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077.夜明けの唄

 鳥の鳴き声にピクリと反応し、ゆっくり瞼を開く。

 町に来てから初めて聞く音色に起き上がるが、身体中に走った痛みに。ジェシカの瞳に差し込んだ朝日に、思わず顔をしかめた。


「いたたたた…あれ、ここは……毛布?」


 ズルっと胸元から落ちた毛布に首を傾げ、直後に跡形もなく崩れた教会を視界に捉えた時。勢いよく立ち上がった身体が、またもや嫌な悲鳴を上げた。

 咄嗟に回復魔法を唱えるが、その間も視線は潰れた教会に向けられる。


 生き埋めにならなかっただけ幸いなのだろうと深い溜息を零す中。ふいに思い出したキツネの存在に、慌てて辺りを見回した。

 周囲には獣1匹どころか、空を見上げてもワシが1羽とて飛んでいない。

 

「…毛布だけ掛けて、アデットさんの所に帰っちゃったのかな」


 想像するだけで癒される妄想にほくそ笑み、ゆっくり立ち上がれば多少の痛みは残っていたが、我慢できない程ではなかった。


 刻印を目印に森を進み、難民の如く毛布を被って歩き。所々で草木に引っ掛かっても、厚い布地が肌を守ってくれた。

 しかし地面に広がったガラス片が。ジェシカを追った彫刻たちの残滓が途端に足元を襲った。

 慎重に進んでも指先を切り、時には足裏で踏み。回復魔法を唱えながら試練を乗り越えれば、ようやく森を抜け出したのも束の間。


 ホッとしながら橋に踏み出した途端、そのまま湖へと落下した。咳き込みながら慌てて岸に掴まれば、膨らんだ肺の痛みが思考を冴え渡らせる。

 

 そして同時に鐘楼の真意と町の現状を自ずと理解した。


「げっほ!えっほ……いくら時間がなかったからって、ガラスを壊すためって位教えてくれても良かったじゃん…」


 漏らした溜息で肺が僅かに痛んだが、さっきよりはだいぶマシになった。しかし湖の水音が落ち着くや、ふいに鳥の囀りに混じって人の営みが聞こえてくる。

 好奇心の赴くままに川を伝い、やがて工房の町並みが眼前に広がった時。街道には住人が所狭しと群れ、それぞれ箒を持ってガラス片を掃いていた。


 そんな彼らも口々に「何故この町にいるのか」。互いに確かめるように囁くが、誰1人としてガラス玉が如き瞳を浮かべてはいない。

 その内1人はジェシカの姿を捉えるや、慌てて水辺まで駆け寄ってきた。


「あんた、大丈夫か?酷い目にでも遭ったのか?」

「…えっ?」


 昨日までよそ者に見向きもしなかった職人たちが、一斉にジェシカへ視線を移す。彼らの心境の変化に戸惑いつつ、見下ろせば咄嗟に胸元を握りしめた。


 傷つき、汚れ。着の身は濡れた毛布1枚だけ。

 身ぐるみを剥がされた風貌に全身が熱を帯び、何事もない旨を必死に伝えれば、半ば不安を残しつつ住人が工房に招き入れてくれる。


 そのまま服を貸し与えられ、礼を述べれば相手は酷く困惑したまま。本当に自分の住処なのかと、勝手知ったる足取りで歩きながら首を傾げる。

 むしろ助けがいりそうなのは住人たちのようだったが、サッと礼を述べれば早々に建物を離れた。



 それからアデット。そしてエルメスを見ていないか聞いて回るが、眉を顰める反応に期待は出来ない。

 風が吹いても天使の囁きも聞こえず。代わりにガラスを掃く音や、住人が町に残るべきか話し合う声が響く。

 自分の意思で町に来たわけではなくとも、記憶は薄っすら残っているらしい。混乱する彼らを尻目に街角を曲がり、やがて路肩に座り込む青年を捉えた途端。


 疲労も忘れて瞬く間に彼の傍へ走り寄った。


「エルメス!大丈夫だった!?怪我は?アデットさんは?!」

「…ジェシカの方こそ擦り傷だらけだぞ。俺なんかより自分の、痛つつつ…」

「エルメス!!?」


 ジェシカに触れようと伸ばされた手が引っ込み、反射的に脇腹を抱え込む。急いで回復魔法を唱えれば苦悶の声が洩れたが、顔色はみるみる良くなっていく。


 しかしその反面、表情はどんどん曇っていった。


「……ごめん。役に立てなくて」

「なに言ってるのよ。いいから大人しくしてて。赤く腫れ上がってたし、もしかしたら肋骨が折れてるのかも。早く治してアデットさんとメイドさんの治療にも行かなきゃ」

「アデットさんに何かあったのか?それにメイドって誰?」


 ただ思った事を口にしただけのつもりが、エルメスの反応に気付けば肩をガッと掴んでいた。

 堰を切ったように涙を浮かべたジェシカは、勢いのままに館での出来事を。そして崩壊した教会から脱出した旨を伝えるが、痛みに顔を歪めた彼を慌てて手放した。

 

 再び呪文を唱えれば少しずつ腫れも引き、あと一息と気合を入れるジェシカをよそに、ふとエルメスが言葉を紡ぐ。


「…昨夜の記憶が全然ないんだけど、目が覚めたら地下室で倒れててさ。階段を踏み外して扉にぶつかったみたいなんだ。ジェシカが…アデットさんが大変な時にほんと、情けなくてごめん」 

「だから気にしなくていいってば。エルメスが無事で本当に良かった…」

 

 涙を拭いながら語るジェシカに、一層バツが悪そうにエルメスは俯く。

 開きかけた口も閉ざし、顔を逸らそうとした刹那。両頬をジェシカが押さえるや、クイっと前を向かされる。


 だが追及するわけでも、責めるわけでもなく。ただ言葉の続きが聞きたくて瞳を覗くジェシカに。

 やがて諦めたようにエルメスの口から言葉が零れ出す。



 孤島で天使の囁きを聞いた時、心だけガラス瓶に閉じ込められた感覚に、為すがまま身を委ねてしまった事。

 まんまと敵の術中にハマり、目覚めて地下室から這いずった後も痛みで動けなかった事。

 良い所が何1つないと項垂れるエルメスの隣に、すかさずジェシカが座り込む。彼の肩にソッと身体を預け、街道を行き来する元住人たちを呆然と眺めた。


「…言っとくけど、エルメスがいなかったら今の私はいないんだからね」

「……どういう…」 

「パーティが解散した後、正直何もする気が起きなかったの。仕事も、人との関わりも何もかも嫌になって。でもそんな時にエルメスが1度だけ2人で依頼を受けてみようって提案したでしょ?結局失敗しちゃったけど、おかげで階段に座ってた時もまだ何か出来る事があるんじゃないかって、ずーっと前向きに考えられたの」

「…その直後にアデットさんが金を恵んでくれたわけだよな。ジェシカが俺を説得してくれなかったら、貰うだけ貰ってダラダラ生活を続けてたと思う」

「私が言わなくてもきっと諦めずに冒険者を続けてたわ。パーティが壊滅した時だってエルメスが最後まで頑張ったから、きっとアデットさんの知り合いも助けに来るのが間に合ったのよ」


 ニッコリ笑みを浮かべるや、再び街道に視線を移す。


 軒先で座り込み、ボーっとしているとアウトランドでの苦い記憶が甦り。食べ物も路銀も底を尽き、誰も見向きもしない絶望的な状況の最中。

 2人の傍に屈み込み、笑顔を向けてくれたアデットの姿が浮かぶ。



 だからこそゆっくりしている場合ではなかった。


 ヨロヨロと立ち上がり、屋根や路地を見回すジェシカを慌ててエルメスが支え。直後にキツネを見なかったか問われると、困惑した様子で彼女の顔が覗き込まれる。


 もっと休んだ方が良いのでは。心配そうに告げられる言葉に耳を貸さず、ソッとエルメスから離れてアデットを。

 そしてメイドの2人を探すべく歩き出すが、よろけて壁に肩を預けてしまう。足を叩いてでも進もうとするや、ふいに浮遊感が襲うと途端に身体が軽くなる。


「ちょ、ちょっと!自分の足で歩くから下ろして!恥ずかしいからっ。それに怪我だって完治したわけじゃ…」

「大分良くなったし、ジェシカの両親を探すために来たんだから、これ位はやらせてくれよ。それに2回も教会から落ちたパートナーを黙って歩かせるほど、俺も落ちぶれちゃいない……でも聖職者が教会で不幸に見舞われる事もあるんだな。犬も歩けばって言うけど」

「…言っとくけど私は“元”聖職者で、今は曲がりなりにも冒険者なのよ?まぁお父さんたちが見つかって村に戻ったら、一介の回復士に戻るつもりだけど。離れを使って良いか聞かないといけないし、そういう意味ではボロボロでも改装すれば聖堂も立派に使えたでしょうから、崩れたのはちょっと残念……ん、2回も?」


 エルメスに揺られながら。ふいに思考をよぎった言葉が、ジェシカの喉を詰まらせた。


 鐘を鳴らした際、教会の崩壊に巻き込まれた話は確かにした。だが“1度目”の冒険譚を知るのは、あくまで“アデットの知人”だけ。

 それを何故エルメスが知っているのか問えば、ようやく口火が切られた。



 洗脳されていたとはいえ、それとなく記憶は残っていたらしい。

 職人に混じって作業に勤しむ最中、工房へ踏み込んだアデットがジェシカの転落を。事件に巻き込まれた事を、切迫した様相で伝えてきた。


 それから言い淀んだ彼に続きを促せば、吐き出すように“作業”を優先した事。

 直後にアデットに投げ飛ばされた事を、重い歩調と共に零す。


 自責の念で押し潰されたエルメスに「仕方がない」。「気にしてない」と声を掛けたものの、ジェシカの心は迷走の一途を辿っていた。



 1度目の転落は、お供のワシと交わした2人だけの秘密だったはず。そしてどういう経緯か、囚われた先でアデットと合流を果たした。

 記憶を辿ってみても、それ以降彼女に何かを話した覚えはなく。むしろ店にいたエルメスに詰め寄ったのは、時系列から言ってジェシカが教会の地下で囚われた後。

 

 だが浮かび上がった心当たりが、ふいに頭をもたげた。



 ジーっと、ずーっと。

 何も言わず、表情も変えず。監視するようにジェシカを見つめていたワシとキツネの姿が。

 どちらもアデットは不在だったが、いずれも獣に見られていた。


 そもそも何故彼女は鐘楼の存在を知っていたのか。深まる謎に思考が曇り、獣の無機質な瞳を思い出すだけで背筋に悪寒が走る。


 本当に知人から借りた“ただの獣”だったのか。

 知人の飼い主とは。

 地下で見物していた観客の行方は。

 毛布を掛けた人物は。



 “アデット”とは。



 形にならない答えに蝕まれ、無意識に身体を震わすとエルメスが立ち止まる。

 どこか間の抜けたような。それでいて芯の通った真っすぐな瞳に安堵を覚え、身体の力も抜けていく。


「どうかしたのか?」

「…アデットさんの事だけど」

「あぁ、後でちゃんと探してお礼しに行こうな。まずはジェシカの両親を見つけてからだけど」

「そうじゃなくて……うん」


 快活な表情を浮かべるエルメスに、かつて喫茶店で交わした会話を蒸し返す気にもなれない。


 首に腕を回し、身体を預ければ途端に彼の背中が熱くなる。芽生えた悪戯心に胸を押し当てれば変な声が漏れ、足取りも一瞬フラついた。

 しかしそれ以上やれば振り落とされてしまいそうで、くすりと笑えば大人しく頭を肩に預けた。


 アデットほどではなくとも、彼の力強い鼓動が伝わってくる。


「…アデットさんに会ったら謝らないとなぁ。2回もビンタしちゃった」

「よく分からないけど、気にしなくて良いって言うだろうな。アデットさんの事だし」

「アデットさんだからね」

 

 ポツリと零した呟きにエルメスが反応するが、僅かに振り返っただけですぐに前を向いてしまう。


 しかしジェシカの思考には強くて不思議な冒険者の姿が。何も分からない内に町を解放した、動物を従える英雄の勇姿が延々と渦巻く。


 それでいて今も彼女の“知人”が2人を見張っている気がして。

 路地や空をボーっと眺めれば、屋根に集う小鳥の群れはジェシカたちが近付く前に飛び去ってしまう。

 

「……あれは違うわね」


 ふてぶてしく鎮座する獣は見当たらない。かと言ってアデットの姿も見つからない。


 だが彼女のことだ。

 必ず町のどこかにいるだろう。



 髪をなびかせる一陣の風が町を通り抜け。音1つ残さずに去っていく後ろ姿が、一瞬だけアデットと重なって見えた気がした。

 








 フェイタルの森には7人の山賊がいた。


 最初は15人いたが、5人は拠点に置き去りにし。残りは気付けば見知らぬ町で鉱山夫を続けていたが、内3人は落盤で失った。

 しかし頭の中の囁きから解放されるや、ようやく意思を取り戻した彼らは人知れず町を離れていた。


 森に潜むとこれからの方針を話し合い、1人は町から一刻も離れたいと呟く。

 1人は拠点まで戻ろうと主張し、1人は町から解放された住人が拠点を取り戻すだろうと不安がる。


 だが1人が町で金品を漁ってからでも去るのは遅くないと主張するや、全員が一斉に頷いてツルハシやシャベルを抱え、まだ見ぬ獲物を求めて行軍を始めた。

 そんな道中でふいに。1人が頭上に居座るワシを発見すれば、空腹を仲間に訴えようとしたが、無機質な瞳で見下ろす鳥獣に思わず息を呑む。

 

 所詮は鳥だと言うのに、何を恐れているのか自分でも不思議がった矢先。途絶えた背後の足音に振り返れば、後続の3人が見当たらない。

 風がなびく音に前を向けば残りも消滅し、気付けば1人になっていたものの、木にべったり付着した鮮血が容易に状況を思い知らせた。


 

 直後に武器を捨てるや、男は悲鳴を上げながら茂みに飛び込んだ。助かりたい一心で進み続けるが、木の幹に足首を引っかけて転んでしまう。

 膝を抱えて足の痛みに悶える最中、突如男を覆った影にビクつく。


「――…ねじ巻き人形か。それともキツネウサギか…どっちに転ぶか見守ってたけど、結局は人形の方だったか。残念だよ」


 途端に聞こえた声に顔を上げれば、フードを被った女が最初に映った。

 それから腰に差した剣や頬の傷。そして張り出した胸の順に見ていくが、込み上げた劣情は仲間の最期が浮かんで疑問符にすり替わる。


 一体何が起きているのか。

 彼女は何者なのか。


 名も顔も知る時間もなければ、問いかける暇さえ与えられず。生き残った山賊が最期に見た光景は、朝日をも遮る夜よりも暗い漆黒だった。

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