第68話 よいではないか
「い……いけませんわ、我が主」
「ひっひっひっ。よいではないか、よいではないか」
「お戯れはやめてください。ああん、触らないでください~」
オレとシェムは、いまソンクラムで流行の『猫々喫茶』に来ている。
たくさんの猫が放し飼いされている喫茶店のことだ。
実は現在、たいへん困ったことになっている。
店内にいる子猫たちに、シェムがなかなか触らせてくれないのだ。
子猫たちに触れたくて癒されたくてここへやってきたのに……。
「ど、どうして子猫たちに撫で撫でしちゃいけないんだ?」
「もちろん発情するに決まっているからです、我が主」
オレは全力で首を横に振った。
「馬鹿を言うな。オレ、発情なんかしないから」
「たとえ我が主が発情しなくとも、この子たちが我が主に発情してしまいます」
「なぬ!? いやいや、そんな猫がいるものか。いるわけがない」
「我が主に発情する猫は確実に、い・ま・す!!!!!!!!!!!!!!!」
シェムの迫力に、思わず怯んでしまった。
どうしたのだろう。きょうのシェムはちょっと怖いぞ?
オレたちは早々に店を出ることになった。
ああ、子猫たちといっぱい触れ合えると思ったのに。
さて、ソンクラム軍は『有翼人』に対抗するため、多くの冒険者たちに協力を要請した。きょうがその冒険者たちの顔合わせの日だ。場所は中央神殿前の広場。
オレもパーティー仲間を連れて、そこへ行かなければならない。
他のメンバーとは食堂で、いったん待ち合わせることになっていた。
だが中途半端に時間が余ってしまった。本当は待ち合わせ時間のギリギリまで、猫々喫茶にいるつもりだったのだ。仕方がないから、シェムと二人でぶらぶらと街歩きすることにした。
重装備の剣士とすれ違った。冒険者か。
ここ数日、ソンクラムの至るところで、冒険者らしき人々を頻繁に見かけるようになった。きっときょうのために、国外からもたくさん集まっているのだ。武装しているので、一般人とは見分けがつきやすい。冒険の最中でもないのに、そんな恰好する輩が多いこと多いこと。こういう連中は、別に貧乏だから服を買えないわけではない。冒険者という職をステータスだと思っているのだ。
「あのさ、シェム」
「なんでしょうか、我が主」
「今度、犬々喫茶に行ってみようぜ」
猫に触らせてくれないのなら犬にしよう。
「我が主は猫と犬、どちらが好きですか」
「も、もちろん猫だ。猫以外には考えられない」
「ああ、よかったです。我が主が犬に走るわけありませんよね」
「えっ……。はい」
ここでまた冒険者らしき二人組とすれ違った。剣士と魔導士の恰好だ。
ソンクラム軍の呼びかけに応じた者たちに間違いない。
二人の全身から出ているオーラは、半端なものではなかった。
きょうの顔合わせのとき、ふたたび見かけるかもしれない。
いったいどれだけの冒険者が集まってくるのだろう。
「あのさ、シェム」
「なんでしょうか、我が主」
「今度、兎々喫茶に行ってみないか」
「何かおっしゃいましたか、我が主」
「いえ、何も」
大通りの路肩に五台の馬車が停まっていた。
見てすぐにわかった。ソンクラム軍の馬車だ。
店から馬車に麻袋を積んでいる。中身は食料のようだ。
大勢の兵士がいる中で、荷物運びをしているのはたった五人のみ。
その五人には共通点があった。
一つは顔に痣があること。殴られたのだろうか。
もう一つは上着のみが軍服であること。ズボンなどは私服のようだ。
ピンときた――。
あまり公にはなっていないことだが、彼らが噂に聞く軍奴隷でなかろうか。
さらに驚愕することがあった。五人のうち一人の顔に見覚えがあったのだ。
目の下が大きく腫れあがっていたため、気づきにくかった。だが間違いない。
アイツはアーチャーだ。
こんな労働しているということは、冒険者スクールを辞めたのか。
一瞬だが目が合った。しかしすぐに視線を切られてしまった。
おそらくいまの状況を、オレに見られたくなかったのだろう。
あれっ? シェムがいない。どこへ行った。
いた。いつの間にかあんなところに。
シェムはアーチャーの背後に立っていた。
アーチャーは気配を感じとったのだろう。
後ろを振り返るのだった。
シェムに驚愕するアーチャー。
彼女が目を細めて微笑んでいる。
「また遊ぼっか、アーチャー?」
アーチャーは青ざめ、震えだした。
そりゃ、シェムが恐ろしいだろうさ。
以前あんな呪いをかけられたのだから。
オレはシェムのもとへと行き、腕を引いた。
「もう構うな」
「はーい、我が主」
オレたちはその場から立ち去った。
シェムがアーチャーをチラッと顧みる。
「我が主はアーチャーを許したのですか」
「まあ、そうだな。もうほとんど恨んじゃいない。アイツは教員たちの前ですべて白状した。それにシェムの『猫の呪い』で死ぬほど苦しんだはずだ。だからじゅうぶんだ。こうしてスッキリできたのもシェムのおかげだ。いつもありがとうな」
シェムは満面の笑みを浮かべ、腕をギュッと掴んできた。人間の姿のときに人前でべったりくっつかれるのは、ちょっぴり恥ずかしいものがある。
ふと、オレたちの足が止まった。
壁に張られたポスターを見かけたのだ。
『超美しい女剣士』
そんなタイトルのポスターだった。
美しすぎる……というのは何度も見たが、超美しい……というのは初めてだ。
絵のモデルはソードマスターではなかった。まったく知らない女剣士だった。
どうせまた実物の三割増しに美しく描かれたものだろう。
「ところで、我が主?」
「どうした、シェム」
「ソードマスターのことも許したのですね」
「なぜそう思うんだ」
「この前、ソードマスターが宿に押しかけてきたときのことです。我が主を見てそう思いました。あまり怒ったようすがなかったですから」
「うん、そうかもしれない。たぶんオレはソードマスターを許している」
それはオレたちの仲間であるイリガが、彼女との試合に勝ってくれたことが大きいだろう。あのことでずいぶんスッキリできたと思う。それに宿まで謝りにきたことだし。それからもう一つ。子供の頃はいつも優しくしてもらっていた……。彼女が変わってしまったのは、いつからだったのだろう。
「ところで、我が主?」
「今度はなんだ」
「プリーストも許すのですか」
「おいおい、ヤツは主犯だぞ」