第二十四話:いまさら「世界の総帥になって」と言われても遅いです
「ひゃっはー! 燃えろ燃えろ! この王都も、下町の平民どもも、すべて我らバルサス帝国と魔王軍の奴隷になるんだよ!」
魔王軍の空中要塞が真っ二つに両断され、最悪の最高幹部ヴァルガスがゴブリンの檻へ全裸で叩き落とされた直後。王都の地上では、未だ事態を把握していないバルサス帝国のハゲ騎士団長と、悪徳ギルド『鉄の蠍』の残党どもが、最後のあがきとして下町の焼き討ちを強行していた。
彼らは魔導兵器を乱暴に乱射し、逃げ惑う下町の住人たちを笑いながら剣の腹で殴りつけていた。
「おい、この居酒屋『カツコマ』を真っ先に灰にしろ! あの盲目のジジイに関わった奴らは、全員命乞いすら許さねえ!」
ハゲ騎士団長は下劣に顔を歪め、サホの店に松明を投げ込もうとする。あまりにも理不尽で、反吐が出るほど品性の欠片もない下劣な暴挙。
だが、その松明が店に届く前に、夜空から信じられないほどの黄金の神聖魔力が降り注いだ。
「――お兄さん方。人の大切な憩いの場を、随分と汚い生ゴミで汚そうとしてくれるじゃねえか」
コツ、コツ、と大雨の泥水を仕込み杖で叩きながら、上空の要塞から無傷で帰還したイチ、そして冷徹な魔剣を構えたゲラルトの二人が歩み寄ってきた。
「な、何だと……!? なぜ生きている! 空中要塞はどうした!」
「いやあ、あの大きくて下品なブリキの箱なら、ちょっと邪魔だったんで縦に真っ二つに割っておきましたわ」
イチが眼帯の奥の目を静かに『見開いた』瞬間、カンストした【魔王の威圧】の覇気が平原全域へと吹き荒れた。
ドゴォォォォォン!!!
「ひ、ひえぇっ!? 身体が動かない……!」
「化け物だぁぁぁ!」
その圧倒的なプレッシャーだけで、周囲にいた数千人の帝国兵やゴロツキたちが一斉に白目を剥いて泡を吹いて卒倒していく。
「さあ、あんたたちのその下劣な凝り、今日ここで【完全粉砕(お仕置き)】してあげましょうかねぇ」
――カシャッ。
イチが両手で仕込み杖から神話級の魔剣を一瞬だけ閃かせた。
放たれたのは、剣風すら起こさない神速の極致。
ガサササササササッ!!!
凄まじい風圧が吹き荒れた次の瞬間、騎士団長やギルドの残党たちが身に付けていた最高級の魔導鎧、衣服、そして下着に至るまでが、ミリ単位の狂いもなく正確に切り刻まれ、一瞬にして爆散した。
「ぶひゃああああっ!? また全裸にされたァァァ!」
世界最強を自負していた帝国の騎士団長と悪党どもは、一瞬にして生まれたままの姿(全裸)にされ、衝撃で王都の中央広場にある、一番汚い「豚小屋の泥沼」へとまっ逆さまに頭から突っ込んでいった。
◇
翌朝、バルサス帝国軍の進に進駐していた全裸の騎士団長と悪党どもが、豚の糞尿にまみれて白目を剥いている無様な姿が王都中の住民に晒された。これにより、魔王軍の最高幹部と帝国軍が裏で結託していたすべての陰謀が完全に粉砕されたのである。
世界を救ったのは、かつて「盲目の無能」と蔑まれて追放された一人の元聖騎士だった――。
その事実を知った王宮、そしてバルサス帝国の本国は、文字通りひっくり返るほどのパニックに陥っていた。自分たちが切り捨てた、あるいは舐めてかかった男が、世界を容易く滅ぼせる神話級の化け物だったのだから。
◇
数日後、下町の復興が進む居酒屋『カツコマ』。
いつも通りの昼下がり、店の前に、この世の贅を尽くした二台の最高級馬車が停まった。中から現れたのは、冷や汗を滝のように流した我が国の国王と、さらに青ざめた顔をしたバルサス帝国の皇帝その人であった。
「お、おい……本当にここなのか? 世界を救った神話の英雄が隠居しているという店は……」
「は、はい……間違いありません、皇帝陛下。どうか、失礼のないよう……」
両国のトップと大臣たちがガタガタと震えながらドアを開けると、そこにはいつも通り、壁に仕込み杖を立てかけ、呑気に黒エールを喉に流し込んでいるイチの姿があった。
「いやあ、いらっしゃいませ。ずいぶんと高貴な絹の擦れる足音が揃って聞こえてきましたが……おやおや、お客さん方、揃ってガチガチに肩が凝っていますな。世界を背負う重みのせいですかねぇ?」
イチは眼帯の奥の目を動かさずに、フフッと飄々とした笑みを浮かべた。
「イ、イチ殿……! いや、イチ世界聖騎士総帥候補!!」
次の瞬間、居酒屋の油で汚れた床に、一国の国王、そして世界最強を誇る帝国の皇帝が、ガバッと揃って両膝をつき、頭を床にこすりつけるようにして全力の土下座を敢行した。
世界の最高権力者二人による、歴史上あり得ない、前代未聞の共同土下座懇願である。
「ひえっ!? 国王様だけでなく、お隣の皇帝様まで土下座を!?」
厨房から出来立てのポトフを持って出てきたサホが、驚愕のあまり目玉を丸くして固まる。隣の席で串焼きを食べていたゲラルトだけが、「ふん、最高に惨めで無様な見ものだな」と冷ややかに鼻で笑っていた。
「イチ殿! 恥を忍んで、両国を代表してお願い申し上げる! 我ら傲慢な無能どもが、貴殿のような至高の英雄を侮辱し、追放した非礼、いくら詫びても足りぬ! どうか、どうか魔王軍の残党から世界を永久に守るため、人類の全軍を統べる『世界聖騎士総帥』の座に就いてはくれまいか!」
皇帝はプライドを完全に投げ捨て、涙目を浮かべて必死に懇約した。
「貴殿が総帥になってくだされば、帝国の領土の半分と、王宮の全財産、さらには世界中の名誉を望むがままに差し上げよう! 頼む、この通りだ、戻ってくれぇぇぇ!」
後ろに控える両国の大臣たちも、「どうか、世界を救ってください!」と涙と鼻水を流しながら一斉に床へ頭をこすりつける。かつてイチをゴミのように扱い、下町を奴隷にしようと理不尽に踏みにじった連中が、今や生き残るために盲目の男の足元に這いつくばって命乞いをしている。完璧な力関係の逆転だった。
だが、イチは困ったように頭を掻くと、ジョッキを置いて仕込み杖を優しく手元に引き寄せた。
「いやあ、国王の旦那に、帝国の皇帝の旦那。熱心なスカウトはありがたいんですがねぇ……。いまさら『世界の総帥になって』と言われても、もう遅いですわ」
「な、何故だ……!? 世界の頂点に立てるのだぞ!?」
「簡単なことですよ」
イチは両手で仕込み杖を抱え、サホが持ってきてくれた湯気立つ特製ポトフの、たまらなく優しい香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「俺は前世のブラック企業でも、今世の聖騎士団でも、カネや名誉のために身を粉にして働いて、散々すり減ってきたんですわ。目が見えねえ書類仕事なんて、不便で肩が凝るだけです。――それよりも、今の俺には、この下町の居酒屋でサホちゃんの特製ポトフを食べる方が、ずっと忙しいもんでねぇ」
「そ、そんな理由で……世界の王座を蹴るというのか……っ!?」
国王と皇帝は、イチの圧倒的な「無欲のスローライフ」の前に、返す言葉を失って惨めに呆然と絶句した。
「というわけですから、そちらの世界はそちらの優秀なエリートの皆さんで勝手に平和にしてください。さあ、サホちゃん、お偉方にお出しするエールはないから、お引き取り願いましょうかねぇ」
「はい! イチさん! ――そういうわけですから、国王様も皇帝様も、営業の邪魔だからお引取りください!」
サホが布巾をバシッと叩いて胸を張る。
「く、クソォォォ! 完璧にフラれた! 戻ってくれぇぇぇ!」
世界の支配者たちは、これ以上ないほど惨めで無様な悲鳴を上げながら、這う失意のまま馬車へと逃げ帰り、下町から去っていった。
◇
夜。居酒屋『カツコマ』には、いつも通りの、いや、いつも以上の賑やかな笑い声が響き渡っていた。
「いやあ、イチ。世界のトップ二人の土下座をポトフ一杯で一蹴するとは、最高の酒の肴だったぞ。かんぱいだ!」
「ハハ、ゲラルトの旦那。やっぱり男の義理や世界の支配権よりも、サホちゃんのポトフの方が価値がありますからねぇ」
完治したゲラルトと、イチの二人のジョッキが心地よく合わさる。
「もう! 二人とも格好いいこと言ってないで、冷めないうちにたくさん食べてよね!」
サホが嬉しそうに、特大の器に盛られたポトフを取り分ける。
世界を震撼させた魔王軍も、傲慢な帝国軍の闇も綺麗に掃除したイチたち。彼らの元には、名誉も、莫大な富も、権力も残らなかった。
だが、イチが仕込み杖の先で床をコンと叩くと、カンストした聴覚スキル『世界樹の根』を通して、下町の住人たちの温かい笑い声、サホの優しい呼吸、そしてゲラルトが美味そうに酒を喉に流す音が、最高の立体マップとして脳内に響き渡る。
目が見えない代わりに手に入れた、絶対に誰にも譲らない、最高に贅沢で愛おしい――【三億ゴールド(百万両)の日常】。
「いやあ、それにしても。やっぱり目が見えないってのは、不便ですな!」
イチのいつもの冗談に、サホも、ゲラルトも、そして店内のすべての客たちが、夜空を揺らすほどの声で大爆笑した。
仕込み杖を片手に、大切な仲間たちとの最高のスローライフは、下町の片隅でどこまでも、いつまでも永遠に続いていくのだった。
(『盲目の無能と蔑まれ追放された聖騎士』大団円 完)




