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■ 第1話:異常な相関データと、消えゆく紫煙

【特務考察機関サイファー:メンバー紹介】

御子柴みこしば けん:42歳。チームのリーダー格。よれよれのスーツと無精髭。常にスケールの大きな極論へと飛躍させたがる。

氷室ひむろ つかさ:28歳。銀縁眼鏡のデータ至上主義者。常に現実的・唯物論的な解釈で御子柴に反論するストッパー役。

とどろき 大吾だいご:35歳。筋肉質で常にタクティカルジャケットを着用。現象の裏に他国や軍の「悪意」を見出そうとする武闘派。

烏丸からすま 玲奈れいな:30歳。黒髪ロングのミステリアスな女性。科学の議論に「精神世界」や「オカルト」の概念を混ぜ込む。

七海ななみ 悠太ゆうた:24歳。パーカー姿の若者。専門用語に戸惑い、最悪の結論が出ると誰よりもわかりやすく怯える。

無機質な空気清浄機の駆動音だけが、密室に低く響いていた。

2029年、某月某日。

窓一つない地下深くの第4会議室。殺風景な長机とパイプ椅子、壁の半分を占める巨大なモニター。蛍光灯の白々しい光が、集められた5人の男女を無慈悲に照らし出している。

「……以上が、現在社会に蔓延している奇妙な『常識』のデータ群です」

銀縁眼鏡を中指で押し上げながら、氷室司が手元のタブレットをスワイプした。同時に、壁面の巨大モニターに複数の求人サイトのスクリーンショットと、幾つもの折れ線グラフが投射される。

モニターには赤字で強調された文字列が踊っていた。

『完全週休二日制』『フレックスタイム導入』――そして、『代表取締役:非喫煙者』。

「近年、企業の求人要項において、経営トップの喫煙の有無が必須記載事項となりつつあります。理由は単純明快。現在、世間では『煙草を吸う経営者は頭が悪い』という言説が、単なるネットスラングの域を超え、経済界のコンセンサスとして定着しているからです」

「頭が悪い、って……いくらなんでも直球すぎませんか?」

パーカー姿の七海悠太が、怯えたようにメモを取る手を止めた。

「事実、データは残酷なまでにそれを裏付けています」氷室は冷徹な声で続ける。「国立労働衛生研究所の2028年度統計によれば、経営者が喫煙者である企業の5年以内の倒産確率は、非喫煙者のそれに比べて実に73パーセントも高い。さらに、喫煙経営者の知能指数(IQ)及び、論理的思考力を測る認知テストの平均スコアは、全国平均を大きく下回っている」

氷室はそこで言葉を切り、長机の奥でふんぞり返る男を一瞥した。

「ニコチン依存という自己管理能力の欠如。健康リスクへの軽視。これが企業ガバナンスの欠如と同義であると市場にみなされている。近年、福祉業界などでも服装規定や接遇マナーの厳格化が急速に進みましたが、そのコンプライアンスの波が、ついに経営者の『生体的な習慣』にまで及んだ。つまりこれは、合理的な市場の淘汰現象に過ぎない。わざわざ我々特務考察機関サイファーが扱うような、オカルトめいた謎などどこにもありませんよ、御子柴さん」

絶対的なデータ至上主義者である氷室の結論に、しかし、リーダーの御子柴健は無精髭を撫でながら、低く、ねっとりとした笑い声を漏らした。

「ククク……相変わらず薄っぺらいな、氷室。データという名の『与えられた餌』を咀嚼しただけで、真実を見た気になっている」

「何ですって?」

「いいか? 経営者ってのはな、本来イノベーションを起こす狂人なんだよ。スティーブ・ジョブズしかり、歴史上の偉大な起業家たちしかりだ。リスクを恐れず常軌を逸した決断をする連中が、ニコチンごときで思考能力を著しく低下させ、揃いも揃って倒産するだと? そもそも、その『知能テスト』とやらの基準を作ったのは誰だ?」

御子柴の鋭い眼光が、氷室を射抜く。

「……当然、厚労省および、新設されたデジタル庁の合同委員会ですが」

「そこだよ!」

御子柴がドンッ!と長机を叩いた。ビクッと七海の肩が跳ねる。

「『煙草を吸う経営者は頭が悪い』んじゃない。国家が『煙草を吸う経営者を意図的に排除するためのシステム』を構築し、それを正当化するためのデータをでっち上げているとしたらどうだ?」

「待ってください」

腕組みをして目を閉じていた轟大吾が、低くドスを効かせた声で口を開いた。黒のタクティカルジャケットが、彼の筋肉の隆起に合わせて軋む。

「情報操作による経済誘導……あり得ない話ではない。特定の企業を市場から締め出すための兵器として『非喫煙』という踏み絵を使っている。もし裏で糸を引いているのが外国資本や他国の諜報機関だとしたら、これは立派な見えない戦争サイバー・ウォーフェアだ。日本の国力を削ぐために、優秀だが喫煙習慣のある古いタイプの経営者を、社会から抹殺しようとしている……!」

「えっ!? じゃ、じゃあ、俺の親戚で、小さな居宅介護事業所を経営してるおじさんがいるんですけど、ヘビースモーカーなんです! あの人も、他国のスパイ組織から狙われて、会社を潰されるってことですか!?」

七海が青ざめた顔で立ち上がる。

「座りなさい、七海くん。轟さんの悪い癖よ。なんでもかんでも戦争やテロに結びつけるのは」

甘く、どこか浮世離れした声が会議室に響いた。烏丸玲奈だ。透き通るような白い指先で、彼女は自分の黒髪を弄りながら、ミステリアスな微笑を浮かべている。

「もっと根源的な問題かもしれないわ。……ねえ、煙草の『煙』って、古来から何に使われてきたか知っているかしら?」

「……急に何を言い出すんですか、烏丸さん」氷室が眉間に皺を寄せる。

「ネイティブ・アメリカンの儀式、あるいは仏教におけるお香。煙はね、目に見えない次元と交信するツールであり、精神の『結界』なのよ」

烏丸は、まるで会議室の虚空に何かを見つめるように視線をさまよわせた。

「現代社会はデジタルに縛られ、人間の脳は常にネットワークに接続されているわ。でも、ニコチンという化学物質と、あの『煙』のベールが、その接続を阻害しているとしたら? 彼らは『頭が悪い』んじゃない。この世界を覆い尽くそうとしている『何か』の干渉を、無意識のうちに弾いているから……システムにとって、ひどくノイズになる存在なんじゃないかしら?」

「馬鹿馬鹿しい! 煙がデジタルの干渉を防ぐなど、オカルトにも程がある!」

氷室が声を荒げるが、御子柴はニヤリと口角を吊り上げた。

「……いや、烏丸の言う通りだ。点と点が繋がってきたぜ」

御子柴は立ち上がり、巨大モニターの前に歩み出た。

「氷室、2026年頃から急速に普及した、街頭の『超音波式・空間除菌システム』を知っているな? 今や日本中のオフィスや公共施設に設置されているアレだ」

「当然です。未知のウイルス対策として政府が主導した、クリーンな空気環境を維持するためのインフラですが……それが何か?」

「その除菌システムが稼働し始めた時期と、『喫煙経営者=頭が悪い』というデータが急増し始めた時期……見事に一致してはいないか?」

「……ッ!?」

氷室が慌ててタブレットを操作する。カチャカチャと画面を叩く音が、静まり返った会議室に響く。やがて、氷室の指がピタリと止まり、その顔からスッと血の気が引いた。

「そ、そんな……。完全な、正の相関関係……いや、誤差の範囲すら超えている……!」

「どういうことですか、氷室さん!?」七海が身を乗り出す。

御子柴はモニターを指差し、悪魔のような笑みを浮かべて言い放った。

「政府が本当に排除したいのは『ニコチン』じゃない。煙草の煙という微粒子が空間に存在していると、あの『空間除菌システム』が発している**“本当の波長”**が乱れちまうんだよ!!」

「ほ、本当の波長……?」

「そうだ。政府は『綺麗な空気』と称して、俺たちの脳のシナプスを直接書き換えるためのナノレベルの電磁波を日本中に散布している! そして、煙草の煙が充満している空間オフィスにいる経営者だけが、その洗脳から逃れちまうんだ!! だから奴らは、国家を挙げて『喫煙者は頭が悪い』という強烈なパラダイムを構築し、経営者から煙草を奪うことで、日本中の企業トップを完全にマインドコントロールしようとしているんだよ!!」

「な、何だって言うんだァァァーーーッ!?」

七海がパイプ椅子から転げ落ちんばかりに叫んだ。

轟が息を呑み、烏丸が妖しく微笑む。氷室の持っていたタブレットから、カラカラと乾いた音がしてペンが床に転がり落ちた。

「洗脳……? 日本の中枢を担う、全ての企業のトップを……?」

「そうだ」御子柴は窓のない壁を睨みつけた。「これは単なる健康ブームでも、市場の淘汰でもない。日本という国家のシステムそのものを乗っ取るための、見えないクーデターの始まりだ。……さて、会議を続けようか。奴らが『誰』の意思で動いているのか、暴いてやろうじゃねえか」

密室の空気清浄機が、まるで彼らの会話を吸い込むように、一段と高い駆動音を鳴らした。

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