4.入国しました
風が木々の葉を揺らし、忙しない音を立てる。全ての木々が余裕で50mは超えるような鬱蒼とした森は、日光を遮り影を作る。
「さぁて」
人間などがいるはずのない森の奥で、この場に似つかない程に可愛らしいソプラノの声が響いた。
齢10歳程の少女───言わずもがな、ユウである。
「世の中で、一番必要なものは何か?それは───⋯⋯」
そう言ってユウは、跪き頭を垂れる3人を眺める。その表情は固く、何処か深刻そうに見えた。
その姿は、支配者宛ら。
思いつめたようなユウの顔に、何処からともなくゴクリ、と唾を飲む音がする。
「勿論、金だよ」
人差し指を立てたユウが、言う。何処かしら得意気なのは、何故だろうか。
こほん、と態とらしく咳払いをした後、
「というわけで⋯⋯」
真面目そうな表情からは一変、それは新しい玩具を見つけた悪戯っ子のような笑顔だった。
「冒険者登録ついでに、観光しようか!」
───────
3人を少し離れた所で待機させ、ユウは彼らに背を向ける形で前を見据える。
───人間の国に入るには、少しやらなければならない事がある。
「《アイテムボックス》」
『キーワード』を口に出しながら、空中に腕を入れると脳内に、現在保存されているアイテムの一覧が浮かび上がった。
これは初期キャラ自体についてくる、特殊技術の様なもので、例外なく誰でも使う事ができる。
その名の通り、主にアイテムの収納に使われるものだ。この中では時間が流れていないので、例え生物であっても鮮度も保てる。
ただ、キャラレベルによって収納数は制限されるが、ユウによってそれはさほど問題ではない。
かなり便利。
ここでは使えないかもしれない、と不安に思っていたが、その心配はいらなかったらしい。やってみたら出来てしまった。
ものは試しようとは、よく言ったものだ。
思った通り、CWOで保存していた様々なアイテムがある。これはかなりのアドバンテージとなるだろう。
「にしても、これから先は大変かもなぁ⋯」
誰にも聞こえないように、しみじみと小声で呟くユウ。
魔族を見た時のリアクションからして、人間に自分が魔族だと悟られてしまったら、即ゲームオーバー。平穏な日常なんて、望めない。
それには、極力目立たない事が得策だ。黒髪は珍しい色だが、魔族の象徴ではないためそこまで気にする必要はないが、やはり魔族の象徴である角と翼はネックとなるだろう。
(あくまでも、異世界を満喫しながら、平和に楽しく過ごしたいだけなのに)
だからこそ、ギルド長であるジンに、魔族の状態で顔を見られた事が、余計に気がかりだ。
記憶の忘却なんてできるはずもなく、かといって整形も不可能。
このままでいくしかないだろう。
(既に上への報告は済んでいるはず、魔族が現れたという情報は広まっていると考えるべきか⋯⋯)
「⋯⋯悪事千里を走る、とはこの事かもなぁ。別に悪事を起こしたわけじゃないんだけどね⋯」
───カチリ
取り出した魔力隠蔽の為の指輪を、両手の指全てに装備しつつ、これからやる事を確認する。
───まずは冒険者登録だ。
CWOと仕様が同じならば、街に最低1つはギルドがあるはず。何処か1つで冒険者登録さえすれば、他の国でも依頼を受けることが出来る。
ランクが低い間の稼ぎは雀の涙程だが、ランクが高くなればなる程難易度は高くなり、それに応じて報酬も豪華になる。
元々、CWOでも冒険者だったのだ。これ以外の金稼ぎは考えられない。
登録が済んだら、次は情報収集。これはノワールに任せるつもりでいる。少なくとも見た目は好青年、コミュニケーション能力が高いことも理由の1つだが、一番の理由は違う。
目立たない為には、人間との面倒事は避けなければならない。それには、人間に対してある程度の理解が必要だ。
ノワールは他のNPCよりも、人間に対する感情が優しい。
───そう、優しい⋯⋯多分、いやきっと。
最後にとんがり帽子を被ったユウは呟く。
「よし、準備は整った」
伝説級の装備を身につけ、満足そうな笑みを浮かべる。
旗から見れば、ただの可愛らしい魔女装備一式だが、実は様々なスキルが付いた魔法服である。
ランクは、最高ランクである神話級に次ぐ2番目。しかし、その性能は中々優秀⋯決して悪くは無い。
神話級を普段着で使うのは、少し気が引けるという理由での伝説級。それでも、不意に強敵と相見える事となったとしても、ある程度は対処できるだろう。
魔力隠蔽の指輪は、既に3人にも配ってある。これで魔力探知で見つかる心配はない。馴染む事も考えて、装備も平凡かつ高機能なものにさせた、抜かりはない。
3人に装備をプレゼントしたら、相当嬉しかったようで感謝の言葉が絶えず、モミジなんかは感動して涙まで流していた。ローザに至っては、恍惚とした表情で、まるで恋人を慈しむかのように撫で続けていた。
その姿に引いたのは言うまでもない。
「⋯⋯翼と角は⋯大丈夫そうだな」
最後にくるりと回転し、動いても見えないことを確認する。最小限の大きさにした翼も、長めの黒ローブでしっかりと隠れている。
念のため、どちらにも不可視の魔法はかけておいたが⋯⋯───ユウの心に心配が残る。
「まあ、どうしようもないか」
小さく首を振ったユウは、3人の元へと駆け足で向かった。着替えると言ってから、大分時間が経ってしまっている。
草をかき分け少し行くと案の定、装備を整え支度を終えた3人が跪いて待機していた。
それを見たユウの口元が引き攣る。
(⋯まさか、ずっとこの状態で待機していた⋯なんて───⋯まさかね)
そう思いつつも、この人達ならやりかねないと、たった数時間しか接していないにも関わらず、納得してしまうユウ。
それ程までに何故か崇拝されている。
(本当何してるんだ、君たちは⋯⋯)
そう言いたいが、言えるはずもなく⋯⋯ユウは引き攣った笑みのまま、3人に近づいた。
「⋯⋯ごめんね、遅くなった」
ユウがそう言えば、秒速でニコニコとした柔らかな笑顔と共に、ノワールから返事が来る。
「いえ。主様の御支度ならば、喜んでお待ちしております⋯⋯───いつまでも」
背筋が、ヒヤリ、とした。
───その笑顔は変わらず優しいのに、一瞬不気味に思えたのは何故だろうか。
見ると、ノワールに同意するように、他の2人も頷いていた。この場に居ないが、きっと残りのNPCたちも同じ反応なのだろう。
忠誠心の異様な高さ。
それは扱いやすいんだか、にくいんだか───接してみて、最初のような忠義に対する不安は無くなったものの、今度はどう対応していけば良いのかがわからない。
むしろ、忠誠心が高すぎて扱いに困ってしまう。⋯⋯まあ、初めて対応する人種という理由も、その1つだが。
ユウが 3人の目の前に立つ。
ここで面倒を起こされても困るので、釘を指す事を忘れない。
「皆、人間には喧嘩を売らないで、優しく接して。とにかく、街の中で騒ぎは起こさないように」
「「「はっ」」」
その言葉に全員頷いたのを確認してから、ユウが言った。チラリ、と遠くに見える石の壁を見る。
あそこがさっきの国なのだ───緊張で自然とユウの表情が固くなる。
ユウは、何かを決意するように帽子を深く被り直すと、柔らかな微笑みを浮かべた。
「⋯⋯じゃあ、出発しよう。日が暮れる前に」
───見上げた空には、既に赤みがかかっていた。
────────────
「ようこそ、ルガント・ヴェルド王国へ」
門番の声に見送られ、扉を潜る。
⋯⋯結局入国出来たのは、完全に日が落ちてからだった。
「⋯⋯申し訳ございません。こんなに時間がかかってしまって⋯⋯」
「謝らなくていいよ、ローザ。仕方ない事だよ」
東の街───『イアスト』に入ってから、ローザはずっと謝り続けている。
確かにローザに入国手続きを任せたが、入国が遅れたのは別に彼女のせいではない。
入国する者が異常に多かったのだ。
「まさか、勇者召喚が成功したとは⋯⋯」
そう、勇者召喚だ。
異世界から来た勇者を一目見ようと、他国からの観光客がこの国に来ているらしい。その数は、馬車やら何やらが合計で数十メートルの列をなす程。
森から公道に向けての道のりは、魔物も何故か出ず比較的早く行く事が出来た。公道にやっと出た───そこで目の当たりにしたのだ、あの行列を。
(恐らく、勇者は日本から来た鈍感野郎だろうな⋯)
自分と同じ日に来るとは、何の因果だろうか。
もしかしたら、この国だけでなく他の国でも異世界転生者、転移者がいるのかもしれない。
ユウが心の中でため息をついた時、横から不穏な呟きが聞こえた。
「⋯⋯下等生物のくせに、主さまに手間取らせるとかぁ⋯⋯殺しちゃっていいかなぁ、いいよねぇ。ね、ノワールだってそう思うでしょ?」
「⋯⋯ダメだよ、モミジ。主様に言われたでしょ?騒ぎを起こしたら、怒られちゃうよ」
ボソッ、とイイ笑顔で呟くモミジに、同じく藍色の瞳を細め笑顔で応えるノワール。その笑顔から真意は見えない。
まるで幼子をあやすように言った後、ノワールは満面の笑みで言葉を続けた。
「それに、僕にとって人間は観察対象だからね。簡単に殺しちゃあ、勿体ないよ」
じわじわ攻めるのが好きなんだ───⋯
モミジはその言葉を暫し反芻していたが、共感出来なかったのか、小馬鹿にした様に口角を上げて言う。
「ふぅん⋯⋯あたしにはわからないや、ソレ。相変わらずノワールは、優しいなぁ⋯⋯。ま、かなり趣味悪いけどねぇえ?」
「⋯⋯褒め言葉として受け取っておくよ、ありがとう」
優しい───それはただ単に、見方が少し違うだけの事。根本的には皆同じ──人間=下等生物──だと思っている。
〝人間に対してどう思うか〟
その質問を全員にした時、殆どが『抹殺対象』か『下等生物』と似たりよったりだった。
他にも『実験対象』、さらには『下僕』とまともな認識がない中、最後に聞いたのがノワールだった。
その言葉が『観察対象』───観察用のモルモットだと言う。
直ぐに殺すよりは良いかもしれない、という間違った妥協がユウの心の中で渦巻いていた。
(⋯⋯だから本当はノワールでも心配なんだけど、私が歩き回るわけには行かないんだよなぁ⋯)
少し歩いた所でユウが立ち止まった。それと同時に他3人も止まる。
くるり、と振り返り、人々の喧騒の中ユウは小声で指示を出す。
「⋯⋯ノワールは街で情報収集、夜更けにはあの場所に戻ってきて。モミジとローザは、私と一緒に冒険者登録、三姉妹という設定でね。その後はこの街に何があるかを把握してから、宿に止まるから」
ユウからの指示に頷く3人。ノワールは一礼をしてから、人混みに紛れて行った。
それを見届けてから、ユウは広場に面したある通りへと、歩みを進める。門番の話によると、この先にイアストのギルドがある筈だ。
歩きながら、後ろから付いてくる2人に話しかける。
「一応、命令として言っておくけど⋯⋯主様呼びは禁止。私は妹という設定だから、呼び捨てでね」
それを聞いた2人から、直ぐに返事が返る。予想通りの言葉だ。
「そ、そんな恐れ多い事⋯⋯で、できません」
「流石に呼び捨ては⋯⋯」
「命令、だよ。逆らうの?」
ユウはNPC達が〝命令〟という言葉に弱いということ、命令には絶対に逆らわないということを、今までのやり取りで十分把握していた。
卑怯なのは重々承知だ。
「そ、それは⋯⋯」
「⋯⋯命令に逆らうなんて⋯」
思惑通り、途端に2人の歯切れが悪くなる。後ろを振り返らなくても、2人の顔が青ざめていると分かった。
じゃあ呼び捨てでいいよね、と最後にユウが言うと、2人は蚊の鳴くような声で「はい⋯⋯」と応える。
それを聞いて、ゆっくりと振り返るユウ。その顔には、満足気な笑みが浮かんでいた。
ユウが口を開く。
「私の仮の名前⋯⋯いや、この世界での新しい名前は」
そこで言葉を区切る。
───そう。ここはもう、日本ではないのだ。
「ノア=ヴェーダ、それが私の新たな名前」
⋯⋯それは、日本の悠でもなく、CWOのユウでもない───この世界の魔族としての名前。
それは、ユウが〝ノア〟として生きるという決意の証。
それは、縛り。
それは⋯⋯やがて、人間としての心を封じるきっかけとなる。
史上最悪の希少魔族〝ノア〟───少女の皮を纏った悪魔⋯⋯そう呼ばれるのはまだまだ先の未来だ。
見切り発車、行き当たりばったりなのが当然⋯⋯そんな小説です、申し訳ない思いでいっぱいです。