066.失われた聖道
孤島に辿り着けば、彫像を睨んでから反対側の岸へ向かった。
住宅街に立ち並ぶ光景は異様だったが、単体で佇めば神々しく見えなくもない。
「…あんな悲鳴さえ出さなければ、教会に1つくらい飾っても良いのにな」
本来の価値はともかく、飾り物としては合格点。残念そうに溜息を零すが、町に来た目的は故郷の住人と。何よりも両親を探すため。
長い橋をようやく渡り切れば、鬱蒼とした森が目の前に立ち塞がり。奥を見透かそうと体勢を変えるが、いくら覗き込んでも先が見えない。
それどころか陽の光は一切拒まれ、住宅街と違って剪定すらされていなかった。
入口に当たる獣道も見当たらず、“危なくて誰も近付かない”のも誇張ではなかったらしい。
道なき道を進んだ経験はあるが、回復士は常に隊列の後ろを歩かされる宿命。普段なら誰かが茂みを踏み慣らすため、未踏の道を単独で進むのは初めてだった。
思わず振り返ってもエルメスやアデットがいるはずもなく。一息吐いて覚悟を決めるや、いざ飛び込んだ矢先に早速裾を引っ掛けた。
強引に引っ張っては足を前に出し、槍を振りながら行く先を薙ぎ払う。
「はぁ…はぁ……お古に、着替えておいて…良かった」
強行軍を始めて間もなく、ドッと疲労が肉体を蝕む。振り返れば湖はすでに見えなくなっていたが、距離を稼いだわけでもなかった。
ただ蔓草や木々が入口を覆っているだけで、そんな事を考えなければ良かったと。深い溜息を吐けば修道女伝統の白ローブで進撃を続けるが、ふと立ち止まれば木に印を刻んだ。
以前助けてくれた回復士の知恵を借り、アデットが助言した護身用ナイフで道標を残しておく。
絵のモデルにはアデットの“相棒”を採用し。これで元来た道を戻れると1人納得したところで、印を刻みながら小休憩を挟むこと数刻。
森が開ければレンガ造りの教会に辿り着くが、至る所に穴が開いた様相は廃墟そのもの。天井側面に至っては歯抜け状態で崩れ落ちていた。
「…呆れた。本当に誰も近付いてないのね…罰当たりなんだからっ」
溜息を吐きながら扉に触れ、押しても引いても動かない入り口に全体重をかける。 ようやく重々しい悲鳴が軋めば、体力を殆ど奪われながらも。思いきって中へと踏み込めば、長椅子に祭壇。
そして聖像と特に目ぼしい物はなく、眺めればどの教会でも見れる物ばかりが散乱していた。
僅かな動きで埃は立ち込め、調度品は全て朽ちている。長椅子も落ちた屋根の下敷きになり、祭壇に蔦が巻き付いていれば、聖像も半壊して立っているのがやっと。
教会奥にはめ込まれたステンドグラスも、かつては立派だったのだろう。今や屋根や壁に等しく、中央が砕けて風雨も入り放題。
敬虔な聖職者ならば卒倒する光景に、しかしジェシカはローブの埃を払うだけだった。
「…けほっ、けほっ。ここら辺にガラスの彫刻は置いてないか…これだけ汚れてるんだし、当然と言えば当然よね」
外観から想定しうる様子を気にする事無く。迷わず奥へ進めば瓦礫で隠された階段を目にするが、腐食した段差は点々と虫食いが続く。
親なら決して子供を近付けない有様とはいえ、鉄等級と言えど冒険者。槍を立て掛けてボロボロの裾を千切り、腕をまくれば手すりを伝って階上を目指す。
時折歯抜けで残った段差に降りて手足を休め、やがて吹き付ける風がゴールの距離を囁くや。光がジェシカの視界を急速に満たし、地平線まで映える豊かな景色が気力を養ってくれた。
そよ風は顔に滴る汗を拭い、心地良さに小さな嘆息を吐く。
「……なにやってんだろ。私」
目的は隠れた住人の捜索だったはずが、好奇心で鐘楼まで登れば、背後には錆びた巨大な鐘が吊るされている。
1人前の冒険者どころか、自分はまだまだ子供だったらしい。町に着いた途端に浮かれたエルメスを責められず、挙句に登ってきた“悪路”を戻る必要があった。
蓄積した疲労と憂鬱に手すりへ項垂れたくなるが、明らかに老朽化している見た目に警鐘ばかりが鳴らされる。
仕方なくその場で佇み、気晴らしに町の方角へ視線を移した途端。
「きゃっ…!?」
突如視界を夜闇が襲い、慌ててナイフを引っ張り出すが、ジェシカの怯えた瞳は一転。目を丸くして警戒を解けば、ソッと元凶に近付いた。
「えっと…アデットさんの、相棒ちゃん?」
手すりに掴まり、不遜な態度で見下ろしてくる姿は見間違いようがない。
かつて森で見たアデットの。彼女の知人のワシに他ならず、間近に迫っても首を傾げてくるだけだった。
「…アデットさんに頼まれて私を見に来てくれたの?あなたも大変ね……でもアデットさん、何しに町へ来たんだろう」
撫でようとすれば不穏な気配を察し、慌てて手を引っ込めれば首を屈めたワシを見つめ。それから意識を親探しに向けようとするが、気付けばアデットにばかり思考を割いていた。
何と言っても彼女はジェシカたちの命の恩人の知人で。
ワシの飼い主の知人で。
そしてジェシカとエルメスを奮い立たせた、奇妙で不思議な冒険者。
かつて喫茶店で相方が口にした「何者なのか」はいまだ答えが見つからず。かと言って本人に尋ねたところで、彼女は普段からフードで顔を隠す身。
聞き出すのは至難の業だろうが、ふと隙をついてワシに手を伸ばせば、サッと横に飛び退かれてしまう。
悔しそうに頬を膨らませれば、直後に笑みをニッコリ浮かべ。気持ちに余裕が出来たところで再び腕をまくる。
手すりや壁に掴まりながら下降を試み、慎重かつ着実に階下へ向かっていた時。ふいに手すりが軋んで嫌な音が響いた。
途端に浮遊感を覚え、慌てて対処したのがまずかったのだろう。持ち手を変えた勢いに壁が耐えきれず、足を乗せた段差がズボッと底が抜ける。
あっという間に世界が遠のいていくが、それもほんの数秒だけ。
「――…う゛、う~ん…あれ、ここ、は……やっぱり地下はあったんだわ!」
頭から埃を被っている事も忘れ、嬉々として見回せばトンネルらしき通路が視界に映る。見上げれば天井に穴が開き、階段をそのまま突き抜けたらしい。
ようやく状況を呑み込めたところで背中の鈍痛が甦り、砕けたレンガの上でゆっくり身体を起こすや否や。頭に落ちた硬い物に、星がキラキラ瞳の中で輝いた。
再び瓦礫の上に倒れ込めば、悶絶しながら転げ回った。
「うぅぅ…何よもう。レンガでも落ちてっ……私の槍?」
頭を擦りながら起き上がり、先端を麻袋で包んだ槍を握りしめる。
置いた場所から落ちた穴まで距離があったはずだが、衝撃で転がり落ちたとも考えられない。
不思議な現象に首を傾げたのも束の間。ふいに風が舞えば、眼前にワシが優雅に降り立った。
同時にパズルのピースが、かちりと頭の中でハマった音がした。
「…あなたが取ってきてくれたの?」
聞いても答えなど返ってくるはずもない。閉じられた嘴に、それでも感謝の印に撫でようとすれば、首だけ動かして巧みに躱される。
慣れた反応にくすりと笑い、槍で身体を支えながら立ち上がると、まずはトンネルを眺めて溜息を。
それから天井を見上げて嘆息を零せば、どうやら思った以上の高さから落ちていたらしい。
掴んで登れる取っ掛かりもなければ、跳んで届くはずもない。
そうなるとトンネルを進む以外に道はなく。自分の間抜けさに呆れながらも、取り出したマッチで麻袋に火を灯した。
意を決して歩き出したものの、ふと聞こえた異音に振り返れば、鉤爪を鳴らしながら。アヒルの子が如くワシがついてきていた。
目が合えば首を傾げ、それだけでジェシカの表情は限界まで綻ぶ。
「ふふっ、なんだか子供の頃に読んだ探検家になった気分ね…でも廃教会とはいえ、勝手にウロついてるのがバレたら破門待ったなしだから…私とあなただけの秘密ね?」
暗闇もバッチリ対策し、護身用の武器と旅のお供もいる。恐れる物はないと言わんばかりに進めば、今なら何処までも行けそうな気がした。
もっとも終点の見えない通路に、勢いは次第に削がれていき。何度も振り返って“お供”がいる事を確認しつつ、進んだ方向が合っていたのか。
それとも正反対に向かうべきだったのか。
煉瓦で造られた薄暗い通路は、怪物の喉を通るようで。徐々に道が狭くなっている気がしてくると、足も空気も重く感じてならない。
今こそワシに触れて勇気を分けてもらいたいが、下手に近付けば逃げてしまうだろう。
むしろ後ろで可愛らしく歩いているからこそ、踵を返さずに進み続けていたというのに。ふと目を見開けば、急いで煉瓦が積み上がった行き止まりに駆けつけた。
ペタっと触れば深い溜息を零し、終着点に力なく身体を預けた途端。
髪に。首筋に。
ふいに冷ややかな風が吹きつけられるや、暗闇の中で太陽の如く破顔した。
「鳥ちゃん、この先にまだ道があるわ!」
自分に言い聞かせるように両手をつき、腕をまくれば一気に押し出す。
だが重量が足りないのか。
あるいは単純な力不足のせいだろう。
足が後ろに下がるばかりで、成果は一向に芳しくない。全精力を込めた気合とは裏腹に、現実はジェシカの理想を打ち砕く。
もはや諦めて元来た道を戻ろうとした時――こんっ、こんっ。
ふと聞こえた異音に振り返れば、足元で煉瓦の1つをワシが小突いていた。
途中で動きを止めると一瞬ジェシカに嘴を向け。しかしすぐに作業に戻れば、最初は手伝ってくれているのだろうと。
微笑ましい光景に癒されていたものの、突如走った閃光がジェシカを突き動かした。
それまで押していた煉瓦に槍を当てれば、ワシを真似るように小突き。同じ物だけを集中的に。
指先が痺れるまで叩くと、パラパラ土くれが零れ始める。
やがてガコンっと。反対側に煉瓦が落下すれば、残りも後を追うように崩れていく。
「へっへー、お手柄よ鳥ちゃん…あっ」
思わぬ成果に喜び過ぎたらしく。勢いに任せてワシの頭を撫でれば、不意打ちに反応し切れなかったのか。
ワシは微動だにせず、触られるがまま鎮座する姿につい触り心地を楽しんでしまう。
頭も見かけによらず柔らかく、次は胸に触ろうと手を降ろしたが、鋭い眼光に思わず手を引っ込めた。
残念そうに顔をしかめるも、おかげで勇気も充電された。槍を持ち直せばソッと壁向こうを覗くが、トンネルそのものは終わったらしい。
代わりに地下室が一帯に広がり、独房にも見える光景に早々に再充電が必要となった刹那。
視界に映った不自然な光が注意を引き、松明を動かす度に反射する物体に、訝しみながらも近付いた。
「…ガラスの彫像?なんでこんなところに……」
屈み込んで下から覗き込むが、見違えるはずがない。見回せば奥にもまた1つ見え、目で追えば等間隔に並んでいる事が分かる。
住宅街の軒先で見た物に酷似しているが、触れてみれば埃は全く被っていない。
床の汚れ具合から判断するに、誰も掃除していない事は一目瞭然。かと言って部屋は放置し、彫像だけ綺麗にしているのもおかしな話だろう。
ますます理解に苦しむ状況にも関わらず、好奇心が1歩足を前に出す。だが髪をワシに引っ張られるや、無理やり後退させられる。
やはり撫でた事を根に持っていたのか。
喧しい羽ばたきと小さな悲鳴が上がるも、直後に響いた耳鳴りに動きを止めた。壁に身体を押し付け、意識を振り絞れば彫像が振動しているように見える。
“天使の囁き”が地下にまで届くのかと思うも、次に目を開いた時には彫像が消え。代わりに黒く。天井まで届く大きな影がジェシカの自由を奪った。




