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075.白銀のセラフ

 ガラスの都フェイタルでは虫の音1匹とて響かない。しかし代わりに1歩1歩。街道を見渡す限り埋め尽くしたガラス片が、踏みつけられる度に悲鳴を上げる。


【…どうした。手土産の購入でも検討しに来たのか】

「ははっ、お前もそういう冗談が言えるんだな。でもそんな事するなら鐘なんか鳴らしていなかったさ。町中のガラス細工が壊れるんだからな…橋まで壊れてたのは想定外だったけど」

【女はいいのか】

「おんな?」

【貴様の用向きは冒険者の回収にあると認識していた】


 それまで涼しい顔をしていたアデランテも、ふいにウーフニールの発言で顔を上げた。

 思い出したように振り返るが、すでに砕けた橋は遠ざかったあと。回り道をしたせいで様子を見に行くのを忘れていた。

 だがウーフニールが最後に確認した時は、命に別状も無かったはず。怪我をしても魔術で治療できるだろう。


 再び歩き出せば従来の予定に戻り、ガラスを踏みしめながら町中を進んでいく。途中で迷子になってしまったが、青い煙を追えば何という事は無い。

 順調に町の入口まで遡れば、ふいに道を曲がって店舗の1つへ向かう。


 強引にシャッターを押し上げ、中に踏み込めば室内は街で見た景色に同じ。全ての商品が砕けて床に散らばるが、気にする事なく工房を見回す。


「…一生タダ働きをさせられそうだな」


 普段なら血の気が引くような光景でも、今のアデランテには大義名分がある。

 悪人面には程遠い笑みを浮かべれば、途端に険しい表情を浮かべ。真っすぐ奥に向かうと備えつけられた扉を蹴り開けた。


 地下へ続く階段に――カツンッと。高低差のある段差を降りていけば、下層で再び扉に行き着く。

 隙間からは朧げな光が漏れ出し、建付けの悪い音を軋ませながら開いていった。

 

「……今日はもう閉店だよ~、お客さん。ご入用なら日が昇ってから~…なーんてね。宵越しのクレームなんてアタシは嫌だから、今ここで聞いてあげるわよ」

「屋敷と言い、ココと言い、悪巧みする輩は地下が好きなんだな」

「そうじゃなきゃ音漏れとか、外から見られる危険性があるっしょ。2階だから安心と思っても案外見られちゃったりぃ…何てつまらない話をしに、わざわざ不法侵入したわけじゃーないでしょ。お客さん?…それともアデットさんって呼んだ方がいいかしらん?」


 後ろ手に扉を閉める間も、部屋の最奥に設置された机向こうからは、堂々と待ち構えていた店主がウィンクしてくる。

 左右のおさげを揺らしながら笑みを浮かべる様子に、アデランテの来訪を予期していたらしい。


 館で起きた事まで見透かした態度は、しかし“アデット”と呼んでいる時点で、知っている情報は上っ面だけ。

 相手の限られた知識量につい鼻で笑ってしまうと、途端に店主が不快そうに睨んできた。

 だが悪役と呼ぶには気迫が足りず。着古した服に前掛けを着けた姿は、どう見ても一般人にしか見えない。傍目にも夜分遅くに残業する職人に見えた事だろう。


 それでいて肌で感じた不気味な空気が、アデランテに二の足を踏ませる。


 チラッと視線を店主から逸らせば、不穏な気配の出所は机の上に掛けられた布切れ。その下の異様な膨らみを最初から警戒していたが、立ち上がった店主に思わず顔を上げた。


「どうしてアタシが怪しいって分かったの?うまく紛れたつもりだったんだけどなー。演技にも程ほどの自信があったしー」

「…ほかの店では彫像やら家具やら、どれもゴテゴテの装飾品ばかり並べていたのに、この店だけ飾り気のないグラスが並べてあった。領主の悪趣味な催しに道具を提供したのはアンタだろ?」

「まーね。でも黒幕に辿り着いたのはちょっと予想外かなー…今度からダミーで他のガラクタでも並べとこっと」


 辟易するように頭を掻く店主を尻目に、ゆっくりアデランテが剣を引き抜く。だと言うのに彼女は怯えるどころか、“催し”を生き延びた相手に臆する様子も見せない。

 あっけらかんとした対応は一般人のようでいて。


 だからこそ彼女が元凶であると。

 

 そして布の下に隠された物が“何か”は直感が教えてくれる。


「それにしても、たった1日滞在した旅人に、たった一夜で計画を台無しにされるとはねー。せっかく活きの良い職人が1人入ってラッキーとか思ってたのに、町中の触媒を壊しちゃうんだもの。正直ムカついてんのよね」


 気怠そうな声とは裏腹に空気は一変し。アデランテへの嫌悪感を隠す事なく、怪訝な顔つきで机のシーツを外した。


 露わになった物体に最初は驚こうとしたが、すぐに疑問符が浮かべば首をコクリと傾げ。初見では到底理解できない存在に、“芸術”を言い訳にした飾りにしか感じられない。


 ソレは碗上のガラスが大小順で縦に並べられ。それらが中央を貫く半透明な棒によって、僅かに宙で浮いている。

 その手前には水の入った椀が置かれ、すかさず店主が指先を軽く浸す。滴らせた手でガラス細工に触れるや、表面を撫でるように回し出した。

 

 全体が満遍なく濡れていき、不気味な物体のふちを優しくなぞっていく。


「ぐぅッ…!?」


 ――途端。


 アデランテの脳が殴られた感触に襲われ、咄嗟に歯を食いしばって持ち堪える。足を突き出して自身を支えるが、その様子を店主は訝しむ。

 

「……う~ん、本当何なんだろうね。お客さんにしても、メイドにしても、この音色を不快に思うだなんて。オーガでさえ調律に時間は掛かっても、演奏にはメロメロだったのよー?」

「…メイド?」

「そ。領主様んとこのメイド長ちゃん。活きの良い旅人が迷い込んで来なかったら、本当は彼女を檻の中に放り込む予定でさー」


 ストローを弄ぶようにガラス細工を弾く店主は、顔をしかめるアデランテを眺める。再び気怠そうな表情を浮かべ、おもむろに重い口を開いた。




 人も。ついには魔物さえ操る領域に達した“音響兵器”を、より広範囲に伝播させる媒体が工芸品たちで。

 風や音そのものを振動させる共鳴技術は、他の追随を許さない。


 だが一方で素材自体は所詮ガラス。音を伝播する性質から耐久性は極めて低く、振動の許容量も限られる。

 1つでもガラス細工が予期せぬ轟音を拾えば、ガラスからガラスへ。負の連鎖が伝導し、あとは流れるように崩壊していく。


 

 だから西の廃墟をサッサと取り壊せばよかったと。

 そういえば音色は獣にも効かなかった、など。

 音に怯える家畜の隔離が大変だった話を愚痴っていた店主が顔を上げた。


 叩くように指でガラスを撫でれば、アデランテの身体がビクンっと震える。


「ッッ~…それでも…町の復興のため、って感じではないな…くッ」

「あー、やっぱ分かっちゃう?そうなのよねー。安酒場で飲んだくれてたジョナスの坊ちゃんが“俺は領主の息子なんだー”ってタダ酒要求しててさ。1杯奢って話聞いたげたら、べらべら町のことを話してくれんの」

「い、いざ来てみたら…廃れてたってか」

「そ!たぁくさーん家が建ってるから、昔は栄えてたんだろうけどー。でもそれがむしろ好都合って思って、コッチは技術提供。アレは環境提供。手と手を取り合って、よーやく人手も生産も整って新たな門出をー…って良いトコでお客さんが来ちゃってさー」


 強めに弾かれた音がアデランテの脳を刻む。


「まーね。色々台無しにしてくれちゃったのは許さないとしても、まだ人手は残ってるしー。ジョナスの坊ちゃんも投資家の皆様も片付いたなら、次はアタシの好きにさせてもーらおっと」

「……それをどう使う気だ」

「“死を恐れぬ兵士”。ありきたりだけど実現したらカッコよくなーい?兵なんていくらでも集まるし、それこそ町の復興に役立つっしょ。でもこのアイディアさ。女々しいジョナス坊ちゃんにも進言してやったのに、あいつ尻込みしてんの。それなら外敵を操作して町の安全をとか、甘っちょろいったら…。もっと早くに洗脳しとけば良かったってチョー反省っ」

「…念の為に聞いておく。【白銀のセラフ】の正体はソイツか?」


 背景音とばかりに流していた演奏が止まり、店主の表情も固まる。まるで彫像のように虚空を眺め、それからようやく我に返ったのか。

 落ち着いて指先を湿らせれば、“セラフ”の上に両手を添えた。


「……なんで知ってんの。セラフは門外不出の…もしかして最初からコレ狙いで町に?」

「さぁな」

「…お客さん。随分と独り言も多いみたいだけど、“ウーフニール”って言うのと何か関係がある?」

「……さぁな」

「もしかして魔法大学からの刺客?魔術師連中から命令されてきたとかっ!?」

「――ぷふッ」


 遠すぎず。しかし彼女が決して答えに近付く事はないだろう。

 言葉だけでは意味を為さず、アデランテのみが使える“魔法の呪文”に。それでいて絵本から抜け出した名前を告げられては、失笑する他なかった。


 やはりセラフがいくら生物を操り、触媒から盗聴出来ても真意まで読み取る事は出来ない。

 アデランテの名前然り。

 領主の処遇然り。


 だが彼女の問いかけによって“魔術師ザーボン”の物語をつい思い出してしまった。


 愛する女性を喜ばせるために、魔法で様々な動物に姿を変えた魔術師ザーボン。いつしか本当の姿を忘れ、最後は彼女の家で鳥籠に飼われてしまう。

 たとえ愛する女が夫を迎え、子を持ち。温かな家庭を築いたとしても、ザーボンは届かない愛を檻の中から歌い続けた。

 たとえ飛ぶ事も出来ず、人の言葉さえ忘れようとも。


 

 そんな話を初めて聞かされた時は、人目も憚らず号泣したのをよく覚えている。

 大抵の絵本は覚えているつもりだったが、切ない恋物語を幼いながらも無意識に封印していたらしい。


 

 だがそれは今のアデランテがもっとも必要とする物語。


 思わぬ追憶に感謝を述べかけたが、弾かれたセラフに膝から崩れ落ちそうになった。身体を抱えて立ち続けたものの、再度流れた音色がひれ伏すよう命じてくる。


 天使の歌声は部屋中に囁かれ。不快感にとうとう膝をついたが、先程の失笑が店主の怒りを買ったらしい。


「天にも昇る音色だってのに、あんたも、あの…ジェシカって言ったっけ。頭が痛いとかほざき出して…ほんっと頭にくる」


 頭が割れないよう、両手で挟むように抱え込めば、一層店主の苛立ちを促したらしい。またセラフに指が掛けられると、先程よりも強く撫でられた演奏にアデランテの身体が反り返る。


「アタシは白銀のセラフの管理人。この世のあらゆる生物を楽園へ導く奏者。“天使の囁き”を理解できない余所者は、とっとと地獄に堕っこっちまいなよ」

「……ぐぁ…ぁははッ。“悪魔の歯軋り”の間違いだろ?聞く奴全員の思考を奪って何が楽園だ。それに私も、屋敷のメイドも、勇敢な回復士もまったく導けてないぞ。聞いてばかりで何も見えてない奏者様よ」


 嘲笑うアデランテに掛ける言葉は霧散し、両手を叩きつける勢いで水に浸した店主は、代わりにセラフを激しく奏でる。


 手首は嵐にはためく帆の如くしなり、透明な椀を端から端へ。流れる川のように指を動かせば、音色1つでアデランテの自由を奪っていく。 

 本来の用途とは勝手が異なるものの、“ゲスト”には不協和音でしかないならば、そのまま悶え苦しむのも一興だろう。


 音色と合わさって少しずつ店主も英気を養い。やがて身体を折り曲げたアデランテを見下ろした瞳は、悪意に満ちたガラス片のようにギラついた。

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