を撒き散らして、ニケを何度も殺しかけていたのは、お前が素人判断で作った、あの暖房器具よ」
え、と漏らした声は、音になっていなかった。
「あなた、あれにルルエの木を使っていたでしょ。確かに生木でも良く燃える薪炭になるけど、あの木は注意しないと、毒性のある気体が発生するのよ。それでも、かまどにくべるならそれほどの毒でもないけど、素人の作った暖房器具じゃあ、欠陥があって当然だし、使用するたび空気中に散布した毒が、ずっと部屋中に充満していたのよ」
「……ど、どく」
「暖房器具をつけた当初から、ニケが異様に眠たがったのも、そのあとヤマネコの姿から戻れなくなったのも全部それが原因ね。備蓄してあった薪炭のうち、徐々にルルエの木の割合が増えていって、中毒症状を引き起こしたってわけ。で、その後、発症するのに一週間がかかってたのに、途中からたった二日で再発していたじゃない。あれは、いったん冷えた暖房器具を急激にあたためかたら、今度は不完全燃焼をおこして、ルルエの木の毒性が増したのよ。……というか、現在進行形で、毒物は部屋に充満中よ」
最後の語句を聞くやいなや、わたしは炊事場へと走り、すかさず暖房器具の火元である暖炉へ水をかけよとしたが、自分が魔女に戻っていたことを思い出し、暖炉ごとその場から消失させた。
「そんなに焦らなくても、お前だけじゃなく、ニケも使い魔になったんだから、大丈夫――って、どうしたの?」
居間へと戻って来たわたしが、そのまま絨毯の上に突っ伏してしまったので、北の森の魔女が驚いた声を漏らす。
しかし、自分の無知蒙昧さと不甲斐なさに猛省するしかなくて、塞ぎ込んでていると、ニケが心配してか、耳元に頬をすり寄せてきた。
「がぁ、ガーとるーどは、あるく…悪くアリマセン。ボクも、知りマセンでした」
「まあ、こればかりは、ニケの言うとおりよ。暖房器具は、わたくしも外にあるたきぎの山と、部屋の匂いでようやく確信したくらいだし」
「でも……わたしのせいで、ニケを散々苦しませて……あやうく殺しかけて……」
「……そう。そんなに、わたくしの差配に物言いがしたいなら、当初の予定通りに、ニケをもらって行くわよ」
「――!」
「こっちは、大昔の約束を破って、ニケとあなたを助けてあげたんだから、黙ってわたくしの恩情を享受してればいいのよ」
「…………」
その言葉に、わたしの罪悪感は押しつぶされる。
彼女の温情を享受したのではなく、別の罪悪感によって押しつぶされのだ。
昔の約束というは、わたしから傾れ滝の名を奪うのに、ひと一人を犠牲にしたと言っていた例の取り引きのことだろう。
それだけの犠牲を払ったのに、約束を破ってわたしとニケの方を助けてくれた。
わたしは塞ぎ込みから起き上がり、すぐ側にいたニケの首筋をそっと撫でる。
「……なあ。聞こうかどうか迷ったんだが、その……大昔の約束って、取引の魔法のことだろ。だったら、その時も身代を使えば良かったんじゃないのか?」
北の森の魔女が、傾けようとしていたカップの手がぴたりと止まった。
「……はあ。肝心な事には気付かなかったくせに、そういうところには気付くのね」
ため息混じりで飲みかけのカップを、手のひらのソーサーへと置く。
「そうよ。あの子も、身代で済ませることは出来たの……でも、それを教えるわけにはいかなかったのよ。かつて、そのために魔女が激減してしまったから」
「……激減」
「あれを使えば、魔女を魔女でなくせるわ。必然的に、人間たちに濫用されて、それが原因で、人間と精霊の取引に魔女が介入するようになったのだけど、それでも無くならなかったから、魔女の間では取り引きの魔法自体が使われなくなって、廃れていったのよ」
「それなのに……それでも、わたしに取り引きの魔法を残したのか?」
「だから見張ってたって言ったでしょ。それに、ただでさえ嫌われ者のお前が、人間と関係を築こうとするなら、それくらいしかないじゃない。だというのに、お前ときたら、残された意味に全然気付かないわ、身代のことも勘違いしたままだわ。一人で勝手に苦労して、何故か自分から、別の罰を長々と受け続けていたわけだけど」
「――う」
「何より、取り引きの魔法は、あくまでも人間と精霊の取り引きよ。魔女の願いでは成立しないわ。人間から、嘘偽りのない想いが込められた願いでなければね。……もちろん、あの子の願いだって、相応の想いが込められていたけど……でも、わたくしは、しょせん魔女なのよ」
どきり、とした。
あれだけ居丈高で、上から人を見下ろすことに慣れた北の森の魔女が、はじめて憂いのある顔を見せた。
「魔女に善いも悪いもないけれど、それでも、お前とわたくしは、いったい何を代償にして、今の結果に結びつけたのかは覚えておかねばならないね。まあ、あの“善い魔女と悪い魔女”のお話がある限り、忘れようもないのでしょうけど」
「……ああ、忘れるつもりはないよ。あのお伽話が無くても」
わたしがいったい何をしでかしたのかは、もう嫌と言うほど痛感した。
一から積み上げてきた物を壊される恐怖も、大切な人を理不尽に奪われる悲嘆も。
忘れたくても、忘れようがない。
「そう。なら、いいわ」
北の森の魔女が含んだ笑みは、安堵のように見えたけれど、胸中ににじんでいる本心は、彼女にしか分からないだろう。
「――さてと。それじゃあ、そろそろおいとましようかしら」
言いながら、彼女は立ち上がる。
「……もう行くのか」
「あら、わたくしを引き止めたいの? この北の森とのお喋りは高くつくわよ」
「……いや、うちは今、謙遜なしに無一文だからな」
すると、彼女は声を立てて笑った。
「それじゃあダメね。ま、わたくしに会いたくなったら、“春の前夜祭”にいらっしゃいな。もちろん、とびきりのお土産を持参してね。もし貢ぎ物が気に入ったら、特別に引き立ててあげるから」
その台詞を最後にして、北の森の魔女は、本当に姿をくらましてしまう。
去り際にすら意味ありげな言葉を残されたことは別として、結局、彼女へ礼を述べる機会を逸してしまっている事に、だいぶ後になってから気が付いた。
北の森の魔女は去ったが、毛足の長い絨毯は部屋に残されたままだった。
せっかくなので、わたしとニケはそこに横たわり、互いの体を寄せ合う。
ただでさえ、心地の良い絨毯の上で、わたしはさらに心地の良いニケの毛皮を何をするでもなく、ただ撫でた続けた。
いつ眠気に襲われてもおかしくない状況だったが、何だか眠りたくなくて、そこにいるニケの存在を確かめ続けていたが、それはニケも同じなのか、彼もただ喉を鳴らしていた。
「春になる前に、わたしの使い魔になったな」
「はイ」
「ああ、でも。もう、お前を育てることは出来ないな。立派な大人になったニケも見てみたかったのに」
ニケは、わたしの顔をうかがいながら、小さく首を傾げた。
「アノ……立派な使い魔じゃ、だめなんデスカ?」
「――そうか。これからは、ニケを立派な使い魔にすればいいな」
彼からの提案を受けて、わたしは目から鱗が落ちる。
育てる、と言うと、そもそも魔女として未熟なわたしには過ぎた言葉になるが、ならわたしも、立派な使い魔に見合った魔女になればいい。
すると、一度落ちたはずの鱗が、目からもう一枚落ちていた。
「――ああ、なるほど。だから“春の前夜祭”か」
「……なんデスカ?」
「うん。北の森が去り際に言っていたやつだ。ヴァルプルギスの夜とも言ってな、春の祭の前夜に行われる魔女の夜宴だ。世界中のいたる場所から魔女たちが集まって、食べ物や飲み物を持ち寄って酒宴を交わしたり、新しく開発した魔法や、魔法道具の情報交換もしたりするんだ」
「へー」
ニケの灰銀色の目が、興味深そうにきらめいた。
「そこにはもちろん、使い魔も連れてこられる。だから北の森は、その中に飛び込んで、先輩たちに揉まれて――色々と学んでこいと言ったんだと思う」
「それじゃあ、行くんデスカ? 前夜祭」
「……う、うーん」
期待に満ちたニケの目に、わたしは言葉を濁してしまう。
実は、ヴァルプルギスの夜には参加したことがなかった。
あんなカビの生えた古くさい酒盛り参加するなと、愚の骨頂だとして一蹴していたのだ。
しかもわたしは、一度は魔女の名を剥奪された身である。
いわゆる前科持ちの身で参加などしたら、いったい何を言われるか―――
そこでわたしは、首を横に振った。
たとえ先行きに不安があろうとも、ニケのためならば、何事にも挑まねばなるまい。
それに、北の森の魔女が特別に引き立ててくれるとも言っていた。
彼女が後ろ盾になってくれるなら、これ以上ないくらい心強い味方だろう。
「そうだな、行こう。となると問題は、北の森の言っていた貢ぎ物の用意だな」
「デモ、今この家には、何もありませんヨ?」
ニケが、わたしの考えを読み取ったように口にする。
「そうなんだ。それに、北の森のことだ。魔女の力で用意した“とびきりのお土産”じゃ満足はしないだろうしな」
「なら、手作りデスカ?」
「そうなるな……あの魔女らしい遣り方というか、何というか……せっかく魔女に戻ったのに、まだしばらくは人並みの力で苦労しそうだな」
「ボクは、楽しみデス。冬支度はとても大変だったケド、とても楽しかったデス」
三角形の耳をピンとたてて、ニケは機嫌良く言った。
その言葉に、わたしが嬉しくないはずがない。
隣に寝ていたヤマネコのニケにのし掛かるように抱きついて、わたしの想いをめいいっぱい体を使って伝える。
「よーし。じゃあ、また二人で頑張ろうな」
「はイ。ガンバリます」
わたしもそうだった。ニケのために、食べ物や着る物をひとつひとつ用意していくのは、何物にも代え難い喜びがあった。
だからきっと、魔女の力で何でもできるようになっても、あの喜びを完全に手放すことは無いだろう。
三ヶ月の間、雪に閉ざされた冬が、もうすぐ終わる。
春になったら、とりあえずあの薬剤師ヘクター・カミンのもとを訪れて、ニケの無事を伝えねばならないだろうし、その後は、オリーブの木とリンゴベリーの木へと挨拶回りもあるし、魔女が復活したことで、麓の森がどう変化するかも確認せねばならない。
魔女の力と使い魔を得て、沢山のことが容易くなったはずなのに、やることはまだまだ沢山あって、なんだか笑ってしまう。
ニケと同じようにそれを楽しいと思える自分が嬉しくて、笑ってしまっていた。
これにて完結です。たくさんのブクマ、感想、評価ありがとうございました。