15
ミランダの事件から三ヶ月、季節は真夏へと移り変わっている。首都の夏はいつも暑いが今年はどうやらとりわけ厳しい猛暑になりそうだった。
アレックスは庭のプールの前で木製のサンデッキに横たわり新聞を開いてみていた。ロボが用意した冷たいアイスティがサイドテーブルでグラスを曇らせている。
「クーパーの実刑判決が出たのねえ。懲役九十年ってとても長い時間ね」
この暑さだというのに涼しい顔をしていつもの黒スーツに身を包んだロボがアレックスの言葉に頷いた。
「ミランダの証言が実に有効だったようですね」
「ミランダはどうしているのかしら」
「ドネリー捜査官から伺いましたが、体調を崩したヘンリー・ディクソンの療養にずっと付き添っているそうですよ」
「……ふうん」
アレックスは返事ともつかない呟きをもらした。
六十年近く過ぎ去ってから、お互いの人生の終わりに再開した初恋の相手との間にどんな感情の機微があるのかはアレックスの想像できる範囲ではない。それでもぼんやりと、一応知り合った人間が孤独でないというのならそれは嬉しいことだと思う。誰だってきっと一人は寂しい。
事件の一週間後にディクソンに最後に会ったのだが、今回の貸しを返してもらったことを思い出す。
それから、ん?と身を起こした。
「え、なんでジャックと話をしているの?いつそんなことが?」
「先日、アレックス様の御家族に二人そろって呼び出されたからですよ」
「……あ、そう。そうか、それはそうね。確かにそれはありそうだわ。事件の最中に無かったことがおかしいくらいだもの」
アレックスは新聞を閉じる。顔を上げて表情も変えずに遠くを見ているロボに尋ねる。
「怒られた?」
「いいえ、再確認のため事情聴取というところでしょうか。殆ど把握されていました」
アレックスは今度は深いため息を吐き出す。
つまりは静観されていたということだ。間違いなくアレックスが動き始めた時だろう。中央捜査局と接触した時から。アレックス抜きで家族会議が行われたに違いない。
今までずっと何もしなかったロックハート家の象徴であるナイトウォッチがようやく自分から動き始めた。それは一族にとって大事件だ。
父親と双子の兄らの片方、二番目と三番目の姉あたりはアレックスが可愛いから危険なこととしてとめたかも知れない。母親と長兄、もう一人の双子の兄、一番目の姉はそれでも変わろうとする態度は評価したいとか言ったかもしれない。
まあ最終的にでた結論はわかっている。そもそもアレックスにミランダの情報を流したのは家族だろう。ナイトウォッチを二人失いかけて困っている中央捜査局に打診したに違いない。発端がロックハートであったなら、横槍が入るわけが無い。ただ多少謎なのは、さすがに夢に潜る事は危険であるがそれを許したということだ。
だとすれば、ロボの心情も理解していたことになる。
ロボが確実にアレックスを補助するとわかっていたからこそ、アレックスが夢に潜ることを許したのだろう。それはロボが語る以外にない。いつの間に接触したのやら。
やれやれ、家族もロボも、皆それぞれに思惑があって動いている。結局自分ひとりで決めたようでそうではなかったということね。
アレックスは内心でぼやく。
でも仕方ない、自分にできることなんてまだたかが知れている、今は。
「……一度家に顔を出さないとね」
「皆様喜ばれるかと思います」
と、屋敷の方で女中がロボを呼んだ。失礼しますと告げてロボが席を外す。アレックスはゆらゆらと光を跳ね返している水面をぼんやりと見つめた。
ナイトウォッチは機密性の高い職業だ。その手段は同業者同士でも連携されていない。もちろんそれには理由もあるのだろうがこのままではいつか行き詰まる。ナイトウォッチとして生まれる者の数が減っているのは旧本国のギルドでも問題とされている。ならば個々の独立した技術を体系的にまとめて、ナイトウォッチが万が一いなくなっても対応できる体制を作るべきなのでは無いだろうか。
旧本国固有であったはずの夢魔という現象は、国家間の交流と移動が容易くなっている今、世界に爆発的に広がりかねない危険を秘めている。かつて旧本国からの植民地であったセレベラですら対応に苦慮しているのだから、今まで夢魔に曝されたことのない場所ではそれが何かを把握することすら困難かもしれない。
……でも、それにはもう少しわたしが経験をつまないと。
それに一人じゃだめだ。
「アレックス!」
屋敷のほうから呼ばれてアレックスはサンデッキ越しに振り返った。
「あら、ジャック」
上着を抱えてネクタイをわずかに緩めたジャックがロボと一緒に屋敷のほうからやってくるところだった。
「おい、今日も暑いな」
「久しぶりね」
アレックスは立ち上がった。その瞬間ジャックが立ち尽くす。震える指でアレックスを指差しながら顔をそむけて悲鳴のように言った。
「お前はなんてかっこをしているんだ!」
「あら、これ水着よ」
アレックスはその輝く黄金の髪を見せ付けるようにくるりと回った。ぎゃーと今度は完全に悲鳴を上げたのはジャックだ。
「そんな水着は知らん!」
アレックスは下こそあの腐ったようなジーンズを履いているものの、上半身に身についているのは胸を覆う程度の布である。
「セパレートタイプの水着ですって。多分これからはワンピースタイプじゃなくてこのタイプが広がっていくと思うのよ。この間お姉様の一人が送ってくれたの」
「いいから服を着ろ!」
「見えているおへそが可愛いのに。アレックス様こちらをどうぞ」
進み出たロボが、アレックスにタオル地のパーカーをかける。残念そうにアレックスはそれを羽織った。しかしパーカーは強烈な緑色である。水着がものすごい紫なので相変わらずそのセンスはどうなんだという顔でジャックはため息をついた。
「で、どうしたの、ジャック」
「いや」
ジャックは書類の入っているらしい大きな封筒を差し出した。
「またお前の力を借りられないかという中央捜査局からの依頼状だ」
「承ったわ」
「返事の前に中身ぐらい見ろ!」
あっさり封筒を手にしたアレックスは上機嫌に言う。
「いいのよ。先日こちらから打診していたんだから。なにかあったらいつでもどうぞ。でもジャック・ドネリー捜査官を間に立ててねって」
「え?」
ジャックは何か言いたいが、言うべき言葉をとっさに見つけられないという顔で口をあけたり閉めたりしている。そもそも今日ここに寄越された時点で、なぜ俺が……という疑問はあったのだろう。彼は何度目かもうわからなくなっている同じ言葉を吐き出した。
「お、俺はナイトウォッチ課では」
「知ってる」
流れるような動作でロボに封筒を手渡してアレックスは一歩踏み出すと、ぎゅっとジャックの腕に抱きついた。
「なにすんだ!」
「あら、誘惑しているのだけど。無効?」
「なんでだ。やめろ、お前の家族に今この瞬間狙撃されたらどうする!」
ジャックは腕を振って振り払おうとしているがアレックスもなかなかしつこい。
「わたしが潜行している間、身を守る相手が欲しいわ。わたしはジャックを信頼している。だからわたしのものになってほしいのよ」
「いい加減にしろ!」
ジャック思い切り鼻をつままれて、アレックスは悲鳴をあげて一歩下がり、そのままプールに落ちた。派手な水飛沫があがり、やがてアレックスが水面に顔を出す。
「ジャックのケチ!」
「お断りだ。小娘が」
問題の水着が見えなくなって視線に困らなくなったためか、ジャックは勢いづいて言う。
「誘惑なんざ百年早い」
「五年後に後悔するわよ!?」
ジャックはやれやれと頭をふると、プールサイドにしゃがみこんだ。
「お前のものになってはやれないが、確かにちょっと回りを固められつつあって諦めた部分もある。手伝いならしてやるからそれで満足してろ」
「ものの価値がわからない男ですね」
ロボがアレックスに手を添えて彼女をプールから引き上げた。水滴を滴らせて黄金の髪をぺったりと首筋から背に貼り付かせているが両手を腰に当てて胸を張って言った。
「まあいいわ。三年できっと後悔すると思うから」
呆れ顔のジャックだが、アレックスは気にしないでロボからタオルを受け取る。
「だってわたしはどんどん変わるもの」
アレックスはジャックを見つめた。
「ダリル叔父様の住所を調べたの。ディクソン前総監にお願いして」
まだ新米のジャックではロックハート家の邪魔が入って調べ切れなかっただろう。ディクソンだからこそ、アレックスの手助けが出来た。こうなることを予想してなどいなかったが、自分が動かなければ手助けも得られなかったに違いない。
「昨日、お手紙を出したわ。十年以上かかったけどやっと謝れた」
ジャックは無言で指先を伸ばしてアレックスの美しい魔眼にかかった濡れた髪をはらった。アレックスはくすぐったそうに笑う。
「もちろんお返事はまだこないけど、でも」
「……叔父さんがどう考えているかは俺にもわからない。でもアレックスは自分自身を信じていいと思う」
ジャックの短いが誠意ある言葉にアレックスは頷いた。
「ありがとう」
ジャックと知り合えて、ロボに本心をぶつけられて、やっと自分は踏み出せた。そして今、ようやくミランダの件が完了したようにアレックスには思えた。
なぜか横でロボはため息をついた。
「これだけ信頼しあっているのに、どうしてアレックス様の価値をわからないんですかねえ、この捜査官は」
「いや、いろいろ別問題だぞ」
珍しくロボに嫌な顔を向けたジャックだが、ロボは気にする様子もない。アレックスはけろりとしている。
「いいのよ。ジャックは一年で後悔するってわかっているから。大丈夫、わたしは寛大よ。後で謝ったら許してあげる」
「さっきからすごい勢いで期間が短くなってるじゃねえか。お前の自信が俺は怖いよ」
呆れるジャックにアレックスは笑いかけ、屋敷を手の平で示す。
「じゃあ、依頼の内容を伺いましょうか。お仕事するって楽しいのね」
「仕事か!?お前のそれは仕事なのか!仕事と言うのはこうもっと……!なんかお前のは趣味っぽいぞ!」
「それならそれでいいわ。趣味と仕事に上下はないと思うから」
そしてぺたんと足跡を残しながらアレックスは屋敷に向かって歩きはじめた。
ロックハート財閥の傘下に細々とあったナイトウォッチ機関が独立し、諸国へ大規模に企業展開していくのはそれから二十年後のことである。初代会長はアレクサンドラ・ロックハート。
その才覚が話題になるのはもちろんのこと、ファッションアイコンと呼ばれるほど洗練された身なりをした絶世の美女であるという。
おわり
こちらで完結となります。
お付き合い頂き皆様ありがとうございました。
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それでは、また別の話でお会い出来たら幸いです。




