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063.瑠璃色の都

 地平線に日が昇る頃には馬車を見送り、ジェシカたちも無人の村を出立した。

 鬱蒼とした獣道を進み、草木に荷物を引っ掛けながら歩くこと2日。アデットの先導もゆっくり気味とはいえ、死に物狂いで歩くジェシカの強行軍により、ペースを落とさずに済んでいた。

 だからこそ目的地に近付いているようにも思えたが、すでに3日目が終わろうとしている。

 いまだ町も見えず、前方の進捗も遮る木々によって把握できない。


 そもそも日数自体が間違えていたのではないか。

 あらぬ方向に進んでいるのではないか。


 焦燥ばかりがジェシカを蝕むが、道を確認する余力も判断力も無い。

 移動のためにテントや着替え。調理器具も全て村に置き、可能な限り軽装で挑んだとはいえ、体力もとっくに尽きていた。

 よろけるように木陰で1泊すれば燻製肉を夕餉に、一行は夜明けを待つ事にした。


「…エルメス、起きてる?」


 数少ない装備の毛布にくるまり、ジェシカが肩に寄り掛かる。

 

「眠れないのか」

「うん…ごめんね。無茶に付き合わせちゃって。それなのに私が1番足を引っ張ってる…」

「そんな事ないよ。テントも無しに野営しながら移動とか初めてだから、正直ドキドキしてる」

「ふふっ、ギルドの相談所では必需品だって言われてた位なのにね」

「荷物を出来るだけ軽くしてください!ってジェシカが頼んだ時に、アデットさんが8割近く中身を捨てた時は色々複雑だったよ」

「剣しか持ち歩かない人だから、むしろ私たちの方が異質に見えるんじゃない?」


 囁きながら微笑み合い、荷物を覗けば中には防寒1着と、食料に火打石だけ。

 大幅な軽量化に不安が募り、不測の事態に備えるべきだと恐る恐る口にしても、あくまで重視されたのは“移動力”。

 

 雨ならば木々や洞窟で防げば良い。食料は狩りや採取で十分。

 淡々と告げられた言葉は、洗練された騎士よりも獣に近い印象を持ったが、今さら伝えるような話でもない。


 夜の肌寒さも焚火で凌げても、ふいに森から吹き付けた風に身を寄せ合った。


「……ねぇ。もしこのまま進んで、万が一町が廃墟だったり、町そのものがなかったら…」

「その時は村の人たちを見つける旅に出かけようぜ。また戻って備品を回収しなきゃだけど、落ち着いて考えて、何処へ行ったか2人で考えよう」

「…アデットさんは入ってないのね」

「フェイタルの町に用があるっていうのに、付き合わせるのも悪いだろ。地道にやってけば2人だけでも上手くやれるよ。鉄等級から再出発した時みたいに」


 首に下げ続けたプレートをつまみ、2人の前でクルクル回す。


 決して初心を忘れないように。パーティの壊滅も、町での体験も忘れないための戒めであり、様々な思い出が籠もった品を惚けた様子でジェシカは見つめる。

 しかし見る度に浮かぶのは、何も彼女と過ごした時間だけではない。アデットの勇ましい姿がよぎる頻度の方が多い事は、口が裂けても話すべきでは無いだろう。


 それにジェシカへ語り掛けた言葉は本心であれ、全てはアデットの受け売り。馬車で不安を零すや、あっさり返した彼女の方がよほど男前である。


 複雑な感情が渦巻くエルメスの気も知れず、ジェシカが柔肌を押し付けてきた。

 ゆっくりしている場合でもなく、夜の焚火を除けばロマンも欠片もない。いまだ気の抜けない森の奥底だが、ふいに視線が合えば互いに固まってしまった。

 ジェシカの吐息が洩れ、潤んだ瞳も艶っぽく見える。


「…あ…っと、その…」

「――…うん」


 狼狽するエルメスを尻目に、ジェシカの視線が真っすぐ突き刺さる。

 沸々と込み上げる想いから咄嗟に顔を背けようと。それまで妹のように接してきたつもりだったジェシカから視線を逸らせば、彼女の胸元の膨らみや上気した頬が。  焚火の影に妖しく映える、1人の少女が絵画の如く視界を占めた。


 ずっと後ろに付いて来るだけだった彼女も、瀕死のエルメスを救出し。絶望の胸中にあってもずっと励ましてくれた記憶はまだ新しい。

 知らぬ間に成長していた事は喜ばしいのに、称賛以上の感情が内側から溢れ出し。見えない糸に引き寄せられ、額もぶつかりそうになる。



 あともう少し。


 鼻先が互いに掠れ、瞳に映るのは互いだけ。


 長旅の疲れか。

 あるいは山賊に襲われ、故郷の住人が失踪した不安から生じた吊り橋効果なのか。


 

 やがて顎が突き出され、桃色の唇の誘惑に惹き寄せられた時――。



「――町を見つけたぞ!越えるのは山3つではなく、5つだったらしいな。この先にある坂道を登っていけば月明かりでも十分見えて……どうかしたのか?」


 音もなく。頭上から突如出現したアデットに、ジェシカは直立し。エルメスは風で飛ばされたように転がっていた。


 異様な光景にアデットが訝し気に首を傾げていたが、質問を挟む余地を与えるつもりは無い。直ちに荷造りすれば急き立てるように歩かせ、暗がりの行軍を開始した。

 


 淡い月明かりの光源に何度も足を取られるが、ジェシカが立ち止まる事はない。地面を這おうとも歩き続け、やがて息を切らした2人が見上げた時。

 ふと前方に佇むアデットを捉え、縋りつくように足元へ倒れ込んだ。

 四つん這いのまま回復を図り、残る距離を尋ねるべく顔を上げるが、彼女が応える事はない。


 代わりに木々を左右に押し分ければ、途端に風が全身を吹き抜け。汗で濡れた身体を心地よく撫でつけていく。

 思わぬ恩恵に癒しを覚えるも、なおも動かないアデットが披露したのは、冒険者たちを労うには十分な光景だった。



 最初に視界へ飛び込んだのは巨大な湖。

 森が避けるように開けた土地は夜空を反射し、その様は水底に星を散りばめたようにさえ見える。

 その傍には無数の建物が並び――チカッ、と。ふいに地平線から太陽が昇れば、暗闇で覆われた土地を明かりが照らしていく。


 すると湖が。そして建物の群が眩く輝き、視界を奪う強烈な光に思わず目を覆った。

 肌までチリつく熱量に後退し、森に留まる夜風の残滓が熱した身体を冷やしてくれる。


「……あの町が私らの目的地で合ってるんだよな?あのまま焦げるかと思った」

「寂れた町だって俺は聞いてたんだけど」

「し、知らないわよ!前にも言ったように町を離れる人が多かったってだけで、行った事なんて1度もないんだから。大体その話だって私が子供の頃に聞いただけで…っ」


 自信がなさそうに答えるジェシカに、しかし誰も追及する事はない。文明は衰退する事もあれば、発展する事もある。

 それに光源の正体が何であれ、消えた住人の手掛かりを暗に示しているようで。先行きは文字通り明るく見えたものの、アデットは終始曇った表情を浮かべていた。


 それどころか、何かあれば逃げるように。

 あるいは身を潜める場所を探すよう警告され、不穏な言葉にアデットの緊張が伝わる。

 思えば村の住人は謎の失踪を遂げたままで、町に向かう理由も調査のため。


 改めて気を引き締め、移動を再開すれば向かった先は下り坂。これまでの努力を労うような道のりを疾走し、やがて道が平坦になっていく。

 町が近い証拠に警戒を一層強め、意を決して最後の茂みを飛び出した。



「ほぅ…」

「…なんなの、これ」

「……すっげぇ」


 驚嘆のあまり、それ以上の言葉が出なかった。


 立ち並ぶ建物は市街地そのものだが、そのどれもが軒下にガラス細工を飾り、一斉に朝日の輝きを受けて一行を出迎えた。


 食器の類は夕餉に使う事すらためらう造形を誇り、ほかにも小物類や家具。そしてガラスケースの中に佇む人形は、今にも踊り出しそうな躍動感がある。

 店の奥では職人が汗を流し、あちこちの煙突からは忙しなく熱気が噴き出ていた。


 そんな町並みを眺めながら街道を歩いて行くが、エルメスたちに注意を向ける者はいない。

 「こんにちは」の一言もなく、愛想の悪い商店街にジェシカが顔をしかめた刹那。ふいにアデットが隊を離れ、吸い込まれるように店頭へ近付いた。

 ガラス製の陳列棚の1歩手前で足を止め、そのまま商品を眺め出すが、店内にも大小や形が様々なワイングラスがずらっと並んでいる。


「へー、ワイングラス1つでも色んな種類があるんですね。おっ洒落ー。アデットさんはこういうのが好みなんですか?」

「高価なグラスセットを割って、給料を半年差し止められた事があるんだ…相場がいくら位なのかと思ってな」

「……ご愁傷さまです」


 エルメスが店内を物珍しそうに見回す反面、一定の距離から商品を眺めるアデット。普段の凛々しさも影を潜め、怯えた子供のようにビクつく姿についほくそ笑んでしまう。


 自分の子供であれば、その場で頭を撫でていたろうと。一瞬よぎった妄想についエルメスを一瞥し、火照った顔を慌てて扇ぐ。

 日差しも相まって中々熱が引かないが、ふいに開かれた奥の扉が一行の注意を惹いた。


「こんにちはぁ。旅のお方ですね~?」


 目の下に隈を作り、左右のおさげを揺らしながら現れた店主が欠伸を噛み殺す。

 眠そうにジェシカたちを見つめ、思い立ったように歩き出す足運びは危なっかしい。紙一重で商品を躱し、ようやく街道に踊り出た彼女はいまだフラついている。


「改めてこんにちはぁ。何かお買い求めですか~?」

「い、いえ。私たちはたまたま通りがかっただけで…えっと、綺麗な町ですね」

「むふふ~、そうでしょうとも~。皆さんは旅のお方ですか~?丁度作業がひと段落したところですし~、折角だから案内でもしますよ~」

「案内よりも寝た方がいいぞアンタ」

「平気平気~。たまには運動しないと駄目だからね~」

「あまりご無理をなさらないでくださいね。ほら、エルメス。いつまで見てるのよ。店員さんが案内してくれるって!」


 ジェシカの声掛けでエルメスを呼び戻し、千鳥足で先導する住人に付き従う。

 街道を挟むように続く輝かしい光景に、旅人の反応は三者三様。1人は興味津々で店を見回し、1人は工芸品よりも人の顔を覗く。

 そして最後の1人は店に近付くまいと、道の中央から決して離れない。


 しかし建物の数も減っていけば、やがて前方を視界の端まで占める湖が姿を現し。山頂でも見た景色に関わらず、つい惚けて一望してしまった。

 

「じゃあ行きますよ~」


 相変わらず抑揚のない声を住人が零すや「どこへ?」と問う間もない。湖面へ迷わず進み出した彼女に、やはり寝惚けていたのかと。

 いまさら町を案内させた事を後悔し、慌てて止めようとした時にはすでに遅かった。


 彼女の足は湖に1歩踏み出されるが、水に浸かる事はない。それどころか身体は沈まず、宙を歩くように水上を滑っていく。

 呆然とする一行を前にクルっと振り返り、案内人のまったりした笑みが浮かべられた。


「ふふふふ~驚きました~?フェイタル名物“見えない十字橋”。職人の技をとくとご賞味あれ~」


 住人が足元を蹴ると硬い音が響き、目を凝らせば光の反射で微かに橋が見える。

 湖中央の孤島まで繋がっているらしく、思わぬ情景に感動したジェシカも、恐る恐る足を乗せれば、確かな感触が足先を押し返す。

 体重は悠々と支えられ、手探りで見つけた手すりに掴まりながら湖を一望した。


 直後に背後を子供のように興奮したエルメスが通り過ぎ、“男”と言う生き物に思わず溜息を零す。

 ようやく幻想的な景色にも慣れ、親の顔がチラついて進む気になった矢先。橋の上から町を見るべく振り返れば、いまだ陸の上にアデットが佇んでいた。

 案内人の話を熱心に聞くエルメスを尻目に、すかさずジェシカは元来た道を戻っていく。


「どうされたんですか?早く行かないと置いてかれちゃいますよ」

「私はいい」

「いいってそんな…あっ、もしかして怖かったりします?アデットさんも仰ってたじゃないですかー。“見えないだけでそこにいる!”って。勝手は違うかもしれませんけど、ここは勇気を出して…」

「……壊れ物との相性は昔から良くないんだ」

「あ~…でも大丈夫ですって!3人乗っても全然へっちゃらですし」

「…悪いが回り道をするよ……すまないが行き先を教えてくれないか!?」


 大声で唱えるアデットに住人が足を止める。困ったように首を傾げた彼女が地理を指し示せば、孤島まで歩いて西に廃教会。

 東に住宅街。

 北に領主の館。


 ふいに“住宅街”と聞くや、ピクリと震えたジェシカにアデットも反応する。

 行き先も暗黙の内に決まるが、回り道では40分以上も掛かると忠告されても、脱兎の如く森の中へ駆けて行った。

 あの様子では湖を泳いででもガラスの橋を避けるだろうと。エルメスが腑抜けた以上、唯一頼りになるアデットの失踪に再び嘆息を零す。

  

 程なく案内も再開され、やがて中央の孤島へ辿り着いた時。陸からも見えていたはずが、突如そびえ立つガラスの彫刻がジェシカたちを出迎えた。

 橋同様の突飛な出現に戸惑うも、跪いて祈りを捧げる女の像は正面を向いていない。方角を辿って行けば、森の地平線に塔らしき突起が見える。


「アタシが生まれるず~っと前は、大聖堂なんて大層な呼ばれ方してたみたいなんですけどね~。豊作や町の平和をあそこでよく祈ってたらしいんですよ~」


 視線を察した住人は聖堂へ振り返り、以前変わらない間延びした声で続けた。


 今では礼拝の習慣はおろか、補修工事すら行なっていない。

 危険ゆえに誰も近付かず、美しいガラス細工を際立たせるために、醜悪の象徴として現代も佇んでいる。


 そんな事を悪びれもなく住人は語ったが、ジェシカが元修道女であった事など知る由もない。思う所はあるものの、両親と村の住人の行方を探す方が先決だろう。

 黙って話を聞き入れ、住宅街への案内を催促した刹那。



 ふいに世界から音が消えたような静寂に包まれ、戸惑うジェシカたちをよそに、住人は平然としていた。


 やがて湖が震え、波紋が広がると次第に風が吹き荒れる。

 橋も彫刻もカタカタ鳴り出し、徐々に耳の奥をつんざく音が広がっていくや、振動が全身を打ち震わせた。

 視界はいまだに安定せず、エルメスが支えてくれなければ倒れていたろう。


「…何、今の音?」

「山から吹く風がガラス細工を通して共鳴音を生むんですよ~。ガラス同士も共鳴し合ってもっと大きな歌を奏でて…そうやって町全体をガラスの唄が包み込むぅ~…フェイタルもう1つの名物“天使の囁き”。いかがでした~?」


 両手を広げて指揮者の如く振る舞う住人に、返事をする気力も湧かない。馬車とはまた異なる気怠さに項垂れ、いまだに眩暈は止まなかった。

 橋の手すりとエルメスがすり替わっても気付かなかった程で、今にも死にそうなジェシカに反して、相方は“天使の囁き”を絶賛。

 しかし彼の声が届く辺り、聴覚も順調に回復していると言えよう。


 その間も住人やエルメスは幸福な笑みを浮かべていたが、どちらの感性にも賛同できない。ジェシカにはまるで、喉をかき毟る悪魔の断末魔にしか聞こえなかった。


 もしかすれば個人によって聞こえ方に違いがあるのか。

 そう尋ねようにも、2人の反応に本音を告げられず、誤魔化すように小さな溜息を零した。

 

 だが僅かに掛かった吐息ですら“共鳴”は起こるらしい。

 手すりが振動すれば橋も震え、後悔を覚えた頃には天使がアンコールに応えるや、再び町中に囁き声を響かせた。

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