第百五話 いざ! クラウス邸へ
「あの、いいんですか? 今忙しい時期なのに休んだりして」
「いいの、いいの。デグロー家の優秀な兵士さんが来てくれるからさ。正直、こっちとしては助かるくらいだよ。でもまぁ……気ぃを使うわな……はぁ、胃が痛いわ」
そう言いながら、憂鬱そうに
肩を落とすオレの上司――
いや、警備隊のまとめ役の副隊長である
マッテオさんは深い溜息を吐いた。
「だってさ、相手はお偉い貴族様の騎士だよ? 優秀なのは間違いないし、規律正しいのも助かるんだけど……」
少し間を置いてから、
彼は天井を見上げる。
「正直、それくらい目を瞑ってほしいことも、正論で容赦なく突いてくるんだろうなぁ。いやぁ、ありがたいねぇ。細かいところまで見られて、改善の指摘までしてくれるんだろうなぁ。ほんと、ありがたい……で、毎回『こうあるべき』なんてご高説まで頂けるんだろうなぁ……」
重いため息が、
部屋の空気を一層どんよりさせる。
オレは思わずセラと顔を見合わせた。
「ま、そんなわけで、気にせずしっかり楽しんでこいよ。二人共……はぁぁぁ」
「「………」」
――そんな言い方されたら気にするわっ!
妙な罪悪感を抱きつつ、
オレとセラはクラウスさんの館へ
向かう準備のため、一礼をして
マッテオさんの執務室から退出するのだった。
――クラウス邸へ向かう馬車の中で、
「……おまえ、それ、警備隊の礼服じゃないか」
馬車の中で、セラがオレの服装に突っ込んできた。
「べ、別にいいじゃないか。こんな場所に来る衣装なんてもってないし……それに、礼服なら、丁度いいしさ」
「オレがフィリップに誘われた時、ドレスがどうのこうの言ってたのに礼服しかないって……人のこと言えないじゃないか」
的確な指摘にオレは何も言い返せず、
苦し紛れに言葉を出す。
「そ、それは、それだ。オマエはそもそもドレス自体持ってなかったじゃないか」
「それこそ話は別じゃないか。オレだって礼服で良かったのなら、あったんだし」
「いや、お貴族様のパーティに礼服ってどうよ? って話だよ」
「今のオマエには言われたくないな」
「ぐっ……」
正論すぎて、ほんとに何も言えなくなった……。
気まずい空気を変えようと、
オレは無理やり話題を切り替えた。
「しっかし……」
「な、なんだよ」
「そのフィリップの衣装、気に入ったんだな、セラは」
「ち、ちがう……これしかないんだから、仕方ないじゃないか……」
少ししょげたセラを見て、
セネカが優しく口を開く。
「でも、フィリップさんのセンスはいいよね。そのドレス、セラくんに凄く似合ってて素敵だな~。前はちょっとゴタゴタしてて、分からなかったけど、改めて見るとほんと、良く似合ってると思うよ」
「そ、そうか?」
セラは少し照れた様子ではにかむ。
「ええ、セネカさんの言うとおりですね」
クロミアも頷きながら褒めた。
その瞬間、セラの頬が赤く染まり、
思わず目をそらし、どこの言語かわからない言葉で
話しだした。
「……L*P?*ほ>L*し|`+L」
「何言ってるんだ、オマエ? というか、クロミアさんに褒められたら、最近そうなるよな? なにかあったのか?」
「ななな何もないっ! 詮索するな……とにかく詮索するなっ!」
「わ、わかったよ……聞かない……聞かないから」
なんだってんだよ……ったく。
そう思いながら、周りを見渡すと
セネカにクロミアさんも正装のドレスで
着飾っている。
クロミアさんは深い
紺色のドレスを身にまとい、
控えめな金の刺繍が
落ち着いた雰囲気を漂わせている。
裾には赤いレースが施され、
シンプルながらも品のある装いだ。
さすがに前のファンキーな衣装は
止めたらしい。
あれで来てたら、ある意味傾奇者だったな……
一方、セネカは白と青を基調とした
明るいデザインのドレスを着ている。
軽やかな生地がふわりと揺れ、
髪には青い蝶の形をした髪飾りをつけていた。
その鮮やかな配色が、
彼女の元気な印象にぴったりだった。
そして、あの時のペンダントが、
馬車の揺れに合わせて静かに揺れている。
昼と夜を象る猫たちが寄り添うその姿は、
どこか不思議な安心感を与えてくれる気がした。
お互い、揺れるペンダントに目を向け、
どちらからともなく笑顔を交わした。
心のどこかで同じものを身につけている
安心感が、不思議と胸を温かくさせる。
そうしているうちに、
馬車は静かにクラウス邸の門前で止まった。
門は重厚な鉄製で、
鋭い意匠が施され、
中央にはクラウス家の紋章が
誇らしげに掲げられている。
長年の歴史を物語る小さな傷跡や
くすみが、軍事貴族の威厳を物語っていた。
馬車から降りると、
待ちわびていた執事と
メイドたちが動き出す。
整然とした制服のメイドたちは
荷物を手際よく運び、一人の年季の入った
執事が静かに指示を出していた。
その立ち居振る舞いは長年この家を
支えてきた威厳を感じさせる。
執事は優雅に一礼し、
深みのある声で来客を案内する。
広々とした石畳の玄関が光を反射し、
クラウス家の格式を静かに示していた。
執事に案内されながら、
クラウス邸の内部を進むと、
豪華さの中に軍事貴族らしい
機能美が際立っていることに気づく。
厚いカーペットの敷かれた廊下を抜けると、
目の前に休憩室の扉が現れた。
室内は落ち着いた木目調の装飾が施され、
壁にはクラウス家の紋章が彫られた額縁が掛けられている。
暖炉の上には、過去の功績を
示す盾や剣が飾られており、
歴史の重みを感じさせる。
中央には大きなテーブルと
ソファが置かれ、来客たちを
温かく迎える空間となっている。
「よう、アル。やっと来たのか。待ちくたびれそうになったぞ」
「父さん」
中に入ると、待ちくたびれた様子の
アレンたちがソファに座っていた。
アレンは、アルと同じく村に
配属された際に支給された
礼服を身にまとっている。
濃紺の布地に銀糸で刺繍が施され、
シンプルながら端正で、
誠実な印象を与える装いだ。
だが、母のルーザがため息混じりに言った。
「アレンもアルも、どうして支給された礼服なのよ……はぁ」
その言葉に、セネカやセラ、
クロミアさんだけでなく、
アリスやイリスまでが「うんうん」と頷く。
「「……べ、別に変じゃないし、いいだろ?」」
オレと父さんは息を揃えて反論したのだった。
そんな中、オレは母さんたちに目をやる。
みんながみんな、豪華すぎるわけではないが、
それぞれ華やかな衣装に身を包んでいた。
ルーザは鮮やかな赤と白の
ドレスを身にまとっていた。
赤い生地には繊細な金の刺繍が施され、
白い袖が清廉な印象を添えている。
その堂々とした装いは、
彼女の凛とした美しさを一層際立たせていた。
さらに、その装いからは、
ヴァントロー家で普段から身に着けていたことが窺えた。
アリスは深紅のドレスを身にまとい、
柔らかな髪や白い肌との調和が美しい。
ドレスの裾には花模様の刺繍が施され、
動くたびに軽やかに揺れる姿が目を引く。
胸元には小ぶりなブローチが輝き、
彼女の可憐さをさりげなく演出していた。
イリスは深い青のドレスに身を包み、
その落ち着いた色合いが
彼女の知性を引き立てていた。
胸元には月を模した装飾が控えめに輝き、
確かな気品を漂わせている。
オレたちはそれぞれソファに腰掛け、
談笑が始まった。
母さんやクロミアさんは感慨深そうに
女性たちのドレスを褒め、
アリスとイリスも一緒になって
楽しそうに話し込んでいる。
「セネカお姉ちゃんもセラお姉ちゃんも、すごく綺麗!」
アリスが嬉しそうに言うと、
セネカは笑顔で答える。
「アリスもイリスも、すごく似合ってるね」
セラも照れくさそうにしながら、
場の温かい雰囲気に馴染んでいるようだった。
しばらくして、年季の入った執事が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。どうぞ大広間へご案内いたします」
深々と一礼する彼の声に促され、
大広間へ向かう。
扉が開かれると、
その荘厳さに思わず息を呑んだ。
天井は高く、白と金を基調とした
豪奢な空間が広がっている。
中央には壮麗なシャンデリアが輝き、
足元には複雑な模様が描かれた赤絨毯が敷かれている。
部屋の奥には高台が設けられ、
クラウス家当主の威厳を
象徴するような装飾が一際目を引いていた。




