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行李  作者: 長廻三月
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1-1

 湿気を含んだ六月の風が、狭い学生研究室を駆け抜ける。

 長机を並べただけの共用テーブルの上にある、いつからあるのかわからない講義レジュメが、かさりと音を立てた。


 泉(いずみ)つむぎは、誰かの食べかけのポテトチップスの袋をそっと脇によけた。いつもの席に腰掛けると、古いソファーで寝ている三年生の高野洸太郎(たかのこうたろう)を起こさないよう、小さく息を吐いた。


 空には厚い灰色の雲が垂れ込めていて、少し肌寒い。

 カーディガンを羽織ってきて良かった。

 洸太郎くんは、寒くないのかな?


 そっとソファーを見た。


 Tシャツとハーフパンツ姿で、薄く開いた口から涎(よだれ)を垂らしながら、洸太郎が幸せそうに眠っていた。

 大丈夫そう。

 つむぎはくすりと笑った。


「あ! まだ寝てる!」

 静けさを破る大きな声に驚いて、つむぎは振り返った。


 開いたドアの向こうに、四年生の藤原日菜(ふじわらひな)がレジュメとタブレットを抱えて立っていた。

 その背後には、図書館から帰ってきた修士課程二年の大島碧人(おおしまあおと)の姿もあった。


 日菜はつかつかとソファーに歩み寄ると、大きく息を吸った。

「起きろ!!!」


 身じろぎもしない洸太郎に、日菜はもう一度怒鳴った。

「洸太郎!!!! 起きろ!! 次授業でしょ!」

「えぇー。もうちょっと……」

 ようやく目を覚ました洸太郎が、目を擦りながら横向きになった。


「バカ!! あんた単位ヤバいんでしょ!!」

「ここのソファー、めっちゃ寝心地良くて……」

 洸太郎は、仰向けになってふにゃりと笑った。

「ここから共通棟まで何分かかると思ってんの! 早く起きなさい! ソファー捨てるわよ!!!」

「やだぁ……もうちょっと……昨日バイトで遅かったんっすよ」

 寝返りを打った洸太郎は、今度はうつ伏せになり、いやいやと言うように首を振った。


「でも、本当にそろそろ遅刻するぞ。次の授業、日本国憲法だろ? 去年単位落としたやつ」

 碧人が、腕のスマートウォッチを見た。

「ほら、あと五分で始まるぞ」

「マジっすか!!」


 ソファーからガバっと身体を起こした洸太郎が、頭をガシガシと掻いた。

「もうっ! 日菜センパイ! 早く起こしてくださいよ!」


 洸太郎は、不貞腐れたように言うと、床に放り出されていたリュックを手に取って部屋から走り出た。

「はぁ!? 私はお母さんじゃないっつーの!」

 バタバタと遠ざかる洸太郎の背中を、日菜の声が追いかけた。


 またやってる。

 心が少し、軽くなった。

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