第61話 浮上
海図管理者との対話を終え、蓮たちは、静寂の空間を後にした。
『最後に、ひとつだけ、お伝えしておきましょう』
白鯨号へと戻ろうとする蓮たちに、海図管理者の声が、静かに響いた。
『あなたが背負う力は、決して、あなた一人だけのものではありません。この世界には、あなたと同じように、私の権限の断片を託された可能性を持つ者が、他にも、存在するかもしれません』
「他にも……?」
蓮が振り返ると、海図管理者は、静かに続けた。
『詳しいことは、私にも、正確にはわかりません。ただ、均衡というものは、常に、複数の力の兼ね合いの上に成り立つものです。いずれ、あなたは、その事実と、向き合うことになるでしょう』
その言葉に、蓮の中に、新たな緊張が芽生えた。だが、今は、まず、この場所を離れることが先決だった。
「行きましょう」
イザベラの号令で、白鯨号は、静かに、構造物を後にした。
***
渦潮の内部を抜ける航路は、来た時よりも、幾分か穏やかなものだった。まるで、海図管理者との対話を経て、渦潮そのものが、蓮たちの帰路を、静かに見守ってくれているかのようだった。
「ゼロ号……」
蓮は、損傷したまま、静かに横たわるゼロ号の機体を、そっと抱きしめた。
「もし、いつか、お前を直せる日が来たら――絶対に、直してみせるから」
蓮の言葉に、応える声はなかった。だが、蓮の胸には、確かな決意が刻まれていた。
「蓮」
イザベラが、静かに、蓮の隣に立った。
「よくやった」
「イザベラさん……」
「あの光の存在の前で、はっきりと、自分の意志を示した。あれは、簡単にできることじゃない」
蓮は、少し照れくさそうに、それでいて、確かな充足感を胸に、静かに頷いた。
「ゼロ号が、俺に、この先を見届けてほしいって言ってくれたので。だから、逃げずに、選ばなきゃいけないと思いました」
「その選択、私は、誇りに思う」
イザベラの言葉に、蓮は、静かに、深い温かさを感じていた。
***
白鯨号は、やがて、渦潮の外縁――外洋の光が差し込む海域へと、静かに浮上していった。
「浮上、成功しました!」
ヴェルミナの報告に、船内から、安堵の声が上がった。
甲板に出ると、そこには、これまでと変わらぬ、穏やかな海と、澄み渡る空が広がっていた。
「帰ってきたんだな」
ガイウスが、深く息を吸い込みながら呟いた。
「ああ」
イザベラも、静かに、しかし確かな感慨を込めて頷いた。
蓮は、静かに、遠く広がる海原を見つめた。ゼロ号との別れ、そして、自らの力の真実。多くのことを知り、多くのことを失った、この航海。
だが、その先には、まだ、この世界の均衡を守るための、大きな役割が、蓮を待っていた。
「行きましょう、この海を守るために」
蓮の言葉に、仲間たちは、静かに、しかし確かな決意を込めて頷いた。
世界の果てへの航海は、こうして、一つの区切りを迎えた。だが、蓮たちの物語は、まだ、終わりではなかった。
海図管理者が語った、もう一つの力の断片を持つ者――その存在が、やがて、蓮たちの前に、大きな影を落とすこととなる。
(第六部・大渦潮編 完)




