仕合終了
血の滴る刃。それは、朔海の目にはある意味馴染み深い、しかしこの場にいる多くの吸血鬼にとってはあまり見慣れない武器。
――この吸血鬼の国は、どちらかといえば人間界の西洋文化圏の影響を強く受けている。
だから、彼が持つような「刀」という武器に馴染みのある者は少ないはずだ。
しかも、今現在その刀身本体は、きっちりと彼の腰に吊られた鞘に収まっている。
目にも止まらぬ速さの抜き打ち。
それが居合と称される戦法である事を、朔海は知識として知っている。
けれど、こうして実際その技を目にした事はなく、ましてや実戦で相対するのも当然初めてだ。
そういえば、全身黒ずくめの衣装に埋もれて気づきにくいが、色の薄い髪色の多い吸血鬼一族においては珍しい黒い髪色をしていることといい、彼の顔立ちや肌の色は、どことなく葉月と似たものを感じる。
吸血鬼の始祖に、魔力を与えたのは、かの魔王陛下。……だからなのだろう、吸血鬼一族に欧州系の特徴の濃い者が多い。
しかし、朔海が咲月を招いたように、元は人間ながら、純血の吸血鬼から正式に招かれた者なら――。
彼は四大家の者ではなく四大公の一人。由緒正しい血でなくとも、それだけの実力があれば誰でも四大公になれる可能性はある。……まあ果てしなく狭き門ではあるが――
とにかく、刀の間合いに入ったら、あの恐ろしい抜き打ちに対処する術は朔海にはない。
と、なればある程度距離を取って戦うべきだろうが、彼のスピードもまた恐るべきものであった。
地に足をつけている限り、彼のリーチから完全に逃れる術は無いと踏み、朔海は翼を広げた。
彼が、どんなに高く跳び、精一杯剣を掲げても届かない高みまで。
これは、少し卑怯な戦い方かもしれない。正々堂々とは到底言えない戦法だ。
それでも、これはスポーツマンシップの求められるお上品な試合ではない。
だから、朔海は良心の咎めをそっと押し殺し、回復した魔力を使い、自らの血で作り出した巨大な弓矢を構え――打ち放つ。
だが、朔海は決して弓射の達人ではない。
そして彼は居合いの達人だ。
当然のごとく、飛来する矢を打ち落とすべく、抜刀する。
――それが普通の矢であれば、彼ほどの腕だ、苦もなく撃ち落とせただろう。
しかしそれは、血の魔力を固めただけの、実体のない矢。
刃は確かに寸分たがわず矢の箆の部分を捉え、それを下から上へと跳ね上げるように剣の軌跡が弧を描いた。
けれど実体のないそれは刃をすり抜け、軌道も速度も変えることなく――彼を掠め、地面に突き立った。
間髪入れず、二射目が飛んでくる。
物理攻撃が効かないと一撃目に学んだ彼は、即座に回避行動に移るべく、左足に重心を落とそうとした、その瞬間。
――地面が、激しく揺さぶられた。
地震だ、と、彼は即座に腰を落とし、地面にしゃがみこんだ。
それは、頭で考えた行動ではなく、習慣として染み付いた、脊髄反射に近い行動だった。
二射目もまた、彼を射抜く事無く地面に突き立った。
その瞬間、揺れのパターンにブレが生じ、不規則になる。
それに対処しようとした、その隙。
ヒュッと、鋭く空を裂く音がした。
それは彼が自らの剣を抜く際に聴き慣れたものとよく似た音。
そして、鋭い殺気を帯びた冷たく鋭いものが首筋に当たるのを直後に感じ――
ようやく、背後の気配に気づいた。
「……王手――いや、これは詰み、か」
これもまた身体に染み付いた、とっさの行動だろう、腰の獲物に添えた手を、彼は静かに下ろした。
「あのまま、我が手の届かぬ高みに留まり、そこからいくらでも、好きなだけ魔術を使えば良かったものを。まさか、自ら地へ舞い戻るとは。――愚直だな」
「例え卑怯な手を使ってでも、勝ちを、譲るわけにはいかなかった。けれど、僕にとってはただ勝てばいいだけの仕合でもなかった。――それだけの事です」
「……往生際の悪いのは、嫌いだ。いいだろう、負けを認める」
殆ど呟くような、ごく控えめな声。
だが、その言葉はしんと静まり返ったそこに、やけに大きく響いて聞こえた。
最後の障壁が、倒された。
――いつ以来か咄嗟に言えるものがどれだけこの場にいるだろう?
その名を冠する者の出現に、声を上げるものは誰ひとり居ない。
アナウンスさえも、まだ仕合終了を告げられずにいる。
硬直しきった空気を破ったのは、ごく静かな足音だった。




