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総長戦記 0014話 一撃

【筆者からの一言】


泥沼の日中戦争が始まる?

1937年7月~12月 『日本と中華民国』 


盧溝橋において日中両軍の小規模な衝突が発生した。

「盧溝橋事件」の発生である。


 閑院宮総長は、陸軍内にあった「対支一撃論」に同調、傀儡と化していた陸軍大臣を操り、この事変を利用しての中華民国への「暴支膺懲」を陛下に奏上する。


「対支一撃論」とはソ連を主敵とするにあたって、機会を捉えて背後となる支那にまず一撃を与えて安全地帯とし、ソ連と支那の挟撃を防ごうという考えである。これには中華民国は一撃のもとに降るだろうという想定があった。


 海軍の伏見宮軍令部総長も閑院宮総長に同調する。それは事変拡大の動きという事であった。


 日本と中華民国の衝突の規模は拡大し「第二次上海事変」も発生した事から中華民国との全面戦争に突入した。

「日支事変」「日華事変」とも呼ばれる戦争である。


 この「日華事変」に世界は日本を批判はしたが、積極的な介入や経済制裁を加えようとはしなかった。

 

 中華民国の要請でベルギーで「九カ国条約会議」が開催されはした。

 中華民国は日本への経済制裁を提案したがソ連以外は賛成しなかった。

 アメリカをはじめとする国々は経済制裁に反対し同調しなかったのである。


 これはアメリカについて言えば、日中戦争の発生で戦争特需が生じ、日本と中華民国の両方から戦略物資の買い付けが増大していたせいである。世界大恐慌から回復していないアメリカにとっては、この戦争特需は渡りに船だったのである。

 他の国々も同様でアメリカに追随した。


「国際連盟」も批判するだけである。

 違うのはソ連だけで、これは直接、ソ連満洲国境で日本軍と睨み合っている関係にあるため、中華民国への武器援助を開始している。


 これらの状況は史実と同様だ。



 史実において「日華事変」当初、アメリカは中立だった。

 それが何故、日本に対し経済制裁を科して来たかと言えば、「日華事変」において日本の空爆により少なからぬ在中アメリカ資産が損なわれ、更に近衛内閣による1938年11月の「東亜新秩序」という大東亜共栄圏の構想発表を日本の植民地拡大政策と捉えたからだ。


 中でもアメリカは中国に多額の投資をしており、アメリカはその資産の場所を日本に通知しアメリカ国旗を掲げていた。それにも関わらず、日本の空爆を受け損害を被った。

 この事にアメリカは怒り被害を受けた200カ所の資産をリストにして日本に渡して来ている。

 だが、日本は「日華事変」は防衛行動であり全ての責任は中華民国政府にあるとして損害の補償をしようとはしなかった。


 つまり、日華事変は日本と中華民国の戦争ではあったが、アメリカも日本により実質的な被害を大きく被るようになった。

 だからこそ日本に対し厳しい態度を取り出したのだ。

 そういう経緯がある為、史実においてアメリカが本格的に中華民国支援に乗り出したのは1938年12月と「日華事変」が始まって1年半後であるし、日米通商条約の破棄を通告し経済制裁を加えて来たのは1939年半ばと2年も経ってからだ。


 だが、今回の歴史では「日華事変」が短期間に終結した為、アメリカが被った損害は少ない。

 だからアメリカが日本に対し経済制裁をして来る事も中華民国政府を支援する事もなく終わった。


 今回の歴史では現状のままいけば、アメリカとの深刻な対立には至らないだろう。



 史実でも今回の歴史でも「九カ国条約会議」も「国際連盟」も無力だったが和平交渉は必要だ。


 今回の歴史でも「日華事変」が拡大する中でドイツを介した和平交渉が始まった。

「トラウトマン工作」である。

 ドイツのトラウトマン駐華大使を仲介役として中華民国と日本は和平交渉に入る。


 ドイツが仲介役として出て来たのは、ドイツが中華民国と軍事的、経済的に結び付きを強めていた関係からだ。


 当初、中華民国政府の蒋介石主席は、この「トラウトマン工作」での和平交渉に否定的だった。

 しかし、ドイツ軍事顧問団により育成されていた中華民国軍の精鋭部隊が壊滅し、続いて首都「南京」も陥落し、更には政府閣僚の大半も和平交渉に前向きともなれば、和平に傾かざるを得なかった。 


 そして「トラウトマン工作」が実を結んだ。


 和平が締結されたのである。 

 

「日華事変」は、こうして半年という短期間で日本の勝利に終わった。



 この中華民国との和平交渉に際しては、日本政府内では二つの和平条件案があったと言われている。

 まず最初に決められた和平条件案は大きく分けて7項目あった。

 この条件案は陸軍大臣を通じて閑院宮総長の要望が大きく取り入れられたと言われている。


1.賠償金の支払い。

2.排日政策の停止。

3.日本製品に対する関税引き下げ。

4.内蒙自治政府の承認。

5.華北満州国境での非武装地帯設定。

6.華北の行政機関長官に親日的人物を配置する事。

7.戦争犯罪人の引き渡し。


 この和平条件案は、まだ日本軍が上海で激戦を繰り広げている頃にトラウトマン駐華大使を介して蒋介石主席に伝えられた。 


 当初はこの和平条件案を蹴ろうとした蒋介石主席も精鋭部隊を失い南京を失った後は、この和平条件案を受け入れる。

 首都まで占領されて戦争に負けた側からすれば、この和平条件案は、それほど厳しいとは言えない内容だからである。


 ところが、ここで日本政府内において、閣僚の何人かが欲を出し、和平条件案に更に条件を追加しようとしたのである。

 先に提示した和平条件案は首都南京を占領する前の事であり、今では状況が変わったのだから条件の追加は当然であると主張した。

 追加条件は大きくわけて5項目あった。


1.中華民国政府による満洲国の承認。

2.華北での領土割譲。

3.上海の非武装地帯拡大と国際警察による管理。

4.共産主義に対する共同防共。

5.華南、華中において一定地域に必要な期間、日本軍が保障駐留する事を認める。


 しかし、この追加条件に閑院宮総長の意を受けた陸軍大臣が強行に反対した。


「このような重すぎる条件は中華民国を窮鼠と化させるだけである。 

和平条件を重くすれば、もはや正面から戦う力の無い中華民国は恐らくゲリラ戦に移行する。

あの広大な大陸でゲリラ戦ともなればナポレオンのスペイン戦役同様に長期戦となる。

陸軍、いや、日本には長期戦の準備はない。

短期間で戦争に決着を付けなければソ連の動きが怪しくなり、それでは本末転倒である」

 そう、主張したのである。


 米内光政海軍大臣がそれに異を唱えると

「ならば海軍だけで戦うがよろしかろう。陸軍は退かせていただく」

とまで言い切った。


 陸軍大臣が閑院宮総長の傀儡である事は公然の秘密であって政府閣僚全員の知るところである。

 その陸軍大臣が自信をもって言う事は、閑院宮総長の言葉であるという事だ。

 226事件で情け容赦のない剛腕を発揮した閑院宮総長ならば、本気で陸軍だけを退かせかねないと閣僚達は青褪めた。


 海軍にしても一枚岩では無かった。

 軍令部の伏見宮総長が陸軍に同調したのである。


 陸軍省と陸軍参謀本部、海軍軍令部が、これ以上の戦いを否とし、当初の和平条件案通りに和平交渉を進めるべきだとの見解を示すと、流石に政府も折れるしかなかったのである。

 そして無事、和平交渉は締結され、「日華事変」は短期間に終わりを告げたのである。

 

 

【to be continued】


【筆者からの一言】


日中戦争早くも終了!


このまま状況が推移すれば日本とアメリカの関係は史実とは違い決定的な対立は避けられ、戦争には発展しないかもしれません。

だが、しかし……

例えどんなに相手が強大であろうとも戦おうともせずに負けを認め全てを諦め生きて行くという自ら負け犬になる道は総長の選択肢にはありません。

どんな手を使っても全てを掴むために歩み続ける……それが総長という男。


今はまだ、その時ではないけれど、何れはアメリカも……



和平条件案に関しましては史実とは、かなり違って来ています。


史実においては最初に提示された日本からの和平条件案に蔣介石は渋々乗る気だったようですが、新たに提示された和平条件案があまりに厳しいので、「これなら戦って死んだ方がましだ」と叫び窮鼠と化したようです。そして泥沼の長期戦へ至ったという……


このお話では、これぐらいなら蒋介石も窮鼠と化さないだろうと考えた和平条件案にして決着を付けました。

ただし、総長は………


この続きは第15話の後の第16話にて……


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