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067.領主ジョナスビル

 白い霧が晴れ、道端に佇んでいたアデランテが弾けるように店内へ駆け込む。

 工芸品が壊れるのも構わず。エルメスの胸倉を掴めば怒鳴るように捲くし立てるが、かつてない気迫で問いかけるアデランテに、しかし引きずり出された彼は表情1つ変えない。


「――…今は手が放せないんですけど」


 それだけ呟くと衣服を正し、工房へと感慨も無く戻っていく。ウーフニールが抑えなければ、その顔に拳を打ち込んでいたろう。

 仕方なく踵を返して青い煙を追うが、十字橋までは距離がまだあった。


「ウーフニール!お前がついていながら、何で危険な目に遭わせたんだ!」

【警告はした。それでなお進んだのは女の落ち度だ】

「あ゛ぁ゛ーもぅ……鳥はどうなった!?」

【消滅を確認している。接敵対象は騒音による阻害で視認出来ず】

「天使の歌声のせいか、ちくしょう。それにあのデッカい影、町の地下に魔物が潜んでるとしたら厄介だぞッ」


 歯をギリギリ食い縛り、街道を疾走すれば横目に職人たちの姿が映り込む。例え彼らが“天使の囁き”に惑わされようとも、見捨てる理由にはならない。

 万が一地下から怪物が飛び出せば、大惨事は免れないだろう。


 ともかくジェシカの安全を確保する事が最優先で。そうすれば自ずと怪物にも遭遇するだろうと、やがて十字橋に踏み出す一歩手前で足を止めた。


「……私の記憶違いだったら悪いんだけどさ。教会は確か橋を渡って左じゃなかったか?」

【認識に相違はない】

「それなら何で領主の家に向かわせようとしてるんだ?見失ったのは教会だろ?」

【地下道は館の方角へ向かっていた】

「…ならお前が最初に言った通り、領主様にご挨拶といきますか。黒幕確定なら…遠慮もいらないよなッ!!」


 回り込んでいる暇はない。覚悟を決めて橋を突っ切り、背後でバキッと音がする度に血の気が引いた。

 

 しかし決して振り返らず、道中に佇む彫像すら目も暮れない。対岸に渡り切れば道は完全に整備され、緩やかな上り坂を駆け登っていく。

 路肩に生えた花も綺麗に咲き誇るが、奥へ進むほど透明なガラス細工にすり替わり。敵地とは思えない優雅な空間に、アデランテの表情が歪む。


「…子供を育てるには、あまり良い環境とは言えないな」

【目的地到達まで100m】


 ウーフニールの声で我に返り、堂々と構えた門がアデランテの行く手を塞ぐ。


 流石に門はガラス製ではなかったが、隙間から覗く庭園にはガラスの彫刻が並び、女体や男体が。豊かな自然に混じって佇む彼らの姿が、人間を氷漬けにしたように見えた。


 暗がりも相まって今すぐ引き返したい景観であっても、門を引けば簡単に開き。周囲を見回しても守衛の類はいない。

 僅かな隙間に滑り込めば後ろ手に閉め、小道に沿って歩いていく。


 左右ではガラスの彫刻が戯れ、昼間であれば光り輝く芸術品として見れたかもしれない。

 だが精巧に造られた像は、まるで通り過ぎ際に背後から襲ってくる気がして。ぶんぶん顔を振って妄想を払いのければ、やがて曲がりくねった小道を抜けた先。


 これまで見た景色から、一体どんな豪邸が待ち構えているのか期待していたものの、現れた建物は古き良き民家の如き佇まいだった。

 館と呼べる唯一の理由は、視界の端から端まで広がる規模ゆえだろう。

 

「……屋敷もガラス製かと思ってたんだけどな。そうすれば1発殴って一網打尽に出来たのに」

【ガラスで無かろうが貴様なら可能だろう】

「中に誰がいるか分かるまでは、そんな無茶もしないさ。行くぞウーフ…ん?」


 剣を抜いて特攻の構えを見せるや、ふいに正面扉が内側に開いていく。挫かれた出鼻に棒立ちになれば、室内の明かりを遮るように若い女中が顔を出した。


「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。アデット様」


 頭を下げながら淡々と声を掛けられ、一瞬呆けていたのも束の間。瞬時に素性を知られていた事を警戒したが、一方で疑問符が脳裏に浮かぶ。


 “アルカナの巻物”でさえアデランテの襲来を見過ごしたはずが、屋敷を訪問する事はバレていた。

 しかし呼ばれた名は世を忍ぶために用意した仮の物で。サッと武器から手を放せば、優雅な所作で踵を返した彼女に従って建物に入っていく。

 甲高い足音はアデランテの歩みをかき消し、その間も周囲を観察すると室内は住処の機能よりも、展示場としての側面が強かった。

 ガラスケースには色とりどりの工芸品が飾られ、他にも絵画や石膏。あるいは台に置かれた高級品が、来客の視線を飽きさせない。


 もっともアデランテの場合は特に注意を払わなければ、僅かな油断で作品を壊しかねないだろう。

 

 落ち着かない空間に息を呑み。案内から離れないよう小走りで近付けば、程なく前方の湾曲した階段下に、4人の女中がアデランテたちを待ち受けていた。


 目が合うよりも早く。誰が話すよりも早く、全員が一礼して両手を差し出してくる。


「申し訳御座いませんが、領主様との面会に武器の携帯は認められておりません。屋敷を離れられる際にご返却致しますので、ご協力のほど何卒宜しくお願いします。防具も良ければ我々でお預かりしたく…」

「……ああぁーーー!!何だアレはッ!?」


 鉄仮面を通していた女中たちも流石に驚いたらしい。突如大声で吠えたアデランテにビクつき、指差した方角に一糸乱れず顔を向けた。


 しかし視線の先にあるのは日頃から見慣れた展示物だけで。怪訝な面持ちでアデランテに向き直るが、何故か腰に下げていた武器は消失していた。

 無表情であり続けた一同が目を丸くし、本日2度目の驚愕を露わにした。


「ぶ、武器は…持ってないし、防具はこのまま着ててもいいか?流石に全裸で領主に会うのもまずいだろ」


 とぼけた様子のアデランテを睨み、それから周囲に女中は視線を泳がす。


 視界に収めたはずの武器は、到底懐に収納できる長さではない。それも目を離した隙に息切れする姿から、何処かへ隠した可能性もある。

 だが今の立ち位置からでは、到底該当する場所には届かないだろう。音も風も立てずに出来る芸当でもなく、いくら見回しても謎が謎を呼ぶ。


 しばし悩み抜いた末に、仕事が立て込んで疲れが出たのだと。ガラスだらけの眩しい町並みに目をやられたのだと納得し、4人の部下を下がらせる。


「…どうぞこちらへ」 


 出会った当初と同じ顔色で、カツカツと床を弾きながら案内が再開される。2階の廊下を渡るのに数分と掛からなかったろう。

 最奥で女中が足を止めれば扉をノックし、間髪入れずにガチャリと開けた。


「どうぞっ…っておい、扉を叩いたら返事があるまで開けるなって言ってあるだるぉう!?」

「申し訳ありませんでした。アデット様がお見えになられております」

「知ってるわ!さっさと仕事に戻れ!今日は忙しいんだ!!……改めてどうも初めまして。フェイタルの町の領主ジョナスビルと言います。作法知らずの女中がご無礼を」

「私は特に何もされてないけどな。忙しいなら出直すぞ?」

「またまた御冗談を…」


 怒りの形相から一変。何事もなかったように取り繕っていたが、当人の未熟な印象は拭えない。

 室内は町長の事務室らしく装飾され、身に余る椅子にどっかり腰を下ろしている。


 決して男が小さいわけではないが、恐らく見栄っ張りなのだろう。ガラスの如く透ける彼の心根に構わず、言われるがまま向かいの席に着く。


 傍には菓子が用意され、淹れたての紅茶から湯気がいまだ立ち昇っている。チラッと領主を窺えば無言で頷かれ、躊躇なく手を付けていった。


「…それで、町の感想は?」

「心臓に悪いな」

「……フードを外されても良いのでは?肌を日差しで焼く心配もないでしょうに」 

 

 素っ気ない態度に気分を害したのか。睨むようにアデランテの挙動を眺めていた領主の指摘で、ようやく注意が彼に向き直った。

 空になった皿と淹れ足したティーポットを手放し、しばし考え込んだ末。パッと降ろしたフードの下は、領主を魅了するには十分な代物だったらしい。


 特にアデランテの力強い瞳が気に入ったらしく、展示品が如く観察しながらワイングラスを手中で回した。


「領主って面構えじゃないな。それに若い」


 ワインを口元まで運んた手が止まり、領主の眼光が金青の瞳へ再び向けられる。互いに交えた視線には、友好性が微塵も感じられなかった。


「……確かに執務経験が浅い事は認めるが、若さゆえの無謀さが功を奏して町を発展させたのも事実でね。父が亡くなる前は、いつ廃れてもおかしくない場所だった」

「他の村から人を奪ってまで立て直すのは感心できないな」

「いいねぇ、単刀直入で。ただし本人たちには強要を一切していない。町を離れたければ、勝手に離れたらいい。この町は来る者を拒まないスタイルなんでね…ところでウーフニールとは誰だい?」


 今度はアデランテの手が止まり、鋭い眼光に一瞬領主が慄く。


 しかし相手のペースを崩せた事が余程嬉しかったのか。居住まいを正せば、すぐにニヤケ面を浮かべる。

 

「独り言もずいぶん多いようだが、ウーフニールとは何だ?」

「その名前を口にするな」

「会話を続けてもらえるなら喜んで。で、結局は何なんだ?」

「…私が事前に来ることも、盗み聞き出来たのも……【白銀のセラフ】の力か」


 再び領主の動きが止まり、彼の目が見開かれた。

 それまで優雅に構えていた姿勢も崩し。口元で手を組むと同時に、領主と客人の関係に明確な終わりが告げられた気がした。


「……屋敷に紛れ込んだ女が欲しいか?」

「ついでにさっき言った力の源をぶっ壊しにきたんだ。何も言わずに差し出してもらえれば、私としても助かる」

「そいつは難しい注文だね。なんせアデット氏の求めに応じるってのは…」


 つるんっと。

 領主がワイングラスのふちを撫でた途端、音が殴り掛かる感覚に顔が歪む。

 意地と気合でその場に留まるが、もう1周。そして2周と指先がグラスを弄べば、その度に不快感が肉体を襲う。


 その様子に頬杖をつき、さらに1周撫でれば呆れたように溜息が零された。


「住人は“天使の囁き”と呼んでる代物なんだが、ガラスによる共鳴音がその正体さ。吸収した音や声も伝播して町の情報は筒抜けってところよ」

「……盗聴とは、悪趣味な領主様も…いたもんだ」

「住人の、強いては町の安全を守るためってね。親父の前の代なんかは四六時中山賊の対応に追われてたらしい…ところでエルメス君といったかな。彼はなかなか見込みがある」

「人質のつもりか」

「住人に危害を及ぼすのは領主にあるまじき行為だね。仮にそうだとしても、秘密を知ったアデット氏はどう打って出る?町中のガラス細工を破壊して回るかい?」

「壊すだけなら1日も掛からない」

「だろうね。町から屋敷まで30分で来たくらいだ。だからこそ招き入れた甲斐があったってもんさ」

「御託は言い。女を返す云々って代わりに何を求めてるんだ」

「ほぉほぉ。やっぱりアデット氏は単刀直入でいいねぇ…なぁに簡単なゲームに付き合ってくれるなら条件を飲む。こっちが勝ったら町の住人になってもらう。負ければアデット氏の要求通り、好き勝手してくれて構わない」


 もちろんフードを外しての参加を、と付け足し。勝気な瞳がガラスのように透き通るのが待ちきれないと愉快そうにのたまう。


 不敵な笑みには絶対の自信が垣間見え、すでに勝敗は喫していると言わんばかり。 何とか拳を唸らせて殺意を押し留めるが、人質交渉を前に身動きも取れない。無言を了承と受け取った領主が、万年筆でグラスを弾いた。


 程なく背後の扉が開き、アデランテを案内した女中が顔だけ覗かせる。


「アデット様。こちらへ」

「うぉい!入ってくる前に“失礼します”って一言添えろ!それに顔だけ突っ込むんじゃねー!入ってきたら深々と一礼してっ…」

「失礼します」


 アデランテが扉を抜けるや、ぴしゃりと扉が素早く閉められる。部屋向こうからは怒鳴り声がいまだ響くも、彼女は一向に気にする様子がない。

 客人を一瞥すれば歩き出し、奇妙な主従関係に困惑しつつ、黙って彼女の後ろに付き従った。

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