第二十五話 双子であるということ
~SIDE ロザニィ~
「・・・・・・」
師匠と入れ替わるようにテントに入った私とキャル。
テントの中に入ると気付かされる。
暗闇の中での火がとても明るかったという事に。
テントからでも火の光は私達に安らぎを与えてくれた。
当然のようにあるランプの光では気付かなかった。
いつもだったら気付かなかった。
そんな小さな事。
でも、今日、私はそれを知った。
光が私達に安らぎを、安心を与えてくれているという事を。
ちょっとした、本当に小さな光でも、本当に心強いのだという事を。
私は知った。
暗闇は怖い。
でも、何かが、誰かが照らしてくれればこんなにも心強いのだという事を。
ほんの、それこそ、眼の前を照らすだけの小さな光でも誰かを照らし、支える事が出来るのだという事を。
そして、光が私にとって掛け替えのない大切なものなのだという事を。
私を照らし続けてくれた光。
私にとっての光とは・・・。
「もう寝たかしら?」
かけられる声。
私は寝た振りをした。
何故だか、そうするべきだと思ったから。
「私は眠れないわ」
・・・寝ていない事がバレている?
「寝ている貴方に言うのは臆病かもしれないけど。聞いて欲しいの」
バレていないみたい。
「貴方は私を恨んでいるでしょうね?」
恨んでいる?
何故?
「貴方から魔力を奪ったのは私だもの」
そんな事ない。
それは貴方の勝手な想像。
「貴方は否定するけど、私は確信している。だって、私の魔力量が常人の倍以上あるから。生まれる時、貴方から魔力を奪わなければこんな魔力量が備わる訳がない」
そんな事・・・。
そんな事・・・ない。
「ただでさえ双子という事で辛い思いをしていたのに、貴方は魔術を使えない事で更に辛い思いをした。私の何倍も、ううん、比べる事が出来ない程に辛かったでしょうね」
「・・・・・・」
「ずっと、ずっと言いたかったの。ごめんなさいって」
泣いているの?
キャル。
「怖かった。謝って拒絶される事が。フフフ。私って本当に臆病。ま、今でも寝てる貴方に言ってるだけだから臆病なのに変わりはないけど」
自嘲するように笑うキャル。
「私はね。貴方に恨まれても当然だって思ってた。ううん。恨んで欲しかったの。責めて欲しかったの。何で私から魔力を奪ったんだって」
もう泣かないで。
キャル。
「私が貴方のせいでどれだけ辛い思いをしてきたか知っているのかって。そう罵って欲しかった」
・・・キャル。
「でも、貴方はそんな事、一言も言わなかった。魔術が使えないなら、武術だって。槍術を学んで、挙句の果てには神龍山まで行って」
「・・・・・・」
「貴方が傷を負って帰ってきた時、安堵よりも罪悪感が湧いてきたわ。私のせいで負った傷なんだって」
それは違う。
あれは私のせい。
キャルには関係ない。
「私にはどうしていいか分からなかった。魔力を返せと言うなら、命を差し出してでも返したかった。たとえ無理だとしても、そう望まれれば、そうしていたと思う」
そんな事しなくていい。
私がキャルの存在にどれだけ助けられたか。
キャルがいてくれた事がどれだけ心強かったか。
「・・・フフフ。何でだろうね。今日に限ってこんな話するのは。そっか。焚き火を見たからか」
・・・焚き火?
「私ね。思うんだ。漠然と暮らしていただけでは決して気付かなかったけど、光って本当に大切なんだなって」
私と同じ事を考えていたの?
「ちょっとした光。焚き火なんて、森中全てを照らしてくれる訳じゃない。でもそんな光でも私達ぐらいなら簡単に照らしてくれる。安心させてくれる」
私もそう思う。
小さくたって良い。
小さくても誰かを支えられるだけの力がある。
「私達はきっとずっと暗い闇の中にいたの。光のない、辛く、寂しい闇の中に」
闇の中。
孤独で寂しかった。
「でも、今なら、分かる。私達は決して孤独じゃなかった。光がなかった訳じゃなかった。ただ気付かなかっただけ」
キャル?
「ロザニィ。私には貴方がいたわ。貴方が私の光だった」
・・・そうか。
「暗闇から抜け出して、少し距離を置いたからこそ分かる。暗闇の中、私は貴方は感じられていた。貴方が私を照らしていてくれたから」
そうだったのか。
「近過ぎて見えなかったのね。きっと。貴方の存在がどれだけ大切で、心強かったのかという事に」
私にとっての光は・・・。
「私にとっての光は・・・」
「・・・貴方だったのね。キャル」
「ロ、ロザニィ。貴方、起きて!?」
驚くキャルを他所に私は身体を起こして、キャルを見詰めた。
暗くて、ちゃんとは見えなかったけど、キャルの存在が感じられた。
「私も今日気付いたの。貴方の存在がどれだけ大切でどれだけ心強かったのかという事に」
「ロザニィ・・・」
「近過ぎて見えなかった。当たり前すぎて分からなかった。でも、確かにそこにいた。貴方がいたから、私はここまでやってこれた」
「・・・・・・」
「私を照らし、導いてくれたのはキャル。貴方よ。貴方が私の光だった。当たり前すぎて気付かなかったけど。貴方が私の光だった」
「・・・ロザニィ。貴方が私の光。大切で心強くて、傍にいると安心できる。それが貴方。私の光」
「馬鹿だよ。キャル。何で、何で私が貴方を恨むのさ?」
「だって・・・」
駄目だ。
涙が出てきた。
「キャルが責任を感じる必要なんかないんだよ」
「でも・・・」
「魔力がないから何? 魔術が使えないから何? そんなのキャルがいない事に比べたら全然小さな事だよ」
キャルが涙を溢す。
きっと私も溢している事だろう。
「キャル」
「ロザニィ」
バッと抱き締めあう。
そこにある温もりが優しくて。
本当に安心できて。
私はまた泣いてしまった。
「ごめんなさい。ロザニィ」
「謝らないで。キャル」
私はキャルの身体を強く抱き締める。
同じ顔でも、私の方が何倍も力があって、キャルの身体は私よりずっと華奢だった。
その事に私は初めて気付いたんだ。
「私はこんな身体に生まれてきちゃったけど、それで誰かを恨んだり、憎んだりした事はないわ。私のマジシャンとしての才能をキャルが受け継いでくれたから」
「ロザニィの才能を?」
「そうよ。貴方に私の魔力があるのなら、それは貴方が私の魔力を、才能を受け継いでくれたという事。貴方の傍にはいつも私がいるという事」
「ロザニィがいつも傍にいてくれる」
「いいじゃない。私にマジシャンの力は残らなかったけど、キャルの身体の中に私のマジシャンの力が生きている。私のマジシャンとしての力が死んだ訳じゃないわ」
「・・・それって」
「そうよ。貴方の中で私の力は生きているの。貴方がマジシャンとして成功するという事は私の分まで成功してくれたという事なのよ」
「・・・私の成功が貴方の成功」
「そう。そう思えば、私は何も気にする必要はないわ。私の望みは貴方によって叶えられるのだもの。私の夢は貴方に引き継がれただけだもの」
「・・・ロザニィ」
「何よ。いつもと立場が逆じゃない」
「それはロザニィの口調がいつもと違うから」
「いいの。今日の私は・・・」
「昔のロザニィみたいね」
いつからだろう。
言葉と感情を隠すようになったのは。
「あの時以来だわ。ロザニィが自殺未遂を図ったあの時以来」
「ああ。そうか。そうだったわね」
私が死ねば、キャルが辛い思いをしなくて済む。
マジシャンではない私が死ねば、マジシャンとして優れた才能を持つキャルが皆から良くしてもらえる。
双子として捉われなくなる。
そう思って、私は自殺を図ったんだ。
「それから貴方は感情を閉ざして、無口になった。何であんな事をしたの? どうして感情を閉ざして無口になったの?」
「私の死が貴方を呪縛から解放すると思ったから。感情を閉ざせば、気味悪がって、貴方を含め、誰もが嫌ってくれると思ったから」
「馬鹿ッ!」
今度は私が強く抱き締められた。
苦しいけど、暖かい。
「私が貴方を嫌うなんて事がある訳ないでしょう?」
「・・・キャル」
「見縊らないで。貴方は私の大事な家族。大切な姉さんなのよ」
「・・・そうね」
私が姉として、キャルが妹として生を受けた。
だから、姉である私が妹のキャルの為に道を譲るのが正しいと思っていた。
「姉さんが死んで、私が幸せになれるとでも思ってるの? 違うでしょ。私と姉さんは一心同体なの。二人で一人なのよぉ・・・」
「泣かないで。キャル」
身体を震わせて、私の為に泣いてくれている。
それが嬉しくて。
そんなキャルが愛おしくて。
「そうね。二人で一人ね」
包み込むように、私はキャルを抱き締めた。
~SIDE OUT~
~SIDE キャル~
「ハハハ。そうだったわね」
「うん。本当におかしかった」
あれから、私達はくだらない事や昔の思い出話など、日頃話さない事を話して楽しい時間を過ごした。
今までの無口が嘘のように、ロザニィは饒舌に話す。
きっとこれこそが本当のロザニィなんだと思った。
「明日からはいつものロザニィなの?」
「ええ。今日だけ特別。私はクールビューティーなの」
「何よ。それ」
無口で無表情な事がクールビューティー?
そんなのおかしいわよ。
「冗談よ。でも、長い間、そうだったから、あっちの方が私らしいって思えるようになっちゃったのよ」
「そっか。私は別にどっちでもいいよ。ロザニィが私の大切なロザニィである事に違いはないから」
「全く。この娘は嬉しい事言ってくれちゃって」
「エヘヘ」
これがロザニィの、姉さんの素なんだなって思うとやっぱり嬉しくて。
姉さんに甘えられる時間が楽しくて仕方なかった。
「それじゃあ、私の変身タイムは終わり」
「えぇ?」
甘えられる時間が好きだから。
いつものロザニィに戻ってしまう事が少し残念だった。
「やっぱりこっちの方がいいんじゃない」
「そ、そんな事」
「大丈夫よ。貴方が魔法の呪文を唱えれば」
「意味わかんないわよ」
相変わらずロザニィは変だ。
「気が向いたらね。それに・・・」
「それに?」
「そろそろ寝ないと師匠に怒られるわよ?」
「師匠って・・・あ。もしかして」
「もしかしなくても聞こえてるわよ。ま、師匠の事だから席を外してくれてると思うけど」
「優しいからね。カリスは」
「ええ。何といっても私の師匠だから」
胸を張るロザニィ。
言葉の意味は捉えかねるけど、ロザニィがカリスを師匠として慕っている事だけは伝わってきたわ。
「そういえば、カリスに今のロザニィを見せたら驚くだろうね」
「別に驚かないと思うわよ。むしろ、『お前がロザニィである事に違いはないだろう』とか言ってくれちゃうと思うわ」
「あ。確かに言いそう」
想像できるから不思議だ。
「本当に素敵な人と出会えたわね。こんな時間が取れたのも師匠のおかげかもしれないわ」
「そうね。私はロザニィの師匠がカリスで良かったって思うわ」
「それとなく導いてくれるし、それとなく距離を置いてくれる」
「私ね。カリスに言われて勇気が出たんだ。『抱えている事はきちんと打ち明けた方がいいぞ。相手が寝ている時にでもな』って」
「ちょっと待って。私は『誰かが気持ちを打ち明けた時は黙って聞いてやれ。それがお互いの為だ』って言われたわ」
え?
という事はもしかして・・・。
「私達、上手くカリスに乗せられたって事?」
「・・・そうなるわね」
「えぇ!?」
「そう。それで、私は寝た振りという選択を取ったのね。無意識下で覚えてたってことか・・・」
ロザニィが何か呟いているけど、今の私には構っている余裕なし。
「ハァ・・・。師匠には敵わないわ」
「ちょ、ちょっと待って。それなら、私の悩みをカリスは知っていたって事!?」
どうして?
「違うわよ」
「え?」
違うの?
「知っていたんじゃないわ。何かしらの悩みがあるって察していたのよ。私達の態度から」
「察した? 私達の態度で?」
「だから、言ったのよ。師匠には敵わないって」
「何だろう? このどこかやるせない気持ちは。勇気を振り絞ったのに、カリスに誘導されていたなんて」
「いいじゃない。誘導されていたって。おかげで私達はもっと仲良くなれたのよ」
「それはそれ。これはこれよ。感謝はしているわ。でも・・・」
私は駆け出す。
「カリスの思惑通りに動いてしまった自分が苛立たしい」
そして、一直線にカリスのもとへと向かった。
「全く。キャルはいつまで経っても子供なんだから。・・・ありがとうございました。師匠」
姉さんの言葉には同意するけど、今は無視。
私は一刻も早くカリスにこの感情をぶつけなければ。
「カリス!」
「何だ? まだ寝てなかったのか?」
「許せない!」
拳を振り上げる私。
「ハハハ」
そんな私をカリスは笑顔で見ていた。
「な、何よ?」
「吹っ切れたみたいだな。キャル」
「え・・・」
「お前達の間に何があったかは知らない」
カリスがそう告げる。
その表情が本当に穏やかだから・・・。
「だが、お互いが自分の身を傷付け、相手を思い遣っている姿は悲しいものだ」
私は怒りを収めるしかなかった。
「お前達は本当に優しいな」
ニッコリと笑うカリス。
「優し過ぎて、相手の事を気遣い過ぎて、自分の中だけで解決してしまおうとする」
「・・・・・・」
何も言い返せなかった。
それが私達姉妹に共通する考えだったから。
ロザニィは私に黙って自殺を図った。
私はロザニィに黙って、勝手に罪悪感を感じ、どうにかしようと必死になっていた。
互いに“相手には何も言わず”に。
「お互いがお互いを大切に思うあまり、傷付けあい、傷付きあう」
「・・・・・・」
「近いようで遠かった。姉妹の間にどこか壁があった。相手の本当の心が見えずにずっと不安だった」
「な、何で? どうして」
私の心が次々と代弁されていく。
まるで私の心が丸裸にされたようで、私の醜い部分が曝け出されたようで怖かった。
「キャル」
「な、何?」
「ロザニィ」
「・・・何?」
「え?」
声が聞こえて振り返る。
いつの間にか、私の後ろにロザニィが立っていた。
「人間というのは不便だな。言葉にしなければ何も伝わらない。言葉にしたって伝えたい事が伝わらない時もある」
「・・・本当にそう」
ロザニィが頷いた。
「思い遣った結果、相手を傷付ける事もある。良かれと思ってやった事が結果として悪くなる事もある」
「・・・耳が痛い」
「私も」
カリスの言葉が胸に刺さる。
「そうだな。俺もそうだった」
カリスも思い当たる事があるみたい。
でも、当のカリスは苦笑しかしていない。
「後悔の連続だ。今まで生きてきて正解だったと思える選択肢なんて殆どない」
「・・・カリス?」
訝しげにカリスを見る私とロザニィ。
カリスの様子がどこかおかしかったからだ。
「ん? いや。すまない」
何だったんだろう?
「他人を思い遣る事以上に難しい事はない。絶対の正解なんてないからな」
「・・・ええ。本当ね」
私もずっと後悔していた。
今思えば、私の選択は間違いだったのだろう。
「だが、間違いもないぞ」
「え?」
でも、だって、それじゃあ。
「どんな選択であろうとその根底にあるのは思いやりの心だ。その心に間違いはない」
「でも、選択によっては間違いも・・・」
「間違いではない。回り道だ」
「回り道?」
意味が分からない。
「思いやりの心がある限り、いずれ正解といえる道へと行けるだろう。間違いなんてない。少しずつ、じっくりと正解を探していけばいいんだからな」
「少しずつ・・・。だから、回り道?」
「ああ。正解だなんて誰にも決められないがな」
「・・・・・・」
少し場違いだけど・・・。
「カリスって大人なのね」
そう思った。
「そんな事ないさ。俺はまだまだ子供だ。学ぶべき事がありすぎる」
「それでもよ。私なんかよりずっと大人」
私なんて自分の事も碌に管理できない我が侭な子供でしかない。
今回だって、カリスのお陰でロザニィとの溝を埋められた。
「・・・ありがとう。カリス」
「何がだ?」
「あくまで知らん振りって事?」
「さぁな。俺には何の事だがさっぱりだ」
「・・・照れ屋?」
「違う」
「・・・そう」
素直に礼を受け取って欲しかったんだけどな。
「まぁいいわ。この借りはいつか返すわ」
「・・・返す」
「何の事だが、分からないが、機会が来たらな」
分かっているくせに。
「さて、そろそろ休め。敵はいつ来るか分からんぞ」
「・・・そうね。お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
「・・・ええ」
カリスの言葉に従い、テントへと向かう。
「おやすみなさい。カリス」
「・・・おやすみ。師匠」
「ああ。おやすみ」
ゆっくりとテントへと入ろうとする。
その瞬間の事だ。
グォオォオッォォォ。
叫び声が聞こえた。
「さて、寝る前で運が良いのか、悪いのか。とにかく、現地へ向かうぞ」
「ええ!」
「・・・分かった」
すぐに武器を準備して、私達は里の門へと向かった。
里に人を襲うマンティコアを討伐する為に。
~SIDE OUT~
「これは・・・」
門へと辿り着いたカリス達。
眼の前には先程までの平穏と真逆の光景があった。
「急いで逃げるんだ!」
「た、助けてくれ」
「そっちじゃない!」
「・・・く、来るなぁ!」
「早く、早くするんだ!」
「うわぁぁぁぁぁぁん」
叫び声をあげる大人。
逃げまどう住民達。
親と逸れ一人泣く子供。
遂にマンティコアが里内へと侵入したのだ。
それも一匹ではない。
今まで一匹と報告されていたのは彼らが単独行動を取っていたからだろうか?
大型、中型、小型。
それら全て合わせて二十匹を越す大群だった。
任務難易度で言えば、上級任務に値するであろう危険度、難易度である。
「住民を優先する。キャル、ロザニィは住民を安全な場所まで誘導しろ。近付いてくる相手には容赦するな。俺は住民が避難するまであいつらを引き付ける」
「でも、それじゃあ、カリスが危険よ!」
「最優先事項が何か考えろ! 俺達が護るべきは里の住民だろ! 俺の事を考えるぐらいなら住民をどう避難させれば良いかを考えろ!」
「・・・師匠。私も残る」
「駄目だ」
「・・・どうして?」
「これだけの数を誘導するのは一人では無理だ。住民の安全を考えるなら最低でも二人は必要。俺が残る理由は分かるだろう?」
「・・・師匠が強いから」
「そうだ。現時点での一番強いのは俺だ。これからどうなるかは分からんが、今は俺が最も囮に適している」
「・・・・・・」
カリスの言葉に黙り込むキャルとロザニィ。
カリスの言葉が正しいという事は理解している。
だが、まだ彼女達に覚悟はない。
実際、彼女達にとっては初の実戦と言える任務だ。
『どうすれば最も効率が良いのか』や『どうすれば最も被害が少なくて済むのか』など冷静な、いや、機械的な判断は出来ない。
理屈では理解できる。
だが、感情で理解できない。
「・・・そうだな」
だから、カリスがこう告げる。
二人の迷いを断ち切り、先に進ませる為。
そして、効率良く物事を進ませる為。
「二人が住民の避難を素早く済ませ、安全を確保してくれれば、俺は囮をしなくて済む。分かるか?」
「・・・私達次第?」
「ああ。そうだ。俺の危険性も“お前達が如何に避難を素早く終わらせ、俺に合流するか”。それにかかってる。それなら、どうすれば良いか。分かるな?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言で、だが、しっかりと頷いてみせるキャルとロザニィ。
その顔は先程までの焦りは微塵も感じさせない力強いものだった。
「なら、行くぞ!」
カリスの合図に従い、二人は走り出す。
まずは住民を避難させ、安全を確保する事。
それが彼女達の仕事だ。
そして・・・。
「・・・・・・」
カリスの仕事は敵を出来るだけ引き付け、里から引き離す事。
マンティコアを滅ぼすのはそれからだ。
カリスは颯爽とマンティコアの前に飛び出した。
~SIDE キャル~
「ゆっくりで構いません。ここは私達が護ります」
「・・・キャル。先に。私が食い止める」
住民達を里長の家の奥にある広場へと誘導する。
入り口は一つだし、広いから、住民達の避難には最適だ。
入り口さえ護りきれば、住民達が襲われる事もない。
「分かったわ。少しだけ時間を稼いで」
広場へ辿り着かなければ意味がない。
住民で少しでも戦える人を入り口に待機させて、私達は一人一人誘導する。
誘導役は私。
ロザニィにはさっきから戦闘役をやってもらっている。
ロザニィは無口だし、魔術を行使している暇はない。
時間稼ぎという面ではロザニィに任せるしかない。
「里長の奥の広場は分かりますよね?」
「は、はい」
「そこまで護衛します。焦らず、落ち着いて向かってください」
「わ、分かりました」
小さい身体。
これでは一口だろう。
急がなくちゃ。
「ロザニィ。いいわ! 下がって」
距離を置いて、漸く私に魔術行使の余裕が出来る。
「・・・分かった」
ロザニィが下がる共に、私は魔術を行使する。
「アイシクルクロー」
マンティコアを囲む氷の刃。
そして、刃がマンティコアを包み込む。
「これで少しはダメージを負った筈。逃げるわよ!」
「・・・ええ」
これで倒せる程、マンティコアは甘くない。
しかも、あれで小型だ。
中型、大型を相手しているカリスはもっと大変だろう。
「ロザニィ。急ぐわよ」
「・・・分かった」
カリスが引き付けてくれているお陰でどうにかスムーズに出来る。
もしカリスがいなければ、今頃、私達もやばかっただろう。
早くしなければ。
カリスも危ないのだから。
~SIDE OUT~
「次はどいつだ?」
呟き。
そのたった一言にマンティコアは怯み、距離を置いた。
「ここまで引き離せば充分だ。相手をしよう」
里長の家は里の奥。
それならば、カリスが引き付けるべき方向は里の門。
更に言うなら、それより外に連れ出してしまえば良い。
事実、カリスはそうしていた。
森の方へと連れ出し、少し開けた場所へと誘導した。
全てをという訳にはいかなかったが、中型や大型の多くは誘導できた筈。
後はあの二人に任せるしかない。
背を向けていたカリスはサッと振り返り、大剣を構えた。
「・・・ハァ!」
そして、一閃。
中型のマンティコアをすれ違い際に両断した。
「次はどいつだ?」
そして、冒頭に戻る。
「お前か?」
剣を突きつける。
マンティコアはサッと身を翻した。
恐怖したのだ。
この男に。
「かかって来ないならば、俺からいくぞ」
今まで、この男も捕食される側だった筈。
それなのに、何なんだ?
何故、恐怖を感じている?
それが先程、斬られたマンティコアが死ぬ間際まで考えていた事だった。
いつの間にか、カリスの周りはマンティコアの死体で埋まっていた。
囲まれてしまえば、流石のカリスでも危険である。
だが、一対一ならば、多くの危険生物を相手にしてきたカリスだ。
屈する事はない。
「・・・・・・」
睨むようにマンティコアを見詰めるカリス。
睨まれたマンティコアは一歩下がる。
本能が恐怖したのだ。
野生に生きる生物は何よりも危険かそうでないかを嗅ぎ分ける能力に優れている。
弱者に対してはいくらでも強く出れるが、強者に関しては身体が麻痺して動けなくなる。
絶対的強者には屈するしかない。
それが野生に生きる彼らの摂理だった。
「退け。二度とここには来るな。そうすれば、見逃してやる」
カリスが告げる。
無駄な殺生はしない。
それがカリスの考えだった。
シビアな考えだが、世の中には食物連鎖の流れがある。
ここでマンティコアを逃す事で、違う生物が危険な眼に遭うだろう。
だが、そうしなければ、マンティコアが生きられないのも事実。
彼らも生きる為に殺すのだ。
人間にも亜人にもその事に違いはない。
「・・・・・・」
無言で下がっていくマンティコア。
だが、それと入れ替わるように前へ出るマンティコアがいた。
「そうか。お前がこいつらの頭か」
大型の、それこそ、今まで戦ってきた相手の何倍もの巨体を持つマンティコアが出てくる。
その全長はカリスを軽く超え、カリスとて一口で噛み切ってしまえそうな程に巨大だった。
「・・・・・・」
無言で構えるカリス。
向こうのマンティコアも臨戦態勢だ。
「来い!」
グォォォオォオォ!
叫ぶマンティコア。
雄叫びと共にカリスへと突撃した。
~SIDE ロザニィ~
「後は任せました」
「はい。助けに行ってあげてください」
住民の避難は完了した。
里の住民で戦える人に入り口を任せ、私達は師匠の手助けに向かう。
いくら師匠とて、あれだけの大群に囲まれてしまえば致命的だ。
私達で役に立てるかは分からないが、いないよりはマシな筈。
早く助けに行こう。
「・・・キャル」
「分かってるわ。急ぎましょう」
師匠が向かった先は大体検討がついている。
あの師匠だ。
かなりの距離を稼いでいる筈。
後は・・・勘だ!
「まずは門へ向かいましょう。そこに行けば何か分かるかもしれない」
「・・・(コクッ)」
私は同意した。
私もそう思ったから。
「これは・・・血よね?」
門へ辿り着いた私達が見たのは夥しい血の跡。
もしかして・・・師匠の?
「カリスの?」
キャルも同じ事を思ったらしい。
でも、師匠がこんなに血が出る程の傷を負うだろうか?
「と、とりあえず、この血を追って行きましょう? きっとそこにカリスがいるわ」
「・・・分かった」
地面に残る血の跡を追っていく。
始めは点のようだった血の跡も進めば進む程に濃くなり量も多くなっていった。
そして、それに比例するように私達の不安も濃くなっていく。
「ね、ねぇ、もし、これがカリスの血だったら・・・」
「・・・もう死んでる」
「・・・だよね」
でも、私は未だにそうは思えなかった。
師匠が本当に神龍山を登ったのならば、これぐらいで死ぬような事はない。
私は師匠が本当に登ったと信じている。
それなら、この血は師匠のではない。
「・・・違った」
「・・・良かった。カリスのじゃなかったのね」
血の跡を追っていって見つけたのは横たわるマンティコア。
既に息絶えていた。
「恐らく攻撃を喰らったままカリスを追ったのね。それで途中で力尽きた」
「・・・それなら、方向はあってる」
「そうね。先に進むわよ」
方向があってると分かったのなら、後は急いで向かうだけ。
私とキャルは急いでカリスのいる場所へと向かった。
~SIDE OUT~
~SIDE キャル~
「な、何よ。これ・・・」
マンティコアの死体が示す場所をひたすら進んだその先。
そこで、私は山のように積みあがったマンティコアの死体を見つけたの。
「・・・師匠の仕業」
「・・・相変わらずの化け物っぷりね」
信じられないわ。
幾ら小型や中型だからって、こんなたくさん。
「・・・これが神龍山制覇の実力。これがトリプルアーク」
ロザニィが呟く。
「こんなのばかりがトリプルアークだとしたら、ダブルアークとトリプルアークの間には在り得ない程の大きな壁があるわね」
もし、カリスぐらいの実力がなければトリプルアークになれないのなら、私は一生なれないかもしれない。
「・・・大丈夫。恐らく、師匠はトリプルアークでも上の方」
「だよね」
そうでなければ、恐ろしいわ。
「カリスはどこにいったのかしら?」
ここからは何の跡もない。
勘で探すしかないの?
「・・・・・・」
ロザニィが無言になる。
「どうかしたの?」
「・・・何か聞こえる」
「え?」
ロザニィの言葉に、私は耳を澄ませる。
キンッ!
ドカンッ!
金属同時がぶつかったような音。
何か大きなものが倒れたような音。
「・・・向こう」
カリスが戦っているとしたらその方向だ。
私とロザニィはそちらへと走り出した。
そして、その光景に私達は眼を疑う事しか出来なかった。
「な、何よ? あれ」
多くの木々が倒れ、強引な広場が出来ている。
そして、広場を挟んで私達の逆には多くのマンティコアが彼らの戦いを見ていた。
そう、カリスと巨大なマンティコアの戦闘を。
「クッ」
爪でカリスを襲うマンティコア。
カリスはそれを大剣で受け止める。
私だったら、いや、大抵の者があんな一撃を受ければ吹き飛ぶだろう。
ソルジャーだろうが剣士だろうが、あの一撃の前には変わらない筈。
ロザニィだって無理だ。
「・・・あれを受け止められるなんて」
ロザニィの呟きが私の意見を肯定していた。
「ハァ!」
大剣を振り切り、カリスは強引にマンティコアを突き飛ばした。
あんな巨体を吹き飛ばすだなんて。
私には眼の前の光景が嘘のように感じた。
「・・・キャル。援護する」
「そ、そうね」
あまりの事態に眼を奪われていたが、私達がここに来たのはカリスを助ける為。
呆けてないで助けないと。
でも、向こうにいるマンティコアは何なんだろう?
何故、大人しくカリスとマンティコアの戦いを見ているのだろうか?
「・・・行く」
「ええ」
今はそんな事を考えている暇はない。
カリスの援護をしないと。
タッと私達は広場へと足を踏み入れた。
~SIDE OUT~
「カリス!」
その叫び声。
それだけでカリスは状況を理解した。
無論、マンティコアに視線を向けたままで。
「来るな!」
「え?」
「今、攻撃すれば、相手の標的がお前達に移る。こいつのスピードは普通のマンティコアとは比べらない程に速い。気を抜けば、お前達がやられる」
「でも!」
「足手纏いといっている訳ではない。今はまだ経験が足りないだけだ」
『それって足手纏いって事じゃない』とキャルは苛立った。
確かに自分達がいけば、危険な眼にあうかもしれない。
だが、それは百も承知だ。
私は戦場に立つ為にやってきたのだから。
「ロザニィ。行くわよ」
「・・・分かった」
キャルの言葉にロザニィも答える。
彼女もまた、戦場に立つ為にやってきたのだから。
「・・・・・・」
詠唱を始めるキャル。
「・・・ハァ!」
意識を集中させ、刃の先端に雷を纏わせるロザニィ。
「アイシクルクロー」
「ハァ!」
そして、同時に発動させる。
地面を伝わっていく氷。
そこに雷が伝わり、氷の刃は雷を纏った。
系統魔術には相性がある。
だが、組み合わせ次第では強力なものになるのだ。
氷結は雷撃を抑えられる。
そして、逆に雷撃を強める事も可能なのだ。
キャルの放ったアイシクルクローがロザニィの放った雷撃を纏わり、マンティコアを包む。
「勝った!」
その光景を見たキャルが叫ぶ。
だが、それは油断以外の何ものでもなかった。
「え?」
マンティコアを氷の刃が貫く。
そう思った瞬間、マンティコアが凄まじい速度でその場を離脱し、その勢いで二人のもとへと突っ込んできた。
「クソッ!」
カリスが声を荒げた。
そして、走り出す。
「・・・・・・」
迫ってくるマンティコアは恐怖でしかなかった。
ロザニィもキャルも武器を構える事なく、立ち尽くす。
恐怖が二人の動きを止めてしまっていた。
『あぁ。私達、死ぬんだ』とキャルは思った。
自然と死を受け入れていた。
いや、そうではない。
生きる事を諦めたのだ。
あまりの恐怖に。
「・・・・・・」
爪を立て、その図太い腕を振りかぶるマンティコア。
その光景を前に、二人は眼を閉じる。
その恐怖から逃れるように・・・。
「キャッ!」
「・・・え?」
だが、やってきたのは横からの衝撃。
決して前から吹き飛ばされるような衝撃ではなかった。
単純に転ばされたような、そんな軽い衝撃。
二人はすぐに眼を開き、先程まで自分達がいた場所へと視線を向けた。
そして、そこには・・・。
「全く。危険だと言っただろうに」
マンティコアの爪で腹を貫かれたカリスがいた。
「カリス!」
「・・・師匠!」
悲痛の声をあげる二人。
『自分達のせいだ』と、二人は己を責めた。
だが、いつまでもそうしている時間はない。
力が入らないカリスをマンティコアが吹き飛ばしたのだ。
カリスの身体は簡単に飛ばされ、木へと身体をぶつけられた。
「カリス!」
「来るな! お前達はそいつの相手をしろ! 俺の事に構うな。死にはしない」
カリスが叫ぶ。
だが、どうみても致命傷だった。
腹からは夥しい量の血が溢れ出て、口元からだろうか、仮面の下から血が零れていた。
貫かれた場所が少しでもずれていれば即死であったに違いない。
「でも!」
キャルが叫ぶ。
カリスが聖術を行使できるという事は彼女も知っている。
だが、いくらカリスが聖術を行使できるからと言っても、傷付いているのは自分自身なのだ。
違う者になら全力で治癒できるが、自分自身には痛みを堪えながらではないといけない。
体力的にも精神的にもきつい筈である。
「・・・キャル。私達がやるしかない」
「・・・そうね。カリスの分まで。私達が・・・」
キャルはカリスを見詰めていたが、ロザニィの一言で覚悟を決めた。
「・・・・・・」
カリスは武器を構える二人を見て、安心したかのように笑った。
そして、ぶつかった木に背中を預け、立ち上がる。
瀕死だとしても、カリスにはやるべき事があるのだ。
聖術で自身を回復しつつ、森の奥にいるマンティコア達に睨みを利かせる。
それが『俺はここにいるぞ』とマンティコア達に伝えていた。
そして、その視線こそがマンティコア達を抑えているのだ。
ここでマンティコア達が合流すれば、万に一つも勝ち目がなくなる。
「・・・頑張れ」
『後は任せた』と言わんばかりに、カリスはキャルとロザニィに視線をやる事はなかった。
「は、速い。こんなのをカリスは相手にしていたの?」
「・・・キャルは離れて。私が引き付ける」
キャルとロザニィの戦闘は困難を極めた。
圧倒的な速度と一撃でも喰らったら終わる攻撃力。
生半可な攻撃ではダメージも喰らわせられない耐久力。
二人とマンティコアの間には絶対的な戦力差があった。
更に、姉妹は圧倒的な経験不足。
初陣でこの戦闘は厳し過ぎる。
だが、やるしかない。
「・・・受け止められない。なら、避ける」
マンティコアの正面に立つロザニィ。
マンティコアもまたロザニィを正面に構えた。
ソルジャーであるロザニィが前に。
マジシャンであるキャルが後ろに。
それが当然の配置だった。
「・・・出来るだけ引き付ける。だから、後はキャルの判断次第」
「・・・分かったわ」
雷槍の先端に雷を纏わせ、ロザニィが飛び込む。
当然のように、マンティコアはロザニィに腕を振りかぶる。
ロザニィはサッと上体を下げ、それを避けると振りかぶり隙が出来た腕へと突き刺す。
「・・・駄目」
だが、槍は貫く事なく、表面に傷を作っただけだった。
ロザニィがすぐさま後退する。
後退した瞬間、眼の前を腕が通り去る。
「・・・避けなければ死んでいた」
血の気が引いた瞬間だった。
「・・・キャル」
「ええ。アイシクルアロー」
現れたのは氷の矢。
それも複数の。
「地道にダメージを与えていくわ。行け!」
キャルの言葉に従い、氷の矢が飛んでいく。
数多の矢をマンティコアは腕の一振りでかき消す。
だが、全てではない。
残る少数の矢。
それでも確かにマンティコアの身体を傷付けた。
「少しずつ。少しずつよ。私達が勝つにはそれしかない」
「・・・ええ」
傷を負っているカリスを考えるなら、すぐに終わらせなければならない。
だが、そんな余裕も彼女達にはなかった。
倒す為には地道に積み重ねていくしかない。
カリスには酷だが、それが最善の方法だった。
グォオオォオォォ!
痛みか、怒りか、雄叫びをあげるマンティコア。
それに気圧されるが、何とか堪えた。
まだ、終わりじゃない。
彼女達は気を引き締め、武器を再度構えた。
グォオォ!
雄叫びと共に突っ込んでくるマンティコア。
確実にその速度、凶暴性は先程を上回っている。
「・・・クッ」
どうにか身体を地面に転がらせ避ける事に成功するロザニィ。
だが、休んでいる暇はない。
すぐに方向転換してマンティコアは突っ込んでくるのだ。
ロザニィは武器を振りかぶる事なく、避けるだけで精一杯だった。
それなら、攻撃はキャルに任せるだけだ。
自分は避ける事に専念しよう。
冷静にロザニィはそう判断した。
戦闘中に彼女達は進化している。
足りない戦闘経験を瞬く間に埋めていっているのだ。
カリスの言うロザニィが秘める将来性。
彼女の強みはこの成長速度なのかもしれない。
「アイシクルクロー」
ロザニィが敵を引き寄せ、その間にキャルが攻撃を仕掛ける。
それが今の戦闘スタイルだ。
小さなダメージを積み重ねる二人がかりの攻撃パターン。
一見、無駄に見える攻撃も確かにダメージを与えている。
事実、少しずつだが、マンティコア自身の動きも鈍くなっていた。
ロザニィとキャルの動きも鈍ってきているが。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」
「・・・フゥ・・・ハァ・・・」
荒い息を吐く二人。
その疲労度は凄まじい。
初めての戦闘という緊張感。
何度も繰り返す回避運動に魔術行使。
体力的にも精神的にも辛い作業。
だが、勝つ為には必要な作業だ。
もうどれくらい時間が経っただろうか。
時の感覚を忘れる程、彼女達は疲労し、また、集中していた。
「ロザニィ。一点集中よ。右腕に集中させて、相手の動きを止めましょう」
「・・・分かった」
全身に傷があるマンティコア。
だが、そのどれも致命傷ではない。
まずはあの厄介なスピードを失くさなければ。
キャルとロザニィは同時に右足を攻撃するべく、行動に移した。
「・・・・・・」
詠唱を始めるキャルを一瞥した後、ロザニィは前へと進んだ。
勢いを付けられては攻撃も出来ないし、キャルの攻撃も当たらない。
その場に止まらせる必要があるのだ。
それならば、接近させ、避け続け、隙を突くしかない。
疲労した身体を無理矢理動かし、ロザニィはマンティコアの前へと向かった。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」
振りかぶられる腕。
ロザニィはギリギリでそれを避ける。
最早、意地だった。
「今よ! アイシクルアロー!」
「ハァ!」
キャルの言葉にあわせ、ロザニィも槍を突き刺す。
それがキャルの放ったアイシクルアローとほぼ同時にマンティコアの右腕に突き刺さった。
作戦が成功したのである。
右腕が傷付いたマンティコアは右腕をかばうようにその場に倒れ込んだ。
ロザニィはその場から離脱するべく、後ろへと飛ぶ。
だが、あまりにも身体に無理させていた為か、着地の際にバランスを崩して倒れこんでしまう。
「ロザニィ!」
マンティコアは倒れながらもそれを見ていた。
そして、倒れたまま、怪我をしている筈の右腕を振りかぶる。
「キャァァァ!」
その光景に悲鳴をあげるキャル。
距離を置いていた自分にはどうする事も出来ない。
ロザニィが死んだ。
その事がキャルに絶望を与えた。
だが、キャルはある人物の存在を忘れていた。
彼がその場面を目撃すれば、助けない筈がない。
「もうこれぐらいの事は出来る」
気付けば、キャルの隣には気を失ったロザニィを抱きかかえるカリスの姿があった。
「・・・カリス」
「心配するな。気を失っているだけだ」
「・・・傷は?」
「まだ塞がってはいないが、これが死に繋がる事はない」
その言葉に安堵するキャル。
しかし、実際はこの行動で塞がりかけていた腹の傷を開いてしまっている。
カリスとて不死身ではない。
血を出し過ぎれば死んでしまう。
「ロザニィは気を失っている。俺は戦闘できる身体じゃない。後は任せられるな?」
「ええ。スピードを封じた。翼は傷付いて空は飛べない。後は一方的よ」
「そうか。それなら、後は任せた」
カリスはロザニィを抱きかかえたまま、近くの木へと移動する。
そして、背を預けて、座り込んだ。
「行け。キャル」
「ええ。アイシクルクロー」
突き刺さる数多の刃。
傷口は広がり、マンティコアの身体から多くの血が流れた。
「アイシクルアロー」
現れる数多の矢。
それが全てマンティコアに向かい、払われる事なく全て突き刺さる。
グォォオォォ。
そして、それが最後となった。
弱々しい声をあげながら、漸くマンティコアは絶命した。
「・・・ハァ・・・ハァ・・・」
いくら莫大な魔力があろうと、魔術行使は精神を疲れさせる。
キャルもまた、限界だったのだ。
魔術行使を終えた後、キャルは倒れるようにしゃがみ込んだ。
息を切らせ、しゃがみ込む姿が彼女の疲労を示していた。
だが、戦闘は終わったのだ。
キャルは倒れたマンティコアを見ながら、そのまま気を失った。