第一章「プラモデル」
放課後。
生徒指導室に呼び出された萩尾美琴は、居心地悪そうに椅子へ座っていた。
「萩尾、お前まだ部活決めてないんだってな」
「……はい。」
入学して三ヶ月。
この学校は部活動への所属が必須だった。
だが、美琴はいまだにどの部にも入っていない。
運動が得意なわけでもない。 音楽に興味もない。 特別やりたい事もなかった。
けれど。
「どうせやるなら、本気でやりたいんです。」
その言葉に、生徒指導の西田先生は少しだけ目を丸くした。
「真面目だなお前。」
先生は椅子へ深く座り直し、腕を組む。
「まぁ、このままだと強制的にどっか入れる事になるからな。」
「それは嫌です……」
「だろうな。」
西田先生は少し考え込み、ふと思い出したように立ち上がった。
「よし。じゃあ模型部入れ。」
「……はい?」
「活動そんな厳しくないし、文化部だし、お前には合うだろ。」
「いや、なんで模型部なんですか」
「俺が顧問だから。」
そんな理由ある?
美琴が呆れていると、西田先生は勝手に立ち上がり、そのまま歩き始める。
「ほら行くぞ。」
「えっ、ちょっ――」
半ば強引に連れて行かれた先は、グラウンドの奥。
校舎から少し離れた場所に建つ、古びたプレハブ小屋だった。
「ここ。」
「……え?」
「模型部。」
どう見ても部室には見えない。
西田先生は慣れた様子で扉を開ける。
「おーい、湊ー! 木戸ー! 新入部員だ。」
美琴は先生の後ろから恐る恐る中へ入った。
――瞬間。
「臭っっ!!」
思わず顔をしかめる。
強烈な臭いだった。
シンナーのような、薬品のような、鼻の奥に残る刺激臭。
「ちょッ、ちょっと待って!! 先生!! なにこの匂い!! こいつらやばいもんとかやってないでしょうね!!」
「初対面で失礼なやつだな、おい。」
呆れた声が飛ぶ。
部室の中を見渡す。
汚れた机。 散乱した瓶。 床に転がる道具。 壁際には大量に積まれた箱。
その一方で、壁の棚には綺麗に並べられた模型たちがあった。
車。 飛行機。 ロボット。
どれも店で売っている完成品みたいに綺麗だった。
机の一つでは、少年が何かスプレーのようなものを吹いている。
もう一人の少年は棚を見ながら腕組みし、うんうんと頷いていた。
「あっちでエアブラシ吹いてんのが湊涼介。」
西田先生が指差す。
「先生、締めて。ほこりが散る。」
涼介は一瞬だけこちらを見て、すぐ作業へ戻った。
エアブラシ? なんだそれ。
というか、この臭いの原因あれなの?
「あっちで自分の作ったプラモに酔ってんのが木戸康太だな。」
「完成したんだ、そりゃ酔うだろうよ!」
腕組みしていた少年――康太が笑う。
「今日から模型部に入る萩尾美琴だ。萩尾、変なやつらだけど仲良くしてやってくれ。」
「いやちょっと待ってください!」
だが西田先生は聞いていない。
「初めてこの匂い嗅いだらそうなるか……まぁいいや。あとはお前ら説明してやってくれ。」
そう言い残し、先生はさっさと部室を出て行ってしまった。
「行っちゃった……」
こんなんどうすればいいの?
沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは康太だった。
「西田に無理やり入部させられた口か?」
「……うん。」
「まぁ、あんなんでも西田は人を見る目はあるからな!」
康太は気楽そうに笑う。
「お前……萩尾だっけ? 萩尾にもなんか光るもんがあったんじゃねーの?」
「でも私、プラモデルなんか作った事ない……」
美琴は小さく俯く。
「部活は本気でやりたいって思ってたのに……おもちゃ作りかぁ……」
その瞬間。
空気が変わった。
涼介が、美琴を真っ直ぐ睨んでいた。
「プラモはおもちゃじゃない。」
低い声だった。
「お前、向いてないよ。」
真剣な眼差しに、美琴は言葉を失う。
冗談じゃない。
本気で怒っている目だった。
「まぁまぁ。」
康太が間へ割って入る。
「せっかく模型部入ったんだしさ。ちょっとくらいプラモの事、知っとくのも悪くねーだろ?」
康太は窓際へ椅子を二つ並べる。
「涼介、窓開けていいか?」
「塗装は終わった。勝手にしろ。」
康太が窓を開ける。
夕方の風が、シンナー臭を少しだけ外へ流していった。
……絶対、変な部活に来てしまった。
そう思った。
でも。
棚に並ぶ模型だけは、少しだけ綺麗だと思った。
強烈なシンナー臭と共に、 私の模型生活が始まった。
「ってな感じだな!」
康太は身振り手振りを交えながら、プラモデルの種類や道具について一通り説明し終えた。
「………………。」
美琴は固まっていた。
さっぱり分からない。
ガンプラ? カーモデル? ミリタリー?
何言ってんのこいつ。 呪文?
塗料? 絵の具と違うの?
しかもエッチングとかいう単語まで出てきた。
なんか下ネタっぽいし、やっぱこの部活やばいんじゃないの?
「あれ? 分かんなかったか?」
康太が首を傾げる。
「説明が雑なんだよ。おまえは。」
涼介が椅子を持って来て、美琴の近くへ座った。
「いいか? ミリタリープラモってのは、要するに戦争を題材にしたプラモデルだ。戦車とか軍隊とか、そういうやつな。」
涼介の説明は驚くほど分かりやすかった。
どんな種類のプラモデルがあるのか。
完成させるまでに、どんな作業をするのか。
工具は何に使うのか。
さっき康太が話していた意味不明な単語たちが、少しずつ形になっていく。
「最近はガンプラっていうロボットのプラモデルが人気だな。色を塗らなくても、組むだけで結構綺麗になる。」
「へぇ……」
「初心者はまず、これ作っとけ。」
そう言って涼介が棚から持ってきたのは、小さなプラモデルの箱だった。
箱には、子供の頃に夢中で遊んだモンスター収集ゲームのキャラクターが描かれている。
「これ、知ってる……」
「簡単だし、作りやすい。」
涼介は立ち上がる。
「風でパーツが飛ぶ。こっちの台で作れ。」
そう言って、さっきまで自分が作業していた机の上を手早く片付け、自分の正面へ椅子を置いた。
美琴はそそくさと席を移動する。
箱を机へ置き、ゆっくり蓋を開けた。
「なに、これ……」
中には、色とりどりのプラスチックパーツ。
黄色。 茶色。 黒。 少しだけピンク。
細い枠に繋がったそれらは、どう見てもただのプラスチックの板だった。
蓋には完成写真が載っている。
でも。
どうすれば、これがあんな形になるのか想像もつかない。
――これを、自分で作るの?
胸が少しだけ高鳴る。
そんな美琴を見て、涼介はわずかに口元を緩めた。
「まず説明書を見ろ。順番通りにランナーからパーツをニッパーで切り離す。」
「ランナー?」
「その枠の部分。」
涼介が指差す。
「切るパーツには番号が振ってある。説明書と見比べれば分かる。」
美琴は借りたニッパーを手に取った。
説明書を見る。
ランナーを見る。
また説明書を見る。
間違ってないよね……?
恐る恐る、指定されたパーツへニッパーを当てる。
ぎゅっと握る。
――パチッ。
小さな音。
同時に、手の中へ心地良い感触が伝わった。
「あ……」
なんだろう、今の。
もう一度。
パチッ。
パチッ。
何度か繰り返しているうちに、小さなパーツが勢いよく飛んでいった。
「わっ……と!」
美琴は慌てて視線で追いかける。
「小さいパーツはそれでなくしやすいからな。気をつけろよ。」
涼介が苦笑する。
美琴は切り取ったパーツを説明書通りに組み合わせていく。
――パチッ。
また心地良い音が鳴る。
プラスチック同士が綺麗にはまる感触。
気づけば、美琴は自然と笑っていた。
「接着して合わせ目消ししないと……」
後ろで康太が呟く。
「いいから。」
涼介が即座に遮った。
「まずは完成させる方が先。」
「へいへい。」
パチッ。
パチッ。
ただの板だったものが、少しずつ形になっていく。
腕がつき。
足がつき。
顔ができる。
最後のパーツをはめ込んだ瞬間。
そこには、子供の頃に画面の中で見ていたモンスターが立っていた。
「……できた。」
美琴は、自分の作ったプラモデルをじっと見つめる。
目が離せなかった。
自分で作った。
本当に、自分の手で。
何分そうしていただろう。
ふと顔を上げる。
正面では、頬杖をついた涼介がこちらを見ていた。
その顔は、少しだけ笑っている。
「楽しかったか?」
涼介が静かに聞く。
「……うん。」
美琴は小さく頷いた。
その返事を聞いて、涼介は満足そうに目を細める。
「なら、今日からお前も模型部の一員だ。」
夕方の風が、開いた窓から静かに吹き込んでいた。
次の日。
授業中。
美琴はぼんやりと窓の外を眺めながら、昨日の事を思い出していた。
――パチッ。
ニッパーを握った時の感触。
少しずつ形になっていくプラスチック。
完成した瞬間の、あの妙な達成感。
「……楽しかったな。」
気づけば、小さく呟いていた。
そして同時に、昨日涼介に言われた言葉も思い出す。
『これはお前にやるけど、次からはちゃんと自分で買えよ。』
「まぁ、そりゃそうだよね……」
放課後。
美琴は駅前の大型電気店へ来ていた。
そういえば、玩具コーナーに“プラモデル”って書いてあった気がする。
エスカレーターを上がり、おもちゃ売り場へ向かう。
すぐに見つかった。
壁一面に並ぶ箱、箱、箱。
ロボット。 車。 飛行機。 戦車。
見た事もないようなパッケージが大量に積まれている。
「うわ……。」
思わず声が漏れた。
昨日、康太が言っていた。
“ガンプラが人気”
たしかに、一番広い棚を占領しているのはロボットの箱だった。
赤いロボット。 白いロボット。 羽のついたロボット。
なにが違うのか全然分からない。
「ってゆーか……」
美琴は値札を見て固まる。
「高価すぎーッ!!」
思わず声が裏返った。
一万円。 二万円。
意味が分からない。
「んなもん高校生がポンポン買えるかーッ!!」
周囲の客がちらりとこちらを見る。
美琴は慌てて口を押さえた。
「……いやでも、四千円でも普通に高いんだけど。」
プラモデルって、 もっと子供のおもちゃみたいな値段だと思ってた。
なんなのこれ。 大人の趣味じゃん。
棚を見ながら歩いていると、昨日作ったシリーズを見つけた。
小さめの箱。
値段も手頃。
「あ。」
昨日、自分で作ったモンスターが描かれている。
完成した時の感覚を思い出す。
――パチッ。
自然と口元が少し緩んだ。
「……これにしよ。」
結局、美琴は昨日と同じプラモデルを二つ抱えてレジへ向かった。
袋を受け取り、店を出る。
夕方の空気が少し涼しい。
袋の中の箱が、やけに大事な物みたいに感じた。
家へ帰る足取りは、昨日より少しだけ軽かった。
部屋へ戻ると、美琴は制服のまま机へ座った。
買ってきた箱を机へ置く。
「よーし……。」
少し緊張しながら、箱を開けた。
中には昨日と同じ、カラフルなプラスチックの板。
黄色。 茶色。 黒。
綺麗に並んだパーツ。
それを見た瞬間、胸が少し高鳴る。
「……ん?」
ふと、美琴の動きが止まった。
なにかが足りない。
昨日、自分はどうやって作ってたっけ。
「……あ。」
思い出した。
「ニッパー。」
そんなもん、 普通の女子高生の部屋にはない。
美琴は部屋を見回す。
代わりになりそうなもの。
そして机のペン立てから、文具用のハサミを取り出した。
「ま、これも似たようなもんでしょ!」
うん。 たぶんいける。
美琴はドキドキしながら、ハサミをパーツへ当てる。
昨日みたいに、 またあの“パチッ”が味わえる。
そう思った。
力を込める。
――バキッ。
「……バキ?」
昨日とは明らかに違う感触だった。
嫌な音。
恐る恐るパーツを見る。
切りたい場所は残り、 切れちゃいけない部分だけが綺麗に折れていた。
数秒の沈黙。
そして。
「あーッ!!!」
部屋に絶叫が響いた。
次の日。
美琴は、壊れたプラモデルの箱を抱えながらプレハブへ向かっていた。
気が重い。
せっかく買ったのに。 せっかく昨日、楽しいと思えたのに。
一日で壊した。
しかもハサミで。
「絶対笑われる……。」
小さく呟きながら、部室の扉を開ける。
いつものシンナー臭が鼻をついた。
「うッ……。」
まだちょっと慣れない。
部室の中では、いつものように涼介が机へ向かって作業していた。
白いパーツへ細い棒のような物を当て、真剣な顔で何かを削っている。
その横では康太が完成品を並べ、ああでもないこうでもないと角度を変えながらポーズを取らせていた。
「いやこの角度だろ……いや待て、こっちも――」
遊んでるようにしか見えない。
プラモデルの箱を抱えた美琴へ気づくと、康太が顔を上げた。
「おッ! 新しくプラモ買ったのか? やるじゃん!」
その瞬間。
美琴の顔が曇る。
「……それが。」
おずおずと机へ近づき、箱を開けた。
中には、途中まで切り取られたランナー。
そして。
ぽっきり折れたパーツ。
数秒の沈黙。
次の瞬間。
「ブッ――!!」
康太が吹き出した。
「ハッハッハッハッ!! 一発目で折ったのか!? こりゃヒデェ!!」
「笑わないでよッ!!」
美琴は顔を真っ赤にする。
「だって……ハサミじゃ切れないなんて知らなかったんだもん!!」
康太は腹を抱えながら笑っている。
「いや、ハサミは予想外だったわ……!」
「木戸君も湊君も教えてくれなかったじゃん!!」
「康太でいいよ。」
笑いながら康太が言う。
「プラモってのは失敗するもんだ! 失敗して、壊して、直して、愛着が湧くんだよ!」
その言葉に、美琴は目を丸くした。
「……直せるの?」
「もちろん!」
康太は胸を張る。
「壊れて直せないプラモなんかねーよ!」
「そうなんだ……!」
美琴の表情が少し明るくなる。
だが。
「まぁ、まだお前には早いけどな。」
涼介が静かに口を挟んだ。
いつの間にか手を止め、こちらを見ている。
「ほら、それ貸してみろ。俺が直しとく。」
そう言って、美琴へ手を差し出した。
「ありがとう……湊君。」
美琴は安心したように箱を渡す。
その瞬間。
「涼介だ。」
低い声。
「え?」
「湊じゃなくて、涼介。」
涼介は美琴の手からそっと箱を受け取る。
ぶっきらぼうなのに、 どこか優しい手つきだった。
美琴は少しだけ目をぱちくりさせる。
「……じゃあ、涼介君?」
「好きに呼べ。」
そう言いながら、涼介は折れたパーツを手に取った。
その横顔は、 なんだか少し楽しそうに見えた。
「よしッ! じゃあ次もハサミでパーツブチ折らねー様に、萩尾用の工具買いに行くか!!」
康太が大きく伸びをしながら言った。
「えっ……でも。」
美琴は困ったように顔を上げる。
「昨日プラモデル二つ買っちゃったから、あんまりお金ないよ……。」
高校生のお小遣いは有限だ。
プラモデル二つだけでも結構痛かった。
すると康太は気にした様子もなく笑う。
「ま、そこは初心者支援って事で部費でどうにかなんだろ!」
「いや、そんな適当でいいの……?」
「西田にはあとで言っとく!」
絶対あとで怒られるタイプのやつだ。
「それに。」
康太はニヤッと笑う。
「残りの一つも、早く作りたいだろ?」
「……っ。」
図星だった。
折れたプラモデルは涼介が直してくれると言っていた。
でも、それが完成するまで待つより。
今すぐ続きを作りたい。
昨日の“パチッ”を、 もう一回やりたい。
そんな自分に、美琴は少し驚いていた。
「康太君……。」
「だろ?」
康太は得意げに笑う。
そして隣で壊れたパーツを確認していた涼介へ振り向いた。
「涼介もそれでいいよな?」
「まぁ。」
涼介は折れたパーツを指先で触りながら答える。
「もう部にはエアブラシもペンサンダーもあるしな。最低限の工具だけあれば十分だろ。」
また呪文みたいな単語が出てきた。
ペンサンダーって何。
「プラモデルは自分で買うんだから、それくらいは部費でも問題ない。」
「おっし、決まり!」
康太がパンと手を叩く。
「行くぞ萩尾! 模型店デビューだ!」
「デビューって……。」
半ば引っ張られるようにして、美琴は部室を出た。
夕方の住宅街を、三人並んで歩く。
西日が道路をオレンジ色に染めていた。
歩きながら、美琴は昨日からずっと気になっていた事を口にする。
「昨日初めてプラモデル売り場見たんだけどさ。」
「おう。」
「高価すぎじゃない?」
康太が大袈裟に肩を落とした。
「だよなぁ! 参っちまうよなぁ……。」
「あんな一万とか二万とかするの、みんな普通に買ってるの?」
「んなバカな!!」
康太は即座に否定する。
「PGとか1/12みたいなハイエンドモデルは憧れるけど、俺らだってそんなポンポン手ぇ出せねーよ!」
また呪文だ。
美琴は真顔になる。
「……日本語でお願い。」
「せいぜい二千円前後のやつだよ。」
康太が笑いながら言う。
「二千円でもそんな頻繁には買えないよ〜。」
「その二千円に、思いっきり時間をかけるんだよ。」
後ろを歩いていた涼介が静かに口を開いた。
「作って、削って、塗装して。」
「ここ違うなってやり直して。」
「また削って。」
淡々とした口調。
でも。
その声は少しだけ楽しそうだった。
「そうやって時間かけて完成したプラモデルを眺めてると、また次作りたくなるんだよ。」
「抜け出せないんだ……。」
夕焼けの中で呟く涼介の横顔を、美琴は少しだけ見つめた。
その時。
「まるで一昨日の萩尾だな!」
康太が横から笑いながら割り込む。
「え?」
「“また作りたい”って顔してる。」
美琴は少しだけ吹き出した。
「……美琴でいいよ。」
「お、そうか?」
康太は嬉しそうに笑う。
「じゃあ美琴な!」
そして美琴は少し迷った後、涼介を見る。
「……涼介君も。」
「……お、おう。」
涼介は少し視線を逸らしながら答えた。
その反応を見た康太がニヤニヤする。
「なんだよ、照れてんのか?」
「いってぇ!」
康太のツッコミが背中へ飛ぶ。
「別に照れてねーよ!」
「はいはい。」
夕焼けの道に笑い声が響く。
三人はそのまま、近くの模型店へ向かって歩いていった。
商店街の一角。
古びたアーケードの下に、その店はあった。
こじんまりとした建物。
入口のガラスには色褪せたロボットのポスターや、昔のイベント告知が何枚も貼られている。
その横には、
『岩崎模型店』
の文字。
けれど、入口上部の黄色と緑の日よけには、
『おもちゃのイワサキ』
と書かれていた。
「……どっちなの?」
美琴が首を傾げる。
「気にすんな。」
康太は即答し、そのまま店の扉を開けた。
カラン、と古いベルが鳴る。
美琴と涼介も後に続いた。
そして。
「………わぁ……!!」
思わず声が漏れる。
狭い店内には、所狭しと箱が積まれていた。
箱。
箱。
箱。
天井近くまで積まれたプラモデル。
ロボット。 戦車。 飛行機。 車。 船。
昨日見た大型電気店も凄かった。
でも、ここは違う。
“売り場”というより。
“保管庫”。
そんな空気だった。
棚の隙間には古い雑誌や塗料瓶が押し込まれ、壁際には完成したプラモデルがショーケースへ綺麗に飾られている。
ウェザリングされた戦車。
銀色に輝く飛行機。
今にも動きそうなロボット。
「……すごい……。」
美琴は呆然と店内を見回す。
その時。
「また来たのか? ガキ共。」
気だるそうな声が聞こえた。
奥のカウンター。
頬杖をついた綺麗な女性がこちらを見ている。
長い髪を後ろでまとめ、片手には細いヤスリ。
どうやら何か作業をしていたらしい。
「京子さん、おつかれ! おっちゃんは?」
康太が慣れた様子で話しかける。
「お父さんは東京に遠征。」
京子と呼ばれた女性は面倒臭そうに答えた。
「なんかベースでイベントあるらしいよ。ユニコーンの写真送られてきた。」
「うおっ! マジか!!」
康太の目が輝く。
「俺も行きてーッ!! やっぱ大人は違うな!!」
「ガキは学校行ってろ。」
京子は呆れたように笑った。
そんなやり取りをしながら、ふと京子の視線が美琴へ向く。
「ん?」
ニヤッと口元が歪む。
「なんだ〜? 涼介の彼女か?」
「バッ! ちげぇよッ!!」
涼介が珍しく大声を出した。
顔が真っ赤だ。
「模型部の新入部員だ!! まだ初心者だけどな!」
康太が笑いながら説明する。
「へぇ……。」
京子は少し意外そうに美琴を見る。
「よかったじゃん。」
その言葉に、涼介はさらに視線を逸らした。
京子はカウンターから身を乗り出し、美琴へ笑いかける。
「あたしは岩崎京子。この店で店番やってる。」
「まぁ、普段はお父さんがやってるんだけどね。」
「私は展示品作ったり、初心者教室やったりかな。」
「萩尾美琴です……。」
美琴は少し緊張しながら頭を下げた。
「一昨日、初めてプラモデル作りました……。」
その瞬間。
京子の目がキラッと光る。
「おっ! いいねぇ〜!!」
一気にテンションが上がる。
「一番楽しい時期じゃん!」
京子は嬉しそうに身を乗り出した。
「じゃあ美琴にも分かるように、お姉さんがプラモの事教えてあげよう!」
「まず、ガンプラにはPG、MG、HG、旧キットってのが――」
「「それはもうやったから」」
涼介と康太の声が綺麗に重なった。
京子は口を尖らせる。
「ちぇ〜。」
「で、今日は何しに来たんだ?」
京子は頬杖をついたまま三人を見た。
康太がすぐに答える。
「こいつが昨日、自分で買ったプラモデルをハサミで作ろうとして折っちゃってさ〜。」
「だから部費で工具買ってやろうと思って!」
その瞬間。
京子が吹き出した。
「あーっはは!! やっちゃったか〜!!」
「まぁ、あるあるだな!」
「……うぅ……。」
美琴は恥ずかしくなって顔を赤くする。
京子はまだ笑っていた。
「初心者あるあるランキング上位だよ、それ。」
「でも部費で買うって、研二が怒んぞ。」
「……西田先生の事、知ってるんですか?」
突然出てきた先生の名前に、美琴は驚いた。
「あいつ?」
京子は少し懐かしそうに笑う。
「あたしと同級生。元模型部。」
「ちなみに部長はあたしな。」
「えっ。」
西田先生が模型部?
あの生徒指導の?
「まぁ、研二がなんか言ってきたら“元部長権限”だって言っとけ。」
京子がニヤニヤしながら言う。
「元からそのつもりだ!!」
康太が即答した。
二人は顔を見合わせて笑う。
その空気がなんだか少し羨ましかった。
「さて。」
京子はカウンターから立ち上がる。
「工具だったな。」
そう言ってショーケースを軽く叩いた。
「とりあえずはニッパー。これがないとプラモは始まらない。」
ガラスケースの中には、色んな形のニッパーが並んでいた。
小さい物。
刃の薄い物。
黒い物。
銀色の物。
値札は全部手書きだ。
美琴はそれを見て目を丸くした。
「……高価いよ〜ッ!!」
二千円。
三千円。
高い物になると七千円近くする。
「康太君、私初心者なんだから百均のでいいよ〜!」
「ダメ。」
即答したのは京子だった。
さっきまで笑っていた顔が少しだけ真面目になる。
「安いのを選ぶのはいい。」
「でもプラモ用じゃないニッパーで始めるのはダメ。」
静かな口調だった。
でも。
そこだけは譲らない感じがした。
数秒後。
京子はまた笑顔へ戻る。
「まぁ部費で買えるんだから、そこそこ良いの買っときなよ。」
「どうせあとで、高いの欲しくなるんだからさ!!」
「うっ……。」
否定できない気がする。
その横でニッパーを見ていた涼介が一本手に取った。
「美琴は手小さいからな。」
「これくらいのサイズがいいと思う。」
黒い小型のニッパー。
持ち手も細く、確かに握りやすそうだった。
「へぇ〜。」
京子がニヤニヤしながら口を開く。
「“美琴”ねぇ〜?」
「……ッ。」
涼介が露骨に視線を逸らした。
「うるせぇ。」
耳まで赤い。
美琴は少しだけ吹き出した。
その後も。
棒みたいなヤスリ。
“デザインナイフ”とかいう細いカッター。
初心者向けの工具を、康太と涼介が選んでくれた。
「毎度あり。」
会計を終えた京子が笑う。
値段は、きっかり五千円。
部費で買ってもらうのが少し申し訳なかった。
その後。
美琴は店内を少し歩いて回った。
狭い通路。
積み上げられた箱。
古いポスター。
奥の棚。
少し高い位置に積まれた、一つの箱が目に入る。
女の子のイラストが描かれた戦車のプラモデル。
『ティーガーⅡ』
その文字が妙に気になった。
「少し前に戦車が題材のアニメ流行ったんだよ。」
隣へ来た涼介が言う。
「へぇ……。」
美琴は小さく頷く。
そのアニメは知らない。
でも。
箱に描かれた戦車のフォルム。
無骨な色。
重たそうな履帯。
なぜか。
並んだ箱の中で、それだけが妙に輝いて見えた。
「京子さん、またな!」
康太が手を振る。
「おっちゃんにもよろしく!」
「うぃ〜。」
京子は気だるそうに手を振り返した。
「研二にちゃんと言っとけよ〜。」
三人は模型店を後にした。
夕方の風が少し涼しい。
家へ帰った美琴は、早速買ってきたニッパーを箱から取り出した。
ベッドへ寝転がる。
部屋のライトへ透かしながら、カチカチと刃を鳴らす。
昨日まで知らなかった道具。
でも。
それが今は、自分の物だった。
「……プラモ、楽しいかも。」
小さく呟く。
その声は、 少しだけ嬉しそうだった。
次の日。
美琴は残っていたプラモデルの箱を抱えて、いつものプレハブへ向かっていた。
扉の前で一度立ち止まる。
昨日までは、 この匂いも、この場所も、 全部“知らない物”だった。
少し緊張しながら扉を開ける。
真剣な表情の涼介。
笑顔で遊んでる康太。
シンナーの匂い。
昨日と変わらない光景。
なのに。
美琴には、その全部が少し新鮮に見えた。
「おっ、来たか。」
康太が振り返る。
涼介も手を止め、美琴へ軽く手を上げた。
「あの後、作ったのか?」
康太が聞く。
「いや〜……。」
美琴は苦笑いしながら頭を掻く。
「ずっとニッパー見てた……。」
一瞬の沈黙。
そして。
「ぶはっ。」
康太が吹き出した。
「だろうと思った。」
涼介も少しだけ笑っている。
「ここで作ろうと思って……。」
美琴は机へ座り、箱を取り出した。
「いいじゃんいいじゃん!」
康太が椅子ごと近づいてくる。
「見ててやるよ!」
「プレッシャーなんだけど……。」
美琴は箱を開け、説明書を広げた。
昨日買ったばかりのニッパーを取り出す。
自分の工具。
それだけで少し嬉しい。
ランナーを持ち、慎重に刃を当てる。
――パチッ。
「……っ。」
やっぱり気持ちいい。
昨日、部室で初めて感じた感触。
でも。
自分のニッパーで切るそれは、もっと特別だった。
パチッ。
パチッ。
少しずつパーツを切り離していく。
その時。
「ちょっと待て、美琴。」
康太が口を挟んだ。
「……?」
美琴が顔を上げる。
康太はわざとらしく眼鏡を直すフリをした。
「ここで康太先生のワンポイントアドバーイス!!」
「なにそのテンション。」
思わず笑う。
康太は切り取ったパーツを指差した。
「そこ、指で触ってみ?」
「ここ。」
言われた通り撫でてみる。
少し引っかかる。
爪で擦ると、カリカリとした小さな出っ張りがあった。
「あ、ほんとだ。」
「ニッパーで切った跡。」
康太は得意げに頷く。
「これをデザインナイフで綺麗にするんだよ。」
「あー……昨日買ったやつ。」
美琴は鞄から細いカッターを取り出した。
「怪我すんなよ?」
康太が手を差し出す。
「最初の一箇所だけ俺がやってやる。」
美琴がパーツを渡すと、康太は慣れた手つきで白い跡を薄く削り取った。
無駄がない。
思っていたより、ずっと器用だった。
「……康太君もちゃんとプラモ作るんだね。」
「は?」
「いつも遊んでるから、見る専門かと思ってた。」
「馬鹿にすんな。」
康太は呆れながら、デザインナイフを持ち手側から返す。
「ほら、やってみ。」
美琴は見様見真似で刃を当てた。
少し怖い。
でも。
削る。
切る。
白い跡が少しずつ消えていく。
「あとはヤスリ。」
康太が言う。
「昨日買っただろ?」
美琴は細長いヤスリを取り出し、軽く擦ってみた。
シャッ、シャッ、と小さな音。
さっきまで引っかかっていた部分が、綺麗になくなっていた。
「すご……。」
「ゲート処理っていうんだ。」
康太がニヤッと笑う。
「これやるだけで仕上がり全然変わるぜ。」
美琴は夢中になって作業を続けた。
切って。
削って。
擦って。
気づけば、さっきまで騒いでいた康太も静かになっていた。
ふと見ると。
涼介まで、自分の作業を止めてこちらを見ている。
少し緊張する。
でも。
嫌な感じはしなかった。
――パチッ。
最後のパーツが綺麗にはまる。
昨日より時間をかけたプラモデル。
初めて自分の工具で作ったプラモデル。
同じプラモデルのはずなのに。
昨日より、ずっと格好良く見えた。
「……できた。」
美琴は小さく呟く。
その時。
コト、と机へ箱が置かれた。
顔を上げる。
そこには、昨日折ってしまったプラモデルの箱。
「直したから。」
涼介が静かに言った。
「……っ。」
美琴は慌てて箱を抱きしめた。
「にしても最初と同じプラモ二つも買うかね。」
康太が呆れたように笑う。
「まぁ、練習にはいいんじゃないか?」
涼介が少しだけ笑う。
その顔を見て、美琴もつられて笑った。
そして。
美琴は三つ目の箱を開けた。
「……あれっ?」
美琴は箱の中を見て首を傾げた。
新品の状態と違う。
まぁ、折っちゃったから当たり前なんだけど……。
でも。
それだけじゃない。
昨日までランナーについていたはずの黄色いパーツがない。
代わりに。
他の色のランナーの上へ、薄い布を敷いて、その上にバラバラの状態で置かれていた。
「折れた所、白化してたからな。」
涼介が机へ向かったまま言う。
「補強した後、黄色パーツだけ塗装しといた。」
「……?」
言ってる事はよく分からない。
でも。
昨日まで無惨に真っ二つだったパーツは、綺麗な一つのパーツへ戻っていた。
継ぎ目もほとんど見えない。
「……嘘。」
美琴は思わず呟く。
「えっ……? なんで!?」
壊れたパーツを持ち上げる。
「完全に割れてたじゃん!!」
「これが――」
涼介が口を開きかけた瞬間。
「これがプラモだよ!!」
康太が涼介を押しのけるように割り込んできた。
ドヤ顔である。
「……おい。」
涼介が呆れた顔をする。
でも。
そんなやり取りも、美琴の耳にはほとんど入っていなかった。
壊れていたはずのパーツを、何度も角度を変えて見つめる。
本当に分からない。
どこが折れていたのか。
「三つ目だから、番号なくてもなんとかなるだろ。」
涼介が言う。
「説明書で形は確認しろよ。」
「……うん。」
美琴は小さく頷いた。
三つ目の同じプラモデル。
しかも今回は、大半のパーツが既に切り取られている。
そのおかげか、組み立てはかなり早かった。
――パチッ。
最後のパーツをはめ込む。
完成したプラモデルを持ち上げた瞬間。
「あれ……?」
美琴は目を丸くした。
「なんか……。」
同じプラモデルのはずなのに。
昨日作った物と、どこか違う。
「全体的に……その……。」
言葉を探す。
「うーん……。」
しばらく悩んだ後、美琴はぽつりと言った。
「おもちゃっぽくない……っていうか。」
「塗装したからな。」
涼介が答える。
「塗装するだけで仕上がり全然違うぜ!」
康太が得意げに言う。
さっきも聞いた気がする。
でも。
今なら分かる。
「ほんとに違う……。」
美琴は塗装されたパーツをじっと見つめる。
ただ色が付いてるだけじゃない。
なんというか。
“本物っぽい”。
その感覚に、美琴は完全に魅入られていた。
すると。
「やってみたいだろ?」
康太がニヤニヤしながら顔を覗き込んできた。
「……うん。」
美琴は素直に頷く。
康太と涼介が顔を見合わせる。
そして二人同時に笑った。
「じゃあ、そのプラモの塗ってないパーツ塗るか。」
涼介が机の上を指差す。
「それ、色分け優秀だからマスキングもしなくていい。」
「まぁ、そうだな〜。」
康太は棚から瓶を取り出し、箱と見比べ始める。
美琴は二人の会話を聞きながら首を傾げるしかなかった。
また知らない単語だらけだ。
その時。
「美琴、貸せ。」
涼介が突然言った。
「そのプラモ、バラすぞ。」
「えッ!!」
美琴が思わず声を上げる。
「今組み立てたのに!? いやだよ!!」
「いや……まぁ……。」
涼介は珍しく困った顔をした。
「お前が塗装した後、ちゃんと組んでやるから。」
「えぇ〜……。」
美琴は不満そうに唸る。
でも。
少し迷った後、そっとプラモデルを差し出した。
「……絶対元に戻してね。」
「当たり前だろ。」
涼介はプラモデルを受け取る。
そして。
デザインナイフを使い、器用にパーツを外し始めた。
カチッ。
カチッ。
完成したばかりのプラモデルが、少しずつ分解されていく。
「一応、やり方見とけよ。」
涼介が言う。
その言葉に、美琴は即座に返した。
「私は作ったプラモデル壊したりなんかしないもん!」
数秒。
沈黙。
そして。
「……するよ。」
涼介が少し笑った。
「えー……。」
美琴は不満そうに頬を膨らませる。
部屋の隅では。
康太がまだ瓶と箱を真剣に見比べていた。
美琴は心配そうに、涼介の手元をじっと見つめていた。
完成したばかりのプラモデル。
それを。
涼介はデザインナイフを使って、どんどん分解していく。
カチッ。
カチッ。
パーツが外れる音。
「うわぁ……。」
美琴はなんとも言えない顔をした。
すると。
「よし。」
涼介が短く呟く。
さっきまで机の上に立っていたプラモデルは、綺麗にバラバラになっていた。
色ごとに分けられたパーツ。
そのタイミングで。
「決まった!!」
さっきから棚の前で瓶と箱を延々見比べていた康太が戻ってきた。
手には小さな塗料瓶が三本。
「これと、これ……あと、これだな!」
茶色。
黒。
ピンク。
美琴は首を傾げる。
「もしかして……さっきから唸ってたのってこれ選んでたの?」
「他に何悩むんだよ。」
康太は真顔だった。
「いや、だって普通に茶色と黒とピンクじゃん。」
「元の色から変えるつもりかと思ってた。」
「元の色と! お!な!じ! のを選んでたんだよ!!」
康太が机を叩く。
「あと全然普通じゃねぇ!」
「ウッドブラウンにミッドナイトブルー、シャインレッドだ!!」
「いや知らないよ!!」
また始まった。
美琴は半分呆れながら思う。
でも。
楽しそうだった。
「ちょっとした塗装だから、使うのはこのくらいだ。」
涼介が持ってきたのは、
筆。
透明な液体の入った瓶。
小さな銀色の皿。
習字で使うみたいなスポイト。
先端にクリップの付いた棒。
「康太、貸せ。」
涼介は塗料瓶を受け取り、銀色の皿へ塗料を垂らした。
そこへ透明な液体を少し混ぜる。
スポイトで混ぜる度、独特な匂いがふわっと広がった。
「ほら、服に零すなよ。」
皿が美琴の前へ置かれる。
「塗りたいパーツをその棒で挟め。」
「組んだ時見えなくなる所な。」
言われた通り、美琴はパーツを棒で挟む。
茶色。
黒。
ピンク。
細い棒の先で揺れるパーツが少し可愛い。
「あとは筆で塗るだけ。」
美琴は恐る恐る筆へ塗料をつけた。
そして。
パーツへ色を乗せる。
「あれ?」
表面に小さな泡。
「なんかぷつぷつしてるんだけど……。」
「塗料つけ過ぎ。」
涼介が即答する。
「拭き取れ。」
美琴は慌てて拭いた。
もう一度。
塗る。
「あっ、なんか垂れてくる……!」
「塗料つけ過ぎ。」
「拭き取れ。」
また拭く。
慎重に。
さらに慎重に。
ようやく薄く塗れた。
「……でも薄くない?」
「乾いたらもう一回塗れ。」
乾かす。
塗る。
「まだ薄い?」
「乾いたらもう一回塗れ。」
乾かす。
塗る。
「まだ……?」
「乾いたらもう一回塗れ。」
「同じ事しか言わないじゃん!!」
康太が吹き出した。
涼介は真顔のままだ。
でも。
塗り重ねる度、少しずつ色が濃くなっていく。
最初は透けていた色。
それがちゃんと“色”になっていく。
「……。」
ちょっと楽しい。
夢中になって筆を動かしていると。
「いいんじゃないか?」
涼介がぽつりと言った。
「美琴、お前塗装上手いよ。」
「……えっ。」
美琴の手が止まる。
「なんだよ。」
「初めて涼介君に褒められた気がする……。」
美琴が素直に言う。
その瞬間。
「……ッ!」
涼介が勢いよく顔を背けた。
耳が真っ赤だ。
「終わったパーツはそこに挿しとけ。」
視線を逸らしたまま、猫の爪とぎみたいな物を指差す。
美琴は思わず吹き出した。
それから。
涼介と康太も加わり、残りのパーツも塗っていく。
気づけば。
塗装ベースには大量の棒が刺さっていた。
色とりどりのパーツ。
まるでハリネズミみたいだ。
窓の外を見る。
いつの間にか、空は真っ暗だった。
「あとは乾くの待つだけだし、帰るか!」
康太が伸びをしながら言う。
「疲れた〜。」
美琴も椅子へもたれかかった。
でも。
その顔は少し嬉しそうだった。
帰り道。
夜風が少し涼しい。
街灯に照らされた道を歩きながら、美琴はさっきの言葉を思い出していた。
『美琴、お前塗装上手いよ。』
思い出す度、少しだけ胸が熱くなる。
塗装した後の完成も楽しみだった。
夜道なのに。
美琴の足取りは、やけに軽かった。
放課後。
授業が終わるチャイムと同時に、美琴は席を立った。
鞄を掴み、そのまま廊下へ飛び出す。
友達に「今日早くない?」と聞かれたけど、適当に笑って誤魔化した。
頭の中はもう模型部の事でいっぱいだった。
ちゃんと乾いてるかな。
上手く塗れてるかな。
早く見たい。
そんな事を考えながら、美琴はプレハブへ向かう。
勢いよく扉を開けた。
すると。
涼介と康太が、まるで待ってましたと言わんばかりに振り返る。
「美琴! 乾いてたぞ!!」
康太が嬉しそうに言った。
「ホント!?」
美琴は慌てて部室へ入る。
昨日までパーツが刺さっていた塗装ベース。
そこにはもう何もなかった。
代わりに。
机の上へ、完成したプラモデルが置かれている。
「あ……。」
昨日みんなで塗ったプラモデル。
昨日までバラバラだったプラモデル。
ちゃんと完成していた。
「元に戻すって約束したからな。」
涼介が静かに言う。
美琴はそっとプラモデルを持ち上げた。
昨日までとは違う。
ツヤ。
色。
質感。
全部が違う。
昨日まで“プラスチックのおもちゃ”だった物。
それが今は。
ちゃんと“模型”になっていた。
美琴はしばらく黙ったまま、それを見つめる。
何度も。
何度も。
壊しては直して。
作っては壊して。
塗っては拭き取って。
少しずつ完成した。
三回目の、同じプラモデル。
でも。
もう同じ物には見えなかった。
美琴は机の上へ、今まで作った三体を並べた。
一つ目。
初めて作ったプラモデル。
涼介に教えてもらいながら作ったプラモデル。
二つ目。
康太に教わりながら、自分の工具で作ったプラモデル。
三つ目。
自分で壊して。
みんなで直して。
初めて塗装したプラモデル。
どれも同じ。
でも。
どれも違う。
そして。
どれも、美琴には特別なプラモデルだった。
「……これ、棚に飾ってもいい?」
美琴が恐る恐る聞く。
「もちろん!!」
康太が即答した。
美琴は嬉しそうに棚へ向かう。
空いているスペースへ三体を並べ始めた。
「これをこっち……?」
「いや、これ真ん中……?」
「でもこっちの方が……。」
真剣だ。
棚の前で延々悩んでいる。
その様子を見て、康太が吹き出した。
「もう完全にモデラーだな!!」
「多分、ずっといじってるぞ、あれ。」
涼介も苦笑している。
その横で。
涼介はプラスチック板を切り始めた。
細長い板を三枚。
そして少し大きめの板を一枚。
「ほら。」
完成したそれを康太へ渡す。
康太はニヤッと笑いながら、美琴へ持っていった。
「名前付けちまえよ、そいつら!」
「名前?」
「大きい方には日付でも書いとけ。」
康太はマーカーを軽く放った。
美琴はそれを受け取る。
少し悩んだ後。
目を輝かせながら、板へ文字を書き始めた。
塗装したプラモデルの前に。
[りょうすけくん☆]
ゲート処理したプラモデルの前に。
[こうたくん☆]
初めて作ったプラモデルの前に。
[わたし☆]
そして。
大きい板へ。
[☆7月5日☆ はじめてのプラモデル☆ 美琴♡]
数秒の沈黙。
そして。
「……恥ずかしい奴だな。」
涼介が頭を抱えた。
耳が赤い。
「女子、だな!!」
康太は腕を組みながら大笑いする。
美琴は少しムッとした顔をした後、また棚を見た。
シンナーの匂いが広がるプレハブ。
その棚の中で。
三つの同じプラモデルが、静かに並んでいた。




