19.魔導士たちの戦い
19.魔導士たちの戦い
「beretta flatus!」
青年が叫ぶと、青年の周りの草花が舞い上がり、それは風と一体になって渦を巻きながらイオン達へ一直線に襲い掛かってきた。
形を変えながら猛スピードで突き進んでくるそれは、二人が左右別々に飛んで回避する頃には、大きなキツネのような姿になっていた。
キツネが身を翻し大きな尻尾を鞭のようにしならせると、そこから突風が巻き起こった。
体勢が崩れていたイオンは風に煽られて小さな坂を転げ落ちた。
「beretta ligabis!」
青年が次の呪文を発すると、今度はキツネが狼のように遠吠えした。
その瞬間、イオンの手足が何かに縛られたかのようにそれぞれ合わさり、全く動かせなくなった。
ノエルが白装束の女性にかけた魔術と同じもののようだ。痛みはなかったが、全く身動きがとれない。
幸い、肩掛け鞄は飛ばされずにまだ近くにある。ジンを喚びだして…
「…っ!?」
しかし、口が動かなかった。これでは召喚が成立しない。
「beretta aura!」
「きゃあっ!?」
少し離れた場所で、ノエルが杖を握りしめながら花吹雪と旋風に巻き込まれていた。
しかし、目を瞑って必死に耐え忍んでいるように見えるが、何故かノエルの服は全く風になびいていない。よく見ると、足元で方陣が輝いているのが見えた。風除けの方陣だ。
「colt lutum!」
再び青年が叫ぶ。すると、ノエルの身体が少しずつ地面に沈み始めた。
しかし、ノエルは落ち着いていた。
上半身が埋まる前に器用に杖を操り、自分の周りに方陣を描く。方陣で囲んだ内側が綺麗な水に一瞬で変わり、地面に捉えられていたノエルの身体が水の中に浮かび上がった。
ノエルは水浸しになりながらもそこから抜け出した。
「イオンさん!」
ノエルはイオンに向かって杖を振った。イオンは口が開けられるようになり、思わず深呼吸した。イオンは魔法が一部解かれたことを察した。
「jin flatus!」
「beretta ligabis duo!」
青年とイオンが叫んだのはほぼ同時だった。
青年の周りから、先刻と同じように草花の旋風が巻き起こり、イオンとノエルの間を突き抜けていく。二人は全身の自由を奪われてその場に倒れこんだ。
青年はその隙に、ノエルの魔法で身動きできなくなっている女性の元へと走った。
「姉さん! 大丈夫!? 今魔法を…、あ、あれ?」
青年は自分の手の中を見てうろたえた。青年が今まで握りしめていた魔法石がなくなっていた。
「坊ちゃん。こいつをお探しかい?」
水の塊となっているジンが紺碧の魔法石を包みこみながら、地面に倒れるイオンの上で浮かんでいた。青年は憎々しげな表情を浮かべた。
「ベレッタ。その男の精霊から魔法石を取り返してくれないか」
「はい、ロイド様」
キツネのような精霊は水の塊であるジンに向かってその長い尻尾を振り回した。ジンはそれを軽々と避けると、キツネを煽るかのように周りを飛び回った。
「おうおう、キツネっ子のベレッタじゃねぇか! そんな尻尾で俺を捉えようなんて一年早ぇんだよ!」
シンは勢いよく坂を上っていった。ベレッタと呼ばれたキツネの姿の精霊は悔しそうに唸ると、ジンを追いかけてしなやかに走り去った。
「ジン…? お前、召喚士なのにジンなんかと契約してるのか」
青年は胡散臭そうな目をイオンに向けた。
「まぁ、今はそんなことはどうでもいいか。おい、方陣士。姉さんに掛けた繋縛の魔法を解くんだ」
「すみません。私はその魔法の完全な解除方法を知りません。解くなら自分で解いてください」
「なんて人だ…っ! …仕方ない、コルト!」
青年が叫ぶと、青年の目の前の地面が盛り上がり、何かがひょっこりと顔を出した。細長く突き出したそれは、ヘビの頭のように見える。
「呼んだかい、ロイド」
ヘビの頭はのんびりとした口調で返事をした。
「コルト。姉さんに掛けられている魔法を解けるか」
「んー。僕、風の魔法は専門外なんだけどなー」
「反対呪文は柔化の魔法だ。それならコルトでもできるんじゃないか」
「あー、それならできるかもー。ちょっと待ってねー」
コルトと呼ばれたヘビのような姿の精霊は地面に潜って見えなくなった。しばらくすると、強張っていた女性の身体が動いた。
「姉さん!」
青年が話しかけると、女性はぎこちない笑みを浮かべた。
「大丈夫…。まだ手足は動かないけど、大丈夫よロイド…」
「ちくしょう。まだ解けきらないのか。どれだけ強力に魔法を掛けてくれたんだ…!」
「ロイド…、っていうのか」
イオンが頭を捻るようにして動かし、ロイドを睨みつけた。ロイドははっとして振り返った。
「魔術がかかりきってなかったのか…っ!?」
「交渉しよう。俺がジンでその人の魔術を解こう。その代わりに、俺らのこの魔術を解いてくれないか」
「交渉を持ちかけられる立場にあると思ったら大間違いだぞ」
ロイドは言った。しかし、当の本人の表情は緊張に満ちていた。
イオンとロイドが睨み合い、火花を散らしていると、ロイドに抱えられている女性が口を開いた。
「ロイド…。あの二人の魔法を解いておやりなさい…。あの人の言う通り、私に掛けられた魔法は私達には解くことができません」
「姉さん! 魔法石が手元に返ってくれさえすれば、僕が解くよ!」
「ロイド。あの二人の魔法を解きなさい」
女性は額に汗を浮かべつつ、力強く言った。ロイドは逡巡した後、ため息をついた。
「わかったよ。姉さんがそう言うなら…。ベレッタ!」
ロイドが叫ぶと、木の葉のような葉っぱが彼の側で渦を巻いて現れた。それが収まると、木の葉の渦はキツネの姿の精霊に変わっていた。
「すいませんロイド様。まだジンから魔法石を取り返せていません」
「もういい…。おい、お前たち」
ロイドは女性を花の絨毯の上に静かに横たえると、倒れているイオンとノエルに近づいた。
「何故姉さんに繋縛の魔法を掛けた? 姉さんが君たちになにかしたっていうのか?」
「何もしてない。俺らが雪女と早とちりして、魔法をかけてしまったんだ。すまない」
「雪女? なんだそれは」
「知らないのか。ノザントーレに住んでいる人達はみんな知っていることだぞ」
イオンが言うと、ロイドは目を丸くした。
「ノザントーレ!? お前、ノザントーレの人間なのか!? 町はどうなってる!? みんなは無事か!?」
「俺はノザントーレの人間じゃないが、横にいるノエルという方陣士はノザントーレの住人だ。君が何のことを言っているのか知らないが、ノザントーレは冬期間中で、今は誰もいない」
「冬期間? 誰もいない? …どういうことだ?」
ロイドは目を丸くし、狼狽えた。
「…まぁいい。とにかく、姉さんはお前達を解放しろと言った。ありがたく思えよ。ベレッタがお前達の魔法を解いたら、必ず姉さんの魔法も解くんだ。いいな」
イオンは頷いた。ロイドがキツネの精霊の名を呼ぶと、キツネはゆっくりと尻尾を振った。すると、イオンは身体中の拘束が解かれるのを感じた。ノエルも同じようで、安堵のため息をついて倒れこんだ。
「ノザントーレでは今、雪女が出ると言われているんだ。それを見たという人達が言う雪女の姿に、君のお姉さんが似ていたから勘違いしてしまった。すまない。人とわかった以上もう危害は加えるつもりはないし、詫びとして、知りたいことがあれば俺が知っていることなら何でも話そう」
「おいイオン、俺はいつまでコイツを持っていればいいんだ?」
いつの間にか、ジンが側に来ていた。ジンは魔法石を包んだまま、イオンの周りをぐるぐると飛び回った。イオンは狙いを定め、手づかみでジンから魔法石を抜き取った。
「てンめぇ! 腕突っ込みやがったな!」
「返せ、と言っても返さないだろ、お前は」
イオンはジンを適当にあしらうと、紺碧の魔法石をロイドに差し出した。そして、自分の魔法石であるジーズの石を手にとった。
「jin ligabis verto」
イオンが繋縛解除の魔法を唱えると、女性は深呼吸しつつ、ゆっくりと起き上がった。無事に魔法を解くことができたようだ。
「大丈夫? 姉さん」
「ありがとうロイド。大丈夫よ」
女性はゆっくりとフードを下した。イオンはその素顔を見て、その美貌に息を呑んだ。
乾いた空気に当てられているにも関わらず、長い黒髪はしっとりと艶があり、肌は雪のように白い。
そして、何よりも一番目を惹かれるのが、赤い瞳だった。
イオンは今まで、瞳が赤い人には会ったことがなかった。
「イオンさん、とノエルさんというのですね。私が幽霊に似た紛らわしい姿をしていたお陰で、みなさんには迷惑をお掛けしました」
「姉さんは悪くない!」
「ロイド。もう争いはおしまい。今は他に知らなきゃいけないことがあるでしょう?」
「…雪女と、ノザントーレの冬期間」
「そう。わかったわね」
女性は穏やかに微笑むと、イオンに向き直って言った。
「私はクロエと言います。こっちは弟のロイド。この近くにある小屋で、二人で住んでいます」
「何故町ではなくこんな場所に?」
「恥ずかしい話ですが、私は生まれつき病弱です。そしてそのうち、薬の効かない病に罹るようになってしまいました。ロイドがお医者様に尋ねて回ってくれたお陰で、ようやく、ウラニル山にいる大精霊の元で過ごせば、病を徐々に浄化できるということを知りました。それから私達は山を登り、こうして生活しているのです」
クロエの話をノエルは黙って聞いていた。いつもなら、こうゆう根拠の無さそうな話には突っかかっていくのに、珍しいこともあるものだ。
「クロエさんは、ノザントーレの人なのですか」
「はい。私もロイドも、ノザントーレの生まれです。父母は貿易船で仕事をしているので滅多に家には帰ってきませんから、二人で生活するのには慣れています。それだけに…」
クロエは眉をひそめて言った。
「それだけに、さっきイオンさんがおっしゃったことが気がかりです。その、雪女と冬期間、そして町の人々がいないということについて、詳しく教えていただけますか」
「もちろんです。いいよな、ノエル」
イオンがノエルに尋ねると、ノエルは無言で首肯した。
「ありがとうございます。それでは、このまま外で話すのも悪いので、私達の小屋へ案内します。ロイド、道案内を」
「…こっちだ」
ロイドは魔法石を握りしめつつ、踵を返して歩き出した。
声色から察するに、ロイドはまだ俺達を歓迎する気分ではないらしい。見ず知らずの人間に姉が襲われたのだ。無理もない。
「ロイドは、体の弱い私を守ってくれる頼もしい弟です。少し危なっかしいところもありますが、決して悪い子ではありません。どうか、気を悪くされないでください」
「わかってますよ。そもそも、この方陣士が早とちりしたのが悪いんですから」
「…その。ごめんなさい、です」
ノエルは顔を背けながら、ぼそぼそと謝罪の言葉を口にした。クロエはそれを聞いて微笑んだ。