10 アルフィン、騎士の誓いをする
小鳥のさえずる、緑のトンネルの中、俺たちは馬を走らせていた。
空からキラキラとこぼれる木漏れ日と、吹き抜ける風が非常に心地よい。
先頭を走るのはエラン。続いて俺。
そして最後尾が、アニスとメルティナだ。
俺は、ふと背後を振り返る。
メルティナは振り落とされまいと、目を閉じ、アニスの腰にぎゅっとしがみ付いている。
一方、慣れた感じで手綱を振るうアニス。俺と目が合い、何やら意味ありげにニヤッと笑った。
その顔は、残念でしたね───、とでも言いたげな感じ。
エルガリア北部の住民にとって、馬は生活の一部であり、成人男子のほとんどは馬に乗ることができる。
そして、年頃の男性にとって、恋人を後ろに乗せて走るということは、ある意味ステータスであり、憧れとも言える行為であった。
………いや、別に俺は、残念などと思ってないぞ。
俺とメルティナはまだ、恋人でも何でも無いのだ。
それに、アニスは女の子なんだし、別に嫉妬を感じる筋合いも無いだろう?
───などと考えているうちに、俺たちはどんどん進む。
途中、中間地点で休憩を挟み、馬に水をやった。
そこで、アニスに代わろうかとひやかされたが、無論、俺は断る。
メルティナが、少し残念そうな顔をしていたように見えたが、きっと気のせいだろう。
そんなこんなで、昼前には、目的地である丘に辿り着いたのだった。
▽
緑のトンネルを抜けた先に、その丘はあった。
片隅には、ぽつりと山小屋が立っている。
きっと、木こりが使っていたものだろう。
それまで閉塞していた頭上に、ぱっと青空が広がった。
そして、その丘は、例えるならば展望台のよう。
遥か遠くに連なる、緑の山々が一望できる。
だが、そんな美しい自然の中にある、禍々しい存在に、俺はすぐ気付くこととなる。
それは、青空へと立ち上る、もくもくとした黒い煙だった。
俺は思わず息を呑み、丘へと進み出る。
その先は、切り立った崖となっており、眼下にはリュマ地方の風景が広がっていた。
東西に通っている北部横断道と、その脇にいくつか点在する集落。
その集落のひとつから、その黒煙は立ち上っていた。
それまで半分ピクニック気分であった雰囲気が、一気に張り詰める。
「ねえ、何か、やばくない?」アニスがつぶやいた。
メルティナは怯え、泣きそうな顔でアニスの腰にしがみ付く。
「何だよアニス、お前、騎士を目指してるんだろ。なら、いずれはああいう場所に立つんだぜ」
そう言うエランの顔には、将来騎士になるという、決意のようなものが浮かんでいた。
とはいえ、まだ実戦経験の無い子供、いくらか緊張した面持ちで、馬を前に進める。
エランの提案に乗り、いざ来てはみたものの、俺もびびっていた。
正直、ここは俺たち子供がまだ来て良い場所じゃない。
その場の空気が、俺たちにそう警告しているような気がした。
だが、男子として、エランに負けられないという対抗心もある。
俺はエランに続いて、馬を前に進めた。
(………?)
そこで俺は、視界の片隅に、違和感を感じ取った。
ふと、そちらを見やる。
それは、小さな焚き火の痕跡。
消して間が無いらしく、わずかにくすぶっているのが見て取れた。
─────!
それを見た瞬間、俺は心臓を鷲掴みされたような衝撃を覚えた。
俺たちの他に、誰かがこの場所に居る………?
木こりか? いや、でも何でこんな場所で焚き火を………
そこで俺は、一月ほど前に受けた授業を思い出した。
焚き火の中に、獣の糞などを調合した丸薬を投入する。
すると煙が拡散せず、一直線に空に向かって立ち上るのだ。
いわゆる、狼煙というやつである。
・
・
俺たちは本当に浅はかであった。
リュマ地方が一望できる、こんな絶好のポイントを、利用しない手はないのだ。
きっとこれは、ベルナード方面から進軍してくる騎士団の存在を、仲間に知らせるためのもの。
そう、その仲間とは、村で略奪を働く、傭兵団の仲間たち………、
・
・
「おい、みんな、逃げ………!」
そう叫んだ俺の頬を、矢がかすめて通る。
「ぐっ………!」
そして、エランの右肩には短刀が突き立ち、うめき声が響いた。
背後を振り返る。山小屋の扉が開いていた。
そして、そこから迫り来る、剣と弓矢を持った二人の傭兵の姿。
「おい、わかってんなァ、女には当てるなよ!」
「わかってらァ、キシシ………!」
薄汚れ、ベコベコにへこんだ甲冑を身にまとった、中年の傭兵たち。
その風貌は小汚く、甲冑が無ければ、浮浪者にも見えたことだろう。
しかし、筋骨隆々とした両腕と、体中にある無数の傷は、彼らが歴戦の戦士であることを物語っていた。
馬首をひるがえし、逃走を試みる。
とはいえ、傭兵たちが居るため、ベルナード方面には戻れない。
さらに山の奥へと、馬を駆けさせた。
この先は、いずれは馬が通れない獣道となるのだが、そんなことを考えている余裕は無い。
俺は、それまで経験したことのない恐怖に支配され、ただ必死だった。
どれくらい逃げたのだろうか。
道も狭まり、もはや馬で通るのも限界に近くなった場所で、俺は背後からかかるエランの声に気付く。
「………ァルフィン、アルフィン! 止まってくれっ!」
その声に、背後を振り返る。
そして、そこにある光景に、俺は絶句し、一気に血の気が引いた。
アニスとメルティナの姿が消えている。
傭兵たちの姿も無い。考えてみれば当然である。
徒歩の彼らが、馬の自分たちに追いつける筈も無い。
恐怖に駆られ、逃げ過ぎたことを少し後悔した。
俺は荒い息を整えつつ、エランに尋ねる。
「アニスと、メルティナは………」
「わからん、俺が気付いた時には、もう………」
「捕まったの?」
「………恐らく」
エランの顔は蒼白で、今にも泣きそうな顔をしていた。
きっと俺も同じような顔をしていたことだろう。
「すまん、こんな場所に行こうと言い出した俺の責任だ………」
そう言いつつ、エランは馬首をひるがえす。
その右肩からは、血が流れ出て、服を真っ赤に染めていた。
▼
あの傭兵たちが追いかけてくる気配は無かった。
俺たちは、とりあえずエランの傷の手当てをすることにする。
お互い上半身裸になると、それぞれの肌着を切り裂き、包帯を作る。
「すまない、頼む」そう言うと、エランは岩に腰掛け、俺に背中を向けた。
ぱっくりと開いた傷口に、薬草を塗り込むと、エランの体がびくりと動く。
「ごめん、痛い?」
「………いや、大丈夫だ。続けてくれ」
「本当なら、水で洗うのがいいんだっけ?」
「ああ、親父、そんなこと言ってたな。でも、水が無いんじゃ仕方ない」
そこから、しばらく沈黙が続いた。
きっとお互い、これからの事を思案していたのだろう。
やがて手当てを終えた俺たちは、服に袖を通しつつ、今後のことを話し合った。
「アルフィン、お前は麓の騎士団に、この事を伝えに行ってくれ」
「エランは………?」
「戻る。お前が騎士団を連れてくるまで、奴らを見張っているよ」
「もしも、奴らが移動を始めたら?」
「その時は………」
エランは、腰の剣に手を当てつつ、決意したようにつぶやいた。
「やれるだけ、やってやるさ」
一人が傭兵たちを監視し、もう一人が大人たちにここで起こっていることを伝えに行く。
俺もそう考えていた。だが、俺のプランは配役が逆だ。
エランは、痛みに時々顔を歪め、服を着るのにも時間がかかっていた。
肩の傷は、かなり重傷だろう。正直、剣を振るえるかも疑わしい。
俺が傭兵たちの場所に戻り、エランが麓の騎士団へ助けを求めに行く。
客観的に考えて、それがベストだ。
だが、俺はそれを口に出せずにいる。
………俺は、傭兵団の元へ戻るのが、正直怖い。
もしも、前世の俺だったら、絶対にそんな提案はしなかっただろう。
安全で、苦しくなく、楽なほう、楽なほうへ。
それが前世での俺のスタンスだった。
しかし………、
エランと、野山を駆け巡り、剣を打ち交わした思い出が。
アニスが普段浮かべる意地悪そうな笑みと、あの時、赤くなって照れていた顔が。
メルティナの、憧れに似た俺への眼差しと、花が咲くような優しい笑顔が。
一瞬で脳裏を駆け巡った。
それは、前世で心から欲したが、最後まで手に入らなかったもの。
この世界でやっと手に入れた、かけがえのないものだった。
絶対に、失いたくはない。
今感じている、これが友情ってやつなのか?
その心にじんと染み入る感情は、騎士団の出立の時に感じた、あの体の震えにも似ている。
そして誕生日、ウェインに剣を貰った時の言葉───、
貴族として、剣を持つ責任。
その剣は、ただ他人を傷付けるためのものでは無い。
家族を、友人を、領民を、大切なものを守るために有る。
それを思い出した瞬間、俺の手は、自然と腰の剣に触れていた。
ぎゅっと、心が締め付けられるように痛んだ。
ちくしょう、親父、これが貴族の誇りってやつかよ?
▽
ふと見ると、すでにエランは俺に背を向け、歩き出している。
………行ってしまう。
続けて俺は山の麓を見た。
あっちのほうが安全だ。
このまま、何も言わず、あっちに行けば楽だろう。
ただ、山を駆け下り、騎士団に知らせて、ここに連れて来ればいい。
その悪魔の囁きにも似た誘惑が、俺の中で芽生えた感情とせめぎ合う。
俺は、がばっと胸元を掴み、山の麓へ逃げようとする気持ちを、必死で繋ぎ止めた。
逃げるな。逃げるな、アルフィン!
お前が行く方向は、そっちじゃ無い!
ザッ………と土を踏み、俺はエランの元へと駆け出した。
そしてその肩を掴んで引き留める。
「エラン、待ってくれ。俺が行く」
立ち止まったエランは振り向かない。そのまま俺は続けた。
「交代しよう。エランは麓に下りて、騎士団を………」
やがてエランは、背中越しに、絞り出すような声で答えた。
「ダメだ。俺が、行く………」
「でも、その傷じゃ………」
そのまま強引に、エランの肩を引き寄せる。
そして、振り返ったエランの顔を見て、俺は言葉が詰まった。
両目には涙が浮かび、その顔は、今にも泣きそうだったのだ。
・
・
・
エランも、俺と同じように、恐怖を感じていた。
ただ、俺と違っていたのは、彼は一番の年長者であったこと。
さらには、この場所に行こうと言い出した、責任を感じていたのだろう。
エランが口を開くと同時に、たたえられた涙がぽろりと落ちる。
そこで、彼の中で張り詰めていた一本の糸が、ぷつりと切れたようだった。
「俺が、こんな場所に、行こうって、言ったから、俺が、うぐっ、俺が行がなぐぢゃ………」
顔がくしゃっと歪み、両目から涙があふれ出す。
それは、暴力に恐怖している、ごく普通の十三歳男子の姿だった。
心がじんと熱くなり、その体を思わず抱きしめる。
まるで彼の感情が伝播したかのように、俺の目からも自然と涙があふれ出ていた。
「だ、大丈夫、俺が行く。俺が行くからッ、俺を、俺を信じて………!」
エランが何か答えたが、もはや言葉になってはいない。
俺たちは抱き合ったまま、その場に崩れ落ちる。
そしてしばらく、声を上げて二人で泣いた。
▼
どれくらい時間が経ったろう。
このまま、ずっと泣いているわけにもいかない。
そんなことは当然、お互い理解していた。
俺を抱きしめるエランの手が、すっと緩む。
それに応じ、俺も両手の力を緩めた。
そして、お互いに見つめ合う。
エランは、両目を真っ赤に泣き腫らしていた。
しかし、その瞳の奥にあるのは、もはや恐怖の感情だけでは無い。
強い覚悟と、決意の感情が見て取れる。
「アルフィン、頼む」
やがてエランが発した、ただ、その一言が、俺の心を震わせた。
今、俺の心に湧き上がるこの気持ちは、勇気と呼ぶべきものなのか。
俺は無言で頷くと、そのまま、お互い立ち上がる。
エランは何も言わず、腰の剣をじゃらっと抜くと、天に掲げた。
その行動を俺はすぐに理解した。
エランに倣い、剣を抜いて掲げる。
そして、お互いの剣を交差させた。
いわゆる、騎士の誓いというやつだった。
本で読んだことはあったが、実際にするのは初めてだ。
木々から差し込む木漏れ日が、交差した剣に、きらりと反射する。
「助けよう、アニスとメルティナを、必ず」
エランのその言葉に、俺は頷きながら答えた。
「ああ、騎士の誇りにかけて………!」
◆◇◆◇◆




