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095.カフカなる夜明け

「――……ぷっはっ!……ふぅ」


 朧な糸を引きながら唇を離し、力なく項垂れたオルドレッドを支える。


 腹部に深々と打ち込んだ拳をソッと抜けば、彼女の肺から甘い吐息が零れ。そのまま軽々と抱きかかえると、ベッドに横たえて再び毛布を掛けてやる。


 嵐のような騒ぎも収まり、一息吐こうとしたのも束の間。足元から這うように全身が疼き、その場にへたり込んでしまう。

 身体の表面が波打ち、やがてアデランテの姿に戻っても動けず。床にしがみつくように丸まれば、荒い呼吸を何度も繰り返した。


【人間】

「…ま、待ってくれ……少し、少しだけで…いいんだ」

【いい加減に慣れろ】

「そうじゃ、ないんだ……今は、変な余韻が色々残ってて…とにかく、待ってくれッ。すぐに…すぐに動けるようになるから…」


 声を絞るように零すも、一向に落ち着く気配はない。


 元の姿へ戻った火照りに、オルドレッドを穿つ前に感じた胸の高鳴りが共鳴するようにアデランテを蝕み、今や身体を起こす事もままならない。


 それでも負けじと歯を食い縛り、壁まで這えばコツンっと壁に背中を預けた。

 気怠そうにオルドレッドを一瞥すれば、まるで悪夢を見るように。時折腹を抱えてうなされているが、ひとまず起きる気配はない。


 ホッと一息吐くと壁に寄り掛かり、ゆっくり立ち上がれば足腰がまだ震えている。

 それでも振り切るように歩き出せば、部屋を颯爽と飛び出した。


【宿泊はどうした】

「とても顔を合わせられる心境じゃないからな。今日のところは大人しく引き上げるよ。私がやれる事はやったし、あとは本人次第って事で、様子見の方はウーフニールに任せる」

【始末はしないのか】

「…なんだってそんな不穏な言葉が出るんだ?」

【ダニエルの現身と肉声は提供したが、計画の全貌は聞いていない。女に最期の幻影を抱かせ、思い残す事柄を解決したのちに、始末する算段だと推測していた】

「……お前は私をなんだと思ってるんだ」


 呆れながら階段を下り、受付では白目を向いた店主が舟をこいでいる。声を掛ける事なく宿を出れば、途端に夜の冷気がアデランテを襲った。

 しかし火照った身体には丁度良く、それでも身震いすれば足早に街道を進む。


 見上げれば空は霞み、街の外では太陽が昇り始めているのだろう。

 頭上高く佇む建物は夜風を影に留め、息を吐けば白い霧が口元で漂う。誰もいない街道を淡々と歩き、少しばかり世界を独り占めしていた矢先。

 眼前に現れた青い煙が視界の遥か先まで続いた。


 目的地は着いてからのお楽しみ、と思いたくとも脳内の地図が答えを先に示す。

 昨晩の飲食代を埋めるべく、冒険者ギルドへ日銭を稼ぎに行かなければならない。


「…宿での話の続きなんだけどさ。過去に踏ん切りを付けるきっかけを作りたい、って思っただけなんだ。題して“枕元作戦”!むかし私が谷底に落ちて死にかけた時、くたばった戦友が夢に出てきて励ましてくれてな。おかげで三日三晩滝つぼで浮き沈みしてる所を助けられたんだ」

【……何を言われた】

「え~っとな。“いいかアデランテ。死ぬこと以外はかすり傷何だよぉぉ!!”って言い残して、助かった時にフッと消えたよ。アイツとは何度も喧嘩した仲だけど、拳の味は今でも覚えて…」


 ウーフニールと会話しつつ、快活な笑い声を上げた途端。不自然に言葉を切ると、唇にゆっくり触れた。

 押せば自分でも驚くほど柔らかく、いまだ潤む弾力が指先を押し返す。

 

 まるでオルドレッドの唇が、いまだ触れているようで。情熱の名残が全身に火を点けるや、思考も徐々に蕩けていく。


【どうした】


 ふいに無機質な声が浸食し、ハッと我に返れば足を止めていたらしい。慌てて歩き出せば、導きに従って街角を曲がった。


「…なぁ、ウーフニール。どう思う」

【何がだ】

「人工呼吸はしたし、された事はあっても、それはノーカンだって団員に言われてたからさ。さっき宿でしたのが私のファーストキス…だったわけなんだけど、レモンの味だって聞いてたから柑橘系を覚悟してたら、甘めのフルーツって感じで……お前は何だと思う?」

【興味はない。貴様の計画によって女の因果は断ち切れたのか】

「立ち直る後押しをしただけで、切るつもりはないって…でも作戦が成功したかはともかく、そもそも出たとこ勝負だったからな。私の拳が魔力の防護膜を突き破れて良かったよ……今なら鍛冶の秘術でフル装備したダークエルフとも殴り合いで勝てる気がする」


 斜め上の自信と共に拳を突き上げるや、道の反対から冒険者の一行を捉えた。

 慌てて腕を下ろせばフードを深く降ろし、足音が遠ざかっていくのを聞き届ける。


 幸い奇行を見られていなかったのだろう。特に注意を惹き付ける様子も無く、ホッと胸を撫で下ろす。


「…ところであの空間。ダニエルの記憶が置いてあった部屋はなんて呼べばいいんだ?書庫って呼ぶには壮大すぎるしな」

【好きに呼ぶがいい】

「ん~……それならウーフニールの部屋って事でいいんじゃないか?それがいいな、うん!」

【格納されているのは貴様の記憶だと言ったはずだ】

「この身体はお前の物なんだろ?それに私と会ってからの記憶が詰まってるなら、ウーフニールの物も同然だ」


 無人の路地で高らかに宣言したアデランテに、内側から唸り声が漏らされる。想定していた反応は今1つだが、それでも構わず会話を続けた。


「…それに私はもう自分の部屋があるしな。机1つ置いたらベッドも置けない狭さだけど、いつか覗きにきてくれよ。出来るだけもてなすからさ」

【……貴様の記憶が差し出される催しと認識した】

「それだけは勘弁してくれ」


 唸り声が再び聞こえるが、まず不機嫌ではない。もしかすれば自室を手に入れた事も満更ではないのかもしれない、と。

 様々な要因が良い方向へ進んでいる気がして、アデランテの足運びも軽くなる。


 その発端がウーフニールに尋ねた質問である――。



――ダニエルの姿を一時的にでも模せないか?



 彼もその時点で嫌な予感はしていたのだろう。眼を細めるだけで理由は問わず【臓書に媒介のない個体の変異はもって数分】とだけ告げた。

 

 結果的にウーフニールの不安は現実の物になり、即興の作戦が決行される。予習には劇的な記憶だけを頭に叩き込み、姿や声を変えてもらった。

 接吻は予想外であったが、結果的に“枕元作戦”における最終目標は達成し。当分は静養できるダメージを与えた上で、絶えない生傷を癒す時間も作れて一石二鳥。

 ひとまず“無事”に計画は進んだが、後はオルドレッド次第だろう。

 

 あの日。ダニエルを摂り込み、オルドレッドを救う事は出来ても、生き残ったはずの彼女も。死んだはずの彼も。

 共に決別したアウトランドの森で囚われたままだった。


 そしてダニエルの依頼は“オルドレッドを助ける”こと。


 

 振り返っても当然彼女の宿は見えない。しかしアデランテの瞳にもはや迷いはなかった。


(とりあえずウーフニールに様子を見てもらいながら、当分は冒険者業に集中か…折角新しい部屋を発見したのに、探検出来ないのが残念だ)

【すでに女は監視下にあるが、ウーフニールの閉架は断じて遊覧場ではない】

(少しくらいならいいだろ?騒いだりしないか…ら……)


 上機嫌で動かしていた足が、ふいに心ごと止まる。口元に手を当て、口をパクパクと開閉するが声は出ていない。


 そもそも出した覚えがなかった。


「……ウーフニール?」

【どうした】


(…ウーフニール!)

【何だと聞いている】


 そして疑念は確信に変わる。


「おまッッ……!?」


(…お前、もしかして私の心の声が…聞こえてるのか?)

【知らん。貴様が勝手に語り掛けてきた】


 路地を抜け、街道に出ればギルドも間近なのだろう。初めて訪れた時程の規模はないが、冒険者たちがすでに並んでいる。

 その只中で声を上げたアデランテに視線が注がれ、咄嗟にフードを目深く降ろす。

 

 咳払いで間抜けな声を誤魔化すも、彼女の歩みは完全に止まっていた。


(…あの部屋に……ウーフニールの部屋に入ったからか?それともカミサマの褒美の一端か?)

【知らん】

(……ウゥゥーフニィィー、ィ゛ル゛ッッ!?)

【うるさいぞ】


 腹の底からあらん限りの声を胸中に響かせれば、さらなる深淵より這い出た唸り声が、気道をギュッと絞め上げる。

 首を何度も叩いて解放してもらうが、その間もずっと笑みが浮かんでいた。


「ははっ、すまないな…おっと」


(これで堂々とウーフニールに話せるって思うとつい、な)

【…貴様の声はどちらにしても騒がしい】

(ふふっ、みたいだな。でもコレで肩身の狭い思いをせず、存分に話しかけられるんだ。これからもいままで以上に話しかけるから、覚悟しておいてくれよ!)

【……ウーフニールの閉架に貴様を招く事が内なる対話の条件であったならば、今ほど後悔を覚えた事は無い】

(そう言うなって。ここまで来て1番の報酬だろ?…それにしても枕元作戦の詳しい話も聞かずに、よく付き合ってくれたよな。余裕がなかったから聞きそびれてたんだけど)

【成り代わりに努める貴様を止める理由はない。失敗すれば女を喰らうだけ】


 一発勝負で挑んだアデランテとは対照的に、どちらへ転んでも問題はなかったウーフニール。

 協力してもらえた都合の良い事実だけを噛み締めれば、無機質な声が再び語り掛けてくる。


【貴様の計画がどのような結末を迎えようと、臓書より消え去った記憶を元に成り代われた実績は驚嘆に値した】

「正直ッ…」


(…正直自分でも驚いてる!……無言で喋るのにまだ慣れないな。でも気付いたら役にのめり込んでたから、後半は何を言ったか自分でも覚えてないんだ。人は誰かのためなら強くなれるって話だし、もし上手くいったなら、そういう事だと思うぞ?)

【貴様の言葉ではないのか】

(私の言葉なんて“拳で語れ”くらいしかないな)

【視界と剣先が届く範囲が貴様の正義を執行する基準とも言っていた】


「……いつだ?」

【バルジの町。指輪を探す男の救出時に吐露していた】

「…本当に私がそんなこと言ったのか?随分カッコいいセリフを吐いたんだな……お前の部屋に行けば、その時の声とか聞けないか?」

【……次に第三者の救出を提案したらば、問答無用で対象を喰らってくれる】

「なんでだよ!?」


 知らぬ間に声を出したアデランテに、傍の冒険者たちはギョッと視線を送る。だが周囲へ気を配る頃には街道を抜け、ギルドの門前に到達していた。

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